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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
17/27

魔剣・震雷・中編

 ――“決死兵”とは将軍の保持する直属の暗殺兵力である。


 暗殺、すなわち原義の通りの政治的殺人を犯すための兵。

 彼らにまず求められるのは、決して秘密を漏らさぬ鋼の忠誠心である。

 ゆえに、実力はどうしても二の次になるが、時に手練を暗殺しなければならないこともある。

 そこで、彼らが出した答えは『複数人で一個の一流となる』ことであった。

 彼らは将ではなく、士ですらない、兵だ。しかし、兵は集団でこそ意味がある。

 四人一組の決死兵が前後二人で隊列を組み、槍衾を形成し、押し潰す。

 あるいは一人を四方から包囲し、同時に攻撃する。

 個々の実力では勝っていても、常に四対一を強いられては勝ち目はない。

 四人のうち一人は斬り捨てられる。傷つきながら二人目にも刃は届こう。

 しかし、そこまでだ。三人目を倒す術は尋常の剣士にはない。


 決死兵とは、そういう戦術に則って造られた兵である。



 ◇



「先の襲撃は父上の決死兵によるものでしょう」


 ジエンたちはイオリを連れ、人目を避けて山奥の猟師小屋に潜んでいた。

 閑散とした小屋の中は本来の持ち主が冬の間は来ないであろうことを示している。

 そうして、ひとまず暖をとろうと囲炉裏に火を付けた折りに、イオリはそう切り出した。


「気付いておられたか」

「わたしに付いていた護衛はアスハ藩の者です。この地で彼らを殺す意義のある者は他におりません」


 ジエンがだした白湯で舌を濡らしながら、イオリは表情ひとつ変えずに言い切った。

 折り目正しく正座し、齢不相応にぴんと張った背筋が痛々しい。


「逆に、父上からしてみれば、アスハ藩でわたしを殺すことに意義があるのでしょう」

「何故ですか?」

「アスハ藩が謀反を企んでるからだよ」


 ジエンの問いに囲炉裏を暖めていたショウキが答えた。

 彼が集めたきな臭い噂とは、まさしくそれであった。


「トラジの家は親藩の家系だ。んで、将軍家に跡取りがいないときは養子縁組して代を継ぐ権利があるんだよ。……今代将軍は四十過ぎだが、これまで子は娘しかいなかった。正室に生まれた男児もまだ小さいだろう?」

「ええ」

「だから、そのガキが死にでもすれば、こいつは次代の将軍ってわけだ。トラジの家に降ろしたってのはそれを明確化させる意図だろう」

「ご賢察です。けれど、どうやらわたしは予備にすら成り損ねたようです。

 ……正室相続の邪魔になる者を殺し、護衛に付けた兵を削ぎ、ついでに藩内で将軍候補を殺すことで改易の理由にする。さすがは神祖の直系、恐ろしいことを考えるものです」

「――――」


 鋭い指摘だった。年齢を考えれば不相応な聡さであろう。

 父を他人のように語るイオリは相変わらず表情ひとつ変える様子はない。

 だが、湯呑を握るその小さな手が微かに震えているのを、ジエンは見て取った。


「……それは」


 慰めるべきか、憤るべきか。ジエンは二の句が告げられなかった。

 庶子とはいえ、政治の駒として親にその命を狙われる絶望は如何ほどか。

 それは決して、十歳の子供に負わせてよいものではない。


「そこまで理解してたか。恐ろしいのはこっちだ。とんだタマだぜ、オマエさん。将軍サマが躍起になって殺しにかかるワケだ」

「さて、神童などと持て囃されたこともありますが、七つを過ぎればこのザマですよ」

「うむ……」


 才が鋭すぎるというのも考えものだ、とジエンは嘆じた。

 齢十でこれほどの冴えを見せているのだ。次代の将軍に、と担ごうとする者は必ず現れる。

 長く続く太平の世は商人や民衆の力を強め、逆に戦のない日々は武士をお払い箱へと追いやりつつある。

 彼らが強力な指導者を求めるのは必然であり、アスハ藩に謀反の兆しがあるのも同根であろう。


(もしも、イオリ殿が正室の子であれば――)


 そうであれば、きっと本当に将軍になれただろう。

 あるいは商人の家にでも生まれていれば、何のしがらみもなく成功していたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。ならなかったのだ。

