33話
8
「きゅう?」
ミリンダは彼の言葉を反芻するように繰り返した。
「い・・・いや、きゅう、そう九五郎と申します。」
九五郎は少しおどおどとしながら、名前を告げた。
「へえ、9と言う数字はすごく不思議な数字なのよ。
知ってる?」
ミリンダは、嬉しそうにその名に反応した。
「い・・・いえ、どういう風に不思議なのですか?」
「それはねえ・・・、えーとどうしてだったかしら?
ともかく、掛けて足すとどうにかなるのよ。
だから、すごく不思議なの!
あなたもやってみると分かるわよ。」
「へっ?掛けて足す・・・?」
九五郎にはミリンダが何を言っているのかピンとこない様子である。
「ご・・・、ごほん。まあ、九九の話は置いといて・・・、
おいらの名前は、高地見一・・・ジミーって呼んでください。
随分とお若いように見えますが、あなたは、この村の長・・・すなわち村長さんなんですか?」
ジミーはまずは相手の事を知ろうと考えた。
「えっ?僕がこの村の村長?
いえ僕も実は旅の者でして、ほんの2週間ほど前にこの村を通りかかったのです。
すると、村人の大半がひもじさに死にかけているではありませんか。
僕はすぐに救いの手を差し伸べました。
僕にできうる最善の手を尽くしたのです。
それで村人たちには大変感謝され、今はこういった扱いを受けている次第です。」
九五郎は、少し照れたように後頭部を掻きながら答えた。
「ほう、それは素晴らしい。
具体的にはどういった救いの手を差し伸べられたのですか?
お医者様とか・・・?」
「い・・・いやあ、実に簡単な事なんですが・・・。
ちょっとひと吸い・・・もとい・・・、ごほん。」
「ちょっと、ひと吸い?」
ジミーは九五郎が何を言っているのか理解できなかった。
その時、ジミーたちの後ろの席で、不器用に足を投げ出して座っているトン吉の元に、突然レオンがその姿を現した。
どうやら、周りに気づかれないように姿を消しながら移動してきた様子だ。
「親分、た・・・、大変です。」
「親分は止めろと言っているだろう。
俺はもう、お前たちの親分じゃねえ。
人間様のお世話になっている、雇われ者の魔物の中の1匹さ。」
「へ・・・へい、トン吉親分。
外のテントの中の荷物が、大変なことになっておりやす。」
『な・・・、なんだって?』
前方の席で聞いていたジミーと、トン吉が同時に驚いたように問い返した。
「きゅ・・・九五郎さん、ちょっと失礼します。」
ジミーはそう言ってすぐに立ち上がり、廊下へ出て屋敷の外へと走って行った。
その後をミリンダ達も急いで追いかける。
村の奥の屋敷から走ってテントの所まで戻る。
そこは戦場と化していた・・・。
我先にと争うように、テントの中に置いてあったリュックをひっくり返し、中に入っている缶詰を漁っている。
ジミーの荷物もハルの荷物もミリンダの荷物も全てひっくり返されて、辺りに散らばっていた。
「おい、やめろ!
一体、どうしたというんだ?
さっきまで、声をかけても口も利かないくらいに、おとなしかったのに。」
ジミーは荷物に群がっている若い男を、引きはがした。
男は缶詰の中身をむさぼる様にして食べている。
そうして次の瞬間、突然意識が戻ったようにジミーの顔をまじまじと見つめ返した。
「あ・・・、あれ?
ジミーさんじゃないですか。
お久しぶりです。
こんなところで、どうしたのですか?」
その男は、先ほど無言で村の奥の屋敷を指さした者であった。
よく見ると、ジミーはその顔に見覚えがあった。
先ほどまでは表情がなく、顔色も悪い能面のようであったが、今は表情もある。
仙台市警察の1員で、マイキーと共に行動していたはずの佐伯巡査だ。
「さ・・・、佐伯君。
一体どうしたというんだ?」
ジミーも驚いた風で尋ね返した。
「いやあ、実は・・・、なんだったかなあ。
何か大変な事態が・・・、それで食料が無くなってひもじい思いをして・・・
それを救ってもらって・・・、それからが思い出せない・・・。」
佐伯巡査は頭を抱えて蹲ってしまった。
「ひえーっ!
パンツね。あたしのパンツが目的なんでしょう?
