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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
1/27

魔剣・薄明

 イスルギ藩の傘下、ヒルイの町に数週ほど前から、ジエンという剣客が住み着いていた。

 齢30を控えた男盛りであるが、髷も結わず、いつも無精ひげを生やした風采のあがらない男だ。

 剣客というのも体裁を取り繕う言い様で、その実体は浪人に他ならない。

 生まれはさる旗本の三男坊であったが、いかなる因果か腰の大小だけを頼りに出奔して各地を放浪、ヒルイの町に流れ着いたのだ。

 ジエンは人前では大して鍛錬はせず、存外に器用な手先を活かして内職を鬻ぎ、あるいは長屋の子供たちに読み書きやらを教えて糊口を凌いでいた。

 クスヤが住みかを訪ねたその日も、彼は板間で草履を結いながら、めいめいに書き取りをする子供たちを見るでもなく指導していた。


「御免。こちらにジエン殿がいると聞いて参ってきたのですが?」

「ジエンはそれがしですが、何用で?」


 手を止めてのそのそと土間にやってきたうだつのあがらない男を見遣って、クスヤは秘かに眉を顰めた。

 クスヤはイスルギ藩に属するホオノキの家の長女だ。ホオノキはさして家格の高い家柄ではないが、古くからイスルギに仕えており、今代の主君の覚えもめでたい。

 クスヤもまた本人の器量の良さもあって、幼き頃から侍女として城に奉公にでており、上流階級の振る舞いを見て育ってきた。

 それゆえ、目の前の色褪せた着流しの無精ひげを頼らねばならない己に忸怩たる思いを抱くのもまた仕方のないことだった。


「わたくしはホオノキのクスヤと申します。……失礼ですが、本当にわたくしが探しております“魔剣使い”のジエン殿ですか?」

「ええ、まあ。察するに子供に聞かせる話でもありませんな。少し歩きましょうか」


 そう言って、ジエンは子供たちに二、三言付けをすると、草履を引っかけてさっさと出て行ってしまった。

 クスヤも慌ててその後を追いかける。心中には未だ不安の燠火を揺らめかせたまま、寒風がその身を吹き抜けていった。




 ジエンの住む長屋の近くには喫水の浅い川が流れている。

 常なら洗濯や水汲みで賑わう冬の河原は、夕に近い時刻もあってかひと気もなく、寒々しい様子を見せていた。


「先日、わたくしの親しい女子がとある剣客に襲われまして。幸い命こそ留めましたが……」


 クスヤがそう口火を切っても、ジエンはさして反応せず、開いているか定かでないぼんやりとした眼差しで川面を眺めていた。

 柳のような手応えのなさにクスヤは怯むが、ここで引き下がってはならぬと眦を決してジエンに一歩近づいた。


「ジエン殿にはどうかその不逞の輩を成敗していただきたいのです」

「お家の方に頼みなされ、御武家のお嬢さん」

「ッ!! 報酬はお支払いします。お望みなら士官の口利きでも!」

「心付けの問題ではございませんよ」


 血気に逸るクスヤを押し留めるように、ジエンは静かに続けた。


「藩内の罪は藩の者が裁くのが道理。部外者がでしゃばっては風が悪うございます」

「……そういうわけにもいかぬのです」


 クスヤが絞り出すようにそう告げると、はじめてジエンの視線が彼女に向いた。


「なにか事情がおありで?」

「襲われたのは山の民の娘なのです」

「……なるほど」


 各地を放浪していたジエンだ。それだけで状況は察せられた。

 山の民とは藩に属さぬ者たちの総称だ。常は山に潜み、町の人々とは物々交換を主とする細々としたやりとりを行っている。

 山の民が襲われようと武士たちが動くことはない。彼らは武士が守護する民ではないからだ。逆に、山の民が害を為せば、山狩りをしてその地から放逐する。武士にとって彼らは獣と同類なのだ。

