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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
18/27

魔剣・震雷・後編

 厚い雲が月光を遮る。

 灯りも持たず街道を走るジエンは、隣のイオリが足をつっかけたのを察して素早く抱きとめた。


「っと、すまぬ」

「足元を注視しても見えません。まなこを開いて、視界を広く取ってください」

「う、うむ」

(……やはり徒歩(かち)では厳しいか)


 今夜はひどく空が暗い。月が隠れては三歩先も見通すことができない。

 せめて灯りがあればとも思うが、見晴らしの良い街道では自殺行為だ。

 如何にジエンとて、矢なり石なりが一斉に飛んできてはイオリを守りきれる自信はない。

 そのイオリの体力もここまで走り続けて限界が近い。元より十の子供に夜を徹して走らせるのは不可能だ。


 いっそ担いで走るかと思案したそのとき、背後から規則的な蹄音が聞こえてきた。

 びくりとイオリが身を竦ませ、ジエンもまた柄に手をかけた。


(音を聞く限り、馬は一頭。鐙の擦れる音はない。無人か?)


 しばしの後、ジエンは意を決して、横を通り過ぎようとしていた馬の手綱を掴んだ。

 予想通り、鞍上は無人であった。

 よく馴らされているのだろう。急に手綱を取ったにも関わらず、馬は素直に足を止めた。


「これは、もしやショウキ殿が!?」

「そのようですね」


 言葉少なにジエンは頷いた。

 手綱には血染めの布切れが巻き付けられていた。

 笹の模様が夜闇に透けて見える。彼が身に着けていた羽織りの袖に間違いない。


「……ショウキ」


 血染めの袖は幾千の言葉よりも雄弁に苦況を伝えていた。

 一抹の悔しさと寂寞がジエンの胸中を吹き抜けた。


「ショウキ殿を探しましょう、ジエン殿。馬を用意できたのなら、彼も近くにいるはずです」

「……」


 夜の闇に阻まれて、イオリは血に染まった袖端には気付かなかったようだ。

 ジエンは袖切れを懐に納め、束の間、雲間に隠れた月に感謝した。

 これ以上、この子に罪悪感を負わせたくはなかった。


「すぐに出立します。乗ってください」

「……ショウキ殿はどうするのですか?」

「彼奴は貴方を助けると誓った。ここで引き返せばその誓いを穢すことになります」

「しかし――」

「大丈夫、あれは殺しても死なぬ類です。今はご自分のことだけをお考えください」


 重ねて説き伏せると、イオリはそれ以上言葉を連ねることはできなかった。

 あるいは、ジエンが黙した事実を察したのかもしれない。

 だが、どちらにせよ時間は限られている。

 沈黙を承諾と受け取り、ジエンはイオリを抱えて馬に乗った。


「頼む」


 首を撫でながら告げると、承知したとばかりに馬は走りだした。


(……これで第一関門は突破したか)


 馬の背で揺られながら、ジエンは思考する。

 このまま街道に沿って走り続ければ、明け方には藩境の関所に着く。

 無論、それを黙って見送る決死兵ではあるまいが、その時はその時だ。

 現時点では追手のかかっている気配はない。

 加えて、ショウキを合流できぬほどに消耗させるまでに彼らが築いた屍は、十や二十ではきかぬだろう。


(あとは――)


