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第5話 電光速度のデュエル

 三・七秒後に音速を突破。一分後には、彼らの速度は音速の一八倍に達していた。さらに加速する、マッハ一九、マッハ二〇。


 日本アルプスを真西に飛びこえ、若狭湾から日本海へ抜ける。ふたりは山陰の沿岸ぞいをミサイルのように疾駆した。夜の灯りがきらめく海岸線はまたたくまに左へ折れ、いよいよ日本列島から離脱していく。


 義孝は身震いするような興奮をおぼえた。自分でも驚くほど、勘は鈍っていない。ときおりちりちりするような刺激を感じるが、ほとんどは地上を飛びかう通信電波だ。“キャノンボール”のプレイには、とくに支障はない。


 つぎに日本を見るのは、地球を一回りしたあとだ……義孝は、背後に遠ざかっていく列島を意識のすみへ押しやった。前方にのみ注意をむけ、本格的な加速集中にかかる。

 マッハ二〇では止まっているに等しい。たかがICBMの速度ではないか。


 アーニャもたちまちスピードを上げていく。電波密度の低い海上にいるうちに集中を深化させたいのだろう。ふたりは徐々に高度を上げながら、彼らだけの超高速の世界へ突入していく。


 新たな灯火群を前方にとらえ、五秒後にはその上空へ飛び込んでいた。朝鮮半島だ。釜山の北から進入し、都市上空のぶ厚い電波エネルギーをぶち破って突進する。そのまま西岸へ抜けるまでに五〇秒とかからなかった。つづいて黄海……さらにスピード上昇……行く手に中国大陸。


(まるで光の渦だ!)


 義孝がそう思った刹那、


 ヴァッ――!!


 電自我はふたたび文明圏へ突入した。

 眼下を、まばゆい地上光が矢雨のようにきらめき過ぎる。大陸を縁取る昼のような夜、人工の輝き。スピードを上げるにつれて星座が目に見えて動きはじめ、遥かな地平からまろびでてくる。


 彼らは壮大な光の流れのなかに身をおきながら、その果てめざして突き進んだ。


 もっと低級な、網膜投影をつかうアミューズメントゲームでも、同じような見え方はする。だが、キャノンボールの最大の特徴は、いまや超スピードで空を駆ける電自我こそが彼ら自身(・・・・)であり、見ている世界は現実そのもの、という点だった。


 電自我の見る光景は、電磁波長のかすかな乱れから電子情報に還元されてナビコンへとフィードバックされ、MM1の大アーチスクリーンに投影される。観衆はいながらにして、人類最高速の世界を目のあたりにできるのだ。


 そして、そこで展開されるのは、乱れとぶ電光波の饗宴である。


 済南市へにじんで延びる、高圧送電線の淡い輝き。発電衛星が地表へ送る、無線送電波のまばゆい光条。宇宙線の色彩の乱舞、無尽に走る光の交差。

 百万もありそうな音と映像を乗せた通信波。


 それは、人間の貧弱な視覚力を嘲笑うかのような、光跡の爆発だった!


 飛びかう光、ひろがる光、流れゆく光。まるで夢幻の空間だ。肉でない体を手にするだけで、このような世界へ飛び込めるとは。


 だが、ふたりにそうしたものを楽しむ余裕はなかった。


 前を見ろ、と誰かが告げる。正体不明の誰か。自分のなかにいる誰か。


(おまえはキャノンボーラーなんだ)


 誰かが告げる。

 後ろはない。前だけを見ろ。前方にのみ、おまえの属する世界がある。

 キャノンボーラーのすべての意志と能力は、ただ前進するために存在するのだ。


 ふたつの電自我は空を裂いて、内陸部へと進行する。


 夜空が急速に明るくなってきた。星がうすれ、地上の灯りもあっという間に消えていく。地平線の空が赤みを増し、沈んでいた太陽が西から昇りはじめる。

 ちょうど青海省に入り、崑崙山脈へ差し掛かった頃だった。四千メートル級の山々がつくる雄大な連峰。処女雪のヴェールを身にまとった貴婦人たち。それは二一世紀もなかばにきてなお、人間文明の侵入を拒む、神々の領域だ。


 その上空を、電磁気の魂は猛スピードで驀進する。


(さすがに、このあたりは電波密度が低い……)


 いまや電磁場そのものである義孝は、電波の少ない空間に、この上ない清々しさをおぼえた。

 都市部で感じたちりつく刺激は、ここではほとんど感じない。まるで汚れのない透明な海の底へとすべりこんでいくようだ。


(いい空域だ……それに、なんて美しいんだろう……!)


