21話
21
「わは、は、は、は。ようこそ、わが帝国へ。
我はアリジゴクのウスクナイカゲロウだ。
お前たちも何でも治り草を盗ろうとしてきたのであろう。
でも残念だったな、この辺りに自生していた何でも治り草は、人間たちや魔物たちの乱獲により、絶滅してしまったぞ。今では、このわしの尻に生えている何でも治り草のみが、唯一の生き残りという訳だ。
思い起こせば何十年も前のはるか昔、この土地でアリジゴクとして獲物を待っていたわしはいつもひもじい思いをしていた。なにせ、このような砂漠地帯に足を踏み入れる動物などいやしないのだ。
そんな時、たまにかかる獲物と言えば、この何でも治り草を求めてくる人間どもや魔物たちだけだった。それも、薬草を探しているときに誤ってアリジゴクに落ちるくらいで、非常に効率が悪かった。
そこで、わしは考えた。何でも治り草を利用して、獲物たちを捕らえる効率をあげようと。
そして、この砂漠地帯に自生している何でも治り草がわしの体からも生えてくるように、砂地からわしの尻を出してじっと待っておったんじゃ。
すごーく長かったが、半年もするとわしの尻から何でも治り草の芽が出てきたのだ。
それからは、砂地から尻を出しておくだけで、面白いように魔物や人間たちが引っかかるようになった。本当に何でも治り草様々だよ。
お前たちも俺様の餌になることを光栄に思いなさい。なにせ砂漠の王ともいえる俺様なのだから。
もがいても無駄だぞ、もがけばもがくほどどんどん砂に埋まっていくのだ。
逃げることもかなわん、観念した方がいい。は、は、は。」
1mを越える体長で大きな顎を持ち、灰色の体に昆虫のような足が6本付いている、アリジゴク系の魔物ウスクナイカゲロウは高らかに笑った。
「なんだっていうのよ、えーいこんな砂なんか、風圧で吹き飛ばしてやるわ。モンブラ・・・」
ミリンダが魔法を唱えるより早く、ミリンダの体は砂の中に埋まって行った。
魔法を唱えようとしても口の中に砂が入り込んできて唱えることも出来ない。
ミリンダは顔を砂の上に出そうとしてもがこうとするが、より深く砂の中へと落ち込んで行くようであった。
「捕まって、あたいの手に捕まって。」
ミリンダの頭の上の方から、叫ぶ声がしてきた。ミリンダは反射的に声のする方へ両手を伸ばす。
ベルベットを思わせる、ふわりとした長い毛の感触に指先が触れ、それを必死で両手で掴んだ。
力強く引き上げられて、ようやく砂地から体を出すことが出来た。
スパチュラが木立から糸を垂らして、アリジゴクへ飛び込んできて、ミリンダの体を引き上げてくれたのである。
スパチュラは、ミリンダの体を持ち上げると、糸を伝って木立へと昇って行った。
木の枝の上に到着してようやくミリンダも人心地着いたようだ。
そこにはすでに銀次とジミーが救出されていて、更には繭のようなゆりかごに入ったハルも居た。
「あ、ありがとう。
それにしても、薬草を餌に獲物を待伏せるなんて、何という卑怯者。
許せないわ。モンブランタルトミルフィーユ・・・暴風雷撃!!!」
ミリンダは、アリジゴクに向けて魔法を唱えた。
しかし、砂が舞い上がるだけで敵への魔法効果はほとんどないようであった。
「待って、まだあそこには兄が居るわ。
兄に当たっても困るし、それにあいつが逃げちまっては、薬草が手に入らなくなってしまう。
だから、魔法攻撃は少し待っていてちょうだい。」
スパチュラはミリンダを制した。
「判ったわ。
でも、憎んだふりをしていても、本当に危ない時は気遣うなんてやっぱり兄弟よね。」
ミリンダは感心してスパチュラを眺めた。
「先ほど、皆さんと兄の会話を聞いて、あたいが誤解していたことが判ったわ。
