60話
7
「村の中には、人影はなさそうね。」
トン吉たちの報告を聞いていたミッテランが、遠くからジミーたちに声をかけてきた。
「ええ、この家にいる2人だけの様です。
どうやら、この先にある湖へ行かせたくない事情があるようなので、そこへ向かって見ましょう。」
ジミーも大声で答える。
ミッテランはトン吉たちを呼び集めて、ジミーたちの方へと歩き出した。
一行は、村の中を通り過ぎて西の方向へと歩き出す。
「しばらく行くと、この村の水源でもある湖へ出ます。
といっても、ただ水がきれいなだけで、なにもないところですけどね。」
ジミーが先頭に立って、みんなを案内する。
人の行き来は頻繁にあるようで、土が露出した道が林の奥の方まで続いている。
30分ほど歩くと木立が途切れ、見晴らしの良い空間へと出た。
背の低い草が生い茂った、水辺の空間のようだ。
「な・・・、何をしているんだ?」
ジミーは目の前の光景を、信じられないと言った表情で、茫然として見つめた。
何百もの魔物たちと人間が、ゆっくりと歩きながら湖の中へと進んで行っているのだ。
泳いで対岸へと向かおうとしているのではない。
対岸は遥か遠くで、靄がかかって見ることは出来ない程の距離だ。
誰もが泳ごうともせずに、ただそのまま歩いて進んで行き、そのまま沈んで行っているようだ。
「や・・・やめろー!」
ジミーはそう叫ぶと、湖の中へと入って行って先頭集団を押しとどめようとした。
しかし、先頭を進む魔物たちの目はうつろで、ジミーの声は届いていない様子だ。
尚も引き留めようとするが、腰までの深さが段々と押し込まれて、胸のところまで水に浸かるようになってくる。
その時、ジミーの背中の水面が、突然うず高く盛り上がった。
「危ない!」
寸でのところでハルが瞬間移動すると、ジミーの体を捕まえ、そのまま岸へと瞬間移動で戻って来た。
それは、大きなモミジの葉っぱのような塊であった。
いや、よく見ると指の間に薄い膜が付いた手の様でもあり、緑色をしたそれは、やがてゆっくりと水面から上がってきた。
その正体は、身の丈十メートルは優に超える、巨人であった。
両手の指の間には水かきのような膜が張っていて、猫背の背中には大きなカメの甲羅のような物が付いている。
禿げあがった頭に、ぎらぎらと光る赤い目、くちばしのように尖った口は、両耳まで大きく裂けているようだ。
「河童だわ、どうやら河童を召喚したようね。」
ミッテランが天を仰ぐように河童の姿を見上げながら叫ぶ。
「とりあえず、湖へ沈んで行っている魔物たちを何とかしないと。」
ジミーが助けてくれたハルに少し会釈をして、ミッテランたちを促す。
「モンブランタルトミルフィーユ・・・・・極大寒波!!!」
ミリンダの魔法で、周りは一瞬で雪景色に変わる。
湖も凍りつき、魔物たちもそのまま凍ってしまった。
「長くは続けられないわよ、いくら魔物達でも、あんまり長いと凍死してしまう。
そうね、30分が限度かしらね。」
ミッテランが、その様子を見ながら心配そうに呟く。
『ガラガラガラガラ』氷を引き裂いて、緑色の巨人は、立ち上がった。
どうやら、河童には極大寒波の魔法は効果がない様子だ。
「ミッテランおばさん、ミケを、ミケを召喚して。」
ミリンダが、極大寒波の魔法の力を込めながら叫ぶ。
「ミケ?ミケは駄目よ。あの子は水が嫌いだもの。
生きている時の事だけど、泥だらけで帰って来た時に、お風呂へ入れるのにどれだけ苦労したことか・・・。」
ミッテランは、懐かしい昔を思い出すように呟く。
「天と地と水と炎に宿る神々と精霊たちよ、わが願いを聞き入れ、わが手足となりて役目を果たす、使途を授けよ。いでよ、ポチ!」
ハルがミッテランに変わって召喚魔法を唱える。
辺り一面を覆い尽くすように垂れこめた雲の隙間から差し込むような一条の光。
やがてその光の線が太く変わって行き、その光に巻き付くようにして巨大な竜が舞い降りてくる。
竜神の登場だ。
竜神は、ハルたちの頭上で河童を睨みつける様に対峙した。
「ポチと言う呼びかけは、何とかならんものかな。」
「なによう、なんか文句がある訳?」
竜神の言葉に、ミリンダが反応する。
自分の体より、何十倍もの大きさの竜神相手に、一歩も引かない構えだ。
「分りました、次からは竜神と呼びます。
いいですか?」
対するハルは、とりあえずこの場をしのごうと答えた。
「お・・・おお、すまんな。次からはそうしてくれ。」
竜神はそう言うと、咆哮を一発河童に浴びせる。
すると河童の体は、膨らみきった風船が破裂するがごとく、一瞬で砕け散った。
「これはこれは、竜神様のお出ましか。
召喚獣ではなく、本物の竜神の様子だな。
なぜ、我の邪魔をする。