 少年の生まれは、その才を抱いて死ぬことを強いているのだ。


「っよし!!」


 そのとき、沈んだ雰囲気を吹き飛ばすように、ショウキは勢いよく膝を叩いた。


「オレは決めたぜ、ジエン。手伝え、こいつを助ける」

「判官贔屓とはらしくないな、ショウキ」

「そうじゃねえ」


 端的に否定したショウキは、真剣な表情でジエンを見つめる。

 煌々と燃えるその瞳は、相対する者の胸の底を焦がすような熱を放っている。


『――だが、斬られてもいいと思えた奴は初めてだ』


 その表情は、初めて会った夜に語りあったあの時と同じ顔であった。

 今は亡き未来の大剣士を語ったときと同じ、夢見るような顔であった。


「生まれだなんだとくだらねえ。オレはそいつが嫌で無頼を気取ってるんだ。

 ――だから、ここで退くのは生き様に反する。()()()()()()()()()()()()()

「……いいだろう」


 その言葉には命を賭けてもいいと思わせる熱があった。

 ジエンをして、この一時、この男の為に剣を振るってもいいと、そう思えたのだった。




「馬がいる。駄馬でもいい。ガキの足じゃ追いつかれる」


 三人で頭を突き合わせた結果、考案された逃走計画は単純明快であった。

 すなわち、すみやかにアスハ藩を南下し、イスルギ藩へ脱出するというものだ。

 イスルギ藩は将軍への忠義も篤く、また謀反の気がある北方のアスハ藩への抑えでもある。

 情勢的にみて、イスルギ藩まで逃れたイオリに対して決死兵が手出しをする可能性は低い。

 その為の経路はふたつある。

 ひとつはこのまま山を越えるもの。

 これは最短距離を行けるが、冬のこの時期では山間では雪に足を引かれる危険がある。

 もうひとつは街道を行くものだ。

 こちらの場合はやや迂回するが、道は平坦で多少雪が積もっても支障はない。

 代償に、街道に張り込んでいるであろう決死兵にみつかる可能性は高い。

 手短な議論の末、ジエンたちは後者を選ぶことにした。

 如何に聡明とはいえ、十歳の子供であるイオリに冬の山越えは危険であること。

 そして、人目があれば決死兵の襲撃を躊躇させられる目もあるかと考えたからだ。


 その上で必要なのが、馬であった。


「馬を手に入れて藩境の関所まで突っ切る。この三人じゃそれ以外に手はない」


 ショウキは断言し、残る二人も異論はなかった。

 問題は、どうやって馬を手に入れるかにあった。


「街道沿いならば駅舎に伝令用の早馬がある筈です。わたしの名をだせば――」

「相手もそう考えてるだろうな」


 ショウキが被せるように告げると、イオリはぐっと言葉に詰まった。

 本人にしても図星だったのだろう。

 ここまで派手に事を起こした以上、早馬は処分されていると見て間違いない。


「……あまり気は進まないが、オレの方で伝手がある」


 しばらくして、後頭部をがしがしと掻きながら、ショウキはそう切り出した。

 いつも要領よく立ちまわっているショウキにしては珍しい奥歯に物が挟まったような物言いだ。

 おそらくは日陰者の中でも、なるべく手を借りたくない類なのであろう。

 そして、もうひとつ。ショウキの言葉に隠された意図をジエンは嗅ぎ取った。


()()()()?」

「背に腹は代えられねえ。助けるって決めたんだしな」

「……おぬしがそれでいいのなら」

「応よ。ジエンはイオリを連れて先に行け。馬を手に入れてすぐに追いつく」


 そう言って莞爾と笑い、ショウキはそそくさと出立の準備を始めた。

 ジエンはその背に言葉をかけようとして、しかし、何というべきか迷った。


「――気を付けてな」


 結局、口にしたのはそんなありきたりの言葉だけであった。

 ショウキは何も言わず、ただ背中越しに片手を挙げて応えた。

 二人にとって、伝えるべきことはそれで伝わった。


「我々もすぐに出ましょう。ここに潜んでいることはもう気付かれているやもしれません」

「ジエン殿……その、ショウキ殿は」


 ふたりのやり取りにただならぬものを感じたのか、イオリは何かを問いたそうな顔をした。

 ジエンは答えなかった。それゆえに、察しの良過ぎる少年もわかってしまっただろう。


 ショウキは自ら囮を買って出たのだ。



 ◇



 日が沈み、雲のない空を抜けた北風が身を震わせる。

 山小屋を出てしばらく、最寄りの街へと山道を急ぐショウキは追手がかかったことを感知した。


(ひの、ふの……ざっと五十人ってところか)


