89話
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「九兵衛、九兵衛じゃない。」
茶色の短い毛で覆われた、巨大な召喚獣を見上げながら、ミリンダは叫ぶ。
「九兵衛って?」
ジミーが不思議そうな顔をして、ミリンダの方を見る。
「九兵衛は、ミケと共にミッテランおばさんが飼っていた犬よ。
ミケよりも少しだけ長生きをしたけど、やはり老衰であたしが子供の時に死んじゃったの。
今までは、先輩面したミケが真っ先に召喚されていたけど、それが治まったら今度は九兵衛・・・。」
ミリンダは唖然としながら、空を見上げる。
しかも、ミッテランの召喚魔法はまだ終わってはいなかった。
更に光の束を伝って、見慣れた茶色と黒のまだら模様を持つ、いつもの奴も遅れて降りてきた。ミケだ。
ミケは、懐かしい同胞と仲良く上空でじゃれ合っている。
「あらあら、この子たち・・・。もう、しょうがないわねえ。」
ミッテランはそんな光景を見ながら、少しうれしそうだ。
「向いてない・・・、ミッテランおばさんは召喚魔法に向いて居ない・・・。」
ミリンダはそう呟きながら、上空を見上げたまま茫然と立ち尽くした。
「ミッテランさん・・・、どうしますか?
私は光の障壁で防御を担当しますから、もう1枚の護符をお貸ししましょうか?」
心配したホースゥがミッテランに確認をする。
「いえ、いいのよ。
九兵衛とミケの両方が出てきてくれるのなら、私はもう充分よ。
それに、九兵衛は秋田犬だから素直で言う事も聞くし、何より昔は猟犬として活躍していたくらいだから、攻撃力だってあるわ。
防御はミケにやらせて、攻撃は九兵衛ってことで良いじゃない。」
ミッテランはまんざらでもなさそうだ。
「そうですか、分りました。
護符を使用した時は、護符の魔力に加えてミッテランさんご自身の魔力により、2体の召喚獣という事が理解できましたが、今度は護符なしでご自分の魔力だけでも2体の召喚獣を召喚させられました。
こんなすごい事は、魔法理論の限界をはるかに超えています、私の師匠様でも無理でしょう。
恐らく、後世に名を残すような魔道士と言えるでしょうね。」
ホースゥはそんなミッテランに対して、両手を合わせて頭を下げた。
「そんなことはないのよ。
ただ、ミケが出しゃばりなだけよ。どこにでも出てくるのだから。」
ミッテランは、上空を仰ぎながら微笑んだ。
「なんだったら、残りの1枚は俺か神尾に使わせてくれてもいいんだぜ。」
二人の会話を聞いていた神田が神尾と共に割り込んできた。
「駄目よ、あんたたちもポチの話を聞いていたでしょう?
召喚獣の能力は、召喚した人間の魔力に左右されるって。
あんたたちが召喚した召喚獣なんか、簡単に吹き飛ばされてしまうわよ。
それなら、使うかどうかはわからないけど、ホースゥさんが付けていた方がまだましよ。」
更に、ミリンダが割り込んできた。
身長でも負けていないスラリとした体型に、神田達がたじろぐ。
「ま、そう言う事だね。
神田さんたちは神田さんたちで出来ることを、極めたほうがいいと思うよ。」
「お・・・おう・・・、分ったよ・・・。」
更にジミーにたしなめられて、神田達はすごすごと後ずさりして行った。
その後、彼らは彼らなりに特訓したのであろう。
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「じゃあ、しゅっぱあつ!ミッテランさん、お願いします。」
ジミーの掛け声の下、一瞬で十数人からなる集団が、校庭から掻き消える。
封印の塔へ向けて瞬間移動したのだ。
「ふう、瞬間移動っていうのは、便利で良いもんだな。
なんせ、前回は簡単な地図を持たされて、延々と歩かされたからな。」
