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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
12/27

魔剣・落葉・後編

 “剣狼衆”と呼ばれる剣客集団がいつから存在するのかは判然としていない。

 元は様々な道場のはみ出し者が集まった互助組織で、ありていに言って、そこらのヤクザと大して変わりはなかった為に確かなところが伝わっていないのだ。

 近年には“神刀”のクガラを筆頭に、名の知れている剣客もいるにはいる。

 だが、それだけであればやはり、剣狼衆はただの日陰者集団で終わっていたであろう。

 彼らが変わったのは御山を焼き討ちし、“魔剣”という暴威を手に入れてからだ。

 それから数年、彼らはヤクザや各地の道場と手を結びながら急速に勢力を広げていった。

 国も幾度かは調査の手を伸ばしたが、捕えたのは切り離された尾ばかり。

 元より、定めた本拠地を持たぬ彼らを追うことは困難を極めた。

 加えて、各地の藩主が表ざたにできぬ汚れ仕事を彼らに託し、隠然たる関係を結んでいることもそれに拍車を駆けていた。



「しかしまあ、当主になるのが嫌で逃げる奴がいれば、当主になる為に決闘する奴もいる。因果なモンだな」

「――――」


 完治した筈の喉笛がちりちりと幻痛を発する。

 コウセツのことだ、と言われずともジエンもわかった。

 当主の座から逃げた者を助け、今度は当主を目指す者に助太刀しているのだ。

 運命とやらの妙なることにおかしさすら感じられる。


「成程、因果だ。……ああ、来ている剣狼衆の詳細は知っておるか?」

「八爪かそこらだ。“魔剣使い”サマにかかれば大したことない相手だろうさ」


 どこからか取り出した瓢箪をぐびりと呷り、ショウキは続ける。


「だが、それが三人。決闘の場で一度にかかってくるぜ。どうする?」


 試すようなショウキの物言いに、ジエンは白湯を注いだ椀に口づけて啜り、


「仔細ない」


 胸底の激情を押し殺して一言、ただそれだけで応えた。


「いいのか、ジエン? オレを頭数に加えても構わねえぞ」

「おぬしも知己(イチカ)と敵対するのは風が悪かろう。

 それに、痩せさらばえた狼の三頭程度、それがし一人で十分だ。丁度よい魔剣もあるしな」


 ジエンは背後の木箱に手をかけると、その中からひと振りの“長巻”を取り出した。

 鞘内からでもわかる重ね厚く、勇壮な反りを描く一刀はしかし、刀として見れば異様であった。


「いつもの腰物じゃねえのか?」

「うむ。相手が複数であるならこちらの方が都合がいい」


 長巻は六尺ほどもある古式の刀だ。

 三尺の刀身に対して三尺の柄をもつそれは、殆ど長刀に近い形状を持つ。

 ……中途半端である、ともいえる。

 刀というのは切っ先三寸の『物打ち』で斬ることを基本とする。

 であるに、刀身が長くなるほどに先端は重さ(・ ・)を増す。

 それは威力を増すと同時に、振るう際の取り回しを劣悪にさせる。

 長巻術が突きと払い――間合いの防御を兼ねる技に重点を置くのもそのためだ。


「槍の方がいいのではないでしょうか?」


 傍で見ていたトウジがそう問うのもむべなるかな。

 長巻はとかく重く、取り回しに難がある。

 対多数において間合いの長さは守りの堅さに直結するが、取り回しの悪さは隙となる。

 あるいは、ジエンの気質技量を鑑みれば、太刀を用いた方が有利な立ち回りが可能かもしれない。


「いや、今回に限ってはこやつが最も適している」


 無論、その常理を覆してこその魔剣である。

 ジエンは提げ緒を結び直して長巻を背に負うと、静かに立ち上がった。


「助太刀の三人はこちらで受け持とう。――勝てよ、トウジ」



 ◇



 決闘が開始すると同時にジエンとトウジは左右に分かれた。

 イチカと彼に助勢する剣狼衆の三人は一瞬どちらに向かうべきか迷った。

 彼らにとっては予定とは異なる展開。相手にも助太刀がいるとは思いもよらなかったのだ。

 内輪の決闘なのだ。剣狼衆への秘かな支援を約したイチカ側とは異なり、流れの浪人がトウジに与したとて、何一つとして益になることはない筈なのだ。


「お前たちはあの浪人を始末しろ!!」


 結局、トウジにはイチカが、ジエンには三人全員が向かって行った。

 1対1なら勝てる、などとイチカは思っている訳ではない。

 不確定要素である助太刀を早急に始末し、元の鞘に納めるべし。そういう命令であった。

 三人はやや不満げな表情を浮かべながらも、命令に従ってジエンに相対する。


