91話
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「ダークサイド・・・。」
不意にゴローがそう叫びながら、マントを翻した。
すると、マントが空間を覆うように広がって行くような感覚にとらわれ、瞬時に辺りは漆黒の闇に包まれた。
「ジミーさん、ジミーさん、聞こえますか?
声も簡単には届かないので、心の中に話しかけています。」
囁くような声が、ジミーの耳元に響く。
「あ、ああ。ゴローさんだね。大丈夫、聞こえるよ。」
ジミーは動揺を隠すように、ゆっくりと頷く。
「今、このフロアは僕が作り出した異空間に変わっています。
ここでは重力以外の全ての物理法則が反転します。
しかし、そう長くは維持できません、すぐに決着をつける必要があります。
宇宙一の速さを誇る韋駄天も、ここでは宇宙一のノロマに変わります。
まだ部屋の中に居るはずです、見つけてください。」
「そ・・・そうか、分った。」
ジミーがゴローの囁く通りに、目を凝らして辺りを見回す、すると・・・。
いた・・・頭から蜘蛛の巣をかぶった黒い影が、ベッドの上の長老の体に手を差し伸べたところで、固まっている。
「いたよ、ベッドのすぐ脇だ。」
ジミーが答える。
「そうですか、ではマシンガンで攻撃してください。
物理法則が反転しても、力は伝わりますから、効果はあるはずです。
しかし、極力ゆっくりと動いてください。」
ジミーはゴローに言われるまま、ゆっくりと肩から下げたマシンガンを構えようと手に力を込めた。
すると、一瞬で銃を構える体勢に切り替わった。
ジミーがそのまま、韋駄天に狙いをつけて、ゆっくりと引き金を引く。
「撃鉄で火薬を着火させても、弾は飛び出しては行きません。
なにせスピードも反転するので、ほとんど動かないでしょう。
ゆっくりとマシンガンを押し出した後、更にゆっくり後ろへ引き抜いてください。」
「うん?ああ・・・。」
ジミーは何のことか判らなかったが、言われる通りにした。
すると、瞬間的なマシンガンの強い反動で、よろめきそうに体勢を崩したほどだったが、不思議とその動きもゆっくりなため、体勢を立て直す余裕がある。
ジミーは極力ゆっくりと体をよじって、バランスを取ろうとする。
すると、瞬時に両足で直立することができた。
その瞬間、発射された弾は韋駄天目がけて直進し、体へと到達した。
同時に、着弾地点がほとばしるような光を発したかと思うと、その部分を中心として、白い色が韋駄天の体全体に広がって行く。
「今回は、神との一戦という事で、煉獄の炎弾よりも威力のある灼熱の炎弾を装填してきた。
魔物と違って、魂の浄化とかは無縁だから構わないだろ?」
ジミーは着弾後の様子を見ながら、誰とはなしに呟く。
やがて、韋駄天の全身を覆い尽くした白が色を変え黒くなって行ったかと思うと、次の瞬間には着弾地点へと内側に折りこまれていく。
まるでそこに掃除機の吸い込み口でもある様に、小さな穴から強力に吸引されているかのように吸い込まれ、どんどんと韋駄天の体が小さくなって行き、やがて消えた。
後の空間には、何物も残ってはいなかった。
「や・・・やったのか。」
思わずジミーが叫ぶ。
「そうですね、韋駄天は消えました。
不死の存在である神に対しても効果があるとは・・・・。
せいぜい弱らせて、動きを止める位と考えていましたが・・・。
そ・・・そうか。δd/・・・・・」
何事か思いついたのか、ゴローは夢中になって床に数式を書き込んで行く。
「や・・・やっぱりそうだ・・・。
6千度を超える熱量を発する灼熱の炎弾。
物理法則が反転するなら、本来ならマイナス6千度になるはずが、絶対零度は―273.15℃でしかない・・・。
このため、変換できなかった分の熱エネルギーが空間を歪め、時空を超越してワームホールを作り出し、韋駄天の体を飲み込んだのだ。
この理論を、ゴローとジミーの韋駄天滅却空間理論と名付けよう。
発表したら、みんな驚くぞ。」
ゴローが嬉しそうに歓喜の声を上げる。
やがて、辺りの空間が明るくなってきて、元の大広間へと戻った。
「やったね。」
ジミーが床を見つめながらしゃがみこんでいる、ゴローの背中に話しかける。
「は・・・はい。
良く判らないけど、韋駄天は消えちゃいましたね。ラッキーでした。」
ゴローも振り返って、満面の笑みを浮かべる。
「えっ?良く判らないけどって・・・、今ゴローさんが難しい計算式を並べて、納得していたじゃないか。」
ジミーは思わず、ゴローの顔をまじまじと見つめた。
「えーっ?僕があー、そんな訳ないじゃないですかあ。
なんですか、この落書きはー。」
ゴローはそう言ってほほ笑みながら頭をかき、床の数式を足で踏み消した。
(お・・・覚えていない・・・。
ダークサイドは全ての物理法則を反転させるって言っていたけど、頭の回転も反転させるのかもしれないなあ。)
といった事を一瞬考えたジミーだったが、口に出すことは躊躇った。
「それよりも・・・、まずは連絡だ。
ハル君、聞こえるかい?