兄に謝らなければならないと思いつつも、素直になれずさっきは出来なかったの。
このまま兄を失うわけには行かない。何とか助けなければ。」
木の上の方から見ると蜘蛛の魔物の大きな体は、未だに部分的には砂の上から見ることが出来た。
それでも体全体が飲み込まれてしまうのは、時間の問題とも見て取れた。
「いま、兄の体にはあたいの糸を数本結び付けているの。
それで少しは沈むのを押さえているけど、あたいの糸の強度では兄の体を持ち上げることは出来ないわ。やはり兄の糸でなければ無理なの。」
「判ったわ、あたしが何とかしてみる。スパチュラちゃんはここにいて。」
ミリンダは言うが早いか、蜘蛛の魔物の背中へと瞬間移動した。
砂に飲み込まれないようにともがいているせいか、蜘蛛の魔物の体は難破船のように止まることなくうねっていた。
「はーい、あたしミリンダよ。
さっきの崖のところでハルがしたように、あなたの糸を持ってあたしが瞬間移動して向こうの木に括り付けるわ。だから長く糸を出して、いいわね。」
ミリンダの提案に蜘蛛の魔物は頷き、尻を何とか砂の上に出して糸をとぐろ状に吐き出した。
ミリンダはその糸の先端を持って、先ほどの木まで瞬間移動して自分たちが乗っている数本の木を束ねるように巻き付けた。
それにより蜘蛛の魔物が自分の糸を伝って、砂地から体を少し浮かせることが出来た。
「なかなかやるなあ、でも無駄な事さ。
わしは超音波の振動で砂地を水のように変えることが出来る。そーれそれそれ。」
ウスクナイカゲロウがすり鉢の底の部分から少しだけ頭を出して、魔法を唱えた。
すると砂はさらに柔らかくなり、蜘蛛の魔物がいくら踏ん張ろうとしても足元の砂は力なく崩れ続けた。
そして蜘蛛の魔物の糸を括り付けた数本の木立さえも根本から穴の方へと引きずられだした。
「いやー。あたしたちまで巻き込まれるわ。何とかならないの。」
アリジゴクへと引っ張られようとしている木の枝に、しがみついたミリンダが叫んだ。
仕方がないので蜘蛛の魔物が皆を助けようと、自分の糸を切ろうとした瞬間、スパチュラがすり鉢の底のウスクナイカゲロウに向かって飛んだ。
2匹の体はすぐに砂の中へと消えて行った。
皆が息をのんで見守っている中、少し時をおいてウスクナイカゲロウの尻に生えている、何でも治り草が砂地から顔を出した。
スパチュラが倒されたと誰もが思った瞬間、薬草はそのまま宙に浮き、その先をスパチュラの手が握りしめていた。
砂から出たスパチュラは自らの糸を手繰って木立まで登ってきた。
蜘蛛の魔物も砂が固くなったため、自分の糸を辿って少しずつすり鉢を昇りだした。
スパチュラの体には、いくつもの擦り傷が出来ていて、ところどころ血がにじんでいるようだ。
「さあ、早いとこハル君に薬草を飲ませましょう。」
スパチュラは木の葉の上で薬草の赤い茎をすりつぶした。
そしてすりつぶした茎を水に溶かしてハルに与えた。
ハルの顔色に少しずつ生気が宿ってきて、しばらくすると、ゆっくりと目を開けた。
「う、うーん。あれ?みんなどうしたの?ここは・・・」
見覚えのない砂漠地帯の木の枝の上で突然意識を回復したハルは、戸惑っているようであった。
ミリンダは嬉しそうにハルの体をしっかりと抱きしめた。
「薬草の効果だなあ、何でも治り草の伝説は本当だったんだ。
うーん、少しでも残っていれば研究所に持ち帰って、所長に研究してもらえたんだが。
仕方がないな、ハル君の分だけで精いっぱいだったようだから。」
ジミーが残念そうに呟いた。
「ウスクナイカゲロウのおしりの根はそのままにしておいたわ。だからしばらくするとまた生えてくるはずよ。
今はあたいの毒で仮死状態にしておいたけど、薬草が生えてくればその効果で仮死状態も解けるでしょう。その時にまた、獲りに来ればいいと思うわ。