「そうだぜ、片が付いてここへ戻ってきた後は、俺たちだけは帰りも徒歩だったからな。」
神田も神尾も、一瞬で遥か彼方の封印の塔へと移動出来たことに満足していた。
「あれは・・・あんたたちが広い場所で修行を続けたいって言っていたから、ここへ残してみんなは村へ戻った訳でしょ。
だったら、一緒に帰ればよかったじゃない。」
不満げな神田達にミリンダが反論する。
「誰もいないところで邪魔されずに修行をして、数日もすれば迎えに来てくれるものと思っていたんだが、いつまで経っても誰も来ない。
食料もつきそうだったから、仕方なく歩いて戻ったんだ。
帰りは、その辺の道草を食っていたぜ。」
神尾は尚も不満顔だ。
「いつ戻りたいなんて、誰も聞いていなかったわよ。
何も言っておかなかった、あんたたちが悪いんじゃない。
こっちだって・・・、忘れていたわよ・・・、九州からの移住者の人たちに、最近代表者が行方不明だって言われて思い出して・・・、塔へ行った時には既に歩いて帰っている最中だったから、見つからなかったのよ。
こんどからは、ちゃんと意思表示をしなさい。」
ミリンダは腕を組みながら、厳しい口調で神尾達をたしなめる。
「はいはい・・・分ってますよ・・・。
俺たちも悪かったってことくらい・・・。
でも、少しくらい不満を言うくらいは・・・、い・・・いえ、分りました。」
尚も納得できないとばかりの神田だったが、ミリンダの厳しい視線にすごすごと引き下がった。
強面の二人も、ミリンダには形無しだ。
特に、身長も高くなり圧倒的なプロポーションの美しいミリンダに対して、逆らう事は出来ない様子だ。
塔の入口には、既に巨大な黒い影が待ち構えていた。
「よう、遅いじゃねえか、俺たちは昨日から待機しているんだぜ。」
巨大な黒い影は、遥か高い位置にある赤く光る眼を爛々と輝かせながら、ハルたちを見下ろしている。
「あっ!蜘蛛の魔物さん、お久しぶりです。
前回の鬼たちとの対決以来だから、3ヶ月ぶりですね。
僕たちは、一番大きな玉の鬼が憑りついた、中部の村の長老さんを守るため、交代で2ヶ月間警護していたんです。
でも今日からは、竜神様の所にあった玉の鬼たちが活動を開始する危険な状態に入るので、当分の間全員泊まり込みになります。
だから、昨日だけは全員休みにして、一旦帰って再度身支度を整えて来たんです。」
ハルが、遥か上方を見上げながら挨拶をする。
「おう、ハル君か。久しぶりだな。そうかそうか、そいつは悪かった。
交代でずっとここを守っていたという訳か。ご苦労さん。」
蜘蛛の魔物は、前足で頭を掻く仕草をしながら、頭を下げた。
「前回は登場が遅すぎて、危ないところだったから、今回は遅れないでねって言ったけど、ちゃーんと遅れずに来たようね」
ミリンダは感心と言わんばかりに、何度もうなずきながら腕を組む。
「ああ、5日はかかるって言われていたから、ちゃんとその通りに出発したさ。
北へまっすぐ進んで洞窟を通ってこの島へと渡り、更に北東へと進む。
言われた通りに来たら、少し迷ったが4日で着いたぜ。
途中、アンキモ一家もちゃんと乗せて来たしな。」
蜘蛛の魔物は自慢げに話す。
「ふーん、随分と早足ねえ。また成長したんじゃないの?」
「いや、そんなことは・・・って、嬢ちゃんこそ成長したんじゃないのか?
ほんの1ヶ月前に会った時には、まだ中学生くらいだったっていうのに・・・、思春期の女の子の成長は早いっていうけど、ここまでとは・・・。」
「そうだよ、あたいも最初はミリンダだと分らなかったくらいだよ。
一体どうしたっていうんだ?」
蜘蛛の魔物も妹のスパチュラも、ミリンダの姿を見て驚きを隠せない様子だ。
「ああ・・・これ?
