20話
20
スパチュラも一緒に蜘蛛の魔物の背中に乗り、先ほど掛けた糸を辿って断崖を乗り越え北の山地へ向かって一行は出発した。
「知らなかったこととはいえ、本当に悪かったねえ。許しておくれよ。」
スパチュラは眠ったままのハルのために、蜘蛛の糸をつむいでゆりかごのようなベッドを作って寝かせてくれた。
ミリンダはハルの顔を覗き込んで、何度も呼びかけるが全く反応はしなかった。
その都度、スパチュラは申し訳なさそうにうなだれていた。
しばらく進んだところで、平坦な草原地帯に差し掛かった。
「おーい、ちょっとここらで休憩にしないか?
さっき蜘蛛の魔物のところじゃ、ハル君が毒にやられてしまって休憩どころじゃなかったもんなあ。
少し休んで食事でもして体力を蓄えないと、みんなまいっちまうぞ。
この先も見た感じじゃあ道が悪くて揺れが酷いから、歩きながら食べるのは難しそうだしね。」
ジミーが蜘蛛の魔物の顔に近くまでいって、大声で呼びかけた。
蜘蛛の魔物はその場で立ち止まった。
「あたしは嫌よ、休憩なんてしている暇はないわ。
少しでも早く薬草を見つけてハルを助けなくちゃ。
だから休んでないで進んで頂戴。」
ミリンダがハルを寝かせている、ゆりかごを支えながら涙ながらに訴えた。
「気持ちは判るんだけど、これからうんと危険な場所に行くことになるわけだ。
だから皆少し休憩して体力を回復させておかなくちゃあ、下手をしたら全滅だよ。
それじゃあハル君も浮かばれないよ。
だから、ここは大人のおいらの言うことを聞いて、休憩しましょう。お腹もすいただろう?」
ジミーの問いかけに、手を置いたミリンダのお腹がグーと鳴いた。
「お腹がすいているようだね。
何はなくとも食休みとも言うし、ここはジミーさんの言うとおり少し休憩した食事にしましょう。
なあに、そんなにゆっくりとはみんな食べないから、すぐに出発できますぜ。」
銀次もミリンダの肩に手を置いてやさしく誘った。
二人に諭されて、ミリンダは蜘蛛の魔物の背中から降りて、蜘蛛の魔物の顔の前に3人集まって缶詰を開け始めた。
「あたいは、そんな人間が作った物なんかは食べたくないから、向こうで自分で調達するわ。」
スパチュラは、ミリンダ達が食事を始めようとしていることに見向きもせずに、木立の方へと歩いて行った。
「すまんなあ、我儘な妹で。
昔はわしらのことをお兄ちゃん、お兄ちゃんって言って、いつも後に付いてくるくらい仲が良かったんだがなあ。
その頃から、体は兄であるわしらよりはるかに大きかったがなあ。」
蜘蛛の魔物は頭を掻きながらすまなそうに頭を垂れた。
「あなたたちは、あそこの崖の上で生まれたの?
生まれた時からずっとあそこ?
それで、途中から飛び出したって言っていたわよね。
どうしてあそこを飛び出したの?」
ミリンダは、肉の缶詰を蜘蛛の魔物にすすめながら尋ねた。
「わしたちは、もうずいぶん前にあの四方を切り立った崖に囲まれた地に生まれた。
どういった訳か、自分と同じ大きさで同じ格好をした蜘蛛系の魔物が一緒にたくさんいた。
それと少し年老いた感じの蜘蛛系の魔物が居たんだ。
それで、わしらは兄弟という事になり、年老いた魔物も同じ蜘蛛系だったから、それを母ちゃんとしたのさ。
さっき坊やから聞いたように、わしたち魔物が人間と昆虫や動物の魂が合体したものだとするなら、わしらは本当に生きているときは親子兄弟だったんじゃないかなと思っている。
だからこそ、追い詰められた時に合体して巨大な魔物になれたんじゃないかと考えているよ。
・・・まあ、ともかくわしらはあの断崖の上にそれぞれ巣を張って暮らしていたんだ。時々飛んでくる昆虫などを捕えては分け与えあってな。
ところがそんな時、草の影から一匹の魔物が現れたんだ。
どこかから小さなまま飛んできて、成長してから目に留まるようになったのかもしれないが、ともかく突然現れたのさ。同じ蜘蛛系の魔物だったから、わしたちの妹という事にして一緒に生活することにした。」
蜘蛛の魔物は、遠い過去の記憶をまさぐりながらゆっくりと語りだした。
「ふーん。それがあのスパチュラという訳ね。
魔物ってやっぱり突然出現するのかしらね。」
ミリンダが、不思議そうに相槌を打った。
「スパチュラは最初から大きかったが、本当によく食べた。
当時のわしたちの何十倍もの食欲だったよ。
当然、あの断崖の上に飛んでくる昆虫たちだけでは足りなくなり、たまに飛んでくる渡り鳥なんかも捕まえて食べるようになった。
渡り鳥の場合は体が大きいから、全員で飛びかかって行って何とか糸でがんじがらめにして捕えていた。
それでも、あそこの食べ物が足りなくなることは目に見えていた。
しかし、いくらたくさん食べるからって、かわいい妹のスパチュラに出て行けという訳にはいかないだろう?