イチゴのパンツ?そうよ、あたしの一番のお気に入りの、イチゴのパンツが狙いなのね?」
ミリンダも、一目散に荷物に群がっている群衆に向かって走って行き、その胸ぐらをつかんで問いかけた。
しかし、村人の顔には生気がなく、ただひたすらに荷物を漁っているだけであった。
村人たちは缶詰を手にすると蓋を開けて、素手でそのまま中身をむさぼる様にして食い漁っている。
そう、村人たちの狙いは純粋に食べ物だけなのだが、ミリンダの目にはそうは写らなかった。
「いくら、あたしが魅力的だからと言って、パンツを収集するなんて、何たるド変態。
怒りの雷を喰らえ、モンブランタルトミルフィーユ・・・」
「こ・・、こんないたいけな美少女のパンツを狙うだなんて、何たる恥知らずな・・・。
おい!みんな!」
ミリンダと共に駆け寄ってきた九五郎が大声で叫ぶと、荷物に群がっていた人々の動きが止まった。
と、当時にミリンダも魔法を唱えるのを止めた。
村人たちは九五郎を見つけると、言葉もなく立ち上がって近づいてきた。
「何をしているのです、あなたたちは。情けない。
全員、座敷牢行き。」
九五郎は先程居た屋敷を指さした。
そこには座敷牢なるものがあるのであろうか。
先ほど、九五郎の後ろに控えていた2人の若者に引き連れられて、村人たちがぞろぞろと集落の奥の屋敷へと向かっていく。
後には、ボロボロに引き裂かれたテントと、無残にも中身が飛び散ったリュックの残骸が残っていた。
これには、ジミーもミリンダもハルも声が出なかった。
「村人たちが、大変なことをしでかしまして、申し訳ありません。」
九五郎は深々と頭を下げた。
「さっきまで、テントには目もくれずに畑仕事をしていたっていうのに、一体どうしたというんだ?
おいらたちが集落の奥屋敷へ行く隙を伺っていたとでもいうのか?」
ジミーは不思議そうに、留守番をしていたはずのレオンの方を見ながら尋ねた。
「本当に、どうしたというんでしょうねえ。
突然の事でした。
ちょっと小腹を空かせたレオンが、テントの中のリュックから缶詰を取り出して、開けて食べようとしたところ、その匂いに引かれたのか、村人たちがぞろぞろと集まってきて・・・。
テントの中のリュックに気付いた一人の男が、食べ物だ!って叫んだ途端に・・・。」
レオンは本当に不思議とでもいう様子で、首をひねって見せた。
「お・・・、お前がつまみ食いをしようなんてしたから、その匂いにつられて村人たちが・・・。」
トン吉が怒りで小刻みに体を震わせている。
トン吉の表情に気付いたレオンの顔面から、血の気が引いて行った。
「まあまあ、落ち着いてください。
これは村人たちの責任です。
あなたたちの大切な食べ物を、断りもせずに勝手に頂戴するとは情けない。
ましてや、パンツまで・・・。」
九五郎は情けないと言った悲しげな表情で、ジミーたちに頭を下げた。
「まあ、パンツまで取る気はなかったようですが・・・、その辺に散らばっていますし。
それに、村に食べ物がなければお分けするつもりで多めに持ってきていたので、構わないと言えば構わないのですが、あまりにも突然だったもので・・・。」
ジミーは必死で自分のパンツを掻き集めているミリンダを尻目に、さびしそうに答えた。
「本当に申し訳ありません。
お詫びの言葉もございません。
それよりも、東の空が明るくなってきました。
もうすぐ夜が明けそうです。
テントはボロボロのようですし、お休みいただく部屋を用意させていただきますから、屋敷へ戻りましょう。」
九五郎は申し訳なさそうに、もう一度頭を下げると、屋敷へとジミーたちを手招いた。
「1枚足りない。
1枚足りないわ。
やっぱり、イチゴのパンツが足りないわ。
ハル?ハルだったら欲しいって言えばあげないこともないのに・・・。
ハルなのね?」
ミリンダの問いかけに、ハルは思いっきり首を横に振って否定しながらズボンのポケットを引き出して裏返し、絶対に持っていないとアピールした。
「じゃあ、ジミー?ジミーなの?
ロリコンだなんて、思っていなかったわ。」
ミリンダは、今度はジミーの方へと振り向いた。
「いやあ、おいらじゃあないよ。」
ジミーも突然の問いかけに、驚きながら首を振った。
「じゃあ・・・。」
ミリンダはトン吉とレオンを次々に眺めて行った。
2匹とも、そんな恐ろしいことなどできるはずもないとばかりに、震えながら首を振って否定した。
「じゃあ、誰だっていうのよ。
やっぱり村人のうちの誰かなの?」
「いや、散らばった時に、風に乗って飛ばされたのかも知れないなあ。」
ジミーは辺りをきょろきょろと見回した。
「あっしがドラジャ達に言いつけて、辺りを探させましょう。」
トン吉がドラジャの群れを呼び寄せて指示を出した。
「近くに飛ばされただけなら、今日中には見つかるでしょう。」
トン吉の言葉を聞いて、ミリンダもおとなしく屋敷へと向かって歩き出した。
「そう言えば、先ほどは聞きそびれましたが、九五郎さんの隣で椅子に腰かけられていた方は、どなたなのですか?