 ――剣狼衆から派遣された三人は『八爪』の位階にある。

 中位であるが、殊、実戦において剣狼衆の実力は他流派の数段上を行く。

 そも、この太平の世で“実戦”に慣れ親しんだ剣士自体が少数なのだ。

 対して、剣狼衆は完全な実力主義である。

 元締めである『一頭』を除き、上位の位階は殺して奪う他ない。

 三人もそれぞれに先代の八爪を死合で下してその地位を得たのだ。

 彼らにとり、イチカは弱者である。

 命令を聞くのも『双牙』という上位者から言い付けられているからに過ぎない。

 そして、剣狼たちは常に実戦の場を求めている。

 国が彼らを追っても足取りがつかめないのも当然である。

 剣狼衆は組織であって組織でない。上位の位階の半数が武者修行に各地を放浪して行方が掴めぬほどだ。

 彼らの掟はただ二つ。

 戦い、勝利すること。ただそれだけを定めた獣の世界に彼らは生きているのだ。


「名乗らぬのか、剣狼衆?」

『――――』


 問いに応ずる言葉もなく、三人は剣を手にジエンを囲むようにして布陣した。

 彼を中心に正面と左右。間合いは一間半。

 協力する、などという言葉は彼らの中にはない。

 一人が斬られている内に己が斬る。

 さもなくば此方から斬りかかる。

 そのために味方が邪魔にならぬよう散開した。その程度の思考だ。


 ゆえに彼らは、既にジエンの魔剣に捉えられていることに気付かない。


「――名乗らぬか。では、こちらからゆくぞ」


 告げて、ジエンは静かに気炎をあげる。

 こじ開けるように開かれた下瞼、逆三角形の竜眼を模した目つけが正面を睨み据える。

 背の柄に手を掛けたまま、ゆらり、とジエンが正面に一歩を踏み込む。

 半ば射竦められながらも正面の剣士は足を止め、中段に守りを固めた。


 直後、一挙動で鞘を払った一刀が右側(・ ・)の剣士の顔面を断ち割った。

 視線ひとつくれることなく、斬られた本人すら刃が触れる瞬間まで気付くことはなかった。

 “右片手抜き打ち”、長巻の重さをものともしない早業だ。


「……え?」


 正面の剣士が忘我した一瞬、ジエンの右手は止まることなくひらり(・ ・ ・)と刀身を返す。

 同時に、抜き打ちに合わせて右に開いた腰を正面に引き戻す。

 体の筋をよりあわせるように旋回し、足親指の付け根から大腿、背骨、右肩、手首と回転運動が伝わって柄を跳ね上げる。

 即座に柄を放り、流れるままに額前で受け取った左手が止まることなく左側(・ ・)の剣士に襲いかかる。

 青黒い魔剣の刃がジエンの頭上、扇を描くように半弧をなぞり、振り下ろされる。


 斬、と再び一閃。

 十分な速度と刀として破格の重さを伴って放たれた一撃。

 常外の“左片手抜き打ち”は見事に左の剣狼を斬り伏せた。


「な――」


 二人、斬られた。

 三人目の男がその事実を認識するには数瞬の間を要した。


 雷速の如き一瞬の出来事だ。

 正面で相対する男にできたのは、前か後ろに一歩動くことのみ。

 男は無意識に刃圏から逃れるように後ろへ一歩退いていた。

 だが、そこはまだジエンの間合いである。

 彼が次の行動に移るよりも尚早く、ジエンは左方を斬った一刀そのままに切り返す。

 刹那、正面からは、刀身がまるで鞭のように波打つのが見えただろう。

 無論、魔剣にそのような機能はない。

 柔らかな握りと手首の返し、背の骨までも稼働させた常外の撓り(・ ・)がその動きを可能にせしめたのだ。


「こ、の――」


 これ以上退けば死ぬ。

 それを理解した男は一転して斬りかからんと踏み込んだ。

 その手にあるのもまた魔剣。当たれば、一刀のもとに斬り伏せられる自信が男にはある。

 しかし、遠い。

 常ならば瞬きの内に踏み越える僅か一間半の距離が、あの長巻を前にしては絶望的に遠い。

 腕を、切っ先を伸ばしたとて、まるで届かない。


「――その魔剣、返して貰うぞ」


 つまりは、ジエンはその場から柄を滑らせるようにして間合いを長じていた。

 腕の三尺、柄の三尺、刃の三尺。

 その全てを余すところなく用いた落撃は、真っ向から三人目を両断する。

 頭蓋を断ち割り、柔らかな下腹を抜けて股下までを一閃。

 末期の言葉すら許さず、魔剣は一刀にて命を断ち切った。

 それこそは人為の奇跡。道理を外れ、条理を踏み越えた魔剣の真骨頂。


 ――魔剣・落葉


 風に舞う木の葉の如く剣閃を波打たせ、途切れのない一閃にて三方を斬る術理。

 一刀三殺。この手に魔剣あるならば、不可能なことではない。


(……魔剣の所持者はひとりだけだったか)


