5.優しい心に包まれて
最終改稿2014/08/25
病気で床に伏せる訳ではないので久しぶりに妹と一緒に屋敷の広い浴場にて疲労しきった身体を癒す。
やっぱりたくさんのお湯に身を委ねて手足を伸ばしてリラックスできるのはとても嬉しい。今まではお湯で濡らしたタオルで汗を拭くだけの生活だったから特に……。
……嬉々としたエレンに全身くまなく洗われてしまったのはさすがに自分でもどうかと思ったのだけれど、両手をわきわきとされて有無を言わさずに迫られてしまうと……私は無碍に断りにくく、更に押しに弱い性格だから頷くしか無かったんだよね。まぁ、愛する妹限定だけど。
仕返しに洗い返してあげようと思っていたのに……洗われている最中に段々気持ちよくなって来ちゃって気付いたら放心している間にエレンが洗い終わってしまい、抱きかかえられて湯船に運び込まれてしまったのは不覚だったよ……。しくしく。
「どうしたのお姉ちゃん。そんなに遠い目をしちゃって……そんなに気持ちよかったの?」
「う……」
そんな様子の私をみて隣で一緒に湯に浸かっているエレンが少し意地悪そうに笑いながら顔を覗き込んで身体をすり寄せてくる。
「…………そっか。じゃあ次はもっと満足してくれるように勉強してくるね?」
「ちょっ?!いや、充分気持ちよかったから!これ以上はいいから……ね?」
黙り込んでしまったらエレンが聞き捨てならない台詞を口に出してきたので慌てて、恥ずかしいけれども本心を吐露して引き留めた。大体妹よ。一体どこで何の勉強をしてくるつもりなの?一応伯爵家の令嬢として変なことを覚えるのは勘弁しませんからね?
「ふふっ、今お姉ちゃん変なこと考えたでしょう?大丈夫よ、神官戦士コースの同級生の子が炎の神殿の神官でその子からみんな手ほどき受けてるから。女の子同士だから大丈夫だよ?」
「!?!?……ちょ、エフリート様の神官戦士の女の子……って…………まさか……」
「え?何か変なことあったっけ……?」
「あのね、エレン。貴女も18歳になって成人してるから教えるけれど。エフリート様の信徒の女の子は修行の一環で神殿娼婦になる子もいるのよ?」
「……………………え」
「その様子だと知らなかったのね……?」
「……うん」
……はぁ。溜息しかでなかったよ。まあ確かにこの国ではそう言うことはあまり無いから一般には知られてないけれど……でも神殿娼婦になる子が全くいない訳じゃ無いしね。エレンが変なことを覚える前に釘を刺せただけ良かったとしよう。うん。
「まぁ、大方こういう風にすればリラックスできて疲れも取れる~……とか言われたんでしょう?」
「うん。ごめんね。お姉ちゃんがイヤならもうしないよ……」
あ、落ち込んだ。しょうがないなぁ……。
「……ふぅ、しょうがないわね。ちゃんとしたマッサージならエレンにお願いしたいわ。エレン以外に私の柔肌触られたくないしね」
「本当?うん、ちゃんとしたの覚えてくるよ!ありがとう、お姉ちゃん!」
……本当にちゃんとしたのを覚えてくるのか不安ではあるけれど。落ち込むエレンは見たくないからしょうがないよね。うん。しょうがない。
***
お湯から上がり着替えて私の部屋の前でそれぞれの部屋に別れ、おやすみなさいの挨拶をしてから部屋に入ると満月の優しい光がベッドの上に差し込んできていた。そして体感的に魔力がいつもより満ちあふれて回復速度がいつもより上昇している感じがする。
「ん……本当に今夜は大きなお月様……気持ちのいい光、だね……」
いつもならカーテンをきちんと閉めて寝るのだけれども、回復効果を高めるために満月と新月の晩だけはカーテンを開けたまま寝ることにしている。不用心だとは確かに思うのだけれども、ヨハンが大丈夫だと言うので安心して眠れている。今夜も同じ。…………そう思っていた。
「寝よう……おやすみなさい……」