これは召喚魔法を使うために、ポチに成長させてもらって・・・、でも今だけで、鬼たちとの戦いが終わったら、元に戻るのよ。」
ミリンダは少し恥ずかしそうに、頬を赤く染めながら答える。
「へえ、そりゃまた・・・、随分と便利な機能だねえ・・・。」
スパチュラは少しうらやましそうに、美しく成長したミリンダの姿を眺めた。
「前回の約束通り、戦える子分を連れて来たぜえ。」
蜘蛛の魔物の影から、アンキモ親分と数匹の魔物たちが顔を出した。
魔物たちは、見た目はひょろっとしていて、余り戦闘向きとは言えそうもない体型だ。
「内陸での戦いという事で、泳ぎよりも空中戦だろうと考えて、適任の子分を連れて来た。
トビウオ系の魔物たちでな、短い距離なら空を飛ぶことができる。
しかも、すばしっこいから、敵をかく乱するにはうってつけだぜ。」
アンキモ親分に紹介されて、5体の魔物たちが恥ずかしそうに頭を下げる。
大きな目玉が印象的だ。
全員が、ガーゼのマスクで出来たエラカバーを付けている。
「ありがとうございます。
相当な戦力になります。」
ハルは感動してアンキモの両手を握りしめた。
「飛ぶ時は、邪魔になるから外すのですが、普段の生活の時でも、洞窟の外での行動範囲が広がるから、これは大変便利です。」
1体の魔物が、マスクを指しながら笑顔で話す。
「だったら、今度マスクをたくさん持っていきますよ。」
ハルが嬉しそうに返す。
「じゃあ、中へ入りましょう。」
塔の中へは入れない、蜘蛛の魔物はそのまま待機をして、一行は作戦会議の為に入口の中へと入って行く。
「昨日は結構な時間があったから、あたいが塔の部屋の隅に蜘蛛の巣を張り巡らして、蜘蛛の巣間を見えないような細い糸で結びつけて置いた。
誰かが忍び込んだら、すぐに判るようにね。
勿論、塔の周囲にも巣は張り巡らせてあるから、敵が攻め込んできたらすぐにわかるさ。
また、蜘蛛の巣を浴びせて、忍び込んだ奴の動きを封じることも出来るよ。」
塔の中の螺旋階段をミリンダと共に登りながら、スパチュラは各階の部屋の隅を指さしながら、話す。
確かに、塔内の至る所に封印の魔法が施され、入口以外の出入りが出来ない塔内は、驚くほどきれいだった。
しかし、今は荒れ果てたかと思われるほど、至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされている。
どうやら、スパチュラの仕業のようである。
途中、5階まで来たところでミッテランが何事か呟きながら、大きく両手を振り払う。
すると、目の前にあったオレンジ色にきらめく壁がかき消された。
「患者さんたちの様子はどう?」
ミッテランが大広間の中央に据え付けてあるベッドで診察している医師と看護師に、大きな声で声を掛ける。
「はい、全員容体は安定しています。問題ありません。」
白衣姿の医師が、大きな声で返事を返す。
「そう、良かったわ。交代要員を連れて来たけど、これからは村へ帰る暇はないわよ。
ここで、当分の間は詰めてもらうからね。」
そう言いながら、ミッテランに促されて、数名の白衣姿の男女が、5階のフロアへ入って行く。
これまでは3日に1度ミッテランが交代要員を連れて来て、入れ替わっていたのだが、鬼たちの襲撃が予想されるこれからは、この塔の中の封印された空間で過ごさなければならないのだ。
既に居住空間として、いくつかにパーテーションで区切られた区画が、大広間の中にできている。
交代要員が入った後に、ミッテランはもう一度5階の大広間へ通じる入口を封印した。
そうして、皆と一緒に最上階である6階へと上がって行く、
「ご苦労様です。長老さんは丁度今食事が終わった所です。」
6階では、付き添いを行っているレオンが出迎えてくれた。
