88話
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月日が経つのは早いもので、瞬く間に2ヶ月が経過した。
封印の塔はじめ、家に残った重病患者たちも魔物たちが監視を続けていたが、予想通り何も起こることはなかった。
その分、ハルたちの勉強が進んだのは言うまでもない。
「じゃあ、決戦の地へと向かうとしますか。」
ジミーが校庭へ集合した面々の顔を見回しながら、号令をかける。
これから何日間も全員泊まり込みで、塔の警備に当たることが予想されるため、本日の警備担当班も一旦帰宅して、準備を整えてから集合したのである。
8月に入り、いよいよ鬼たちの活動開始が予想される時期となったのだ。
かねてからの予定通りに、鬼たちが善鬼が憑りついた中部の村の長老を、連れ出しに来るところを待ち構えて一網打尽にするため、封印の塔へと向かうのだ。
とは言っても、2ヶ月間休まずに、3日ごとに交代で寝泊まりしながら警備に当たっていたのだ。
その為、各人の手荷物は驚くほど少ない。
小さな手提げバッグ一つの者が多い。
ジミーに至っては、愛用のマシンガンと予備の弾を持っているだけの恰好だ。
「うーん、待っている時はずいぶん長く感じたけど、いざ、この時になってみると、もう少し時間があった方がよかったと思えるわね。
2ヶ月位じゃ、新たに強力な魔法を取得するという訳には、いかなかったものね。
それよりも、休日返上の勉強で頭がいっぱいいっぱいだったけど・・・。
折角急成長したのに、体の持ち腐れだわ。」
教科書が入った手提げ鞄を、無理やり持たされていると言った感のあるミリンダが、巻き髪を手櫛で整えながら吐息をついた。
すらりと伸びた長い手足が美しい。
本来ならば、ハル同様に中学校の制服を着ているはずなのだが、サイズが合わなくなったため私服だ。
本人はフリル付の、スカートの裾が広がったワンピースドレスを要望したようだったが、これまたサイズが合わず、タイトスカートにTシャツの上に男物のカッターシャツといったラフな格好をしている。
本人は動きやすくて満足している様子だが、シャツのボタンを外してTシャツの胸元がはだけているので、目のやり場に困るような格好だ。
「ミリンダは成長したし、召喚魔法が使えるようになったからいいじゃない。
僕なんか、塔で警備に当たっている時は、夕食後の時間を使ってジミー先生に稽古をつけてもらったけど、剣の腕はちっとも上達しなかったもの・・・。」
ハルは、背中に担いだ鬼封じの剣を、残念そうに軽く叩きながら唇を尖らせる。
封印の塔は5階と6階以外は使用していなかったため、その他の階は余暇目的で使用されていた。
ハルは4階を使って、剣道のけいこをジミーにつけてもらっていたようだ。
その他にも、運動不足解消用のランニングマシーンやエアロバイクなども持ち込まれている。
3階はホースゥが瞑想の場として利用していたようだ。
「俺たちは極めたぜ、初級魔法だがな。
なにせ、俺たちには塔の警備の依頼はなかったから、勝手に修行させてもらったぜ。
更に巨大な火炎や超強力な雨粒を出すことができるようになった。
師匠が光の魔法のホースゥ姉ちゃんだってえこともあるけど、へたに中級魔法を覚えようとしなかったのが、かえってよかったと思っているぜ。
習得に時間を取られて、使いこなすまでの時間がなかっただろうからな。
なにせ、お嬢ちゃんに召喚獣を取られてしまったしな・・・、ちょっとは当てにしていたんだが残念だったよ。
まあでも仕方がない、召喚者の持っている魔力が上限になるっていうんなら、より魔力が強い人間が召喚の護符を使った方が良いに決まっている。」
神尾と共に大きなボストンバッグを抱えてやってきた神田は、無精ひげだらけの顎をさすりながらにやけている。
身支度する間も惜しんで、特訓を続けていたのであろう。
そうなのだ、鬼たちとの最終決戦とも言える戦いを前にして、ミリンダが召喚魔法を使えるまでに成長したのだ。
それには、竜神の力が欠かせなかった。
