74話
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「こちらこそ、よろしゅうに。」
「でも、少し早くはないですか?」
所長たちの会話の最中、しばし考え込んでいたジミーが、難しい顔をして問いかけてきた。
「うん?早いとは一体どういう事だ?」
所長は、ジミーの言っていることの意味が分かりかねている様子だ。
「京都の山間の集落の雨は、今年の初めから降り続いていると言っていましたね。
大阪の地震も最近多くなったと先ほど言っていましたが、いつくらいから頻発するようになったか覚えていますか?」
「えっ?地震でっかいな。
ええーっと・・・、昨年の暮れ位からですかなあ。」
ロビンが宙を見つめる様にして、思い出すように答える。
「そうか、鬼の玉が消えてからの期間か。
昨年の9月末から消え始めたという事だったが、鬼たちの行動が昨年末から今年の始めには始まっていたとすると、3ヶ月後には行動を開始しているという事になる。
ふうむ・・・、鬼によって玉が消えてから行動するまでの期間が異なるのか・・・。」
所長も腕を組み、考え込む。
「こうは考えられないだろうか。
人に乗り移っただけでは、いかに鬼といえどもすぐに大きな行動を起こすことはできないだろうから、まずは周囲の環境を整えようとする。
九州では神宮寺が一緒に移住してきた人々の不満に乗じて、立ち上がろうと先導したり、北の村では長老が村人たちを洗脳して思い通りに動かしたり、どれも鬼が乗り移ったからと言って、すぐに出来る事ではなかったろう。
乗り移られた人の目が光って、その目を見た人を操れるとしても、1回の洗脳では4時間程度しか効果がないことを考慮すると、基本的には大義名分を唱えて自分に従う人々を増やして行き、少数のサブリーダーたちと反対する人間たちを洗脳していくと言った方法を用いるだろう。
その期間として、巻き込む人数規模にもよるだろうが、1〜2ヶ月かかるとする。
つまり、鬼の玉が消えてから人に乗り移るまでに2〜3ヶ月間、人を巻き込まず単独で行動するなら、このまま活動し、周りの人を巻き込む場合は、それからさらに1〜2ヶ月間かかるといった、半ばこじつけ気味だがこれである程度の理論づけが出来る。
実際には、玉が消えた時点ですぐに人に乗り移っているのかも知れんが、最短でも2ヶ月間は動きがないという事は考えられるんじゃないか。」
「そうなると、残る一つの玉も、既に人に憑りついていると考えたほうがいいですね。」
ジミーが所長の話に相槌を打つように、頷く。
「ああ、そう言う事だろう。
今回逃げた2体の鬼と、未だ水面下で正体を明かさない鬼と、どうやら今回は3体と戦わなければならないという訳だ。」
所長は尚も腕を組んだまま唸る。
「えらいことですなあ。
至急、3都市の市長さんたちにはこの話を伝え、米軍の協力も仰ぎながら、警戒態勢を強化していきます。
派遣されてきている魔物たちも、地域の魔物たちを取り込んで数を増やして行っているようです。
小さな異常も見逃さない体制を大至急、構築いたします。」
ロビンは姿勢を正し、踵をぴったりと合わせて敬礼をした。
「これから一層連絡を密にして、協力体制を取って行きましょう。」
そんなロビンに、所長はやさしく答えた。
その後ロビンと分れ、一行は仙台市へと瞬間移動した。
既に、日も高く昇っていた。
「あーあ、疲れたわ。今日は1日ご苦労様。
ホースゥさんが山側に居てくれて、もしもの時は光の障壁で守ってくれると安心できたから、地滑りが起きそうなギリギリのところまで踏み込んで行けて、効率よく対処できたわ。
集中していると、瞬間移動が間に合わない場合があるものね。
それにしても、お昼ご飯って言っても、差し入れてくれたおにぎりを、魔法をかけながら食べただけだもの。
味なんか、まったくわからなかったわよ。
昼間中、極大火炎の魔法をかけ続けたのよ。
これだったら、学校で勉強していた方がましだったわ。
学校だったら休憩時間があるだけましよ。」
ミリンダがぶつくさと不平を言いながら、ホースゥと共に宿の部屋へと帰ってきた。
「でも、緑に囲まれた良い空気を味わいながら、外で食べるお昼ご飯というのは、とてもおいしく感じました。
おにぎりの中に入っていた、漬物・・・ですか?塩漬けの食べ物も大変おいしかったです。
それに、ミリンダさんの魔法で温められているから、真冬だというのに、今日1日だけでも草木が芽吹き始めました。
この調子なら、帰る頃には花が満開ですよ。楽しみー。」
不平たらたらのミリンダに対して、ホースゥは楽しそうですらある。
「相変わらずの、ポジティブ思考ね。
周り中雪景色の中で、満開になってしまった花たちは、堪ったもんじゃないと思うけどね・・・。」
そんな会話を交わしながら、部屋の扉を開ける。
