第二世界 束の間の平穏
ケンイチはファーストタウンの前にいた。
ここはオルタナの中でも、最もよく使われる待ち合わせの場所で、
うまくやれば、知り合いとは鉢合わせないよう、細工も出来る場所だった。
ユキとオルタナ上で会うのはこれで3回目になる。
最初は色々なオルタナの使い方の説明などであったが、
次第にそれは買い物や、レジャー、その他へと広がっていった。
もう一度、腕時計に目をやる。
これで16回目だった。
たった五分過ぎるために何度腕時計を見直せばよいのだろうか。
「お待たせ〜」
突然後ろに来た何者かによって、ケンイチの肩口に衝撃が走った。
急いで振り向くとそこには、
「おい……すごいな、それ」
ヒラヒラのピンクのスカートに、頭に大きなウサギ耳をつけたユキがそこには立っていた。
「いいでしょ、これ。期間限定のサンプルなんだ」
可愛いでしょ?
そういわれたケンイチは、唖然としていた。
「ケンイチ君、言いづらいけど……」
「なに? 」
「オルタナでも、すごくシンプルな服装なんだね」
ケンイチは、白いTシャツに青い短パン。
全くもって「色」の無い服装だった。
もちろんいつもケンイチはオルタナでは『壱』である、軽装侍の格好なのだが、
その姿で出歩くには色々面倒なことがあるため、
敢えて全てのオルタナ上のオプションを外していたのだが、
そんなことをユキが知る由もない。
「それにしてもすごいアバターだな、俺とは絶対無縁だ」
「何? あばだ、って」
ケンイチはがっくりと肩を落とした。
「お前、アバターも知らないのか? アバターってのはな、
比較的大規模な仮想現実コミュニティで使われる、
『自分の分身となるキャラクター』、またはそのサービスの名称だ。それより、気をつけろよ、」
ケンイチは目つきをかえた。
「サンプルって言いながら、なんだかんだで個人情報盗み取ったり、
ウイルス操作されたり、ひどい目に遭う事も時々あるんだぞ。
特にお前みたいな初心者は狙われやすいからな、例えば……」
続けようとしたケンイチは、もう既にユキが話そっちのけで、
自分のうさぎ耳を動かすのを楽しんでいるのをみると、
話すのをやめた。
「あ! それより、ケンイチ君。一緒に行って欲しいところあるんだけど、いい?」
「あ? 何だって?」
「いいからいいから!」
そういってユキはケンイチの腕を掴むと、
ぐいぐいと町の中へ引っ張っていき、そのまま喧噪の中へ消えていくのだった。
これはデートなんだろうか?
女子と手どころか、まともに視線を合わせた事もほとんどないケンイチにとって、
それは重要な命題だった。
「え、と。やっぱりこれにしよっかな、でもこれもいいし」
3件目の店、「ザックタウン」まできて、ケンイチはあることに気づいた。
……女子ってなんでこんなに買い物長ぇんだよ……
確かにここ「ザックタウン」はオルタナ界で世界トップレベルの品揃えの
ガールズファッションショップであることはさすがのケンイチも知っていた。
しかし、
……もう30分だぜ……
店の外のベンチに座りながら、
店の中でユキが色々な服を手に取っては返し、取っては返しを繰り返しているのを、
ただただ、ぼーっと眺めていた。
ふとまわりを眺めてみると、さすが世界最大規模のショップであり、
多くの人でごった返していたが、至って穏やかなものであった。
しかしもし自分が今ここで壱であることが知られたらどうなるのだろう?
オルタナ界で「壱」のことを知らない人はユキの様な初心者以外ほとんどないから、
あたりは騒然となるだろう。
それだけではない。
「壱」が持っている様々な特殊データをスティール(盗む)する者も
珍しくない。
そうやってスティールされた特殊データは裏オルタナコミュニティで
レアアイテムとして高く売られることになる。
だからこそこんなダサいTシャツ短パンを選んだのだった。
だが……
ケンイチは背中の「筒」の手触りを確かめた。
……これだけは絶対はずせねえ……
肩にたすきがけをし、背中に大きな「筒」をケンイチは持っていた。
その存在だけは、常に確かめなければ、落ち着かなかった。
それにしても、何だろう。
さっきからどこか違和感があるのをケンイチは感じていた。
あたりには怪しい存在はないし、違法プログラムを伺わせる現象も見当たらない。
……サーチアイがあればな……
壱のアバターは見た目だけではない。
他にも特殊能力を備えていた。
サーチアイはその一つで、自分の周りの異常プログラムを
直ちに感知してくれるのだ。
これにより悪質なスティールによる特殊データの窃盗や、個人情報スキミングなどを
事前に察知していたのだが、
それら全て解除してしまっていたため、
今ひとつあたりの異常をつかめないままでいた。
……まあ、何もおこる気配はないし、問題ないだろう……
そう思っていると
「ケンイチ! ほら、見て! これどう?」
大音量で、5mは離れたケンイチにユキは叫んだ
……おいおい、みんな注目してるじゃねーか……
そう思いながら「い、いいんじゃね?」
「じゃあ買ってくる」
そういってユキはカウンターへ向かった。
……女の子ってのは大変だな……
そう言って一つため息をつこうとしたとき、
ケンイチには見えた。
ユキの数10cm後ろの景色が、ぼやけている、
それはあたかも陽炎のような一瞬の不具合であったが、
明らかにそれはユキの動きに合わせて、近づいていた。
……いやがった、やっぱりあいつは……
その瞬間、ケンイチは全てが見えなくなっていた。
オルタナ慣れしたその本能は、体が勝手に動き、
その後どのような結果が待ち受けるかを全く予想出来ないでいたのだった。