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「お前たちが召喚獣と言っているものは、召喚した本人が作り出した偶像だ。
召喚者が、自身の魔法力で作り出した幻影とも言える物なのだ。
だからこそ、召喚している最中は、他の魔法が使えないし、召喚獣の能力や性格も召喚者に影響を受ける。
元々、その召喚者の能力の範囲内の事しか出来ないからな。
但し、本人が作り出しているという自覚はないのだ。
召喚獣は、それ自体が意志を持っているかのように振る舞うのでな。
実際には、作り出した本人の意識を投影しながら行動しているだけだ。
しかし、普段の生活でもそうだが、人は限界までの力を出して肉体が傷つくのを恐れ、本来の全ての力を出すことには慣れておらん。
それが出せるのは本当の危機の時、いわゆる火事場の馬鹿力と言うやつだな。
それは、魔法力に関しても同じだ。
魔力を使い果たすほどの強力な魔法を使うと、この間のハルのように意識を失ってしまうほどのダメージが反動として生じる。
そうならないように、魔力は無意識にセーブしているのだ。
ところが、召喚獣は己の肉体に関与していないから、本人の魔力に見合う分だけ召喚獣を通して最大限に引き出すことができる。
しかも、その時の魔力の一部は高みのパワーを利用しているので、本人の魔力が一度に枯渇することもない。
そういった意味で、召喚獣は最大の武器となりうるのだ。」
またまた竜神に呼び出されたハルたち面々が、夕方の校庭へと集合している。
ほんの2週間ほど前の事だ。
「高みのパワー?
ああ、ポチたちが高みで受け取っているという、全ての生き物たちの生体エネルギーの一部っていうやつね。
あたしたち普通の人間でも、高みのパワーが使えるっていう事?」
ミリンダが聞きなれない言葉に反応する。
前回竜神が来て、高みの世界について説明した時に発した単語だ。
「そうだ、高みのパワーに関しては、前回説明したから省く。
召喚獣というのは召喚者が作り出したものとは言っても、神獣に近い存在であるため、高みのパワーを少しだが利用できるのだ。
といっても、召喚獣の魔力の全てが高みのパワーで賄われるわけではない。
あくまでも、召喚者の魔力を使用するのだが、限界までの魔力を使用する際には、高みのパワーから大部分が補填されるのだ。
その為、召喚者の負担が軽減される。
召喚獣が戦う時に、あたかも召喚獣の魔力で戦っているように感じるのは、このためだ。
それでも、召喚している最中は他の魔法は使用できないといった制限がかかるがな。
本当に神獣を召喚するという事は、対する神獣と正式に契約を結ぶという事だが、容易い事ではない。
神獣に、よほど気に入られなければ叶う事のない願いだ。
なにせ、相手はまさに神とも言える高みの存在なのだからな。
しかし、もし叶えば絶大な力が手に入る。
竜神である、わしが召喚されているようにな。
わしの場合は呼び出されるだけだから、召喚する時にしか召喚者の魔法力は消費しないし、何よりも召喚している最中でも召喚者は何の制約もなく魔法が使えるというわけだ。」
「ふーん、ポチでも役に立つんだ・・・。
でも、呼び出すだけだから、いう事を聞かない時も多い訳よね。
折角呼び出しをしても断ってきたりね・・・。」
ミリンダは、前回魔法の実戦練習の時に、ハルが竜神を呼び出したのに断ったことを、未だに根に持っているようだ。
「それは、仕方がない事なのだ。
神である竜神のわしは、そう簡単に地上に姿を現すわけには行かんのだ。
召喚者が困っている時に、救いの手を差し伸べる場合に限られるのだ。
少しはわしの立場も理解をしてくれ。」
「ふーん、でもそうなると、召喚獣は召喚しないで、普通に威力のある魔法を使ったほうがいいのかしらね。
その方が、防御魔法や攻撃魔法と自由度が高いわね。」
ミリンダが小首をかしげる。
「いや、どちらが有効かと言うと、召喚獣を呼び出した方が強力な魔法は実践できる。
通常、念じる魔法一つ一つに、全て最大魔力の力を込めることは、よほど熟練した魔術師でも難しい。
