82話
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「これで、布に書かれていた文字の大半は解読できたわけだ。
封印の儀式に使う祝詞も分かったので、早速鬼の玉を封印することにしよう。
崩し字に関する資料も少ない中、ご苦労だった。」
仙台市近代科学研究所で、研究員がまとめたレポートを読み終えた所長は、担当研究員をねぎらった。
白衣姿の研究員は、何でもありませんよとばかりに軽く会釈をすると、そのまま退席して行った。
窓の外には、ようやく日が昇り始めて、辺りが白見かけてきた時刻である。
先の鬼たちとの決戦で辛くも勝利し、全ての鬼の玉を集めることができたため、封印する方法を明らかにしようと、葛籠の中に入っていた布に書かれた古文書の解読を、急ピッチで進めて来たのである。
まさに不眠不休の作業であった。
「ふぁ、もう朝か。
ずいぶんと時間がかかってしまったが、専門知識を有する人間もいない中で、よくやった方だと思うよ。
皆だって納得してくれるだろう。
定時連絡まで、まだ少し時間があるな。
一旦家へ帰って、着替えてくるとするか。」
所長は自分の席からおもむろに立ち上がると、エレベーターホールへと向かい、階上の自宅の階のボタンを押した。
決戦の日から既に1ヶ月以上経過していて、季節は既に初夏の様相を呈していた。
一方こちらは、6月に入ってもまだまだ暑いというには程遠い北海道は釧路。
『ガラガラガラガラ』いつものように、教室のドアを開けてジミー先生が入ってくる。
「起立!気を付け!礼!」
ハルの号令の下、生徒たちは一斉に立ち上がり挨拶をする。
『おはようございます。』
「おはようございます。
今朝の定時連絡で所長から報告があった。
ようやく、葛籠の中に入っていた布に書かれていた文字の、解読作業が終わったそうだ。
と言っても、全ての文字が読めて、全ての文章を把握できたわけではない。
8割程度の解読だが、それでも鬼の玉を封印する方法は解読できたので、いよいよ封印の儀式を執り行う準備を進めるそうだ。
これには、封印の場所として中部の村にも協力してもらわなければならないから、向こうとも連絡を取って計画を立てる必要がある。
だから、今日明日と言う訳には行かず、大体2週間後くらいを考えているらしい。」
ジミーが、今朝の定時連絡で仙台市の所長から説明を受けた話を、ハルたちに説明する。
当然のことながら、封印の儀式にはハルたちにも参加してもらわなければならない。
中部の村までの移動手段として瞬間移動が必要なのはもとより、初めてのしかも数百年以上前の儀式を執り行うため、何が起こるのか予想も出来ない。
不慮の事態に対応するためにも、彼らの力は必要とされているのだ。
「へえ、結局あの布には何が書かれてあったの?」
ミリンダが興味津々といった風に尋ねる。
「ああ、おいらも今朝所長から簡単に聞いただけなので、詳細は別途報告してもらうつもりだが、簡単に言うとあの布には、鬼たちを玉に封じ込めることができたという事と、その玉から鬼たちが出てこないように剣と共に封印するという事が書かれてあった。
あの玉は、当時の最高峰の職人が磨き上げた水晶球で、その玉に徳の高い坊さんが数年かけて念を込めたものらしい。
それだけでも封印の効果はあるのだが、完全に動きを封じるために更に葛籠に封じたという事だ。」
「へえ、人間を玉に封じ込めるなんて言う事が、遠い昔には行われていたという事ですか?
