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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
16/27

魔剣・震雷・前編

 ショウキと名乗るその男は親の顔を知らない。

 物心ついたときには、西方帝国(ルーシン)の流民街で同じ捨て子たちと共に暮らしていた。

 彼にはふたつの才能があった。

 ひとつは天性の肉体だ。

 日々の食事にも事欠く中で、彼は十を数える前に半ば成人に近い体躯を有し、大人よりも強く、速く、柔軟に動くことができた。

 その肉体を荒事に活かすことは彼にとって当然の選択であったし、流民の子に他の選択肢はなかった。

 程なくして、大人に混じって、誰よりも獰猛に荒事をこなす彼に目を付けた者がいた。

 武者修行の旅に国禁を犯して海を渡った先代のカグツチ流だ。

 子供だった彼は強くなれるならと弟子となり、そして、もうひとつの才が判明した。


 “武の才”だ。


 様々な武器、戦術、あるいは機を読む占術すらも扱う合戦兵法である流派カグツチ。

 まるで、カグツチの流派を継ぐ為に生まれてきたかのように、彼はあらゆる知識を吸収していった。

 「流派カグツチは完成した」と、師に半ば自害めいた決闘を挑まれ、これを下したとき、彼はまだ十四であった。

 あるいは、師は恐れたのかもしれない。

 貪欲なまでに武術の“答え”を――“武の頂点”を欲する、彼を。


 それから、彼は十年を掛けて帝国中の名の知れた武侠、武辺者に挑んで回った。

 その中に誰一人として彼より弱かった者はいないと断言できる。

 しかし、それでも彼は勝ち続けた。

 無傷ではなかった。運で勝ちを拾ったことも幾度となくあった。

 それでも彼は勝ち続けてしまった。

 神に愛されているが如く、あるいは、既に死すべき時が定められているかの如く。

 彼はさらなる相手を求めて海を渡った。

 己が恃みとする流派が生まれた地ならば、あるいは答えに至った剣客がいるのではないか、と。


 そして、その果てに、ひとりの剣客に出会った。

 答えはまだ、みつかっていない。



 ◇



「……どう思う、ジエン?」


 その日は雲ひとつない冬晴れの日であった。

 ジエンとショウキは本土の北部にあるアスハ藩を訪れていた。

 その一帯は冬が深くなると交通が途絶する。身の丈よりもうず高く雪が積もるからだ。

 もたもたしていると春まで足止めを食らうことになるだろう。

 加えて、ショウキが集めてきた情報がどうにもきな臭さを感じさせていて、ふたりは魔剣の奪還を急いでいた。

 だが――


「どう、と言われてもな……」


 ショウキと並んで藪の中に隠れたまま、ジエンは頬を掻き、答えあぐねた。

 視線の先では血なまぐさい乱闘が繰り広げられていた。

 悲鳴と怒号に包まれるは、片や布で口元を隠した粗末な身なりの襲撃者たち。片や行列を駕籠を守って立ちまわる武家の一団。

 時代が時代なら落ち武者狩りかとも思うが、この太平の世では一笑に付す物言いだ。

 実際に目にしていなければ、だが。


「またぞろ厄介な場面に出くわしたのう……」


 ジエンはこっそりと溜め息を吐いた。

 武者行列が近付いて来るのに気付いたのが数分前。

 ジエンもショウキも脛に傷がつきすぎて骨まで(こそ)げおちそうな身の上だ。そそくさと藪に隠れてやり過ごすことにした。

 そこまではよかった。旅の中でままあることだ。

 だが、まさかこのご時世に武者行列を襲う者がいるとは予想だにしなかった。


(平民、にはみえぬな。随分と手際がいい)


 驚くべきことに、押しているのは粗末な身なりの襲撃者側だ。

 竹の先に包丁を結んだような粗末な“槍”で、しかし死を恐れぬ捨て身の攻めで武士たちを各個撃破している。

 巧妙に隠しているが、訓練された者の動きだ。

 常なら劣勢の側に味方して謝礼をせびるショウキも、眉をしかめたままジエンの隣で沈黙している。

 集団戦の心得があり、且つ、素性を隠して武者行列を襲う必要のある者は限られる。

 すなわち、同じ武家の手の者だ。


(政争か。こちらに気付かねばよいが)