しかも自身の魔力が枯渇する場合もありうる。
ところが、召喚魔法でなら召喚する時だけ最大魔力を発揮しさえすれば、召喚獣が使う魔法は全て最大魔力で発揮できる。
なにせ、召喚獣が肩代わりして、高みのパワーから魔法力を引き出してくれるわけだからな。
但し、何度も言うように召喚している最中は、召喚者は魔力の消費は少ないにしても、他の魔法は使えない状態だから、自分の魔力に見合った、攻撃力も防御力も優れている召喚獣を呼び出すことを考えたほうが良い訳だ。
召喚者が作り出すとは言っても、イメージの元となる神獣の能力に、どうしても左右されることになってしまうからな。
召喚者が、無意識のうちにそう言った制限を課してしまいがちなのだ。
うまく使うことができれば、召喚者をも召喚獣が守ってくれるようになる。」
竜神がみんなの理解度を確認するようにしながら、ゆっくりと説明を続ける。
「ああ、それで九州での戦いのときは、神田達の召喚獣は簡単に極大寒波の魔法で消えてしまったのね。
リーダーの神宮寺の召喚獣は、平気だったものね。」
ミリンダは、納得とばかりに頷いた。
「まあ、そうとも言えるが、神宮寺など鬼に乗り移られた奴に関しては、元の自我と憑りついた鬼の2つの意識が存在する。
その為、召喚獣を呼び出した後でも、残った鬼の意識の方で魔法を使う事が出来るようだ。
だから、神宮寺も仙台市の市長一派も召喚魔法を使いながら、光の障壁を使う事が出来たという訳だ。
もっとも本体の光の障壁では、召喚獣は保護していなかったから、やはり召喚者の魔力の強さで消えなかったとは言えるがな。」
竜神がミリンダの言葉の補足をする。
「そうなると、やはり召喚魔法が使えるようになりたいわね。
召喚獣であれば、ポチなんかと違って召喚者の言う事を聞かないなんてことがない訳でしょ?
なにせ、召喚者自身が作り出した物なんだから。
でも、あたしはまだ年が若いせいもあって、召喚魔法が使えないのよね。
ホースゥさんの護符を使っても出来なかったもの。」
ミリンダががっくりと首をうなだれる。
「ああ、やはり年のせいだろう。
もしよかったら、1時的にだが召喚可能な年にしてやってもいいぞ。」
竜神は突然、おかしなことを提案してきた。
「えっ?そんなことできるの?
あんたは、人の年齢を好き勝手に若くしたり、年を取らせたりできるとでもいうの?
だったら便利よねえ、永遠の若さなんかお願いできるかしら・・・?」
突然の申し出に、ミリンダは大乗り気で問い返す。
「いや、そうではない。
いかなわしでも、人に年を取らせたり、若返らせたりは出来ん。
しかし、ミリンダよ、お前の場合は特殊だ。
お前は、わしが見る限り、もう少し上の年のようだ、違うか?
少なくとも、3つは年を経ることが可能と見た。」
「あ・・・ああ、そうだったわね。
あたしは、3年もの間、鋼鉄化の魔法で眠っていたのよ。
だから、3年分年を取っていないから、今は13歳ってことにしているけど、実は16歳で高校生だっておかしくない年ではあるわよ。
でも、若く見せたくってそうしている訳では決してないんだからね。
仕方なくよ!!!」
ミリンダは、気持ちを見透かされたかのように、慌てて捲し立てた。
「いいだろう、その3年分を成長させてやろう。」
竜神が短い手をミリンダの頭上にかざすと、そこから黄色い光の束が漏れ出す。
やがてその光はミリンダの体全体を、チューブのように包み込んだ。
そうして光が治まると、そこにはスラリとした長身でスタイルのいい美女の姿があった。
「きゃあっ!」
「あくまでも、1時的だぞ。忘れるな。」
竜神は、そう言い残して天へと戻って行った。
ミリンダが着ている制服は小さく、膝まであったスカートは膝上20センチほどになり、更に上着も小さく胸のボタンを弾き飛ばしてしまうほどに、成長していた。
ミリンダは、思わず胸を隠してしゃがみこんでしまった。
その姿を見たハルは少し戸惑っていた。
元々、姉弟のように仲の良い二人であり、良く遊んだものであった。