 かすかに加速が鈍ると知りつつ、義孝は少しだけ霊峰へ意識をはせ、深い敬意をあらわした。


 太陽はさらに昇っていく。荘厳で美しい大自然の、高速度での早戻し……。MM1では、観衆が息を呑んでこの光景に見入っていることだろう。工業製品とせまい空しか知らない文明人が、思いがけず手にした地球の実相だ。


 山脈はますます険しく尖っていく。真白い残雪に覆われた高山を、ふたりの電自我は飛び越えていく。


『K2まであと一分』


 アクセスした際、ナビコンから送られてきた情報だ。

 義孝は、そのままナビコンから地球図を呼びだした。現在地……まもなく崑崙山脈の西端。……通過、カラコルム山脈へ進入。

 世界第二の高山が、あっという間に迫ってくる。義孝は臨時の弾道修正(コーナリング)を行ない、仰角をやや上方へ修正した。

 一瞬で山頂を飛び越える。


(これで当面の障害物はなしだ!)


 つづけて地球図を確認する。つぎに通過予定のポイントはテヘラン上空。電波密度は……とくに問題はないはずだ。


 ナビコンとの接触を断つと、義孝は先行するアーニャにつづいてさらなる加速へ入っていった。中東方面から、輝く電波の奔流がオーロラのように押し寄せてくる。音速の三七倍。




「くそっ、恩知らずの小僧が! 最初にキャノンボールのライセンスを取らせてやったのは誰だと思ってるんだ!」


 仙崎は怒鳴りちらしながら、VIPルームへ入ってきた。あごに消炎薬を塗り、ガーゼと包帯で覆っている。

 いままで、医務室で治療を受けていたのだ。


「図にのるなよ、生意気なガキが! きさまが最強なんていわれてたのは、大昔の話だ! せいぜいボロ負けして屈辱にまみれろ!」


 もうサービスタイムは終わりとばかりに、手ひどく悪態をつきながら、ひとり掛けのソファへ腰をおろす。


「なんで、あいつが殴る前に止めなかった!?」

「申しわけありません。とっさのことでしたので」


 片埜が、無表情にこたえた。


「とっさのことで、だと? この無能が! とっさのときのためにおまえを雇っているんだろうが! 元女子フェザー級の世界四位が聞いて呆れるわ、こののろま!」


 たったひとりのぶつけどころに、仙崎はさんざん当たり散らした。

 ひとしきり怒りを発散すると、ようやく気分が落ちついてきたらしい。仙崎は不機嫌そうにうなりながら、ソファに座りなおした。


「それで、出走して何分たった?」

「一九分半です」


 片埜は、手首に巻いた携帯端末の表示を読んだ。


「全行程の四三パーセントを消化。すでにジブラルタル海峡を抜けました。現在、タンジールの西沖合をアメリカ大陸へむけて進行中です。直近二分間の平均速度、マッハ四五・八……両名とも、凄まじいスピードです」

「ふん、凄まじいだと? 義孝はアーニャにひっぱられてるだけだ。そのうち息切れして脱落するに決まってる!」


 仙崎は吐き捨てて、VIPルームの窓から外を見やった。

 大アーチスクリーンには、義孝とアーニャの電自我から送られる映像がリアルタイムで映っている。画面はふたたび暗くなりはじめていた。いま、彼らは地球の昼の側を終えようとしているのだ。


 茜色の雲と、朝日をはね返す海面の輝きが、彼方から物凄いスピードで飛んできては消えていく。

 そして、その映像の全面を彩るのは、光の奔流、七色の電波の渦である。

 仙崎は、不快げに鼻を鳴らした。


(電波が見える(・・・)ってのは、なんとも奇妙なもんだな……いつものことだが……)


 大洋を越えている最中なのだから、これでもマシなほうなのだ、とは思う。はっきり見えるのは大陸間をむすんで電離層をはね返る短波と衛星波くらいで、そう多くはない。

 可視領域からはぐれ飛んできた弱電波は拡散した薄い幕のようで、空域によっては気になる程度、だ。


 それでも、見つめていると、しだいに肉体の常識を破壊されていくような気がする。


(まったく、キャノンボーラーってのはイカレたやつらだ。わざわざ自分が電磁波だか霊魂だかになってレースをしようだなんて、とうてい正気の沙汰とは思えん……)