 あとは、誰が先回りしているか、それが問題だった。




「そういえば、ジエン殿」


 おずおずとかけられたイオリの声に、ジエンは思考の世界から戻ってきた。

 視線を下ろせば、イオリが不安げな表情で見上げているのがわかった。


「その、命のあるうちに謝っておかなければならない」

「なにをでしょうか?」

「置いてきた刀のことです」

「……ああ」


 ジエンは返答に窮して言い淀んだ。

 各地で奪還した魔剣を納めた木箱は、潜伏していた山小屋の軒下に隠しておいた。

 身を軽くするためである。

 今身につけている魔剣はいつもの大小と、乱戦に備えて持ち出した背のひと振りのみ。

 残していくのは気がかりであったが、多数の魔剣が集まっている以上、ジエンの耳がその共鳴音を聞き逃すことはない。

 魔剣は集まるとその存在を増し、共鳴の音も大きくなる。

 今のジエンなら、遠く離れた御山の“魔剣の卵”の音すら聞き取れる域にある。

 とはいえ、そういった事情を話す訳にもいかない。

 ジエンは言葉を濁し、心配いらないとだけ返した。

 対するイオリは男の顔を窺うように数度身動ぎした。


「大事なもの、なのですよね」

「ええ。命よりも」

「――っ」


 少年は小さく息を呑む。

 素っ気ない一言に込められた重みは、二の句を奪うには十分であった。


「足を速めます。舌を噛まないように気を付けてください」


 沈黙を縫うようにジエンは告げて、手綱を引いた。

 ふたりを乗せた馬は小さく嘶きをあげて、力強く地面を蹴った。



 ◇



 それからしばらく、ジエンは無言で馬を走らせていた。

 藩境は徐々に近づいている。

 耳を澄ませても背後から蹄音が迫る様子はなく、近くを流れる川の音しか聞こえない。

 一度、馬を休ませるべきか。ジエンは迷った。

 馬とて疲労する。常歩と速歩を織り交ぜているとはいえ、長い暗夜行はかなりの負担になっている筈だ。

 ここなら水を飲ませ、藩境まで一気に駆けることができる。

 そうするのが最善であると思考は告げ――


 ――本能は、意識よりも早く背の一刀を抜き打っていた。


 ギン、と火花が散って硬い手応えが手に返る。

 闇より飛来したのは一筋の矢であった。

 ジエンは片手でイオリを抱えたまま馬から飛び降りた。

 刀を盾に、少年を庇うように地に伏せる。

 だが、不思議と次射がくる様子はない。

 数歩進んで不思議そうに振り向いた馬が戻って来る。こちらも撃たれる様子はない。


「イオリ殿、手綱をとって下がって、けれど離れ過ぎないように」

「決死兵か?」

「おそらく。急いでください」


 言って、小さな背を軽く叩くと、少年は素直に馬を回収して背後の闇へ消えた。

 ジエンは魔剣を中段に構えたまま、耳を澄ます。

 ここまで休まず馬をとばした甲斐あって、敵の数は多くはない。この場にいるのは五人かそこらだ。

 おそらくは馬を得させぬことに数を割いた為だろう。ショウキの離脱がその事実を証明している。

 であれば、残りの兵は他の経路を張っているとみて間違いない。

 堅実な手だ。馬がなければ、イオリの足ではイスルギ藩に抜けることも、アスハ藩の中枢に戻ることも難しかっただろう。


「――見事」


 ふと、声が聞こえた。耳の奥で反響する低音の声だ。

 雲が晴れ、月光が街道に立ちはだかる敵の姿を照らす。

 そこにいたのは、弓を手にした、決死兵と同じ黒鎧姿。頬当てはつけておらず、相貌を月下に晒している。

 歳は四十過ぎか。髷は結っておらず、中肉中背で特徴の薄い男だ。

 ジエンの背後で、イオリが息を呑む気配がした。


(知り合いか。むごいことを……)