どのみちわしらも成長期だったのか食欲が増してきた頃であって、あの崖の上の獲物だけでは物足りないと薄々は感じていたものだ。
仕方がないのでわしら兄弟が別の地を探すことにして、ある強風の日に糸をなびかせて風に乗ってあの断崖を後にした。決して自分勝手に皆をおいて出て行ったわけではないのさ。」
蜘蛛の魔物は、遠い過去を思い出していた。
目にはうっすらと涙を浮かべているようだ。
「ふーん、食べるものがなくなってしまうから、食い扶持を減らすために永く住んだ安全な故郷を捨てて、何が起こるかわからない未知の土地へと出て行くなんて、男だねえ。感心しちゃうよ。」
銀次も、蜘蛛の魔物に連れて涙目であった。
この時に木立側の草原の草むらが一瞬揺れたようであったが、誰も気づく者はいなかった。
「何するのよ、いやー!放してー。」
少し経って離れた木立の向こう側から、悲鳴が聞こえてきた。
一同そろって悲鳴のする方向に振り返った。
「多分、スパチュラだ。この辺りは魔物が多いから、襲われたのかもしれん。
助けに行くぞ、すぐにわしの背中に乗ってくれ。」
ミリンダ達は急いで蜘蛛の魔物の背中に飛び乗り、蜘蛛の魔物は木立の方向へ向かって全速力で駆け出した。
草原の中で林立する木立は森のような密度はないが、それでも蜘蛛の魔物のような大きな体を通すには、間隔が狭すぎた。
蜘蛛の魔物は木立をものともせず、なぎ倒して進んで行った。
「へっ、へっ、へ。こんなところに1匹だけの魔物とは珍しいじゃないか。
しかも、かわいい女の子とはねえ。群れからはぐれたのかい?
逃げようったって無駄だよ、この辺は俺たちの縄張りだ。」
十数匹のサル顔の人型魔物が、1本の木を背にしたスパチュラを取り囲んでいた。
全身毛むくじゃらであり、ニホンザル系の魔物であろう。
スパチュラは毒の牙をむき出しにして威嚇していたが、サル達は全く動じてはいなかった。
「おっと危ない、毒の牙だな。それならこのツタで。」
1匹の猿は手に持った太いツタをねじってスパチュラに噛ませ、そのまま頭の後ろ側で結び、猿轡を噛ませた。
「これで、ご自慢の牙も無力だろう。
ついでに動けないように、木に縛り付けてやる。」
更に2匹がかりで細目のツタを使い、スパチュラを木に縛り付けてしまった。
「さあ、どのように料理してやろうか・・・。」
サルの魔物たちは鼻の舌を伸ばし、いやらしい目つきでスパチュラに詰め寄って行く。
そのとき、背後から大きな影が彼らの背中越しに進んできたのを感じて、サル達は恐る恐る後ろを振り返った。
そこには、黒い巨大な影に目だけが爛々と光っている、蜘蛛の魔物が仁王立ちで立っていた。
「す、済みません。お見かけしたところ、蜘蛛の魔物様ではないでしょうか?
い、いかがなされました?」
1匹のサルが恐る恐る切り出した。
「わしのかわいい妹に何をする気だ?事情によっては許さんぞ。」
蜘蛛の魔物は、重みを聞かせた低い声でサル達を威嚇した。
「えっ?妹さん?蜘蛛の魔物様の妹さんでしたか?