 昼にまみえたときよりも数が増えている。相手はどうやら本気で子殺しを行う気らしい。

 ショウキは山道の途中で足を止めた。策もなく決死兵の待ち構える殺し間へ飛びこむ気はなかった。

 決死兵の総数は不明だが、百を超えることはないだろうとショウキは判じた。

 秘密は漏れる口が多いほど漏れやすくなる。

 今世の状況で、将軍への忠誠心を保つにはそのあたりが限度だ。


「半分は引きつけた。あとは頼んだぞ、ジエン」


 口中で呟き、思わずショウキは苦笑した。

 巻き込んでおいて後事を託すなど身勝手もいいところだ。無責任にも程がある。

 だが、ショウキとしてもこのようなことは初めてであった。

 誰とつるもうと、どこに与しようと、最後に頼れるのは己のみ。

 自分はそういう獣の世界に生きていた、筈だった。


「それでも、助けるって決めたんだ、今度こそ――」


 夜闇の中に、音もなく鞘を払う。

 魔剣には及ぶべくもない数打ちの刀が月光を鈍く反射する。

 思えば、長くジエンと共に旅しながらも、ショウキが魔剣に触れたことはなかった。そうであるからこそ、彼と共に旅を続けることができた。

 もっとも、このような状況だ。頼めば、貸すくらいはジエンもしただろう。彼は頑なだが、薄情ではない。

 だが、ショウキはついぞ魔剣を求めることはしなかった。

 それは友誼の証明であり、またひとりの剣客としての矜持だからだ。

 流派カグツチは道具を選ばない。

 戦場において、武器は壊れるものであり、喪われるものであり、そして奪われるものである。

 ゆえに、扱うべきは数打ちでなければならない。

 奪われた途端に不利になるような名刀妖刀はその術理に反する。


「そういうところはお互い様だな、決死兵サンよ」


 口元に獰猛な笑みを浮かべ、ショウキは前方の闇を見据える。

 そこには、まるで亡霊の如き鎧武者の集団があった。

 かつては戦場を彩っていた槍や盾、鎧は見る影もない。

 飾りは廃され、色は漆黒の一色に。

 個性なき一集団として完成してしまった彼らの姿は“魔剣使い”に及ぶべくもない。

 己の人生の最期を彩る相手としては甚だ不足だ。

 であれば、勝って生き残るより他はない。

 今までそうして来たように、これからもそうすると誓ったように。


「――――」


 夜風が互いの間を吹き抜ける。

 次の瞬間、口上もなく戦の火蓋が切られた。


「――シャアッ!!」


 やはりというべきか、初手はショウキは取った。

 全力の踏み込みで彼我の間合いを一瞬で踏破する。

 そのまま陣を組む決死兵に対し、真っ向から突き出された槍ごと()()()()()