塔内に侵入した韋駄天は消滅した。
後は、外の鬼たちだけだ。
気を付けて、1体ずつ倒して行ってくれ。」
ジミーがインカムのマイクに向かって話す。
長老の体は、ベッドの上で起き上がったままだ。
「はい、分りました。
長老さんは無事なのですね。
こちらはあらかた使徒を片付けたので、あとは鬼たちとの直接対決だけです。」
ハルの言葉にジミーは窓の外を眺めたが、確かに空を覆い尽くしていた、黒い影はあらかた消えて青空が見える。
韋駄天を失ったことは、鬼たちにも伝わっている様子だった。
目標を失い、まとまりが無くなった鬼たちは一旦引き上げようと、召喚獣を戻す。
「だめよ・・・、逃がさないわ。」
ようやく姿を現した鬼たちの周りを、九尾の狐たち召喚獣が包み込むように包囲する。
その上空では、塔から離れた竜神が、巨体を輪のようにしてぐるぐると旋回している。
「逃げようとしても無駄だ。
わしが瞬間移動を封じた。」
「ぐっ・・・。」
竜神の言葉に、鬼の1体が絶句する。
右手の甲に玉を付けた老人だ。奈良の神倉さんだったか・・・。
「竜神よ・・・、不可侵、不干渉の掟を破って戦いに加わるつもりか?」
「いや、わしはお前たちと戦うつもりはない。
しかし、わしが関わっている人間たちは、お前たちと戦うつもりのようだ。
わしは、その戦いの場を与えるだけだ。
彼らの望みを叶えているだけで、決して、不干渉の掟を破っている訳ではないと考えるが、どうだ?
まさか、人間との戦いが怖くて、逃がしてくれというのではあるまいな?」
悔しそうに天を仰ぐ右腕鬼に対して、竜神は冷静に答える。
「えーい、こうなりゃ仕方がない・・・。
不十分ではあるが・・・。」
右腕鬼の号令の下、彼らはその姿を変え、集合する。
それは頭と胴体のない、巨人であった。
頭鬼と善鬼がいれば、天を突くほど巨大な鬼の姿になったのであろう。
しかし、そこに居るのは、胴体も頭もない、只の腕と足の集合体だ。
「究極奥義、鬼砲弾!!!」
本来ならば人型を形作るのであろう腕と足、その人型の形に添って赤い光が発せられたかと思うと、その光は一つの巨大な玉となり、ハルたちの頭上へ襲い掛かる。
「危ない!」
ホースゥが召喚獣を引っ込める隙も与えずに襲い掛かる巨大な光の玉、一塊となっているハルたちに達しようとした瞬間、巨大な黒い影がその行く手を塞いだ。それは、蜘蛛の魔物だった。
蜘蛛の魔物はその身を盾にして、巨大な光の玉の攻撃を防いだ。
それでも、鬼たちの最後の手段とも言える攻撃を浴びた蜘蛛の魔物は、無事ではいられなかった。
全身を真っ赤な光に包まれた蜘蛛の魔物は、やがて一筋の光の束にその姿を変え、天へと昇って行った。
「兄貴ー!」
スパチュラが叫ぶが、鬼たちの攻撃はその巨大な体を、一瞬で消滅させた。
「よくも、蜘蛛の魔物を・・・、許さないわ・・・。」
ミリンダの気持ちを反映するかのように、九尾の狐が鬼たちに襲い掛かる。
「ちっ!やはりこの形では威力が半減だな。たかが魔物1匹と相打ちか。仕方がない、分散せよ!」
巨大な腕や足は、まるでそれだけで意志があるかのように、宙を舞いながらハルたちに襲い掛かってくる。
九尾の狐が右腕に、白虎が左腕に、九兵衛が右足に噛みつく。
残った左足に対峙するのは、ハルだ。
他の者たちは、塔の入り口前に寝そべるミケの毛の中に身を沈める。