ゴローさん、知っていました?」
ジミーの説明に、ハルが反応した。
「いや、いくらなんでも生身の人間を玉の中に封じ込めるなんてことは、昔でも今でも無理だと思うよ。」
ゴローは小さく首を振る。
「簡単に言うと、魂を玉に封じ込めたという事なのかもしれないけど、それだって非常に難しいよね。
どうやら、あの鬼たちは人間ではないようだ。
また、動物とか今でいう魔物とも違う。
何か得体のしれないエネルギー体の様で、それ自体が意志を持っているという事のようだ。
その入れ物として水晶玉を使い、封じ込めたという事だね。
つまりは実態があってないような存在で、非常に厄介な相手だったようだ。
まあ、このエネルギー体ってところは、書いてあった意味不明な言葉から所長たちが見出した結論のようだけどね。
何でも、そのエネルギー体は、人の形になったり巨大化したり姿を自在に変えることができたそうだ。
その為、刀などで切り付けても、傷も負わせることができなかったと書いてある。
だから、封印するしか方法はなかったという訳だね。」
ジミーが所長から受けた報告の内容を話す。
「ふうん・・・・、意志を持ったエネルギー体・・・・・。
そんなものがあるのですか。
でも、確かに人間ではないというのは感じられます。
人間だったら、魂だけになったら生きていた時の事は覚えていないでしょ。
だから、生まれ変わった時に前世の記憶がないですよね。
魔物達だって、うっすらと人間だったときのことを覚えている者はいるけど、意識できるほどではないと思います。
それが、玉に封じ込められた後でも意志を持って、何かをしようとしているのですから。」
ハルがジミーの言葉に頷く。
「そうね、玉のままでも人に乗り移って操っていたものね。
あんな形になっても意識があるって事よね。
玉に封じ込められてしまったから、自分では形を成すことができずに、死んだ人に乗り移って動かしていた訳でしょ、まさに憑りつくと言った感じよね。
でもそれじゃあ、あの玉から鬼たちが解放されてしまったら、今よりも格段に強くなっていたっていう事?
そうなったら、手が付けられなくなるわね。」
ミリンダが恐ろしいものでも見る様に、少し寒そうに体を縮める。
「そう言う事になるかな。
鬼たちがやろうとしていたことは、まさに封じ込められている玉から解放されようとしていたのかもしれないという事だ。
だから、そうなる前にもう一度葛籠の中へ封印してしまおうという訳だ。
全ての玉を集めることができて良かったよね。」
ジミーは鬼たちが人々を操って、騒動を起こそうと画策していたことを思い出して、今更ながら安堵のため息をついた。
数日後・・・・
「えー、言葉の語源を理解することは、その言葉の真の意味を把握することに役立つ。
有名な例でいうと、矛盾という言葉は、中国の故事から由来しているが、武器商人が矛・・・つまり槍の先端のような両刃の武器で、剣に近いものだが・・・を売るときは、この矛は鋭いからどんな盾でも突き通すといい、盾を売るときには、この盾は非常に頑丈だから、どんな矛でも弾き返すと言って商売していた。
ところがある時、盾も矛も両方買いたい客が来て、いつもの売り口上を聞いた後、じゃあ、この矛でこの盾をついたらどうなるんだい?と聞かれて、返事に困ったということから、つじつまが合わないと言った意味で用いられるね。
余談ではあるが、煙草なんて漢字は、外来語であるタバコという音に煙を出す草と書いた字を当てた、まさに当て字だ。
中には、深く考えるとちょっとおかしいのでは?と感じる言葉もある。
おいらがいつも疑問に思っているのは、名前と名字という言葉だ。
名前と言うのは名の部分・・・つまりおいらで言うと見一を指すだろう。
名字と言うのは姓の部分を指すから・・・・おいらで言うと高地だね。
まあ、名前は?なんて聞くときは名字も含めて聞いていることもあるけど、名字と名前と分けて言う時はこんな意味だよね。」
ジミーが自分の氏名を黒板に書きだした。
「それのどこがおかしいの?」
ミリンダが、何を言っているのか分からないと言った表情をする。
「名前と言う場合、名と言うのはおいらで言うと見一だけど、その名の前だから実は名前と言う言葉が姓の部分を表すんじゃないかと感じないか?