「――ッ!?」


 頬当ての下で兵たちが声もなく驚愕する。

 果たして、月を背に高々と飛翔したその速度は尋常ではなかった。

 着地と同時に一閃。

 拝むように打ち込まれた一刀が決死兵の胸元から柔らかい下腹までを両断した。

 そして、ショウキは止まらない。

 倒れる死体を盾に一方からの攻撃を阻むと、いまだ完全に振り向き切ってない第一陣に襲いかかった。

 不意を打たれた彼らの反応は遅きに失する。

 決死兵たちが体勢を整えた時には既に、第一陣は壊滅していた。


 だが、その代償に包囲は完成した。

 死体を足下に、ショウキは四方を槍衾に囲まれていた。


 無論、それで止まるショウキではない。


「――がぁあああああああッ!!」


 威圧の咆哮。古来より“鬨の声”は敵陣の士気を挫く為に用いられてきた。

 この場においてもそれは例外ではない。

 至近距離から大声量を浴びた決死兵が硬直したのは一瞬。

 されど、その一瞬にショウキは活路を見出した。

 瞬時に包囲の緩い一角を見切り、屍を築いて打ち崩す。

 槍の間合い、距離の守りはショウキ相手には意味をなさない。

 気付けば近付かれ、斬り伏せられている。そのカラクリに決死兵は気付けない。



 秘密はカグツチ流にある。彼の流派は陰陽ふたつの術理によって成る。

 すなわち、武器術を主とする攻撃面をになう“陽”の術理と、

 自身を有利な立ち位置に導く歩法や身体操作の“陰”の術理。

 ショウキが用いているのは後者である。

 完全な静から急激な動への移行。意識の隙間に踏み込む高速の接近術。

 他流派においては“縮地”と呼ばれる技法である。

 そこにショウキの肉体制御の才が合わされば、正面から不意を打つことすら可能である。

 派手な剣戟や威嚇の咆哮は見せ札に過ぎない。

 真に恐れるべきは、その卓越した陰の術理にある。

 だが、決死兵がそのことに気付くのは、あまりにも遅すぎた。



「――おぉおおおおおおおおッ!!」


 斬って、斬って、斬って、斬って、斬り続けた。

 背中を襲われれば左手で引き抜いた鞘で迎撃し、動きの止まった相手を右手の剣が切り崩していく。

 刀が折れれば、屍から奪い取った槍を振り回す。

 薙いで、刺して、払って、打って、そして斬り続けた。

 己が修めたカグツチ流のすべてを用いてショウキは戦った。

 血飛沫が舞い、いくつもの傷を負い、それに倍する負傷を与えた。


 そうして、気付いたときには、その場に立っているのはショウキだけであった。


「…………なんでぇ、これで終わりかよ」


 むせかえるような鉄錆の死臭が鼻につく。

 ぼやく声には力がない。

 如何にショウキとはいえ、五十人と真っ向から斬り合うのは骨が折れた。

 実際、負傷も少なくはない。左腕は血を流し過ぎてぴくりとも動かず、足にも力が入らない。

 纏う笹の羽織りも敵と己の血で隈なく染め抜かれている。

 痛みは既になく、儚い月光だけでは傷の具合も推し量れない。


「……クソ」


 ショウキは赤黒い唾を吐くついでに毒づいた。

 血を流し過ぎた。まずい状況だ。交渉次第ではこの後にもう一戦控えているというのに。

 まだ手にしていた槍を支えにしてショウキは歩き出す。

 馬を手に入れる伝手がある。ジエンたちに語った言葉は嘘ではない。

 だが、その出処を告げる訳にはいかなかった。

 なぜなら――


「――お困りのようですね」


 ふと、声が聞こえた。血臭に沈んだ山道にはそぐわない涼やかな声音だ。

 つと視線を上げれば、山道の終わりにぽつり、ぽつりと灯りが浮かんでいた。

 一瞬、黄泉から迎えが来たのかと錯覚する。

 しばしして、それが無数の灯火であることに気付いた。


「へっ、そっちから来てくれるとはありがたい限りだ、()()()

「貴方の大声は一里先からでも聞こえますからね、えっと……」

「“ショウキ”だ。今は、そう名乗っている」

「病払いの道祖神、ですか。貴方にしては洒落た名前ですね」


 くすりと笑って、声の主は灯火を背に、すたすたと近付いてきた。

 そのまま服が汚れるのも構わず、ふらつくショウキを抱きとめる。


「事情は手下をやって把握しています。我々の助けが必要ですね、ショウキ様?」

「話が早くて、助かるぜ。馬は、あるんだな?」

「勿論。我々の中には騎芸に秀でた者もいますからね。

 ――対価は貴方の身柄と剣腕になりますが、よいですね?」


 至近で囁く青年の声から笑みの気配が消える。

 断れば荒事になると、言外に告げる。


「……負かんねえか?」

「ご冗談を。今まで貴方が好き勝手やっていたのは“借り”がなかったからです。

 我々ははみ出し者の集まりですからね。貸し借りは徹底しないと踏み倒す者が続出します」


 知っているとも。ショウキは言葉もなく頷いた。

 日陰の世界に踏み込んだこの青年にその理を教えたのは、自分なのだ。


「それとも、ここで一戦ぶちますか?

 常ならいざ知らず、その傷では万が一が有り得ますよ」

「……」

「私は構いませんよ。()()()()()()()()()()()()()()()

「ハッ、随分と吹くじゃねえか――」


 ショウキは顔を上げ、灯火に照らされる青年の()()()を睨みつけた。


「――()()()


 青年――アモンは小揺るぎもせずにショウキの視線を受け止めた。


「選ぶのは貴方の方です、ショウキ様。どちらにせよ、悩む時間はありません。お早く」

「――――」


 やにわに生まれた厚い雲に月が隠される。

 凍えるような北風が吹いて、灯火を掻き消す。


 そして闇の中、決断はなされた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] やけにアモンの名前が出るから気になってたらこうきますか…面白いわぁ
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