 向こうからすれば目撃者を残しておく益はない。見つかれば襲われるのは目に見えている。

 かといって、こちらも立ち去るには藪から出ねばならず、動くに動けない。

 静観するしかないか、とジエンは息を潜める。

 その間も襲撃者たちは順調に首級を増やし、ついには駕籠者も打ち倒してしまった。

 担ぐ者のいなくなった駕籠が道端に転げ落ちる。

 この鉄火場で駕籠を放りださなかった彼らの忠義は天晴であるが、事態を打開するには至らなかったようだ。

 だが、横倒しになった駕籠の中からは、身動ぎはおろかうめき声のひとつもない。

 襲撃者たちが戸惑う気配をジエンは感じた。あるいは、駕籠は囮だったのか、と。

 そして、意を決した襲撃者のひとりがにじり寄り、駕籠の引き戸を勢いよく開いた。


 瞬間、駕籠の中から眩い白刃が宙に閃いた。


 逆袈裟に抜き放たれた一閃は戸を掴んだままの襲撃者の腕を斬り飛ばした。

 断面から血が噴き出し、襲撃者が苦悶を漏らすと同時に、その脇を小さな影が駆け抜ける。

 駕籠が運んでいたのは少年であった。まだ十歳かそこらだろう。

 凛々しくも稚い顔立ちに、血の垂れる脇差が不釣り合いに重く見える。


(ツキカゲ流の“転刀”か。良い腕だ)


 血の匂いを遠く嗅ぎとりながら、ジエンは判じた。

 駕籠の中という閉所にあって腕をひと断ちにした抜き打ちの冴え。

 窮地でも慌てず、効果的な奇襲を行い、即座に逃走に転じる戦術眼も年齢を感じさせない聡明さだ。

 惜しむらくは、最善の手をとってなお詰んでいたことか。

 襲撃者たちはやはり追剥ぎなどではなかったのだろう。

 倒れた武士たちを置き捨て、全員が少年に狙いを定めて追跡を始めていた。


 振り向いた少年の顔が苦悶に歪む。

 だが、その目に諦めの色はない。悔しさを零さぬよう真一文字に引き結ばれた唇は美しくすらある。

 そこには、最後まで抗うことを決意した剣士のかんばせだけがあった。


 瞬間、ジエンは藪から躍り出ていた。

 駆けつけ様に、少年へ手を伸ばしていた襲撃者を一太刀で斬り伏せる。

 太刀行きは鋭く、まるで侍う者としての本分を思い出しかのように、自然と体が動いていた。


「――るぉおおああああああっ!!」


 直後、ジエンと同時に飛び出したショウキが残る追手に襲いかかった。

 運悪くショウキの目の前にいた男の上体が斬り飛ばされる。

 さらに刀を返し、()()()な槍など物ともせずに乱入に驚く相手を薙ぎ倒す。

 それでも、相手方に退く気配はなかった。

 彼らは目配せして二手に分かれると、一方はショウキを囲み、もう一方は少年を庇うジエンに追撃をかける。


「ふん、随分と手際がよいな」


 ジエンは皮肉気にぼやく。

 次いで、いらえの代わりに突き込まれた槍を弾き、返す刀で伸びきった腕を斬り飛ばした。

 襲撃者たちの戦法は既に見切っている。

 常に複数でかかる彼らの戦い方は洗練されているが、それ故に“起こり”を読むのも容易だ。

 防戦に徹する限り、ジエンに万が一はない。

 もっとも、十重二十重に押し込まれれば背に庇う少年を護り切るのは困難ではある。

 それはそれで仕方のないことだが、今回に限れば僅かばかりの時を稼ぐだけで十分であった。


「こちらにかまけていてよいのか? ほれ、向こうはもう決着がつくぞ?」


 ジエンが挑発を混ぜて宣う。しかし、その言葉は真実である。

 襲撃者の向こうでは、嵐の如くショウキが暴れ回っていた。

 四方を囲む襲撃者相手に先手を切って踏み込み、当たるを幸いに薙ぎ倒す。

 “戦場の支配”を着眼点に置く流派カグツチに対して、定石通りの戦法は悪手だ。

 彼らはショウキが有利な位置取りをする前に数で押し込むべきだったのだ。



 ――ジエンの才能が状況への『適応』にあるならば、

 ――ショウキの才能は自己の『支配』にある。

 古の流派カグツチの“戦場の支配”という術理を自己の肉体に凝縮させた、その結晶。

 言うなれば、ショウキという剣客は一個の戦場である。

 数多の剣士が体に技を覚えこませて反射で剣を振るうのに対し、ショウキはその全てを自己の支配下に置いて行うことができる。

 全て、肉体の全てである。

 鼓動ひとつ、肉の筋の伸縮ひとつまでを意識的な制御下においた窮極の我剣。

 無論、反応速度に対しても支配は及んでいる。

 心の臓を叩く鼓動を加速、戦闘に不要な臓腑を減速させることで、意識的に人間の限界を超える。


 速さにおいてはそれでもジエンの魔剣に分がある。人体の限界を超えているのはこちらも同様だ。

 しかし、早さ(・ ・)においてはショウキが勝る。

 命を捨てる覚悟がなければ負ける。ジエンがそう判断した理由である。

 ショウキに対して先読みは意味をなさない。

 この男は、()()()()()()()()()()()()()()()

