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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
10/27

秘剣・紫電閃・後編

 話し込んでいる内に日も沈んでしまった。

 その日は結局、小屋で一晩を明かすことに決め、ジエンは茣蓙に寝転がった。

 囲炉裏を挟んだ向こうにはコウセツが同じように横になっている。ショウキはいない。どこぞに夜這いでもかけているのだろう。

 初夏の海沿いとはいえ、囲炉裏の火を落としても小屋の中は寒くはない。

 昼の間に暖められた海からの風が、生ぬるさを伴って壁板の隙間から吹きつけてくるからだ。

 ほんの一日で潮の香りにも随分と慣れた。

 波の音を聞いている内に意識は徐々に闇の底へ落ちていく。


 その刹那に、遠くから発せられる粘つくような殺気をジエンは閉じた眼に感じた。


「……コウセツ殿」

「死体が上がらぬとみて、気付かれたか」

「であろうな。大した執念だ」


 ジエンは起き上がり、着流しを着込んで腰に大小を差した。


「ジエン殿」

「船ごと襲った相手だ。目撃者を見逃す筈もなかろう」

「……申し訳ございませぬ」


 コウセツはそれだけを告げて手早く用意を整えると、先陣を切って小屋を飛び出した。

 後を追ってジエンも小屋を出る。


 途端に、視界が閉ざされたように闇に塗りつぶされた。


 夜の砂浜は月影も遠く、ひどく暗い。気を抜けば砂に足を取られるだろう。

 ジエンが小屋を出たときには既に戦闘は始まっていた。

 砂を踏む音、気炎を発する掛け声、そして微かな火花とともに剣のぶつかる金属音がする。


「コウセツ殿!!」


 見えないならばとジエンは大声を発した。

 応じて、闇の中で身じろぎした反応は四つ。

 ひとつはコウセツの気配。

 ゆえに、襲撃者は三人であると知れた。


(それだけわかれば、良し)


 ジエンは腰の一刀を抜くと、足音を殺して砂浜を進んでいく。

 音と記憶を頼りに擦り足で波打ち際に近寄る。

 そのまま姿勢を低くして上体と腕を目一杯前に延べ、次いで、切っ先でぱしゃりと波を打った。


「そこかっ!!」


 瞬間、音に惹かれた襲撃者のひとりが胴薙ぎに剣を振るった。

 ぶん、と乱雑な刃音がジエンの耳に届く。


(左斜め前、一間半)


 相手の位置を察知したジエンは静かに一歩進みでて、見当をつけて剣を打ち下ろした。

 がつり、と頭蓋を断った手応え。

 次いで、どさりと倒れる音。

 ジエンは即座にその場を離れると、のこのこと近付いてきたもう一人も同じように斬り下した。


「コウセツ殿、こちらは二人片付けたぞ」

「かたじけない!!」

「チィッ!!」


 前方の闇に声を投げかければ、二種の反応が返ってくる。

 お互いの位置を見失っているのか、先のような剣戟の音はない。

 ジエンは加勢するべきか迷った。

 この闇夜では同士討ちの危険性が高い。無策で近付けば、コウセツの邪魔になる。


「なぜだ、コウセツ!! なぜお前なのだ!!」


 そのとき、自棄になったのか、闇の中に襲撃者の声が響いた。

 憎悪の滲む声。おそらくは件の次期当主その人なのだろう。


「なぜ私ではなくお前が選ばれたのだ!? 答えろ、コウセツッ!!」

(これは誘いだぞ、コウセツ殿)