 先ほどの矢はこの男が放ったものだろう。

 隠身の冴えといい、他の決死兵とは一線を画していると見て間違いない。

 男はもう一度「見事」と繰り返すと、弓を捨てて腰の一刀を抜き放った。


「――ッ!?」


 驚きが喉をついて漏れ出そうになり、奥歯を噛み締める。

 男が抜き放った刀に、ジエンは見覚えがあった。


「こうして照らし合わせてみるとやはり似ていますね。

 親娘だからか、あるいは師弟だからか。どう思います、“魔剣使い”ジエン?」


 ――“御山ノ鬼一”。今代将軍によって最高峰と認められた作刀。


 今は亡きクオウの父が鍛った真打ちであり、将軍に献上したひと振り。

 それがここにある意味を察せぬジエンではない。

 よくよく考えてみれば当然の話ではあった。

 決死兵が兵たるには、当然に『指揮する者』が必要である。

 そして、将軍が決死兵を託すに足る武家はひとつしかない。

 すなわち――


「――“将軍家指南役”ツキカゲ流」


 ジエンは遅ればせながら、イオリが息を呑んだ理由を理解した。

 彼はこの男に剣術を習ったのだ。


「ツキカゲ流の当主は蟄居されたと聞いていたが?」

「御役目故」


 その短い一言に、ジエンは鋼の忠誠心を感じた。

 役目故に指南役の栄光を手放し、汚名を被ったのだと理解させられる。

 元ツキカゲ流当主、ツキカゲ・カゲフサ。

 それは一代で剣術指南役に登りつめた男の名。

 将軍より“当代筆頭”と認められた剣客の名である。


「交渉しましょう」


 緊張に身を固くするジエンに対し、カゲフサは構えを解いてそう告げた。

 ジエンは答えない。構えを解くこともしない。

 ツキカゲ流は迎撃に特化した流派であり、長じては“構えなき構え”を会得するとの噂を耳にしたことがあったからだ。


「貴方ほどの剣客をここで斬るのは忍びない。命は保障します。投降していただけませんか?」


 ひやりと夜風が頬を撫でる。

 説得ではない筈だ。各所に散った決死兵を集めるまでの時間稼ぎだろう。

 こちらの殺気だった姿を見れば、断られることなど火を見るより明らかなのだ。

 だが――


「投降していただけるなら、私にできる限りのことをしましょう。望むなら、指南役に推薦しても構いません」

「なに……?」


 だが、その言葉は喪った筈の夢を疼かせるには十分な重みがあった。

 提示された地位は“天下無双”の最たる近道であることに間違いはない。

 儚い月光の下、対面のカゲフサはにこりともせず、真剣な表情で続ける。


「命を保障すると約する以上、内に抱え込まねば漏洩のおそれがありますからね。

 それに、そういった俗事を別にしても、貴方の剣にはそれだけの価値がある。

 純然たる事実として、ツキカゲ流の現当主――愚息よりも貴方は強い、と私は見ます」

「……当代筆頭の地位を安売りするな。器が知れるぞ、ツキカゲ流」


 にべもなく拒絶するジエンに対し、カゲフサは溜め息をひとつ夜闇に吐いた。


「剣腕を安売りしているのは貴方の方ではないのですか、デイシン流?

 貴方の腕なら真っ当な方法でも指南役になれるでしょうに、日陰に甘んじている」

「……それがしは以前に、魔剣を奪いに来た決死兵を斬った」

「戦場の倣いです、構いません。魔剣とやらを謀反の旗頭にされては困るとの上様の判断だったのですが、貴方はその殆どを回収した。今となっては問題になりません」

「……」

「さあ、御答えを」


 ジエンはしばし沈黙した。

 その背に投げかけられるイオリの視線には、諦めの気が色濃くへばりついていた。

 聡明過ぎる少年は、己の命と提示された地位の重さの価値の差を理解している。

 剣術指南役、当代筆頭の証明。剣士にとってそれは天上の夢に等しい。

 今日知りあったばかりの子供の命ひとつで買えるのなら、安いものだろう。



「――断る」



 だから、ジエンの返答はイオリにとってまったく予想外のものであった。

 不安と絶望に覆われていた胸中に、暖かな光が降り注ぐ。


「今この時、我が剣は友の為、イオリ殿の為に振るわれる。おぬしに買い叩かれる謂れは、ない」

「……残念です」


 カゲフサはちっとも残念そうでない表情でそう告げて、構えを変える。

 正中にて鬼一の剣先をだらりと下げた、無形の位。

 先ほどまでの油断を誘う構えとは気迫が違う。それこそが彼の本来の戦型なのだろう。


「……」


 じりじりと間合いを詰めながら、ジエンは攻めあぐねた。

 カゲフサの脱力した構えは無防備に見えて、どのような攻撃にも対応する余裕を孕んでいる。

 元より、ツキカゲ流相手に安易な攻めは禁物だ。

 わけても、振りかぶる対手に先んじて小手を斬り落とす迎撃の極み――“返しの刃”は特筆に値する。

 ツキカゲ流の基本にして奥義。カゲフサはこの技ひとつでその地位に至ったといっても過言ではない。

 これを破らぬ限り、ジエンに勝利はない。


「……っ」


 焦りがジエンの脳裡を過熱させる。

 対ツキカゲ流の常道に則るならば、相手に先に斬らせるべきだ。

 しかし、隙を見せてもカゲフサが誘いに乗る様子はない。

 気構えの時点で既に差がある。時間は相手の利になるばかり。焦るのはジエンの側だけだ。


(――やるしかない、か)


