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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
13/27

幕間・無明即身仏

 秋も深まり、朝夕に肌寒さが増してきた頃のこと。

 今日も今日とて魔剣奪還の旅を続けるジエンとショウキは、道端にこじんまりとした人影が鎮座しているのを遠く見てとった。

 はじめ、ふたりはそれを地蔵かなにかだと思った。

 もう少し近付いては、それが襤褸を着た死体ではないかと疑った。

 そして、手が触れられるほど近付いてはじめて、人影がまだ生きていることに気がついた。


「……お待ちしておりました」


 死体じみた男の干からびた喉がしわがれた声を発する。

 おそらくは老人だろう。

 だが、乾ききった見目からは正確な年齢を推しはかることはできなかった。

 特に、両の瞼を押し潰すように吊り下がったふたつの瘤が、人相すらも窺えなくしていた。

 声までかけられて無視するわけにもいかず、ひとまずジエンは水の入った竹筒を渡した。

 老人はしばし手をさまよわせたあとに、どうにか竹筒を受け取って喉を潤した。


(……目が見えぬのか)


 子供の握り拳ほどもある瘤がぶら下がっていてはさもありなん。

 老人の落ち着いた所作には盲いてから長く経っていることを感じさせた。


「ありがとうございました。生き返るようです」

「はっはー、うまいこと言うじゃねえか、木乃伊もどき!!」

「茶化すな、ショウキ。それよりご老体、待っていたとはどういうことだ?」

「こちらをお返しせねば、と」


 そう言って、老人は腰元に寝かせていたひと振りの刀を差し出した。

 拵えのひとつも施されていない、白鞘に入った刀だ。

 鐺が汚れているのは、おそらくは杖代わりにしていたからだろう。


「森で杖を喪った際に、たまたま拾ったのです」

「これを、それがしに?」


 受け取ったジエンは刀身を検めようとして、それが抜けないことに気付いた。

 どうやら反りの合わない鞘に無理やり刀身を詰めているようで、切っ先が鞘の内側に引っかかっている。

 仕方なく、鞘をふたつに割って刀身を取り出す。

 直後、りぃん、と聞き慣れた魔剣の共鳴が耳の奥を震わせた。


「な、魔剣だと!? 馬鹿な、今の今まで共鳴はなかったぞ!?」

「うるさくしては私が動けぬと思ったのでしょう。優しい剣ですね」


 言って、老人は震える口元に微笑を浮かべた。

 涼やかな秋の風を思わせる、穏やかな微笑だった。

 成程、盲目の老人にとって音は目の代わりだ。

 めくらは耳が良いと按摩師に聞いたこともある。彼らが魔剣の共鳴を聞き咎めても不思議ではない。

 だが――

 

(優しいだと? 魔剣にそんな分別がある筈なかろう)


 喉まで出かかった激情を辛うじてジエンは抑えた。

 鞘に刀身が詰まっていた為に共鳴を発しなかっただけだろう、と。そう言ってやりたかった。

 それは有り体に言って、嫉妬と呼ばれる感情であった。

 魔剣はクオウがジエンの為だけに鍛ったものだ。

 ゆえに、他者に与する必要などないのだと。

 老人の態度があるいは俗なものであれば、ジエンは憚らずそう口にしていたかもしれない。


 本来ならば、自分以外が魔剣に触れることすら我慢ならないのだ。

 でなければ、クオウの入魂の作刀たちを“魔剣の卵”に還しなどしない。

 誰にも触れて欲しくないからこそ、ジエンは今こうしているのだ。


「……確かに、受け取りました」


 だが、僅かに漏れ出た嫉妬の炎も、微笑する老人の前では穏やかに吹き消されてしまう。

 結局、ジエンはそう告げるに留めた。


「しかし、よくそれがしが此処を通るとわかりましたな」

「そうでもないぜ」


 なぜか、ジエンの疑問に答えたのはショウキであった。

 ちゃらけた雰囲気を消して、彼は道端に座り込んだ老人の手元を指さす。

 そこには表面に放射状に亀裂の入った亀の甲羅がひとつ納まっていた。


「卜占? 御身は易者か?」

「手習いでございますが」


 目の見えない老人にとっては、文字通りの手習いなのだろう。

 甲羅に指を這わす手つきは傍目にも熟練を思わせる。


「これは……オレのことも視えてたのか」

「うん? おぬしは卜占にも造詣があるのか、ショウキよ」

「なんでも一流だって前に言っただろうが」

「そ、そうか」


 若干たじろぎつつも、ジエンはこくこくと頷いた。

 一芸は道に通ずるとも言うが、さすがにこれは読めなかった。

 男もわりあい小器用な方ではあったが、甲羅を覗きこんでも未来が読めるようなことはない。


「……アンタ、本物だな?」


 一方、真剣な面持ちで亀裂の入った甲羅を睨んでいたショウキは、しばししてそう問いかけた。

 ジエンは知っている。この男にとって本物という言の葉は大きな意味を持つ。

 一流の先、ひとつの答えに至った頂点の者を、彼はそう呼ぶのだ。


「はて、人に本物も偽物もございませんが」


 しかし、とぼけているのか。あるいは、それが答えなのか。

 老人は柳に風とばかりに微笑むだけであった。


「……そうかい。なあ、ジエン。折角だし占って貰おうぜ」

「好きにしろ」


 興の乗った様子のショウキに対し、あまり信心深い方ではないジエンはそう言うに留めた。

 それに、ショウキがなにを訊きたいのかも大凡察しはついていた。


「いいかい、ジジイ?」

「どうぞ」


 いらえを受けたショウキは束の間、小さく息を吸って、


「――オレとコイツ、天下無双の剣士はどっちだ?」


 子供のような無邪気さと、求道者のようなひたむきさを孕んで、尋ねた。


 ショウキがその問いを投げかけることをジエンは読んでいた。

 共に旅をしているが、ふたりは同じ方角を向いている訳ではない。

 敢えて言うなら、ショウキは()()()()()()()()()()()()()()