 その憎悪は本物であろう。

 しかし、次期当主は己が憎悪すら利用してコウセツの位置を探っている。

 小狡い手だ。それでも、答えなければコウセツの心に棘が残る。


「……秘剣は正しき心の下に振るわれるべきだからだ、師兄」


 果たして、コウセツは答えた。

 苦渋に満ちたその声を遮るものはない。襲撃者にも届いただろう。


「コウセエエエエエツッ!!」


 けたたましく砂浜を蹴る音。

 次いで、振り下ろされた刀の刃音をジエンは聞いた。

 そのとき、風が吹くのを頬に感じた。

 前方の闇の中に引き込まれるような、つむじ風。

 月光は遠く、闇は深い。ジエンの目にはなにも見えない。


 それでも、ジエンは“いかずち”が瞬いたのを見た、気がした。



 ◇



 水平線から太陽が僅かに顔を出す。

 砂浜に横たわる三人の死体が陽の下に晒される。

 その中で立ちすくむコウセツの背中も、また。


「……コウセツ殿」


 ジエンが声をかけると、コウセツはゆっくりと振り向いた。

 昇りかけの朝日に滲むその表情は戦いを終えた安堵と疲労感に満ちていた。


「もし……もし、過去に戻れるのなら、興味本位で秘剣を授かった己を斬り殺してしまいたいところだな」


 拙者にも正しい心などなかった。

 そう言って、コウセツは自嘲に似た笑みを浮かべた。

 彼の体に傷はない。秘剣は正しく機能して彼を守ったのだ。

 だが、あるいは、心までは守れなかったのかもしれない。


「……師兄らを弔わねば」

「うむ、手伝おう」

「かたじけない」


 それきり、ふたりは言葉を発さず、淡々とするべきことを片付けた。

 途中で朝帰りしてきたショウキも加わり、誰に気付かれることもなく戦闘の痕跡は拭いとられた。



 それから、三人は朝餉を肴に昨日の酒を乾かした。

 ぽつぽつと互いの来歴を語り、友を語り、剣を語った。

 徳利が空になる頃にはすっかり太陽も天に昇っていた。


「ジエン殿」


 砂浜に胡坐をかいて、眩しそうに太陽を見上げていたコウセツがふと口を開く。


「天下無双の剣士とはなんだろうか?」

「誰にも負けぬ剣士であろう。おぬしの選択を間違いだとは誰にも言えぬよ」

「……ああ、その言葉だけで救われる気がいたす」


 晴れ晴れとした笑みを浮かべて、コウセツは立ちあがった。

 あらゆる流派には独自の技があり、癖があり、必然的に隙や弱点が存在する。

 そして、秘剣は流派の剣を悪用する者や、どうしても同門を殺さねばならないときに振るわれる。

 つまりは、秘剣を知るということは、流派の弱点を補うことができるということ。

 天下無双を目指すのならば、コウセツは秘剣を知らねばならなかったのだ。

 そう、天下無双。剣をとる者ならば誰もが一度は夢見る頂。

 そして――


「この刀をお返しする前に、一手お付き合い願いたい!!」


 そして、天下無双を名乗れるのは同じ時代にひとりだけであるのが当然の道理だ。


「承った」


 ジエンは立ちあがり、真っ直ぐにコウセツに向き直る。

 おそらく、断ってもコウセツは魔剣を渡してくれるだろう。

 そういう男だとこの一晩の間にジエンは知った。

 ゆえに、この立ち合いに意味はなく、遺恨もない。

 ただ、コウセツには見果てぬ夢があり、ジエンにはかつて交わした約束があっただけのこと。

 あるいは、彼を助けた時点でこうなる運命だったのかもしれない。


「手を出してくれるな、ショウキ」

「応」


 ショウキは短く応えを返し、相対するジエンとコウセツを見届けられる位置まで下がった。

 二人は同時に魔剣を抜く。青みがかった刀身が共鳴して歓喜の音を発する。


 言葉もなく、コウセツがゆっくりと口元に鍔を寄せて八相に似た構えをとる。

 応じて、ジエンも魔剣を八相に構えた。

 意識を集中させ、相手の繰り出すであろう攻撃を先読みする。

 構え、呼吸、視線、それらを読み取り、対手の狙いを看破する。


 “間違いなく、秘剣でくる”