『お疲れ様ー』
部屋の中には、ジミーとハルが待ち構えていた。
「えっ、一体どうしたっていうの?」
驚いたミリンダが叫ぶ。
「いやあ、あの後もう1体の鬼がいて、結局逃げられてしまったんだが、朝になってしまってねえ。
釧路へ帰って仮眠をした後、どうせならミリンダちゃんたちと課外授業をすることにしたんだ。」
ジミーが笑顔で答える。
「えーっ、今日一日魔法をずっとかけ続けてくたくたなのに、これから勉強なのー?」
ミリンダが頭を抱えて蹲る。
「疲れているのは、みんな同じだよ。
僕だって、今日はほんの少ししか寝ていないし・・・。さあ、勉強、勉強。」
ミリンダは、ハルが差し出した教科書を渋々受け取る。
「でも・・・、あたしだって瞬間移動は出来そうだなって思ってはいたけど・・・、こうやってみんなが押し掛けてくるくらいなら、夜になったら釧路へ帰ったっていいんじゃない?」
ミリンダは尚も授業が始まるのを渋っている。
「ゴローさんの復活は当分先だろうし、ホースゥさんもこっちに居る。
だったら、夜にまとめて授業を行ったほうがいいという事になったんだ。
それでも、ミリンダちゃんの家へ押しかけて行って授業をしたとしても、落ち着いて勉強できないだろう?
こういった、普段とは違う環境で勉強するのもいいもんだよ。
ハル君には申し訳ないが、昼間は各地を回って異常事態が発生していないか、常にチェックする事にした。
鬼たちがいつまた行動を起こすか分らないからね。
といっても、1〜2週間で各地の厳戒態勢も整うだろうから、それまでの期間だけだけどね。」
「各地に派遣されている、魔物さんたちを訪ねて近隣の魔物たちの編成状況を確認していくんだって。
ジミー先生も一緒に行って、部隊の編成方法など指導するみたいだよ。」
ハルは、各地の警護に当てられている魔物たちの元を訪問するのを、楽しみにしている様子だ。
「さあ、まずは夕食前の勉強開始だ。まずは、国語。」
「げげえっ!か・・・帰りたいー!!!」
授業の後の夕食は、日本海の幸をふんだんに盛った海鮮料理だった。
「こんな晩御飯を食べられるのなら、ここへ泊るのも悪くないわね。」
ようやく、ミリンダの機嫌も直ってきた様子だ。
そんな毎日を2週間ほど続け、山間の土砂もほぼ乾燥して危険はなくなり、住民たちが戻れるようになって、ミリンダもお役御免となる日が来た。
案の定、山の片面だけ桜が満開となってしまった。
避難命令が解除されて戻ってきた住民は、花見がてらの宴会で盛り上がっている。
「ありがとうね、ミリンダちゃん。
北海道のみんなに会えなくて、寂しかったやろ。
みんなにも、よろしくなあ。」
ハルとジミーが毎日課外授業に押しかけてきていたことを知らないロビンは、見知らぬ遠い街に長い間小さな女の子が残ってくれたことを深く感謝していた。
「はい、ロビンさんも元気でね。」
そう言い残して、ミリンダとホースゥの姿は中空へと消えた。
あとで、ロビンの元にはなぜか旅館の夕食代として4人分の請求書が回ってくるのだが、成長期の女の子2人がよほどの大食いだったのだろうと考え、うまく処理をしてくれた。
それからしばらくの間は、表面上は何事もなく平和な日々が続いた。
時は既に4月を迎え、ハルたちの生活にも変化が起ころうとしていた。
そうなのだ、小学校を卒業して中学生になるのだ。
中学生と言う響きはハルたちを少し大人になった気分に変えさせた。
事情があってクラスメイトでいる、ゴローやホースゥを除いて、ハルたちがこの学校の生徒たちの中で最上級生であることに変わりはないのだが、それでも小学校から中学校へ進学したことによる気持ちの違いは明らかのようだ。
ハルもミリンダも、今日からはランドセル(ランドセルの形をした布製のリュック)ではなく、支給された手提げ鞄を持って、学校へと向かった。
「お・・おはよう。」
ハルが校門へ着くと、珍しく既にミリンダは到着して校門で待ち受けていた。
いつもなら時間ぎりぎりになって慌てて登校してくることが多いのだが、この日ばかりは違っていた。
真新しいセーラー服に身を包んで、少しはにかみながらハルに挨拶をしてきた。
ハルも学生服に身を包んでの登校だ。
仙台市から支給された入学セットには、ハルやミリンダの体型にピッタリのサイズの通学服が準備されていたのだ。
「おはよう、ミリンダ。今日から中学生だね。」
「うん、そうよ。大人への第一歩ね。」
二人とも、お互いの格好を眺めて少しほくそ笑みながら、ゆっくりと歩いて教室へと向かう。
勿論今までと学校が変わる訳でも、教室が変わるわけでもない。
担任の先生であるジミーもそのままに、ハルたちがいつも授業を受けていたそのままが中学校と切り替わるだけだ。
教室に着いて少し経つと、ゴローやホースゥが登校してきた。
「ええっ!二人ともどうしたんですか?
