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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
19/27

魔剣、その先

 ふわり、ふわりと波に揺られるように、ジエンは夢想を漂っていた。

 その中で――夢の中で何かを想うというのも奇妙な話ではあるが、ともあれ――想うのは先のカゲフサを断った一刀のことであった。


(……あれは、なんだったのか)


 手応えには遠く、むしろ違和感に近い感触をジエンは覚えていた。

 震雷の魔剣が避けられたことに驚きはない。

 相手は“当代筆頭”だったのだ。

 そのくらいはしてくるだろうという期待、あるいは願望はあった。

 だから、魔剣を避けられた時も続けて斬ろうとした。

 そういう予想図は既に、あの浜辺でコウセツと死合ったときに立てていた。


 “秘剣・紫電閃”。震雷の魔剣に限りなく近付いた一刀を避けたのは、ジエンなのだから。


 技として、震雷は紫電閃と限りなく近似している。

 どちらも踏み込む足に限界以上の荷重を掛け、地上を飛び、刺突にて首を穿つ技である。

 ただ、かの秘剣が同門への殺し技として『斬り込むと誤認させる構え』をとるのに対し、刺突に注力し無駄を削いでいる点が違いとして挙げられる。

 逆に言えば、それだけしか違いがないのだから、やはり破る者がいてもおかしくはなかったのだ。


 だが、先の魔剣行使に続いて、ジエンはカゲフサの首を()()()

 それは本来の震雷から外れた想定である。

 ひとつの絶剣(まけん)には、ひとつの絶技(まけん)しか想定されていない。

 なのに、ジエンはそれが正しいと感じた。


(クオウの設計理念を超えた?)

(有り得ない)

(そもそも、魔剣は人体の限界を超えた動きを要求している)

(それ以上はない)

(だが、あの瞬間、ああするべきだという実感が――)


 思考が泡の如く浮かんでは消えて、その果てにジエンは気付いた。



 ――魔剣には先がある。



 それは、決しておかしな話ではない。

 剣には必ず最高のひと振り、すなわち“真打ち”がある。

 であれば、魔剣として打たれた中に、真打ちたるひと振りがあってもおかしくはない。


 ――オレが“けん”をつくって、オマエがふるんだ。

 ――それで、いつか、オマエを“てんかむそー”のけんしにしてやる!!