 心を決める。

 その瞬間、ジエンは勝利を捨てた。

 構えを変える。

 鍔を右頬に寄せ、切っ先を大きく前に倒した異形の八相。

 狙いは明らかなほどに明らかな刺突、ただ一点。


「……それは悪手ですよ」


 対面のカゲフサの顔に束の間、同情に似た色が浮かぶ。

 当然だ。

 読み合いの放棄と言えば格好もつくが、その実は見え見えの攻撃。

 いかに“返しの刃”が刺突を苦手とするとはいえ、こうも露骨に構えれば回避も容易。

 そして、両手で突いた後ほど隙だらけの姿はない。


「――――」

「――――」


 ジエンが突く。横に一歩避け、返しの刃が当たる。

 予測を超えた確信の領域で、カゲフサは正確に未来を読んだ。

 こんなものか、と落胆する気持ちが湧いて来る。

 部下の話を聞き、その血塗られた半生を聞き、いざ対面してその実力も理解した。

 だが、勝利と敗北は常に紙一重。

 どれだけ実力があろうと、選択を間違えた剣士は死ぬしかない。

 これまで数多の剣士を闇に葬ってきたカゲフサにとって、それは絶対の摂理。

 今度もまた、その摂理の前にひとりの剣士が倒れるだけである。



「――参る」



 だが、だが、だが。

 カゲフサは知らなかった。ジエンが何に命を託したのか、理解していなかった。

 ジエンが手にするは、一夜の友たるコウセツより返還された魔剣。

 その魔剣の術理は単純明快。しかし、それゆえに強固な術理である。


「――――ッ!!」


 次の瞬間、先手を取ってジエンが踏み込んだ。

 否、それはもはや飛翔に等しい。

 完全な静止状態から、ただ一足にて刃圏を侵す鮮やかな跳躍。

 カゲフサが反応したときには既に、目前に切っ先が迫っていた。


 ――魔剣・震雷


 放たれるは、人体の構造上、必ず隙間のできる首横を穿つ刺突。

 剣を構える者は、どうあっても首横を防ぎきることはできない。

 どれだけ剣を身に寄せようと、そこには隙間ができてしまう。

 この魔剣は()()()()()()()その隙間を射抜く。


「ッ!!」


 その一撃にカゲフサが反応できたのは、ひとえに潜ってきた死線の数故であった。

 驚きは無論、ある。

 刺突と読ませ、その上で予測を超えた人外の速度で機先を穿つ。

 思いついてもできる者はいないし、わかっていても避けられるものではない。


 だが、その絶技を放ってこその“魔剣使い”ならば、避けてこその“当代筆頭”だ。


「っ!?」


 ジエンの魔剣が、カゲフサの右肩をしたたかに抉る。

 急所(くび)への一撃を、反射すら超えた瞬速が辛うじて回避したのだ。


 魔剣は成らず。カゲフサはまだ、死んでいない。


「――シッ!!」


 瞬間、地に垂らした鬼一の切っ先が跳ねあがる。

 右肩を穿たれて尚、孔雀の羽根の如き鮮やかな逆風の一刀。

 すなわち“返しの刃”が刺突後の無防備なジエンに襲いかかり――


 刹那、ジエンの体が()()()()と旋回した。


(な――)


 極度の集中の中でカゲフサは絶句した。

 敢えて言うならば、ジエンのそれは綱を引くような動作に似ていた。

 突き込んだ無防備な体を、踏み込みの反発で引き戻す回転の動き。


 だが、有り得ない。一瞬前までジエンに体位(たい)を戻す素振りはなかった。

 すなわち、ジエンは魔剣を避けられてから、この動きに移行したのだ。

 無理に無理を重ねた無茶だ。おそらく魔剣の限界すら超えている。

 それでも、ジエンに破綻はない。

 男の体は既に、この動きに“適応”している。

 そして、これは自明の事実であるが、刀とは()()()()武器である。


「――お、おおおおおおおッ!!」


 気炎がジエンの喉を破らんばかりに発せられる。

 人体の限界を超えた魔剣、その魔剣すらも超えた入神の一閃。

 限界を二度越えた右膝が砕ける。

 それでも、剣閃は淀みなく動きを止めず。

 親指の付け根から腰、背、肩、腕と伝達された回転が奇跡の一刀を描く。



 ――魔剣・■桜



 刹那、僅か四寸の距離を駆け抜けた一閃が、過たずカゲフサの頸を断ち切った。



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