交替で行っていたとはいえ、彼らも2ヶ月もの間、付き添っていてくれたのである。
6階フロアには、看護用の体の小さな魔物の他に、屈強な体つきをした魔物達十数匹が控えている。
トン吉が選び出した北海道の魔物の中の精鋭たちだ。
仙台市の魔物収容所から選別した精鋭たちは、依然として全国の各都市に散らばって警戒に当たっているため、今回の作戦は北海道のメンバー中心で行わなければならないのだ。
長老はというと、連れて来た時と同様に、ベッドの上で上半身を起き上がらせてはいるが、目はうつろで中空を見つめたままで、意志は感じられない。
「そちらこそ、ご苦労さん。
どうする、ハル君たちにお願いして、一旦村へ戻るかい?」
ジミーが心配そうに、レオンたちに尋ねる。
「い・・・いいえ、だ・・・大丈夫です。
こ・・・交替で炊事の当番は回って来やすが、3度の食事も出るしれ・・・レオンに不満はありません。
神とも言える鬼たちとの決戦に対して、レレレレ・・・レオンの活躍がどど・・どれだけ出来ますか・・・わわわ・・・分りませんが・・・。」
レオンが少し震えながらも、首を振る。
「そうか、ありがとう。
大丈夫だよ、君達戦闘に向かない魔物たちは、危なくなったら封印された5階へ避難してもらう予定だから。」
そんなレオンに、ジミーは笑顔を浮かべながら深々と頭を下げる。
「そ・・そうですか。よかったあ。」
レオンも、ほっとしたようだ。
「おお、ジミーか。いよいよだな。鬼たちも、1度に攻めて来るのか、数回に分けて攻めて来るのか、想定はかなり難しい。
しかし、中部の村の長老さんの様子を見る限り、誰かが迎えに来ない限り、自ら行動を起こすことはありえんだろう。
つまり、ここに居れば必ず向こうから何らかの接触があるはずだ。
それも、そう先の事ではないだろう。」
先行してミッテランに連れてきてもらっていた、仙台市近代科学研究所の所長も、奥の方から出迎えに来てくれた。
「はい、持久戦になりそうですね。」
ジミーも返事を返す。
すると、突然大広間の奥に備え付けられた無線機から声が鳴り響く。
「ガガガ・・んきゅう連絡、緊急連絡。
こちら、奈良市の水神さん宅のトン吉ですガガガ・。
意識不明だった水神さんが突然立ち上がって、ガガ・・っていた娘さんを連れ去ろうとしました。
慌ててそれを制止したのですが、水神さんは単独で逃げ去りました。
家族に危害はガガガガ・・れませんでしたが、どこへ行ったのか不明です。ガガガ」
トン吉からの緊急連絡だ。
「こちら封印の塔のジミー。
了解しました。とりあえず、家族の方たちが無事でよかった。
これから、ハル君にお願いして、迎えに行ってもらいます。どうぞ。」
ジミーが急いで無線機に駆け寄り、マイクに向かって話しかける。
「ガガガ・・、了解・・・ガガ」
「ハル君、この間回った中の奈良市の水神さん宅だ。
覚えているかい?」
「はい、大丈夫です。とりあえず、念のため襲撃に備えて竜神様を召還してから迎えに行きます。
竜神様は神獣の竜神だから、召喚者の僕がいなくっても平気ですからね。」
ハルはそう言い残して、階下へと降りて行った。
「じゃあ、私たちも襲撃に備えて塔の外で召喚獣と共に待機しておくわ。
所長さんとレオン達は、安全の為に5階の広間で待機した方がいいわね。」
神田達が急ぎ足で階段を下りて行く。
更に、ミッテランに促されて、所長とレオンも階下へと階段を下りだした。
「緊急連絡・・・ガガガガ・・らく・・・、こちら、奈良市の馬吉・・・ガガガ・・・。」
今度は、別のお宅で待機していた馬吉からの連絡だ。
「今度はわたしね。大丈夫、場所は覚えているから、迎えに行けるわ。」
ミリンダはそう言い残して、6階大広間を後にする。
決戦の時が刻一刻と近づいてきたことが、誰の目にも明らかだった。