 それが仙崎の本音だった。

 もっとも、技術がどれほど進もうと、この世ならぬ映像を人類が手にしようと、いっこう変わらぬ常識も、世の中には厳然としてある。


 ――金、だ。


「このうえ、あのうすのろ野郎が勝つ、なんてことになったら……」


 仙崎は、筐体の真上に構成されたホログラムへ目をやった。

 直径が十メートル近い、地球の立体映像だ。レース中のふたりの航跡を描いている。

 その横には、現在地の拡大ホログラム。すでにふたりは大西洋の半分を飛び越え、同時に全行程の半分をも終えようとしていた。北米大陸まであと三千キロ……二千九百キロ……二千八百キロ……。アーニャが、わずかにリードしている。


「気象データのほうは、うまくやったんだろうな?」

「問題ありません」


 片埜は、あいかわらず無感動な声音でこたえた。まるで機械のような女である。


「義孝側のアクセスは、偽サイトへ誘導されています。実際にその目で……電自我が見るまで、本人が気づくことはないでしょう」

「ならいい。あれは保険だからな。どんなに可能性が低くても、万一に備えておくのが賢いやり方ってもんだ」


 仙崎は、憂さが晴れたかのように深く息を吐いた。


「義孝の野郎、とつぜんのシケイン出現(・・・・・・)に真っ青になるだろうよ。やつが慌てふためいてるうちに、アーニャはゆうゆうゴールってわけだ。

 ……ま、それ以前に決着はつくだろうがな」


 仙崎は手元のモニターを見やった。

 表示されたアーニャの脳波や心拍データは、彼女が絶好調で飛ばしていることを告げている。

 ここからがアーニャの本領発揮だ。彼女が負けることなどありえない。


 アーニャの戦績は“完璧”なのだから。


 仙崎は玉座からねめつけるような気分で、義孝の電自我が送ってくる映像を見つめた。




 三五番目の弾道修正空域(コーナリングエリア)。義孝はナビコンへ意識をとばし、仰角データを確認した。弾道上の仮想ポイントに、地表面へ沿って飛ぶためのコーナーを設定する。

 同時にナビコンからも情報が送られてきた。あと五秒でノースカロライナ州、ハッテラス岬……二秒……通過。


(北米大陸、か!)


 義孝は眼下の大地を見た。

 光の洪水が地上にへばりついて、行く手一杯にひろがっていた。夜明け前にあってなお、膨大なエネルギーを消費して輝く新大陸。


 左下方にニューバーン市の灯り。右にはローリー、ダーラムとつづく。張り巡らされた州道がダイヤモンドの糸のようだ。まだ見えない彼方の都市まで、脳神経のように結んでいる。

 義孝は、アクセスついでに対戦相手のパラメータをチェックした。先行するアーニャとの距離は三一・二キロ。

 地球を半周したにしては、驚くほどの接戦である。


(さすがに、すごい女だな……)


 先行する電自我の気配をちりちりと感じながら、義孝は舌を巻く思いだった。

 彼自身、地球一周のレースをしたことは数えるほどしかない。アーニャにいたっては皆無のはずである。


 さまざまな情報を収拾しながら、マッハ数十の相対速度で接近する弾道修正空域をつきぬけ、さまざまな障害物をかわし、さらに長時間の精神集中を得る。言葉でいうほど生易しいものではない。だからこそ“キャノンボール”はアマチュアを排し、プロのものとなったのだ。


 それを、初めての長々距離を走りながら、これほどのペースを維持できるとは。


(天才といわれるだけのことはある……)


 修正空域を設定し終え、三秒後には通過した。下方修正された弾道に乗り、義孝はふたたび加速にかかろうと――


(!?)


 己のミスに気づくのに、ものの二秒とかからなかった。予想もしていなかった地表が、猛り狂った魔神のように襲いかかってきたからだ。仰角の修正は、コンマ一度狂っただけでもレースに破滅的な影響をもたらす。このとき、彼の速度はマッハ五〇を越えていた。

 地表のあらゆる建造物が、爆発的ないきおいで彼の意識と脳髄へおそいかかった!


(高度をとれ!)


 本能が叫んだ。


(高度をとれ! 上昇しろ!)


 恐慌が理性と戦略をふりきった。彼の電自我が反射的に八〇度の急角度をとり、天空へとコースを変えた。幾層もの雲を突き破り、たちまち星の世界が眼前にひらける。

 地上は、あっという間にはるか下方だ。


(しまった!)