 ショウキの前に立つ者は、すべからく先手を取られるのだ。



「はっはー!! さっきまでの威勢はどうした、賊共ォ!!」


 瞬く間に全身を返り血に染め上げたショウキが吼える。

 包囲を解いた襲撃者たちはじりじりと後退し、ジエンたちが追わぬとみると一目散に逃げ出した。

 恐慌に駆られた逃走ではない。一瞬で形勢を覆されて尚、彼らの撤退は一糸乱れぬもの。

 その姿はジエンに一抹の不安を感じさせた。


 ――このままでは終わらないだろう、と。




「なんともまあ、厄介なモンに目付けられてンな、坊主」


 襲撃者の背中が見えなくなってしばらく。

 適当に血を拭ったショウキが凶相に笑みを浮かべ、ジエンの背後で推移を見守っていた少年に声をかけた。

 その笑みは彼なりに安心させようとしたものなのだろうが、ジエンには逆効果としか思えなかった。


「ショウキ、せめてきちんと血を拭うくらいは――」

「構いません。ご両名、お助けいただきありがとうございました」


 ジエンの言を遮って、少年が前に進み出た。

 そこに安堵はない。少年はまだ窮地を脱したとは判断していないのだ。


「わたしはトラジ家のイオリと申します。

 お二人は名のある剣士とお見受けします。どうか、わたしを護衛していただけませんか?」


 そう言って、少年――イオリは凛々しい笑みを浮かべた。

 驕った笑みではない。むしろ、真摯に交渉しようという気配を感じる。

 だが、もしも王器というものがあるのなら、この少年のことを指すのだろう。

 不思議と目が惹きつけられてしまう。

 ただ立っているだけで、水面の渦のように他者を呼び寄せ、場の中心に立つ天性の存在感がある。


(立ち振る舞いからして名のある家の出とは思うたが……)


 束の間、ジエンとショウキは視線を交わし合う。

 “イオリ”。世情にさして明るくないジエンでも知っている。


 すなわち、今代将軍の庶子の名である。


「……偽名ってわけじゃねえな。それで名乗るにしちゃ随分と重い。降家したとは聞いてなかったがな」

「トラジ家に引き取られたのはつい先日です。正室に男子が生まれましたので」

「ほうほう。んで、今回の襲撃ってワケか。なるほどね」


 訳知り顔で頷くショウキは目に剣呑な光を湛えてにやりを口元を歪めた。

 思わず、ジエンは溜め息をついていた。

 どのみち襲撃者は自分たちを逃がしはしないだろう。ゆえ、好きにしろ、と視線で告げる。


「オレはショウキ、そっちのはジエン。良く言えば浪人だ」

「良く……では、悪く言えば?」

「お尋ね者だな」

「なんと」


 イオリは表情に驚きを浮かべ、次いで先よりも深い笑みをみせた。


「わたしを助けるのは貴方がたにとってあまり良い選択ではなかったでしょうに」

「なに、お前さんの剣が見事だったんでな」

「それは……それは、熱心に稽古した甲斐がありましたね」


 予想外の返答だったのだろう。

 束の間、大きく目を瞠ったイオリは次いで、くすりと小鳥のように囀る。

 凛々しさの仮面が僅かに剥がれ、中性的なあどけない微笑みが垣間見えた。


「……ひとまず場所を移しましょう。我々にも追手はかかるでしょうし、護衛を受けるかはその後に」

「わかりました」


 ジエンの申し出にイオリは笑みを消し、齢不相応な聡明さを纏って頷いた。

 三人は即座に行動を開始する。

 ジエンとショウキは倒れた護衛たちから路銀を拝借し、イオリは彼らの遺髪をとる。

 ついでとばかりに襲撃者の死体も漁るが、やはりというべきか、身元を示すものはなかった。

 みすぼらしい格好からは考えられぬほど鍛えられた襲撃者たちの死体を検めながら、ジエンはひとつの結論に辿り着いた。


 鍛え抜かれた体、優れた槍技、そして、太平の世に迎合しない時代遅れの集団戦術。

 それらを併せ持ち、且つ、身元を隠して将軍の庶子を襲う必然性がある答はひとつしかない。


(次は鎧を持ち出してくるか、のう――)


 ――すなわち、“決死兵”。将軍の有する暗殺兵力。

 ――今度の騒動は、子殺しであった。


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