こ、これは失礼しました。
いえ、われらの縄張りに勝手に巣を張って獲物を捕らえようとしていたもんですから、少し懲らしめてやろうとしていたんですが、蜘蛛の魔物様の妹さんとはつゆ知らず、ご無礼をいたしました。」
サル達は蜘蛛の子を散らすように、一目散に四方八方へ散って行った。
「あいつらは、ニホンザルの魔物だ。
1匹づつなら、すばしっこいだけで強くはないが、集団で行動して統率された動きで襲ってくるので、なかなか厄介な相手だ。
小さな群れだからわしにでも驚いて逃げて行ったが、もう少し多ければどうなっていたか・・・。」
蜘蛛の魔物は逃げ去ったサルたちの後姿を見ながら、うなった。
ミリンダが蜘蛛の魔物の背中から下りて、スパチュラの元に駆け寄り、ツタを解く。
「大丈夫?やっぱり一緒に食べればよかったのに、人間の食べ物も結構おいしいんだよ。
蜘蛛の魔物さんなんか、何回もおかわりしているし。
お腹がすいているでしょ、少しだけどこれ食べる?」
ミリンダはスパチュラに、肉の缶詰を開けて勧めた。
しかし、スパチュラはお礼を言うでもなく、無言のまま蜘蛛の魔物の背中に上り、端の方に座り込んで黙ってうつむいた。
仕方がないので、ミリンダも続いて昇り、スパチュラの傍らに静かに腰を下ろした。
一行は北の山地へ向けて再出発した。
草原を抜けると、山道に差し掛かった。
山道とは言っても、戦争の爪痕はここまで来ていて、爆弾による大きなクレーターがいくつも開いていて、急な勾配の上り下りをいくつも越えて進んで行かなければならなかった。
一つの山の頂上まで何とか辿り着いた時、その先には数々の山で囲まれた盆地に、広大な砂地が広がっていた。
砂漠を連想させる広大な砂の丘陵は、尾根の中腹くらいの高さであり、この盆地に敷き詰められた砂の量がどれほどなのか、見当もつかないほどであった。
中東の砂漠とは異なり灼熱の気温ではなく、どちらかというと山間部特有の涼しげな風が吹いている気候の為、荒れ果てた砂地にも所々草が生い茂り、木も生えてはいたが、一面の砂地は不毛の大地を連想させた。
「ここが、北方の山間部の砂漠地帯ってわけね。ようやく着いたじゃない。
ここにハルの毒を治す薬草があるのね。早速探しましょう。」
ミリンダが、蜘蛛の魔物の背中から頭へと乗り移ってきて、号令をかけた。
蜘蛛の魔物はゆっくりと山肌を下りて行き、やがて砂地に足を踏み入れた。
下りてみると、山頂で見た景色とは雰囲気ががらりと変わり、砂で出来た丘陵ははるか遠くの尾根を一層遠くに感じさせ、見渡す限りの砂地は永遠に続くのかと思わせる程だった。
蜘蛛の魔物はゆっくりと砂地に足を盗られないように注意しながら進んで行く。
ミリンダ達は、地面に何でも治り草が生えていないのか注意深く左右に分かれて探していた。
やがて砂漠の真ん中にオアシスのように部分的に草原があり、大きな木が数本立っている場所へとやってきた。
涼しい風があるとはいえ、砂漠の照り返しは予想以上にきつく、一行は木立の陰で少し涼むこととした。
「あ、あれなんじゃない?金色の花弁に真っ赤な茎だったわよね。
葉っぱはこい緑色の一輪草っていうと、あれだと思うけど。」
木立の陰で涼んでいたミリンダの指さす方向を一同が眺めると、確かにそこには一輪の花が咲いていた。
周りに一切草木が生えていない、砂地のど真ん中に不自然に生えている花は、太陽の日差しを浴びてまぶしく輝いていた。
「確かに、何でも治り草の伝え聞いている特徴にぴったりだ。
あれがそうかもしれない。」
蜘蛛の魔物も、思わず身を乗り出した。
それは彼らが涼んでいるオアシスから十数メートルほど離れた丘陵の真ん中にあり、小さく光る花は蜘蛛の魔物の背の上のような高い位置からでなければ、容易には見つからなかっただろう。
ミリンダは急いで蜘蛛の魔物の背中から飛び降り、花の方向へと走り出した。
蜘蛛の魔物もそれに続いて行く。
ミリンダが花の所まで到着し、その花を摘もうとした瞬間、足元の砂がすり鉢状に崩れていき、ミリンダの体は落ちて行った。
後ろを進んでいた蜘蛛の魔物も、どうすることも出来ずに同じように砂地に沈んで行った。
唯一スパチュラだけが、自分の糸を先ほどの木立の幹に飛ばし、糸を伝って難を逃れた。