但し、何でも治り草は多年草で一度摘むと次に花が咲くのは百年後だそうよ。
薬草として使うには次に花が咲く時を待たなければならないわね。
その時は研究材料にでも何でもすればいいわ。」
スパチュラは肩を落としているジミーを慰めた。
しかし、魔物と違い人間の一生は短いのだ。
ジミーの心が晴れることはなかった。
「へえ、先ほどのサル達と言い、今回と言い蜘蛛系の魔物はずいぶんと優しいのね。
自分たちを襲ってきた魔物でさえも命を奪わずに助けるなんて。
あたしが思っていた魔物のイメージとずいぶん違うわ。」
ミリンダが、スパチュラを感心したような目で見た。
「あたいたち蜘蛛系の魔物は、蜘蛛の巣を張って獲物がかかってくるのを待っているのが普通よ。
だから、獲物が通らなければいつまでもひもじい思いをして待っていなければならない。
それは、アリジゴクも同じであって、たまたまここのアリジゴクが薬草を餌にして獲物を誘っていたとしても、それを責める気にはなれないわ。
あたいたちにとっては、あたりまえのような行動よ。
それに、あたいたちは無闇に他の生き物の命を奪ったりはしないわ。生きるために食べるときだけよ。
それは、人間だって同じでしょ?
まあ、巣に獲物が多く引っかかった時には毒で仮死状態にして取っておくことはあるけど、獲物が多すぎれば生きたまま巣から落とす場合もあるのよ。
あまりたくさんの獲物がかかっていると巣が重くなったり、遠くからでも巣が丸見えになってしまうという理由もあるけどね。」
スパチュラに人間を引き合いに出されて、魔物が現れる前に人間同士で争っていたことや、そもそも世界をここまでにしてしまった人間のエゴによる戦争のことを思って、ミリンダもジミーも恥ずかしくなって顔を赤くした。
そうこうするうちに、何とか蜘蛛の魔物が自力ですり鉢状のアリジゴクから糸を伝って這い上がってきた。
スパチュラがそれを迎えた。
見つめあった2匹の魔物の間に多くの言葉はなかったが、互いの気持ちは伝わったようだ。
「よーし、みんな無事だな。大分回り道してしまって時間が経ってしまった。
急がなければならないから、このまま東京の爆弾とやらのところへと向かうぞ。
なあに、急げば半日もあれば着くだろう。」
蜘蛛の魔物の背中に全員が乗り込み、再度南東へ向けて出発した。
蜘蛛の魔物はいつになく早足で進んで行く。
クレーターの多い山道を越え、草原地帯を越えて一行は進んで行った。
やがて、蜘蛛の魔物たちは広い湿原へと辿り着いた。
ハルたちが住んでいた村も広い湿原地帯にあり、夜も更けて真っ暗ではあったが懐かしい風景にハルは故郷を思い出していた。
「どうやら着いたようだな。ここが、お前たちが言っていた、元の東京だ。
と言ってもわしも他の魔物たちに、不毛の土地東京の話を聞いていただけで、ここまで来るのは初めてさ。」
蜘蛛の魔物が、東京への入口に着いたことをハルたちに告げた。
ところどころ水たまりのある大きな湿原は、見渡す限り遥か彼方まで続いているようであった。
「爆弾は、ここから10kmほど先の地下50m位のところにある。
そこまで行けるかい、ベイベー?」
ジミーが爆弾センサーの画面を見ながら蜘蛛の魔物に指示した。
「地下かい、確かこの地にはいくつもの地下洞窟があって、魔物たちの住処にはうってつけだという話だったな。ところが、餌となる生き物が全くいない為、折角住処があっても使えないっていう話を聞いたことがある。
多くの地下洞窟が壊れて埋まっているらしいんだが、ところどころではあるが、今でも十分に使えるところもあるという話だった。どうやらそこにあるようだな。」