 むしろ、山の民のために剣を振ったとなれば非難されるおそれすらある。

 彼らは年貢を納めておらず、然して、毎年年貢を納めて武士を食わせている町民たちから反発を受けるからだ。


「それで、それがしのような浪人にお鉢が回ってきたわけですなあ」


 ジエンはからからと笑った。自嘲の色こそないが、その笑声にはどこか皮肉気な響きが宿っていた。

 藩を治める者からすれば、浪人も山の民も非産階級に違いはない。獣の問題は獣に喰わせると、クスヤはそう告げているに他ならないのだ。

 そのことにようやく彼女も気付いて、寒さとは別の色で頬を紅潮させた。


「わ、わたくしは決してそのような……!! ただ、音に聞く“魔剣使い”のジエン殿であれば、あの悪辣なる“無骨剣”のドウカンを誅せるだろうと……」

「――“無骨剣”?」


 瞬間、問い返すそのひと言で場の空気が凍りついた。

 息を呑むクスヤの目の前で、ジエンは何事かを確かめるように腰の柄を撫でた。


「その依頼、承ります」


 気圧されたクスヤはただ、頷くしかなかった。



 ◇



「襲われた山の娘子の名をわたくしは知らぬのです」


 ドウカンがヤサにしているという廃寺へ向かう最中、沈黙に耐えかねたクスヤがぽつりと言の葉を零した。


「ただ、幼いころに山で迷ったわたくしを助けてくれて、それ以来、半年に一度この先の廃寺で会うのが秘かな楽しみだったのです。

 あの日も彼女はわたくしを待っていて……まさかドウカンのような恐ろしい男が居ついているとは……」

「……それはそれは。災難でしたな」


 ようやく返ってきたいらえに場の空気が緩み、クスヤは思わず安堵の息を吐いた。

 隣を歩くジエンを盗み見れば、そこにあるのは出会った時と同じ無精ひげのうだつのあがらない男でしかない。先ほど感じた威圧感はなんだったのかとクスヤは首を傾げるばかりだった。