天界の規約を破るつもりか?」
赤ら顔で、禿げあがった頭の老人が、砕け散った河童のいた場所から不意に現れた。
昨年出会った時には、腰も大きく曲がり、杖を突いていたはずだが、今は腰もシャンと伸び、しっかりと2本の足で立っている・・・いや、凍った湖面の少し上に浮いているようだ。
その姿は、まぎれもなく北の村の長老の姿であった。
よく見ると、右足の甲の所にキラキラと輝く丸いものが付いている。
「お・・・お前は・・・右足鬼!そうか、一連の騒動は、全てお前たちの仕業か。
では、あの玉のかけらも・・・・。」
長老の出現に、竜神も驚いている様子だ。
「右足鬼って誰?」
ミリンダが、小首をかしげる。
「それよりも、天界の掟を知らんわけではあるまい。
我の邪魔をするな・・・。」
長老は両手を胸の前で組み、目をつぶって祈る。
「○△□■※※△!!!」
「ギャース!!!」
すると先ほど同様、河童の形をした召喚獣が、もう一度召喚された。
「召喚獣であれば、何度でも召喚できる。
いま、こいつを天に昇らせるところだ。邪魔をするな。」
長老は、そう言い放つと、下方を注視した。
すると、右足の甲の玉が輝くような光を放ち始め、一面の氷は全て溶け消え、元の湖に戻ってしまった。
「えー、じゃあもう一度・・・モンブランタルト・・・」
「止めて置け、無駄だ。ふんぬ!」
ミリンダが極大寒波の魔法を唱えようとするのを竜神は制して、気合を込めて河童へ向けて息を吐いた。
すると、またしても召喚された河童は砕け散ってしまった。
「な・・・なにを・・・。」
それを長老は、茫然と見つめている。
「我らは互いの干渉先を不可侵とするのが取決めだ。
そんなことは承知している。
しかし、ここに居る村人たちも、魔物たちもわしが関わっている人間たちの仲間の様子だ。
彼らとの関わり合いは、多分お前よりも長いはずだ。
その彼らの仲間の障害になるようなことは取り除いてやるのが、わしの役目という訳だ。
つまり、お前の方がわしの領域に干渉してきていることになる。
無駄な事は止めて、ここから出て行け。」
竜神は、悪びれずに答える。
「ふん!ならば仕方がない。
多少の事には目をつぶろう。
しかし、貴様たちには最早どうしようもないはずだ、もうすぐ十分な魂が手に入るのだからな。」
長老の言葉通り、氷の融けた湖には引き続き魔物たちが次々と沈んで行っている様子だ。
「フレン・ドアスカメッセ・・・至極暴風雷撃!!!」
ミッテランが長老の体を吹き飛ばすほどの強力な魔法を唱える。
しかし、それは長老の体に達する前に、弾かれてしまった。
「魔法が効かない・・・。」
ミッテランが唇をかむ。
「ちょっと遠いが、当たりさえすれば・・・。」
『ガガガガガガ・・・』ジミーが少し上向きの狙いで、マシンガンを操る。
しかし長老の体の周りに、見えない壁でもあるかのように、全ての玉が弾かれてしまう。
「煉獄の炎弾もだめか・・・。」
ジミーは、がっくりと肩を落とした。
「ポチ、奴をやっつけて!」
ミリンダが上を見上げながら叫ぶ。
「駄目だな、わしは奴を攻撃できない・・・。」
しかし、竜神は及び腰の様子だ。
「こ・・・怖いの?そんな大きな体をして・・・向こうは断然小さいのに・・・。
それとも何か弱みでも握られているの?」
ミリンダが、上目づかいで心配そうに尋ねる。
「ちがーう!!!わしらが戦うという事は、星をも壊しかねん戦いにまで発展することになる。
だから、絶対に戦いは避けねばならんのだ。」
竜神は仕方なさそうに首を横に振る。
(おい!俺様を抜け、早く!!!)
突然ハルの頭の中に、声が響き渡る。
驚いてハルは、辺りをきょろきょろと見回すが、誰もハルの方を向いてはいない。
(俺だ、剣の精だよ!早く抜け!)
頭の中の声は、なおも続く。
その声の通りに、ハルは腰の剣をゆっくりと引き抜いた。
(よーし、先ほど若い男を湖の中から助けてきたように、あの老人の所まで一気に移動できるな?)
「うん、本当は出来るけど、今は無理。
だって召喚獣を呼び出している間は、他の魔法は使えないんだって。
いまは、丁度竜神様を召喚している最中だから駄目だよ。残念だったね。」
ハルは、誰に答えるでもなく、頭の中の声に向かって話した。
(その心配には及ばない。あいつは竜神であって召喚獣ではないから、召喚されてしまえばお前の魔力は一切使ってはいない。
だから、魔法は存分に使える。なら大丈夫だろ?)
頭の中の声は尚も話しかけてくる。
「だったら大丈夫だけど・・・・、長老さんの所まで飛んで、どうするの?
こんなことは駄目だって説得する?
うん、いいね、そうしよう。」
ハルはそう言いながら身構える。
(ちょ・・・ちょっと待ったあ!