 否、クオウならば必ず用意している筈だ。

 彼女が幼い日の約束に殉じたのなら、必ず最高のひと振りを鍛った筈だ。


 であれば、ジエンもまた約束に殉じなければならない。

 最高のひと振りにふさわしい、最高の絶技。

 先の一戦で、その切っ掛けは掴んでいる。


 数多の絶技の先、魔剣を巡る旅の答えが、そこにある。


 そう確信した瞬間、高らかな魔剣の共鳴音が聞こえた。

 遠く、御山の洞窟で胎動する“魔剣の卵”から――



 ◇



 ぱかり、ぱかりと規則的な蹄音が耳の奥に木霊する。

 ジエンは薄靄のかかった思考のまま瞼を開け、周囲の明るさを感じてがばりと起き上がった。

 途端、砕けた右膝の痛みが蘇り、思わず顔をしかめた。


「ジエン殿!!」


 掛けられた声に反応して手綱を掴み、ずり落ちかけた体を支える。

 急に手綱を引かれた馬がどことなく迷惑そうな表情でこちらを見遣る。

 遅れて、自分が馬上で眠っていたことに気付いて、ジエンは冷や汗を流した。


「気が付かれたのですね、ジエン殿」

「う、うむ……」


 懐を見下ろせば、目の下にうっすらと隈を作ったイオリがほっとしたような表情をしていた。

 あたりを見回せば、藩境に随分と近付いていることがわかる。

 もう少し馬を進ませれば関所も見えてくる頃だろう。


「申し訳ない、イオリ殿。寝こけていたようです」

「無理もありません。相手はあのカゲフサ様だったのですから――」


 イオリの話によると、ジエンはカゲフサを斬った後、残る決死兵を追い散らし、立ったまま気を失ったらしい。

 そこまではジエンも辛うじて記憶していた。

 その後は襲撃もなく、イオリは気絶したままのジエンをどうにか馬に乗せ、落ちないように気を付けながら藩境まで来たのだという。

 よく落ちなかったものだと我がことながらジエンは呆れかえった。

 あるいは、振り落とさずに馬を進めたイオリの騎芸の腕を褒めるべきか。


「すみません。ジエン殿が目を覚ますまで待つべきかとも思ったのですが……」

「いえ、賢明な判断でした。あの場に留まっていれば決死兵の追撃を受けたでしょう」


 むしろ恥ずべきは己の方だと、ジエンは重ねて謝罪した。

 ショウキより託された誓いを守る立場に己はいたのだから。

 そう告げても、イオリの表情が晴れることはなかった。


「……ジエン殿はお強いですね」


 その一言には尊敬と憧憬と、拭いようのない哀愁の念が漂っていた。

 ジエンはかける言葉が見つからなかった。

 剣の稽古に励んでいたというイオリが、直に師事していたであろうカゲフサに如何な想いを抱いていたのか考えれば、慰めすら侮辱になる。

 勝利とはそういうものだ。勝者の陰には常に敗者の屍がある。

 それがたとえ己を殺しにきた相手であっても、剣の師とは特別なもの。思うところがあって当然なのだ。



 それきり二人の間に言葉はなく、そのまま藩境にある関所に到着した。

 関所にはイスルギ藩から派遣された護衛の兵士たちが待機しており、ジエンだけを伴にやって来たイオリを見て不審気な顔をしていた。

 襲撃があったことをイオリが伝えると、泡を食った責任者は慌てて早馬を命じる。

 子殺しを命じた将軍が、“当代筆頭”の手駒を失った男が、報告を受けてどのような顔をするのか、ジエンは少しだけ気になった。


「彼らがいれば大丈夫です。父上もイスルギ藩に手を出そうとは思わないでしょう」

「ええ」


 周囲が混乱している中、イオリはそっとジエンの傍に寄った。

 ここで二人の道は分かたれる。

 ジエンの素性が割れればまたぞろ面倒なことになる。今のうちに退散しなければならない。


「こたびは命を助けられました。感謝します、ジエン殿」

「お気になさらず。それがしはショウキの手伝いをしたまでです」

「……その、ショウキ殿のことは」

「心配は無用です。先にも言ったように、あれは殺しても死なない類なれば」


 そう言ってジエンは、沈痛な顔をするイオリに笑いかけた。

 慰めではない。ジエンは彼が生きていると確信しているのだ。

 たとえそれが、どのような形であっても。


「……貴殿はこれからどうされるのです?」

「しばらくは近くの街で待ちます。彼奴もそのうちひょっこりやって来るでしょう」

「では、言付けをお願いします。機会があれば是非トラジの家にお越しください、と。

 大したもてなしはできませんが、命の礼をお返ししたい」

「承りました」


 ジエンは主君にするように膝をついて、イオリの言葉に頭を垂れた。

 この少年はこれからも父に命を狙われ続けるだろう。

 平穏な日々が訪れることはもうないかもしれない。

 だから、せめてこの約束が彼の生きる気力となることを願った。

 たとえこの先、ふたりの道が交わることがなくとも、約束は生き続けるのだから。


「さらばだ、ジエン殿」

「おさらばです、イオリ様」


 そうして、誰の目にも留まることなく、ジエンはその場を後にした。




 ――後に、稀代の名藩主として長く称えられるトラジ・イオリは剣術家としても名を残している。


 彼の興したツキカゲ流トラジ派には密かに連綿と受け継がれてきた秘伝がある。

 創始者である彼ですら会得することのできなかったとされる剣技。

 「全ての剣の行きつく(はて)だ」と語ったその技を、彼がどこで見たのか、史料には残されていない。



 ◇



「まずは置いてきた魔剣を回収せねばな。あとは――」


 適当に拾った木枝を杖にして、嘘のように晴れ渡った空を見上げながら、ジエンは呟き、次いで苦笑した。

 ショウキを待つにしても、当面の宿と仕事を見つけなければならない。

 ここ最近は彼の伝手に頼りきりだった細々としたことを、自分でしなければならないのだ。


「なんとも、いつの間にか居るのが当然と思っておったな」


 それを弱さとは思いたくなかった。

 だから、一年。

 一年だけ待つと、ジエンは決めた。

 魔剣を回収し、かつて訪れたヒルイの街で再び軒先を借り、ショウキを待った。




 ――だが、それから幾月待とうと、彼が現れることはなかった。


 春が訪れ、夏が終わり、秋が来て、冬になり。

 そうして、次の春がやって来た時、ジエンはひとり、イスルギ藩を後にした。

 覚悟はしていた。

 悲哀はなかった。彼が生きているという確信は未だ揺らいでいなかった。

 ただ、来るべき時が来ただけだ。

 元より互いに後ろ暗い過去を持つ二人旅。

 どこで離別してもおかしくはなかったのだから。


「……魔剣を探さねば」


 呟く声にいらえはなく、抜けるような青空に溶けていく。

 荒々しくも、心地よかったあの男はもういない。

 彼に出会う前はずっとそうであった筈なのに、一人旅の寂寞が身を凍えさせる。

 春風すら今は冷たく感じられる。

 それでも、ジエンは足を止めるわけにはいかなかった。

 色褪せた景色の中で、いつかクオウと見た桜の幻影が鮮やかに舞う。

 風に舞う幻色の花びらだけが、呪いのように孤独な旅路を言祝ぐ。


「先に行くぞ、ショウキ。これ以上は待たない。……おぬしなら追いつくだろうからな」


 負け惜しみに似た惜別の言葉を残し、ジエンはひとりゆく。

 魔剣奪還の旅は続く。


 ―― 二人の道が再び交わるのは、それから五年後のことであった。


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