「しかし、事情が事情とはいえ、年頃の娘さんが身ひとつで浪人の元を訪らうというのは感心いたしませんな」

「余計なお世話です。ジエン殿はドウカンを討つことに注力なさってください」

「これは失敬」


 つんとそっぽを向くクスヤを見遣って、ジエンは総髪の頭をぴしゃりと叩くと、それ以上お小言を述べることはなかった。


「……」

「……」


 しばし無言が続く。ざあざあと下草を撫でる風の音だけがあたりに響く。

 つかず離れず、深く詮索しないジエンの態度をクスヤは心地よく感じた。いくら覚え目出たくとも、城での生活に窮屈さを覚えることは多いのだ。

 だが、その態度故に、クスヤもまたジエンの理由を尋ねることはできなかった。

 “魔剣使い”という奇妙な二つ名の由来もまた。


 そうこうしているうちに、件の廃寺の屋根がふたりの目に入った。

 山間にある打ち捨てられて久しい祈りの場は、詣でるにも遠く、町の者もよりつかないという。脛に傷のある者が隠れ潜むにはうってつけの場所だろう。


「クスヤ様はここで」

「はい。どうかご武運を」


 足手纏いになるのを厭って足を止めたクスヤは、音もなく死地に赴いていくジエンの背中をただみつめていた。



 ◇



 果たして、夕暮れにけぶる境内には大柄な男がいた。

 獣のような男だ。身の丈は六尺に届こうか。寸法の合わぬ着物を右肩を肌蹴て腹に巻き付けている。

 髪はたてがみのように逆立ち、目は赤く充血して爛々と輝いている。ひげも好き勝手に顔を覆っていて年齢を推し量ることはできない。

 おそらく長く尋常な生活を送っていなかったのだろう。離れていても鼻が潰れるような悪臭が漂ってくる。

 然して、傍らには三尺ほどの大太刀。鐺を地面に突き立ててその威容を真っ直ぐに天に差しのべている。

 ジエンが見間違える筈もなし。その太刀こそ“魔剣”に相違ない。


「ドウカン殿とお見受けするが、如何か」

「そういう貴様は?」

「ジエン」


 端的に告げると、せわしなく痙攣していたドウカンの目が大きく見開かれた。


「ジエン!? “魔剣使い”のジエンか!! よもや藩の外まで追ってくるとは、そうまでしてワシの魔剣が欲しいか!!」

「お前のものではあるまいに」


 苦笑とも嘲弄ともしれぬ口調で言い放ち、ジエンはずいと間合いを詰めた。

 途端、ドウカンの巨体が跳ね起き、傍らの“無骨剣”を引っ掴んで鞘を投げ捨てた。

 詳らかになる大太刀の刀身には錆ひとつない。

 魔剣はいくら斬ろうとも、折れず、曲がらず、穢れることはない。


「貴様なぞにやらせはせんぞ!!」

「お前の仲間も同じことを言って死んでいったがね」

「――ッ」


 韜晦するようなジエンの言葉には付き合わず、ドウカンはがちりと奥歯を噛み締めて“無骨剣”を構えた。

 右足を半歩踏み込んだ諸手上段。震えひとつ起こすことなく構える様は薄汚れた身なりからは考えられぬほど洗練されたものだ。

 いかに身なりが卑しかろうと、畜生に身をやつしようと剣は嘘をつかない。

 腐っても、対敵する男は剣客なのだ。そのことが嬉しく、それ以上に憎らしい。

 暮れゆく太陽を背にしたまま、ジエンはゆっくりと目を見開いた。

 こじ開けるように開かれた下瞼、逆三角形の竜の目を模した目つけでドウカンを捉える。


「――いざ、参る」


 それが両者の間で交わされた最後の人の言葉。

 その言葉を皮切りに、ジエンは腰の柄に手を添えて、音もなくドウカンの間合いに踏み込んだ。

 ぬるりと滑るようなよどみのない継ぎ足。間合いを幻惑する三歩。


「ッ!!」


 ぴくり、と天を衝く“無骨剣”の切っ先が揺れる。

 それでも、ドウカンは忍耐力を振り絞ってジエンの誘いを拒絶した。

 互いの間合いは既に二間を割っている。ドウカンならば踏み込みと共に斬り伏せられる距離だ。


 だが、だが、だが。

 果たして斬り込んでいいものか。幾度の死線を超えて来た筈のドウカンが迷った。

 有り得ないことだ。ジエンの腰の大小、鞘からして打刀は二尺四寸。脇差はさらに短い。身の丈も三寸近くドウカンが勝っている。間合いの有利は明らかだ。

 今斬りかかれば、ドウカンの剣は当たり、ジエンの剣は届かない。

 加えて、ドウカンの持つ刀はただの刀ではない。


 “無骨剣”、その重さと分厚い刃は骨を無いものとして人を斬る。


 頭蓋とて例外ではない。振り下ろし、当てれば、斬れる。

 迷うことなどないのだ――相手が魔剣使いでなければ。


 瞬間、ざりと地を擦る音がドウカンの耳に届いた。

 今の今まで足音ひとつたてなかったジエンが初めて鳴らした音だ。


「ズェァァァアアア――ッ!!」


 反射的にドウカンは斬りかかっていた。

 それが誘いであろうと構わなかった。間合いは狭間、ドウカンの大太刀が届き、ジエンの打刀が届かぬぎりぎりの境界に達している。

