蜘蛛の糸は敵か味方か?
絶体絶命のクラッシュの空間に突如、ケンイチ宛のメールが届いた。
果たしてこれは敵か、味方か?
「You got mail! ケンイチさん、メールがトドキマシタ。ケンイチさん、メールがトドキマシタ」
その音声とともに、ケンイチの前に画用紙一枚ほどのメールのマークが現れた。
その事実が意味する事は簡単、ケンイチにメールが届いたのだ。
しかし……
「ケンイチ? どうしたの? メールだよ? 」
「分かってる。分かってるんだ……だけど」
ケンイチはどうしても素直にそのメールのマークをタッチ出来なかった。
一体誰が? どうやって?
今のこの状態では通常の人物がこの空間にメールを送る事は不可能だ。
オルタナ上の一切の機能を奪われ、外界との連絡を絶たれたこの状態で、一体誰がメールを俺に送ろうって言うんだ?
まずケンイチの頭に浮かんだのはこの言葉だった。
……罠……
こんなことを出来るのは、きっとこのクラッシュの「主」だけだ。
この主が何かの罠をしかけようと、自分にメッセージを見せているのかもしれない。このメールを開いた瞬間、新たな悲劇が繰り広げられ、俺らはさらに絶望の淵に立たされるのかもしれない。
だとしたら絶対このメールは開けてはいけない。だがしかし……
「ケンイチ? 」
ケンイチは悩んでいた。
しかし本当にそうだろうか?
俺らを苦しめたいのなら、このまま何もしなくても大丈夫なはずだ。
十分俺らは「主」に捕まっている。これ以上何かすることがあるだろうか?
そもそも、自分達はこれ以上の何か良い策を持っているだろうか?
持っていないのなら、このメールを開いて、何らかの解決策であるほうに賭けるしかないのではないか?
リミットは18時間30分を切るところだった。
「ユキ」
ユキはケンイチを見つめた。
「あけるぞ、いいな? 」
ユキはひとつうなずいた。
ケンイチはメールにタッチすると、そこからメッセージが目に飛び込んできた。
ただちに何らかのプログラムが起きそうな気配はない、ケンイチはゆっくりとその内容に目をやった。
内容は3行。差出人は「J」という者だった。
件名:
内容:お久しぶりです、ケンイチ。
やっぱりあの「ナイトメア」のラスト、
しびれますよね。
想像とは裏腹に、そのシンプルすぎる内容により一層ケンイチは背筋を凍らせた。
「J? ケンイチ知ってる人? 」
「あぁ、昔一緒のチームにいたことがある、フィンランド人だ」
ユキは目を丸くした。
「フィンランド? 日本語出来るの? その人」
「今はほぼ翻訳機能がしっかりしてるから、出来なくても通常のコミュニケーションは可能だそれより……」
それよりケンイチはその「J」からのメッセージを見つめていた。
「J」。
その響きに、ケンイチは昔の思い出を思い出していた。
まだオルタナが今のように完全に仮想現実を実現する前、試行段階の頃、よくネット上でみかけた人物だった。
活動拠点がフィンランドということだけは、コミュニケーションのやりとりの最後の「.fin」で終わることから推測は出来るが、それ以外の情報はお互い立ち入らないのが礼儀だった。
見た事も、どこの馬の骨かも分からないお互い同士、色々裏情報を交換しあったり、相手の様々なオルタナのイベントの極秘情報をハッキングしあって密かに教え合ったりなどした、いわゆる旧友のような間柄だった。
しかし、ここ一年以上は連絡はおろか、その存在すら忘れかけていた人物だった。
その人物が何故この空間へメールを送ってきたのだろうか。
「ケンイチ。これどういうこと? 『ナイトメア』って。何か覚えある? 」
「あぁ、まあな。」
ナイトメア。
この言葉と「J」を結びつけるのは、当時「J」が執筆していた小説しか覚えが無い。
今のような完全なオルタナの仮想現実が出来上がる前にも関わらず、
「J」は今当たり前のように起こっている様々なことを既に小説化していた。
「ナイトメアは、小説だ」
「小説? どんな?」
「舞台はこのオルタナのような仮想現実の世界。一人の女性が最後、とある人物の陰謀によって病院に隔離されるんだ」
「ふーん、なんか今の私たちに少し似てるね」
「あぁ、そしてそのラストは…。」
「ラストは?」
そのラストがいまいち思い出せない。
女性の主人公はどうやってその病院から抜け出したのか。
どうすれば、問題を解決出来たのか?
そして、ひょっとしたらその方法がこのクラッシュから抜け出すヒントになるのかもしれない。
ケンイチは必死で今ある頭の中から、その記憶を絞り出そうとしていた。
「ケンイチ、まず女性はどうやって隔離されたの?」
「実際は隔離というより、病院にいただけだ。しかし、そこから抜け出そうとするとどこからともなくスタッフのプログラムがやってきて、最初の病室へ引き戻されてしまうんだ。それを何度もやってもやっぱり結果は同じ。事態は絶望かと思われた。しかし」
「しかし?」
「……。」
あと少しで思い出せそうなんだ、思い出せそうなのだが……
手の届きそうなところで、ケンイチの記憶はその姿を隠してしまう。
何度も何度も病院の屋上の金網を乗り越えようとした主人公の女性は、どんなブレイクスルーを用いてその病院から抜け出したのだろうか。
「あ! 」
とつぜんケンイチは声を上げた。
「どうしたの? 思い出した?」
そのわずかにつながろうとしていたパズルはゆっくりと形を作り始め、ぼんやりとその全形を作り出そうとしていた。
「ユキ、思い出したよ」
その一筋の光を辿って、今、ケンイチとユキはその先の世界へと踏み出そうとしていたのだった。