まさか、九五郎さんの奥様とかなのでしょうか?」
屋敷へと向かう途中で、ジミーは先ほど見かけたマイキーについて、それとなく尋ねてみた。
「彼女ですか?マイキーさんですね。」
「ほう、マイキーさん。」
九五郎の言葉に、ジミーも言葉を続けた。
「私も良く判らないのですが、彼女は次の生贄のようです。」
『生贄?』
この言葉には、ミリンダもジミーと同時に驚いて聞き返した。
「ええ、村人たちに言わせると、次の生贄が彼女だそうです。」
「生贄って、そんな風習があるような村なのですか?」
ジミーは不思議そうに尋ねた。
なにせ、山奥の小さな村で電気も通ってはいないとはいえ、それは戦争のせいなのである。
豊作祈願のための天への捧げもの・・・などと考えるだろうか?
「うーん、さっきも言ったように、僕もその辺りは良く判らないのですよ。
その辺も含めて、僕が何かお役に立てることが無いかと考えて、この村に残っているのですがね。」
九五郎は、前を向いたまま歩きながら答えた。
「で・・・でも生贄なんて、そんな野蛮な事は止めさせるべきですよ。」
ジミーは、絶対にそれを阻止しようと考えていた。
「ああ、そうですねえ。
まあでも、大丈夫じゃないのですか?
彼女は不死人のようですから。」
九五郎は、問題ないとばかりに簡単に答えた。
『不死人!』
またまた、ミリンダとジミーが、その言葉に反応した。
「生贄って何よ。」
ミリンダが、ハルに囁くような小さな声で問いかけた。
「えー、知らないよう。
ミリンダは知っているから聞き返したんじゃないの?」
「知る訳ないでしょ、そんな言葉。」
「えーっ、じゃあ不死人は何なの?」
「その言葉も知らない。」
ミリンダは軽く答えた。
「仕方ない、あとでジミーさんに聞こうよ。」
やがて、村の奥の屋敷へと到着し、ジミーたちは12畳ほどの広い畳部屋に通された。
先ほど、九五郎の後ろに控えていた2人の若者がやってきて、畳の上に5組の布団を敷いてくれた。
ジミーたちは、散らばった荷物を掻き集めて詰め直したリュックを、部屋の隅にまとめて置いた。
「ハル君やミリンダちゃんのリュックの中には、そんなに食料が入っていなかったから、実質の被害はおいらのリュックの中身だけのようだな。」
ジミーは、軽くなってしぼんでしまった自分のリュックを眺めながら、残念そうに呟いた。
「そうですね、あっしのリュックとレオンのリュックはどちらともテントの外に置いてあったので、幸いにも略奪の対象にはならなかったようです。
村人たちは、テントの中に食べ物があると思い、無我夢中で漁っていただけで、周りには目が行ってはいませんでしたな。」
トン吉は荷物がパンパンに入った自分のリュックと、レオンのリュックの膨らみ具合を確認しながら冷静に分析した。
「そう、余りにも手荒に扱うものだから、テントもボロボロになってしまったけど、無線機も壊されてしまったようだ。念のために持ってきたダイナマイトや銃弾が破裂しないですんで、良かったよ。」
ジミーは踏みつぶされたのか、四角い形状を保ってはいない、無線機を残念そうに手に取って見せた。
「実質的な被害は、おいらのリュックの中の約10日分の食料と、短波無線機か。
服とかは、破られはしなかったようだな。」
「僕のリュックには1日分の食料しか残ってはいませんでした。
着替えも、少し汚れはしたけど大丈夫みたいです。」
「あたしも、食料はハルと同じだけあったわ。
でも、あたしの一番のお気に入りのパンツが・・・。」
ミリンダは、悔しそうに唇をかんだ。
「あっしの方のリュックには、ハル坊ちゃんとミリンダ嬢ちゃん含め、3人分の食料が1週間分ほどあります。」
「レオンのリュックには1人分だけですが、1週間分の食料が残っています。」
「残った食料は、4人分掛ける7日分で、28日分か。
5人で分けると・・・、はい何日分?ミリンダちゃん。」
ジミーは早速ミリンダに問題を出した。
「えーっ?まあ、レオンは責任を感じて食べないだろうから、1週間はもつわ。」
「ひえー、レオンはご飯抜きですかー?」
ミリンダの言葉に、レオンの顔が青ざめた。
「だからあ、それじゃあ算数の答えになっていないよ。
5人で分けるのだから、28割る5で5日分と1人分で考えて3日分が余ることになります。」
ハルがミリンダの代わりに答えた。
「そうだね、おおよそ5人で5日分と2食だ。
ジープからここまで5日かかったから、ぎりぎりだなあ。
でも、帰りは道もある程度は判るし、山道も下りが多いからもう少しは早いだろう。
頑張れば4日で戻れるとして、ここでの行動は残り1日半ってところだ。
それで解決しなければ、一旦ジープまで戻ることになる。」
ジミーは壊れた無線機も、大事そうにリュックに詰め直した。