 これ以上踏み込まれればドウカンは為す術なく斬られるだけだった。


 如何する、魔剣使い。

 振り下ろす剣の向こう側を睨みつけながら斬撃にてドウカンは問う。

 対するジエンは目つけを変えぬまま――腰を落とし、さらに踏みこんだ。


「!?」


 速い。先ほどまでとは段違いの速さだ。

 刹那に流れる景色の中でドウカンの貌に驚愕が刻まれる。

 だが、ジエンは明らかに踏み込み過ぎている。間合いなど既に零に等しい。

 直後、轟音と共に全力で振り下ろした大太刀が、止めきれず境内の地面を叩き割る。

 その内側、突き出したドウカンの腹にぴたりと右肩を押し当てるようにジエンがいた。

 背中で巻き起るつむじ風にジエンの総髪が乱れる。

 その手は拝むように柄に掛けられている。


 だがしかし、ドウカンはしかと見た。

 ジエンが手をかけているのは打刀ではなく――脇差だ。脇差にて居合を行おうとしている。


 次の瞬間、ジエンの体がぎゅるりと螺子れた。

 ドウカンにはそうとしか見えなかった。そして、そこまでしか見えなかった。

 閃光。

 衝撃。

 そして、熱く、冷たい感触。

 抜き手もみせず放たれた一閃がドウカンの右腰から左腰までを駆け抜けた。



「――――――え?」



 気付いた時にはドウカンの上体は宙を舞っていた。

 眼下には脇差を振り抜いた姿勢のジエンと、びゅうと血を噴いて倒れる己の下半身があった。

 急速に意識が薄れていくドウカンはしかし、末期の際にしかと見た。


 ジエンの手にある脇差、血に濡れぬ澄んだ青の刀身、美しい銀の刃。


 ――魔剣・薄明


 正しき使い手が振るったときのみそう呼ばれる魔剣の一刀をたしかに見た。

 そして、ぐしゃりと地に落ちた己の音を聞きながら、ドウカンは死んだ。



 ◇



 三拍ほど残心をとり、ジエンはゆっくりと薄明を鞘に納めた。

 途端に、全身の関節がみしみしと音を立てて悲鳴を上げた。


「――ァ、ガ」


 舌を噛みそうになるのを堪え、痛みに耐える。

 全身を捻り上げて放つ薄明は人体という構造の限界を大きく超えている。

 正しい使い方が、人間の限界を超えているのだ。

 ゆえにその名は魔剣。合理と条理から外れた剣なのだ。


 数瞬して最初の波が去ると、ジエンは体を労るように細く長く息を吐いた。

 次いで、半ばまで刀身を地に埋めた“無骨剣”を抜きとり、打ち捨てられていた鞘に納める。


「……まったく、クオウも厄介な物を遺してくれる」


 ここにはいない者の名を呟き、苦笑する。

 クオウ。

 二十と少しの人生の中で数多の魔剣を鍛った天才鍛冶師。

 とある剣客集団に襲われて数多の魔剣を奪われた非業の鍛冶師。

 ジエンをあらゆる剣を振るう天才と信じ、あらゆる魔剣を鍛った笑顔の似合う幼馴染。


「これでひとつ。やれやれ、あとどれだけあるのやら」


 ジエンは嘆息と共に大太刀を背に負う。ずしりとした重さは魔剣の行使で疲弊した体にいたく堪えた。

 しかし、その重さこそがジエンの誓いなのだ。

 生涯を賭けて世に散逸した全ての魔剣を――幼馴染の遺したモノを奪い返す。そのためにジエンは家を出たのだ。


「こいつを還して……さて、次はどこへ行こうか?」


 足を引きずり、行きとは違う道を歩きながらジエンはひとりごちる。

 ヒルイの町にはもう用はない。同じ鋼から分かたれた魔剣同士は惹きあう。別の場所に行けばまた新たな魔剣に出会うことだろう。


「……冷えてきたな」


 歩きながら、空に向かって白く煙る息を吐き昇らせる。

 いつまでこんなことを続けられるのか、ジエン自身にもわからない。

 生家を出てこの暮れゆく空を何度見上げただろうか。

 一戦ごとに削れていく体。先の見えない道行。

 時に足を止めてしまおうかと弱気になることもある。


「――?」


 そのとき、ふと何者かの気配を感じてジエンは視線を転じた。

 周囲を見渡せば、道横の藪の中にひとりの少女がいた。

 町の者とは明らかに顔の造形の違う、浅黒い肌をした少女がじっとこちらを見つめている。


「もしや、クスヤ様の知己であるか?」

「!!」


 少女は声を発しなかったが、クスヤの名にぴくりと肩を震わせた。あたりだろう。


「遺恨がないのなら行ってやるといい。きっと、待っている」


 ジエンは噛んで含めるようにゆっくりとそう告げる。

 少女はしばらく迷う素振りを見せていたが、しばし後、ジエンが元来た道を走り去って行った。

 その小さな背中を何も言わず見送って、ジエンもまた町の外へと歩き出した。

 山々の稜線に沈みゆく太陽がこの日最後の光を投げかける。

 見渡す限り晴れ渡った薄明の空の下、男の口元には小さな笑みが浮かんでいた。



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