そうすると、名字は名の字だから、そのままズバリ名を指すと考えると、意味が逆になっているんじゃないかとも取れる。
つまり、本当は名前が姓の部分を指し、名字が名の部分を指すという事。
実際には、名字は苗字とも書くから、一概には言えないけどね。」
ジミーは自信たっぷりに話す。
「ふうん、まあそうとも取れるわね。」
対するミリンダは疑いのまなざしだ。
「その他にも、伝来元である中国から伝わってきた漢字に由来する言葉も多数ある。
豆腐なんて言葉は、まさにその通りで、豆を腐らすと書く。
ところが、普段口にしている豆腐は、別に腐った食べ物ではない。」
「豆腐は釧路でも作っているから知っているわよ。
大豆はいまでも北海道で取れるから、貴重な食材なのよ。
道内のコロニーは釧路が電化されることを受けて、この地に統一化されることになったけど、農地を持ってくることは出来ないから、未だに通いで近場のコロニーへ出向いて農業をしているもの。
老人ばっかりだから、瞬間移動は出来ないけど、仙台から持ってきてくれた車とトラクターと言う農機具を使って、今では大々的に農作業をしているのよ。
豆腐は、おみそ汁の具材になんかして、あたしも大好きだけど、それがどうかした?」
ジミーの問いかけに対して、ミリンダは明るく答える。
「納豆はどうだ?
仙台市の食堂で食べたことがあるだろ?
あの臭い食べ物・・・と言っても食べなれるとおいしいんだよ。」
「ああ・・・・、あれね。」
ミリンダは、仙台市のビュッフェ形式の食堂で見つけた、ちょっとにおいのする食べ物について思い出していた。
「豆腐は中国からずうっと昔に伝わってきた食べ物で、豆乳を絞ってにがりを加えて型枠に流し込んで作る食べ物だ。
まさに豆を型枠に納めていると感じないか?
対する納豆は発酵食品だから、豆を腐らせているとも取れる。
つまり、長年の生活の上で、言葉が逆になってしまったんじゃないかと感じている。」
「ま・・・まあ、そうとも言えるわね。」
ミリンダの表情に少し戸惑いの色が見える。
「そうだろう?
ところが、豆腐に関しては沖縄って地方に伝わっていた豆腐ヨウのように、伝わった当初は発酵食品だったんじゃないかとも考えられる。
昔の日本の最南端だった島だね。
納豆に関しては、日本で作られた食品のようだし・・・。
どうも、豆腐は漢字発祥の地の中国でも豆腐のようだし、納豆は日本のもので最初から納豆だったようだね。
まあ、豆を腐らすという発想から豆腐の文字を考えたけど、既に使われていたから納豆になったのかもしれないがね。
ただ・・・、名前に関してはおいらも納得はしていない。
何かわかったら教えてくれ。」
ジミーは、言葉の関連を簡単に黒板に書きながら説明して見せた。
「ふうん、まあ自分で色々と解釈するのは勝手だろうけど・・・ご苦労様ね。
でも、名字ねえ・・・・うちは三田だけど・・・。
ゴロー、ゴローの名字は何なの?」
「僕?僕は生まれてこの方ずっとゴローで、名字や名前っていう感覚はないけど・・・。」
ミリンダの質問に、ゴローはいつものようにやさしく答える。
本来ならば、ゴ・ローのはずだが、悠久の時を経てそんなことは記憶の彼方へ行ってしまったようだ。
「そう言えば・・・ハルは?
ハルって・・・名字は・・・?」
ミリンダがそう呟いた時、急に辺りが暗くなった。
窓の外へ目をやると、つい今しがたまで射し込んでいた日差しが嘘のように途切れ、満天の青空だった空が厚い雲に覆われている。
その雲の切れ目から一筋の木漏れ日のような光が差し込み、段々と太くなってはっきりとしていく。
その光にまとわりつくように、長く巨大な糸が渦を巻くようにゆっくりと降りてくる。
それは、竜神であった。
「ポチ?ポチじゃないの。
呼ばれていないのに、普段は呼んでも来ないあんたが、一体どうしたっていうの?」
外の異変に慌てて駆け寄ってきたミリンダが、教室の窓から顔を出して、上空を見上げながら叫んだ。
「い・・・いや・・・実はなあ・・・。」
対する竜神はもじもじとしていて、歯切れが悪い。
『ガラガラガラガラ』丁度その時、教室の扉が勢いよく開かれ、かわいらしい少女のような顔立ちの女の人が駆け込んできた。
「き・・・緊急連絡が入っています。
ジミーさん、急いで無線室へお願いします。ハア、ハア、ハア。」
息も絶え絶えのアマンダが、ようやく告げる。
よほど急ぎの用事なのであろう。
ジミーはただならぬ様子に急いで教室を出て、無線室へと駆けて行った。