制服は支給されませんでしたか?」
ところが、いつもと変わらぬ服装の二人に、驚いてハルが尋ねる。
「いやあ、僕も中学生になるから学生服を支給しようかと、ジミー先生に尋ねられたのだけど、このタキシードにマントの恰好は僕のトレードマークだからね。
私服とはいえ、これが僕の制服さ。
そう答えて、学生服の配給はお断りしたよ。」
そう言いながら、ゴローは明るく笑った。
「ミリンダちゃんのセーラー服姿は・・・似合いすぎて怖い・・・。」
その後、ミリンダの制服姿に目を止めたゴローは、眩しそうに目を細めながら見つめている。
「ホースゥさんはどうなの?
権蔵じいさんが制服を渡すのを忘れた?」
ミリンダはゴローを無視して、心配そうな顔つきでホースゥの姿を眺める。
ホースゥもゴロー同様に、権蔵の家に厄介になっている身の上なのだ。
「私も、この服装が修行着です。
まだまだ修行中の身ですから、この服装を変えるつもりはありません。
支給されたセーラー服は大変かわいらしくて魅力的でしたが、着るのはあきらめました。」
対するホースゥは少し残念そうにうつむき加減で答えた。
「へえ、もったいないわね、制服似合いそうなのに。」
ゆったりとした薄い布地で出来た、上着と袴姿のホースゥを見て、背は低いがそれなりに均整のとれたスタイルをしていると見ぬいているミリンダは、残念そうにため息をついた。
「おっはよう。」
丁度その時に、ジミーが教室へとあらわれた。
『おはようございます。』
全員が挨拶を返し、礼をする。
「今日からみんなも中学生だ。
教室は同じでも、今までとは違い半分は大人のような立場だから、責任を持った行動をとる様心がけるようにね。
まあ、ゴローさんとホースゥさんは既におとなだから、余計なことだけれどもね、ハル君とミリンダちゃんは、心して生活するように。
また、今後は少しずつだけど授業の内容も専門的になってきます。
その為、科目ごとに先生が変わることがあるけど、どの先生の授業でもきちんと真面目に聞くようにね。
担任であるおいらの責任でもあるので、きちんと守ってくれよ。
ちなみに、おいらは数学と国語の授業を受け持ちます。
アマンダこと天田先生が、科学と保健体育で、土田先生が社会と道徳の担当。
あっそうだ、体育もおいらが担当します。
中学になっても、よろしくね。」
ジミーは少し照れながらも、明るく笑って挨拶をした。
「ジミー先生は算数と国語と体育が担当だって。
大方、他の先生で担当できない部分を全部押し付けられたんでしょ。
大変よねえ。」
そんなジミーの姿を見て、ミリンダがハルに小さな声で囁く。
「こっちに派遣されてきている先生は5人だけで、そのうち2人の先生は低学年の生徒を担当しているから、実質中学以上の授業を担当できるのは3人の先生だけだからね。
色々な科目を一人の先生が担当するのは仕方がないよ。
それよりも、科学の授業が楽しみだよね。いろいろな実験もするらしいから。」
そんなミリンダに対して、いつものようにハルはやる気満々な様子である。