巨大な手足は、単体でも強力な力を発揮するようで、九尾の狐たちを圧倒し、地に抑えつけてしまった。
しかし、いかに強くなれるにしても、その姿を変化したのは失敗だっただろう。
老人の姿のままでさえあれば、躊躇するハルの隙をつくことも可能であったのかもしれない。
「浄化せよ!!!」
ハルの体を踏みつぶさんと覆いかぶさってくる巨大な足に向かって、勢いよく剣を突き上げる。
剣先からほとばしる様に発せられた紅蓮の炎は、瞬く間に巨大な足を燃やし尽くした。
炎が消えると、上空から灰が降りしきり、やがて光り輝く玉が落下してきた。
(よし、いいぞ・・・。次だ。)
ハルの頭の中に声が響き渡る。
次いで、九尾の狐を押さえこんでいる右腕に向けて、剣を振りおろす。
「浄化せよ!!!」
右腕はすぐに躱そうとしたが、その瞬間九尾の狐に噛みつかれ、動きを封じられてしまった。
九尾の狐ごと、煉獄の炎で焼き尽くされ、あとには灰と玉が一つ残るだけだった。
「召喚せよ!!!・・・召喚獣なら、何度でも復活可能だから便利よね。」
すかさずミリンダが、もう一度九尾の狐を召喚する。
新たに召喚された九尾の狐は、白虎を押さえこんでいる左腕に襲い掛かる。
「えーい、こうなりゃ・・・。」
分が悪い事を悟ったのか、左腕鬼と右足鬼は人間の姿に戻り、召喚獣を召喚する。
『×△□』
しかし、すでに遅かった。
河童も清龍もすぐに九尾の狐たちに制圧され、消えて行く。
「浄化せよ!!!」
ハルの振り下ろす剣により、二人の体を炎が包み込む。
そうして、最後の4体目の鬼も玉に変えた。
竜神が手のひらを翳すと、美しい水晶の玉は竜神の手のひらの中へと吸い寄せられるように上がって行く。
「終わったな。」
鬼に乗り移られていた人たちの遺灰を掻き集めているハルたちに、竜神が上空から声を掛ける。
アンキモ1家のトビウオ部隊も舞い降りてきた。
蜘蛛の魔物以外は、全員無事な様子だ。
(いや、まだ終わりじゃねえ。)
ハルの頭の中に声が響き渡る。
「うん?そ・・・そうかあ・・・。」
その声に促されるように、ハルは塔の中へと入って階段を上って行く。
「ねえ、どうしても、やらなくっちゃ駄目?」
6階の大広間へ到着したハルが、躊躇い気味につぶやく。
(ああ、駄目だ。成仏させてやるのも、供養の一つだ。
なあに、お前さんは剣先を玉に触れさせるだけでいい、あとは俺様がやる。)
ハルの頭の中に声が返ってくる。
そう言われて、ハルは長老の浴衣の隙間から、胸の玉に向けて剣先を当てて目をつぶった。
すると、瞬く間に長老の体は灰となって崩れ、あとにはキラキラと光る大きな玉が残った。
ジミーが玉を拾い上げると、ハルがベッドの上の遺灰を掻き集めて布の袋に詰める。
そこへ、竜神から玉を受け取った所長たちが上がってきた。
その手の中には、最初に封じた欠けた玉も入っているようだ。
すぐに、葛籠の中から台座が取り出され、そこに一つ一つ玉を当てはめる。
6つの玉が入ったら、中箱に入れて文字が書かれた大きな布で包み込む。
その結び目に、ハルから手渡された鬼封じの剣を結び付ける。
「ふう、これで、一安心だ。
鬼封じの剣に封じられて、鬼の玉も動くことは出来まい。」
ほっと一息と所長が安どのため息を漏らす。
「お別れだね・・・。」
ハルが、少しさみしそうに鬼封じの剣を見つめる。
鞘に収められたままの剣だが、その一瞬、答える様に光り輝いた気がした。