…………どれくらい眠っていたのだろうか。ひんやりとした空気の流れと耳元に聞こえる囁くような呼び声に意識を少し戻す。
《…………きて。……ねぇ、おきて…………?》
「……んぅ……だ、れ…………?」
眠い目を擦りながら起きあがり声のする方を若干寝ぼけながら見やると確かに閉めたはずの窓が開いていてバルコニーにある二つの肘掛け椅子の片方に……私と同じくらいの年頃の女の子が座っていた。
《…………久しぶりだね。向こうの世界は……ちょっと残念だったけれど……楽しかった?》
「……………………あな、たは……だれ?どうして……それ、を?」
見知らぬ少女が微笑みながら家族しか知らないことをさも当然とばかりに問いかけてくる異常事態に私は一気に意識を覚醒し戦慄して、ベッドの上に身体を起こしたまま身を竦める。
《怯えなくても大丈夫。危害を加える気は無いわ。…………そっか、全てを思い出したわけでは無いのね……えーと、今はウィンテル、だったわね?》
「……………………」
誰だか分からないのにこの少女には何か親近感を覚えるような、それでいて抵抗不可能な畏怖を感じてしまう。
《…………また倒れたってフラウに聞いたからお見舞いに来たのだけれど……こちら側では何とか大丈夫そうだね》
「……フラウ……?…………え……?」
段々と頭の中がクリアになってくるのに従い、私は逆に信じられない事態に混乱を覚えてきて何がなんだか分からなくなってきてしまった。…………とその時だった。
「お下がりください、お嬢様。………………病に伏せるお嬢様の寝室に侵入したことを後悔させてさしあげますよ?」
音もなく開いた私の部屋のドアからヨハンが少女と私の間に割り込み私を庇うように立ち塞がった。
「申し訳御座いません、お嬢様。侵入を許すなど一生の不覚で御座います。ですが……ここから先は……」
《…………くすくすくす、邪魔が入っちゃったね。残念。また、今度会いましょう?その時は向こうの思い出も教えてね?》
「え?ちょっと待って!ねぇ、貴女は私の何を知っているの?!それに、向こうって!?」
「お黙りなさい、お嬢様を誑かそうとする異なる存在よ。……お嬢様、落ち着いてください。付け入られる隙が出来てしまいます」
《……ふふふ……私はウィンテルの味方よ?可愛いし、ね。貴女が望むなら……貴女の夢、手助けしてあげても良いのよ?》
「黙れ。そのお喋りな口を閉じなさい」
《……やーよ。相変わらずねヨハンも。ギルドギダンでの事故がなければまだ現役だったのにね?》
「なっ?…………待て、何故それを……あそこにいたのは仲間と……」
ギルドギダンという少女の口から発せられた言葉を聞いてヨハンの表情が驚愕に変わり次いでより一層の警戒感に変化する。
《さてと、ウィンテル。そろそろお暇するわね?妹のエリスに頼んで置いたから今夜のうちに半分くらいは回復すると思うから…………ゆっくり、おやすみ、な、さ、い…………?》
少女がにっこり微笑んだのを見たのを最後に私の意識は再び深い眠りの底に落ちていった。
「お嬢様?!おのれ、一体何を……」
《眠りの邪魔をしちゃダメよ?ヨハン……?二人によろしくね……?おやすみ…………》
そう挨拶するとヨハンの目の前で少女は段々と存在が薄くなり最後には空間に溶け込むようにかき消えたのだった。
「…………………………まさか、な……」
開いてしまっていた窓を閉じて戸締まりを確認し少し風にはためいてしまったカーテンをしっかり開いて纏めると握りしめた施錠護符から窓に施錠の魔法を掛ける。
「お騒がせしまして申し訳御座いません、お嬢様。……おやすみなさいませ」
すでに静かな寝息を立てているウィンテルに掛かる羽毛布団をきちんと掛け直し、一礼するとヨハンは音を立てないように静かに部屋を辞した。
「むぅ……これは……明朝、旦那様方にご報告しなければ……なりませんね……」