その彼女が突然姿を消し、再開した時は昔の記憶のままの姿で現れたのだった。
それは、ハルと変わらない年齢の姿であった。
以降は、自分よりも年上であるという設定は忘れてはいなかったが、それでも一番近しい友達として、彼女を見て来たのだ。
それが、一瞬で遥か年長の姿に変わってしまったのである。
たかが3年の違いではあるのだが、このくらいの年齢での3年差は非常に大きいのだ。
「ミ・ミミミ・・・ミリンダちゃん・・・」
ミリンダを見るゴローの瞳はハートマークだ。
今にも飛びつきかねないような、鼻息の荒さになっているようだ。
「ゴロー・・・どうどう、落ち着いて。」
ミリンダがしゃがんだまま、なんとかゴローをなだめようとする。
「ふぅーすぅー、すぅーはー、すぅーはー。」
ゴローが何度も深呼吸を繰り返す。
「とりあえず、この恰好をなんとかしてえ!」
ミリンダの言葉に、ミッテランが慌ててサマーカーディガンを脱いで、肩にかけてあげる。
そうして、ミリンダはようやく立ち上がることができた。
「これで、召喚魔法を使えるようになるのかしら・・・。」
ミリンダが両足を肩幅に広げて立ち、召喚魔法の呪文を唱える体勢に入る。
「無理よ、3年成長したところで16歳じゃあ、自力での召喚魔法は出来ないわ。
でも、ホースゥさんの護符を使えば可能かもしれないわね。」
ミッテランが、そんなミリンダを制する。
「でも、護符は2枚しか無くて、ホースゥさんの分の他はミッテランおばさんが・・・。」
ミリンダが、ミッテランの言葉に肩をすくめる。
「私は大丈夫よ、何度となく九尾の狐を召還したから、段々とミケ以外の召喚獣を召還するコツが分って来たわ。
大体、竜神様の話だと私がミケを作り出していた訳でしょ。
だったら、他の召喚獣だって召喚出来るはずよ。
ホースゥさん、申し訳ないけど、この護符をミリンダの腕に貼り換えてくれないかしら。」
ミッテランはそう言うと、自身の右腕をホースゥの方に向けた。
「はい、良いですよ。」
ホースゥはそう言うと、ミッテランの腕に書かれた刺青のような黒い模様の上を、指でなぞりながら呪文を呟く。
すると、刺青はやがて1枚の紙片に変わった。
そうして今度はミリンダの左腕にその紙片を置いて、何事か呟くと、ミリンダの腕に文字のような黒い模様が刻まれた。
「はい、これで大丈夫です。」
ホースゥがミリンダの背中をポンと軽く叩く。
「よーし・・・・・、召喚せよ!!!」
ミリンダがそう唱えると、突然天空を厚い雲が覆った。
その雲の切れ間から、虹色にも見える7色の光の線が束になって回りながら射し込んでくる。
その光の束に絡み付くようにして1匹の召喚獣が下りてくる。九尾の狐だ。
しかし、ミリンダの狐の尻尾は両端が白と黒で、残りはそれぞれ虹の7色に輝いていて、色鮮やかだ。
「やったわ、やったわよー。」
この光景に、ミリンダは飛び上がって喜んだ。
「どうやら成功したみたいね。
竜神様様といったところかしら。」
「ま・・・まあね・・・。ポチもたまには役に立つと言ったところよね。」
ミリンダはそう言いながらにやけている。よほどうれしいのだろう。
「でも、ミッテランおばさんは、本当に大丈夫なの?
まあ、おばさんだったら召喚獣を呼ばなくても、強力魔法で対抗ってことも出来るとは思うけど。」
ミリンダは、ちょっぴり不安そうにミッテランの顔色をうかがう。
「大丈夫よ、それに私は呼び出したい召喚獣がいるのよ・・・。
いま、召喚するから、見てて・・・。
天と地と水と炎に宿る神々と精霊たちよ、わが願いを聞き入れ、わが手足となりて役目を果たす、使途を授けよ。
いでよ、カムイ!!!」
ミッテランが両手を天空に突き上げる様にして広げ、叫ぶ。
「カムイって・・・、あの伝説のこの地を守る守護神の事?
確か、オオカミの姿で現れるって・・・。」
ミッテランの召喚呪文を聞いて、思わずミリンダが呟く。
「ウォーン!!!」
垂れこめた雲の切れ間から差し込む光と共に現れた召喚獣は、校庭上空へと降り立ち遠吠えに似た鳴き声を上げた。