 心をはげしい動揺がみまう。いそいでナビコンへ意識をとばし、もっとも効率的な弾道の修正経路をわりだした。地表へ再突入を図りながら、アーニャの位置を確認する。


 一瞬で二五二キロも離されている。


 義孝は愕然とした。パニックに陥りながら反射的に情報を求める。ナビコンから地球図のイメージが送られてくる。

 現在、アッシュビルの上空……高度……くそ!……二八九・四キロ!


(この大陸上のレース禁止区域を利用して、最後の駆け引きをするつもりだった……!)


 彼は叫びだしてしまいそうになった。

 いや、落ちつけ!――冷静になれ。後悔している暇はない。まだ負けたと決まったわけじゃない。現状を把握して、よく考えてみるんだ。

 速度集中を維持しながら、送られてきたデータを検討する。


 デメリットは、アーニャを相手にするには少々差が開きすぎたこと。メリットは……いまや大陸上のレース禁止区域は、高度が上がりすぎたことで地表面へ置き去りとなったこと、ほとんど無視してしまえること。予定していた弾道修正空域をかなり省いて、スピードだけに集中できること。


(どうする!?)


 義孝は思案した。これまでのアーニャの経路から判断するに、彼女は基本コースを九〇等分したらしい。つまり、それだけ彼よりも地表近くを走っていることになる。


 北米大陸の西半分は、世界でも有数の山岳地帯。弾道の再計算と、こまかな調整が必要になる空域だ。アーニャといえど、あのスピードを維持することはできないはずだ。


 もちろん、それを越えてしまえば、あとはフラットな太平洋があるばかりだが。


(加速をメインにして、大回りでやってみるか)


 決断すると、ふたたび闘志がわきあがってきた。


(どうせここまで地上から離れたんだ。負担は大きいだろうが……アーニャが、大陸を抜けるまでが勝負だな!)


 義孝は前方をにらみすえた。

 アーニャの電自我ははるか遠くにあり、もう地上の灯りや飛びかう電波との区別もつかない。


 だがあきらめまい。誇りを取り戻すのだと、俺はあの夜、心に誓ったのだから。


 再突入していく視野の彼方に、けわしい稜線が姿を現しつつある。アーニャの高度では、まだ見えていないだろう。


 ロッキー山脈。全長三千キロ以上におよぶ、長大なアメリカの背骨である。




「やった!」


 仙崎は、腰を浮かして歓声をあげた。

 大アーチスクリーンに映る、地表弧の巨大な映像。義孝の電自我が見ている光景だ。

 仙崎は手元のモニターへ目をやった。義孝の脳波、心拍データを呼びだす。

 パニックに陥っているのが、手に取るようにわかった。


「いいぞ、いいぞ! やっと負けやがった!」


 手をたたき、頭のなかですばやく計算してみる。アーニャが勝てば、義孝への賭け金の一割はマージンとして彼のものになる。それに義孝の指摘したとおり、仙崎自身が裏アカウントを介してアーニャへ賭けた金もあるのだ。むろん、グランドマネージャーには認められていない行為だが。


 賭け率からすれば、総額で――ちょっとしたもんだぞ、と彼は心を踊らせた――一億二千万円くらいにはなるはず!


「まったく、意外に善戦するから、どうなるかと思ったぞ……」


 汗をぬぐい、ソファへ腰をおろす。

 競技開始と同時に締めきられた最終賭け率は、七対四で義孝有利。これでもし本当に義孝が勝てば、なんのためにマスコミに先打ちさせ、専門家を軒並み買収したかわからなくなる。

 しかし、もうだいじょうぶだ……と、仙崎は思った。やはり奴は酒びたりだ。せっかくの才能を、アルコールと薬と怠惰な生活で腐らせてしまったのだ。馬鹿め。


 いまの義孝に、アーニャを抜く力などあるものか。


「おまえの役割は終わった。ご苦労さん」


 仙崎は上機嫌にいい放った。


「あとはせいぜい適当にやってくれ。アーニャのアメリカデビュー戦に花をそえてくれてありがとうよ」


 ふふん、といやらしげに息を吐く。彼は、今までよりももう少し余裕を持って、スクリーンを見つめた。

 灯りと電光につつまれた北米大陸の映像。それは猛スピードで流れさり、移り変わっていく……。

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