あの老人は鬼の手先と化していて、説得になんか応じるはずはない。
鬼が乗り移っているんだ。
だから、すぐ近くまで行き着いたら、すぐにたたっ切るんだ。
普通の刀などではかすり傷も負わせることは出来ないが、俺様なら大丈夫だ。
一刀両断にできる。)
「えーっ、駄目だよう。
そんなことしたら、長老さん死んでしまうじゃない。絶対に嫌だ!」
ハルは、頬を膨らましてそっぽを向いてしまった。
(ば・・・馬鹿だなあ、さっきから何の話しを聞いていたんだ?
北の村の長老は、既に死んでしまっていたんだろう?
だから、あれは死体だ。既に死んでいるんだから、これ以上死ぬこともない。
それよりも、成仏させてやることが、供養になる。
だから、たたっ切れ!)
頭の中の声は、尚も強い口調で捲し立ててくる。
「いやだ、じゃあもう仕舞うね。」
ハルはそう言いながら、剣を鞘に収めようとする。
(いや・・・ちょ・・・ちょっと待て待て!
おじさんが悪かった。だから鞘にしまうのだけは、もうちょっと待ってくれないか?
いいだろう?)
頭の中に響く声は、突然やさしい口調に変わった。
「まあいいけど、長老さんを傷つけるようなことは、絶対に嫌だからね。」
ハルは口を尖らせながら、鞘におさめかけた剣を、再び持ち替えた。
(悪を退治することに、慣れていないんだなあ・・・・。
じゃあ、こうしよう。少し練習だ。
ここから、あの老人の所まで、どれくらいの距離がある?)
頭の中の声が突然問いかけてきた。
「距離?うーんと、ずいぶん遠いよ。50m位かな?
大きな声を出して、ようやく声が届くくらいの距離はあるよ。」
(おお、そうだな。それに対して、俺様の長さはどれくらいある?)
「俺様って、この剣の事?持つところも含めて80センチくらいだねえ。
でも、どうして?」
(いま、ここで剣を振ったら、あの老人に当たるかなあ?)
「ぷっ!当たる訳ないでしょ。
思いっきり振ったとしたって、その風すらも届かないよ。
それにねえ、おじさんは知らないかも知れないけど、この剣は長い事沼の底にあったせいで、なまくらになってるんだって。
薪を割ることも出来ないんだよ。
研がなくちゃいけないって所長さんが言っていたけど、未だにこの剣を研げる様な職人さんが見つからないから、当分は使えないんだって。
だから・・・・ただ持っているだけ。
意味はないけど、なーんか持っていなくちゃならないような気がするから、腰から下げているだけなんだよ。」
ハルは、頭の中の声が何を言っているのか理解も出来ずに、笑いながら答えた。
(そ・・・そうだよなあ。
な・・・なまくら・・・うーん複雑・・・。
お・・・俺様の扱いは難しいから、素人には研がせないようにしてくれ。
と言うよりも、研がなくても大丈夫なはずだ。
それよりも、今回はただの練習という事で、とりあえず、あの老人に狙いをつけて、ここから剣を振るだけで勘弁してやろう。
どうせ、なまくら刀だしすごく離れているし、何も起きるはずがないだろう?
それで、みんなが無事に帰れるんだ。どうだ、簡単な事だろう?)
頭の中の声は、必死でハルを言いくるめようとしているようだ。
「ふーん、いいよ。ここからなら当たる訳ないもの。
それで、みんなが無事に帰れるのなら、やってみる。」
ハルはそう言うと、遥か遠くの長老に向かって正対し、大きく振りかぶって身構えた。
(ついでに、浄化しろって叫びながら剣を振ってもらえると、ありがたいなあ。
この間、20人の戦いで勝ち残った時みたいに。
あの時は、煉獄の炎をイメージしていたんだろう?)
「うーん、そうだけど・・・。
煉獄の炎をイメージして、間違って魔法が発動して、その火炎が長老さんに当たったら困るし・・・。
それに大体、煉獄の炎の魔法は、精神を集中しなければならないから、呪文を唱えなければいけないんだよ。」
その声に対して、ハルは乗り気ではない様子だ。
(いや・・・だったら、危険だから呪文はいらない。
ただ、炎をイメージして浄化しろって呟くだけでいい。それなら大丈夫だろ?)
頭の中の声は、やさしい口調で囁いてきた。
「うん分った。いいよ、・・・・浄化しろ!!!」
ハルが振った剣先からほとばしる様に真っ赤に燃える紅蓮の炎が、湖面を伝って一直線に長老の元へと走り抜ける。
自分を攻撃できる唯一の存在であるはずの竜神に、相対していた長老の対応が一瞬遅れ、次の瞬間真っ赤な火炎に包まれてしまった。
煉獄の炎の中で、しかしその影は苦しみ悶えることもなく、人形のように立ったままだ。
やがて長老の姿は燃え尽きて、灰だけが湖面に薄く広がって行く。
「えっ?届かないって言っていたのに・・・」
呆気にとられた様子で、その光景を見ていたハルは、ショックで気を失ったようで、その場に崩れ落ちた。