 草原を走る風に血臭が混じる。

 共鳴に耳を澄まし、三方の死体を確かめながら、ジエンは心中でひとりごちた。

 ともあれ、助太刀として己に課した役目は終わったといえよう。


「さて――」


 残心もそこそこに視線を向こうに転じる。

 視線の先には、尻もちをついたイチカの姿と、その喉元に切っ先を突きつけたトウジの姿があった。

 イチカの剣は離れた場所に転がっている。

 どうやら向こうも決着がついたようだ。


「降参、して、ください……イチカ、兄」

「……っ!!」


 己の敗北が信じられぬのか、トウジを見上げたままイチカは言葉にならぬ呼気と共に口を開閉させた。

 トウジの息は荒い。その消耗具合を見るに、ふたりの技量は拮抗していたのだろう。

 であれば、勝敗を決したのは互いの心の持ちようだ。

 助勢を恃むか、己で決着をつけると決めていたか、その差だ。

 トウジが最後通牒とばかりに切っ先を一寸押し込むと、イチカは諦めたように視線を落とす。


「兄、さん――」


 その様子に、トウジはほっと安堵の息をついて剣線を外した。


「馬鹿がッ!!」


 瞬間、イチカは掴んだ土をトウジの顔面めがけて投げつけた。

 一瞬の目くらまし。

 その隙に、矢庭に跳ね起きたイチカは脇差を抜いて躍りかかった。

 逆手に構えた切っ先が、トウジの喉元へと振り下ろされる。



 その直前、うねるような軌道で飛来した小柄がイチカの手から脇差を弾き飛ばした。



「……決着はもうついた筈だ」


 ――魔剣・飛燕


 肩を外した右腕をだらりと下げたまま、ジエンは怒気も露わに告げた。

 呆然とするイチカを視線で圧し、その動きを射竦める。


 先の一幕、死合ならば、気を抜いたトウジが愚かなだけだ。

 自ら作った隙を衝かれて悔しむ権利など剣士にはない。大人しく死ぬべきだ。

 だが、これは決闘なのだ。

 トウジは慈悲を示し、イチカはそれを受け取った。

 受け取って、放り捨て、唾を吐いたのだ。

 であれば、ジエンが遠慮する必要も、ない。


「決闘でなく、殺し合いがしたいなら付き合うが、如何か?」

「ち、が……糞ッ!!」


 恐怖か、あるいは屈辱にイチカは顔を歪ませた。

 そのまま踵を返し、脱兎の如く逃げ去る。

 敢えてその背中を追う者はいなかった。

 そうして暫く、去っていく背中からトウジへと視線を戻したジエンは小さく眉を跳ね上げた。


「余計な手出しであったか?」


 いつ抜いたのか、トウジの手には懐剣が握られていた。

 カネダ心形流は護りに優れた流派だ。

 おそらく、ジエンが手を出さずとも目の前の剣士は先の一幕を乗りきれただろう。

 ジエンはそこに、彼が次期当主に推挙された理由の一端を垣間見た。


「……いいえ。これでよかったのです」


 しかし、トウジはそれを誇ることもなく、ただ苦笑に近い笑みを浮かべてかぶりを振った。

 謙虚なことだ、とジエンもつられるように小さく笑みを零すのだった。


「――トウジ!!」


 そのとき、張り裂けそうな声と共に小柄な人影がトウジの元に駆け寄った。

 ユウカだ。敬称もどこか忘れた必死な様子でトウジの胸元に飛びつく。

 彼は慌てて懐剣を放って、娘を受けとめた。


「無事なのね。よかった、よかったよぉ」

「ユウカ姉……」


 すがりつくユウカを、トウジはおずおずと抱き返した。

 初めからそうであったかのように、二つの影がひとつになる。

 納まるところに納まったのだ。

 ジエンは仲睦まじい二人を見て、そう思えた。


「……幸せにな」


 祝いの声をひとつかけ、背の鞘に落葉を納める。