 予測を超えた確信の領域でジエンはそう判じた。

 ジエンはオウレイ派の術理を知っている。

 この状況で繰り出されるどのような表技も捌く自信がある。

 その事実をコウセツも理解している。

 相対したことで彼我の実力差も把握されているだろう。

 彼が勝つには、先手を取って秘剣を放つしかない。


「――――」

「――――」


 一瞬後の破裂を控えて、大気が張り詰める。

 互いを正中に据え、円を描くようにしてじりじりと距離を詰める。

 彼我の間合いは三間半。

 足元は砂浜、刃圏に踏み込むにはジエンをして三歩を要する。

 魔剣の共鳴音も今は遠く、耳にはただ、ざあざあと響く潮騒の音だけが木霊する。


「――――ッ!!」


 次の瞬間、先手を取ってコウセツが踏み込んだ。

 否、それはもはや跳躍に等しい。

 瞬時の一歩で間合いを詰め切った鮮やかな跳躍だ。

 ジエンが反応したときには既に、目前に切っ先が迫っていた。


 ――秘剣・紫電閃


 それは刺突であった。

 八相から踏み込み、刀を一挙に倒して突く。ただそれだけの技である。

 その単純な術理を秘剣たらしめるのは、オウレイ派独自の跳躍前進と刺突の精密な狙いにある。

 すなわち、秘剣が狙うは首横の脈、ひと筋。

 そこに切っ先を半寸掠らせれば(・ ・ ・ ・ ・)人は死ぬ。

 そして、剣を構える者は、どうあっても首横を防ぎきることはできない。

 どれだけ剣を身に寄せようと、そこには隙間ができてしまう。

 この秘剣はその隙間を射抜く。

 避ける暇は相手の間合いの外から踏み込む跳躍の術理が押し潰す。


 なにより、オウレイ派の表技に刺突はない。

 その一撃は流派に属する者、あるいはその術理を知る者の意表を衝くことができる。

 そして、これもまた単純な理であるが、刺突は斬撃よりも到達が早い。

 ゆえに、秘剣。同門を殺すために秘された殺し技。

 事この段に至っては、退くことも防ぐこともできない。


 迫る切っ先を中心に、引きずり込まれるようなつむじ風の中を“いなずま”が疾る。

 魔剣は間に合わない。

 人体の限界を超える魔剣の発動には不可分の“溜め”が必要なのだ。


「――――ッ!!」


 だが、だが、だが。

 “いなずま”に相対するは“魔剣使い”に他ならない。

 秘剣は知らずとも、対手の持つ剣――魔剣のことは誰よりも知悉している。

 そのひと振りをどう用いるのが正しいのか。

 正答に近付けば近付くほどに、放たれる一撃はジエンの魔剣に歩みを寄せる。


 思考の暇はない。

 ジエンは己が経験と本能に従って肉体を駆動させる。

 踏み込むには間合いが近過ぎる。

 退く時間など存在しない。

 ゆえに、その場で“回転”する。

 正面に右耳を向けるように、腰を中心に最小半径で四半円を描く。


「ッ!!」


 顎下の空間を“いなずま”が抉る。

 避けきれない。首の皮一枚が削り取られた。

 構わず、腰の旋回に乗せて魔剣を振り抜く。


 刹那、狙い澄ました迎撃は、過たずコウセツの左脇から胸元へと駆け抜けた。



 ◇



 互いに一刀を振り抜いた姿勢のまま数瞬、ふたりは静止していた。

 遅れて、皮を削がれた痛みがジエンを苛んだ。

 潮騒の音が戻ってくる。

 右耳に届く音はやや遠い。足元も覚束ない。

 おそらく、急激な旋回と肌上を駆け抜けた秘剣の余波に耳をやられたのだろう。


「今のは――」


 声がかすれる。秘剣の掠めた喉仏を痛めたらしい。

 ジエンはふらつきながら二歩、三歩と退いて、呆然と残心をとった。

 いまだ生きた心地がしなかった。

 先の一瞬、避けきれないと本能が理解した。

 理解して、命を捨てて迎撃に注力した。

 ジエンが今まだ生きているのは半分は運であり、もう半分は相手の持つ魔剣を知るがゆえに『刺突がくる』と読んでいたからに過ぎない。

 そして、ジエンが勝利したのはその身に根付いたデイシン流が為に他ならない。

 咄嗟に放った一撃こそデイシン流は“薄雲”の崩し。

 デイシン流は腰で斬る。その神髄は踏み込みすら不要とする点にある。

 この窮地において、ジエンの体はその術理を正しく実践してみせた。

 実感には遠く、違和感に近い、しかし確かな手応えが手の内に残っていた。


(離れたと思っていた流派に助けられたのか……)


 その事実は不甲斐なさと申し訳なさと、僅かな感慨をジエンに齎した。


「ッ!! そうだ、コウセツ殿!!」


 はっとして、ジエンは対手を見遣った。

 コウセツはいまだ膝を屈せず、立ったまま。

 しかし、その胸元からはだくだくと夥しい血が流れ出ている。

 間違いなく、致命傷だ。


「……見事、見事也、剣士ジエン!!」


 だが、次の瞬間、発せられた声には迫る死すらも吹き飛ばす熱が籠っていた。


「我が秘剣、我らが祖オウレイの秘伝、破れたり!!」

「コウセツ殿……」

「魔剣をお返しする。拙者も……夢から醒める時が……きたようだ」


 コウセツは晴れ晴れとした笑みを浮かべ、両手で魔剣を捧げ持った。

 ジエンが受け取ると、役目を果たしたかのようにその体はくずおれた。

 咄嗟に抱きとめる。

 血を流し続けた体は驚くほど軽い。

 猶予はもう幾ばくもないだろう。


「言い残すことは?」

「ない」


 コウセツは笑みのままかぶりを振り、じっとジエンを見上げた。


「だが……叶うならば……頂天からの景色を……ジエン、どの」

「……いずれ黄泉路にてお会いした時に」

「ああ……それは、たのしみ、だ……」


 そのとき、ふっとコウセツの体が軽くなったのをジエンは感じた。

 人を人たらしめる命がなくなった感触を覚えた。


 最後まで笑みを浮かべたまま、ひとりの剣士が死んだ。

 ジエンの肩にまたひとつ、夢の重みが載せられる。

 潮騒の音だけが、ただ遠く木霊していた。

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