蜘蛛の魔物は、またゆっくりと進みだした。
「そう、遥か昔には、ここには沢山の人たちが住んでいて、地下には沢山の人を運ぶための地下鉄っていう大きな四角い箱が、すごい速さで走っていたという事だ。地下の洞窟っていうのは、その地下鉄の名残だね。
地上から地下へと降りていく階段が、色々な場所にあったという話だから、その入り口を見つけてくれ。」
ジミーは辺りを見回しながら、蜘蛛の魔物に告げた。
周りの風景は湿原が続いているようであったが、それでも注意深く見ると、アスファルトの残骸や高速道路の橋げた跡のがれきなどが見受けられた。
30分ほど進んで、蜘蛛の魔物は立ち止った。
「どうやら、一番近い地下への降り口はここくらいだろう。
わしは体が大きいから、連れて行けるのはここまでだ。」
蜘蛛の魔物が指す先には、旧地下鉄への入口と思われる地下への階段が口を開けていた。
屋根などはもちろん破壊されてなくなっており、むき出しの穴には周りから湿原の水が休むことなく流れ続けていた。
ハルたちの目には、はるか地下の魔宮へと通じる入口のように、映ったであろう。
「いやあ、どうもありがとう。助かったぜ、ベイベー。」
ジミーは蜘蛛の魔物の背中から降りると、魔物に対して軽く会釈した。
「ありがとうございました。ここからは僕たちだけで大丈夫です。」
ハルも一緒にお辞儀をした。蜘蛛の魔物は照れくさそうに焦げた頭を掻いていた。
「いやあ、缶詰っていうのか?ずいぶんおいしかったぜ。
あまりにもおいしかったもんだから、兄妹でお前さんたちの分まで食べちまったんだろ?悪かったな。」
「そんなことはないぜ、ベイベー。4日かかるところを色々あったけど1日で来れたんだ。
その分食料も余るところだったんだから、ちょうどよかったぜ、ベイベー。」
ジミーが笑って蜘蛛の魔物のフォローをした。
「これからどうしますか?
もしかすると僕たち失敗してしまうかもしれないから、日本が沈んだ時に備えて、一回魔法でやられて魂になっておきます?その方が、沈んで溺れないからいいと思うけど?」
「がははは、わしは大丈夫だぜ。
それに子分たちが復活した時のために、巣で待っていてやらなくちゃな。
お前さんたちに期待して、巣でじっとしているよ。
大体、わしら魔物が生まれたのは、お前さんたちが言っている戦争ってやつで、爆弾ってやつを落とされてこの地が荒れ果てた後だ。
元の姿を知らないから、荒れ果てたと言っても、どれくらい荒れたのかも判らん。
この地が不毛の地だという事は、わしでも判るがな。
だから、爆弾のことも分からないし、それが爆発するとどうなるのかも、詳しくは想像が出来ない。
しかし、お前さんの必死な訴えを聞いて、これは本当に一大事なんだと思って協力させてもらっただけさ。
だから、頑張って成し遂げてくれ。気を付けてな。
あと、スパチュラを置いて行く。
こいつなら体のサイズは人間と変わらないから大丈夫だろう。
もともと、こいつを仲間に入れようとした寄り道だったんだしな・・・。」
蜘蛛の魔物に言われて、スパチュラが背中から降りてきた。
どうやら仲間に加わってくれるらしい。
ハルたちも新しい仲間は大歓迎だった。
ミリンダもスパチュラの両手を握りしめて飛び跳ねていた。
蜘蛛の魔物は豪快に笑いながら別れを告げ、ハルたちに背を向けて夜のとばりの中を巣に戻って行った。
「それじゃあ今日はこの辺で野宿して、明日の朝から洞くつ探検と行こう。
目的地はすぐそこだから、身軽にするため、今夜は余った食料でパーティと行こう。」
ジミーは食料の缶詰を次々と開封して、たき火で温めた。
ハルたちはお腹一杯になるまでそれらを平らげ、乾いた場所を見つけてマットを敷いて就寝した。