 二度の魔剣の行使で削れた体を引きずって、その場を後にする。

 そうして、草原に涼やかな風が吹く。

 残された者たちが気付いたときには既に、ジエンの姿はなくなっていた。



 ◇



 決闘の場に背を向けて、男は転がるようにして駆けていた。

 恐怖と、それに倍する敗北の屈辱を胸に草原を後にする。


 “何故だ。何故、自分が逃げねばならない!?”


 完膚なきまでに負けて尚、男は敗北を認められなかった。

 その心にあるのはただ、他者へ責任転嫁するための言いわけばかり。

 つまりは、剣狼衆などというはみ出し者の力を借りたのがいけなかったのだ。

 あるいは、次期当主にふさわしい自分に手を貸さなかった道場の同門たちが悪いのだ。

 トウジもトウジだ。あのような末成りにカネダ心形流を継ぐことなどできる筈がない。

 道場も、ユウカも全て、自分が手にするべきなのだ。


「まだだ。まだ、俺は負けていない。トウジが死にさえすれば、俺が当主に……!!」


 声に出せば、それがまるで妙案のように思えてくる。

 そうだ。決闘などというまどろっこしい方法に拘る必要などなかったのだ。

 自然と口角がつり上がる。

 最後に勝つのは自分だ。

 これからあやつに心休まる夜が訪れることはない。

 気を抜いた瞬間に、その喉笛を掻き切ってくれる。

 その為にも、今はどこかへ身を潜めねば――


「――そいつはワガママが過ぎるってモンじゃねえか?」


 瞬間、イチカの胸にするりと刀尖が差し込まれた。


「……え゛?」


 問いの代わりにごぼりと赤黒い血を吐いて、その場に崩折れる。

 油の切れたカラクリのように呆然と見上げれば、逆光の中に笹模様の羽織りが翻る。


「な゛ん、で……」

「テメエは負けたんだ。敗者が勝者の道を穢すんじゃねえ」


 逆光の中の男はそれだけを告げると、刀の血を払って背を向けた。

 イチカはその背に向かって手を伸ばす。

 だが、その手は何も掴むことなく、力を失ったようにぱしゃりと血だまりに落ちた。



 ◇



「遅かったな、ショウキ――?」


 街外れで待っていたジエンはようやく現れたショウキを見てぴくりと眉を動かした。

 決闘の後遺で昂ぶった嗅覚が微かに匂う血臭を嗅ぎ取ったのだ。


「なにかあったのか?」

「ちっと後始末をつけてきただけだ。気にするな」


 ひらひらと手を振ったショウキはしかし、ジエンを胡乱な眼で睨んだ。


「ってか、謝礼くらいは貰っても罰当たらんかったと思うぞ」

「魔剣は回収した」


 露骨に話を変えられた。が、察しはついた。

 それ以上は追及せず、ジエンは背負った木箱を軽く叩いてそっけなく告げた。


「それに……もう十分に貰っている」


 目を閉じれば、今も抱き合ったふたりの姿が目蓋に浮かぶ。

 それはジエンが心底欲して、しかし得られなかった未来だ。

 だが、絶対に手に入らなかった未来ではない。

 違う選択をすれば、きっとそんな穏やかな結末があったのだ。

 それが、わかった。


「……だから、いいのだ」

「へいへい。無欲なこって」

「それがしは業突く張りだ。諦めるべきものを諦められなかった。だから、ここにいる」


 未練も、憧憬も、彼らに託して置いていく。

 己が歩むべきは外道のそれ。喪われたものはもう戻らない。

 ジエンは木箱を背負い直し、美しい光景に背を向けて歩き出す。


 視界の端で、いつかクオウと見た桜の幻影が舞っていた。


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