 全ての魔剣の奪還を果たしたジエンと相まみえ――天下無双の剣士を決する。


 それこそがショウキの旅の目的なのだ。

 これ以上なく幼稚で傲慢だ。頂点が他の誰かである可能性など考えもしていない。

 さすがにジエンはそこまで傲慢にはなれない。

 探せば自分より強い剣士もいるだろうと考えている――魔剣を持っていない自分より、だが。


 ともあれ、ショウキが心の底から求め、欲し、行動していることに変わりはない。

 それはともすれば、ジエンが魔剣を求めるのに匹敵するほどに、だ。


 果たして、その熱意がどこまで伝わったのか。

 老人はすぐには答えなかった。

 陽の光の下、手の中で甲羅を弄び、瘤に潰された目がまばたきするように数度震える。


「――言えません」


 しばらくして、老人は簡潔な答えをだした。

 隣で、ショウキが硬直するのを感じた。

 こんなものか、と若干の期待を抱いていたジエンは落胆しかけて、ふと老人の物言いが引っかかった。


「ご老体、わからない訳ではないのか?」

「はい」


 老人は小さく頷いた。


「ですが、私は正しい答えを言えません。私が口にした答えは必ず違えます」

「……それは、答えを言っているのと変わりないのでは?」

「ジエン、そういうことじゃねえんだ」


 そのとき、ひどく平坦なショウキの声がジエンの耳に届いた。


「ショウキ?」

「もし……もし、ここでオマエだと答えられたら、オレはきっとオマエを斬っていた」

「……だろうな」


 ジエンもようやく得心がいった。

 今のジエンではショウキには勝てない。

 魔剣奪還という目的があるために、この瞬間に全てを捨てることができないからだ。

 だが、ショウキは違う。

 この男は徹頭徹尾、天下無双の剣士になるために全てを捨てることができる。

 ジエンが()()だと言われれば、命すら燃やし尽くして勝ちにくる。


 そして、逆もまた真なのだろう。

 目の前にかつて夢見た頂が、クオウとの約束の成就があるとわかって手を止める自信は、ジエンにもなかった。


「……御身は過去も読めるのか?」


 ふと思い立って、ジエンは老人の前に膝をつき、盲いた目を射抜くように見る。

 虚偽を許さぬ視線を受けて、老人は何も言わず頷いた。


「では、この剣を鍛った者は……その、幸せであったか?」


 ジエンは握ったままの抜き身の魔剣を視界に捉えながら、そう問いかけた。

 緊張で、声は僅かに上ずっていた。


「私ではわかりません」


 しかし、老人は今度は間髪いれずに答えた。


「泥の中でも幸福だと笑う者もおりますし、満たされていても不幸だと嘆く者もおります。

 その()()がどう感じていたかは、他人にはわかりえないものです」

「…………そうか。そうであろうな。詰まらぬことを訊いた」


 突き離すような物言いに、しかし、ジエンは安心を覚えた。

 自ら訊いておきながら、心のどこかで答えを出すことを恐れていたのかもしれない。


「為になった、ご老体。いくらか礼をしよう」

「いいえ。私には不要なものです」

「――では、こちらで返そう」


 瞬間、ジエンは握ったままの魔剣を一閃した。


 ひゅん、と刃風が駆け抜ける。

 魔剣の切っ先は狙い違わず、老人の瞼の上を走る。

 直後、ぴしゃり、と音を立てて瘤がふたつ地面に落ちた。

 潰れた瘤からは真っ黒い血が沁み出し、腐ったような臭いを放っていた。


「お……おお……」


 一方、目の上の瘤を斬り取られた老人は、久しく感じていなかった陽光に震えていた。

 鋭く斬られた傷口はぴたりと閉じて、一筋の血も流すことはなかった。


「すぐには慣れぬだろう。しばらくは何か巻いておいた方がいい」

「ああ……ありがとうございます……生のある内に、再び光がみえるとは……」

「そう言っていただけたのなら幸いだ」


 ジエンは魔剣を背の木箱に納めると、甲羅をひっくり返していくらか銭を置いて、その場を後にした。

 それきり老人の方を振り返ることはしなかった。




「……もったいねえことしたな、ジエン」


 老人と出会った場所から十分に離れた後、ぼそりとショウキは口を開いた。


「あのジジイは見えないから視えたんだ。こっちの景色が見えるようになればもう、あっちは視えねえ。

 あれじゃ一流からも転げ落ちる。易者としちゃ終わりだぜ」

「であれば、今度は目を潰せばよかろう」


 不満げなショウキに対して、ぴしゃりとジエンは告げた。

 あのまま朽ちていったとしても、老人に不満はなかったかもしれない。

 それを知るのは当人のみだ。

 余計なお世話だと詰られたとしても、ジエンはそうかと甘受するだけだ。


「じゃあ、なんであんなことしたんだ?」

「……魔剣がそうしろと言っていたからだ」

「はあ?」


 途端にショウキが怪訝な顔をする。

 口にしたジエン自身、それが嘘か真か判別がつかなかった。

 ただ、視界の端で舞う桜の花の幻だけが答えを知っていた。



 

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