57.バハル湖底
「……それにしても、だ。こんなところに正攻法以外の方法で来る羽目になるとはな。まったく。たまったものじゃないな」
「まったくだ。この湯水の様に消えた魔晶石が経費で落ちるとかじゃなかったら命令されても来たくないところだな……」
魔法使いらしき風体の青年二人が淡いオレンジ色の光を放つ、炎属性をもった金属の台座に安置されている一抱えほどもある水晶球――おそらくは聖別された炎の精霊石と見られる――の前でやや疲れた表情で愚痴をこぼしていた。
それもそのはず、彼らの頭上にはどういう原理なのかは理解出来ないが透過性の隔壁が存在し、その向こうには冷たく暗い、そして生身であれば即座に潰れてしまいそうな水圧に支配された湖水の空間が広がっていて、数時間前に組織の幹部による命令のもと、文字通り湯水の如く魔晶石を食い潰しながら水圧を押し退け水中呼吸を可能にしつつ広大なバハル湖の湖底探索をし続けてようやく辿り着いたのである。
「普通はこの手の遺跡なら転移の魔法陣があって、そこから辿り着くものだろうがよ?」
「普通は、な。それが分からないから俺たちが湖底探索をする羽目になったんだろ。ま、しゃーないだろ……あれじゃぁな」
二人は湖底の遺跡に到達したのちなんとか転移以外の出入口を発見して侵入してからはしばしの小休止の後にあるべきはずの転移の魔法陣を探して回っていたのだが。
ようやく巧妙に隠ぺいされていた転移の魔法陣を発見して喜んだのも束の間、その状態を理解するとガックリと疲労感に一気に襲われてしまっていたのだった。
「よもやフェンリル神による時空間系封印が施されているとはな。……地上側での発見が困難なわけだぜ」
「だが、それだけこの遺跡が重要だという事実の裏返しでもある。ともあれ最初の封印は解けた。また戻るのが面倒だが……我々の理想実現への第一歩を踏み出したのは確かだ」
「……ウィザードか高等ルーンマスターの仲間が欲しいぜ、まったく。次に来れるのはいつになるやら……」
「ぼやくなぼやくな。どうせ第二の鍵を手に入れるまで暫くかかるだろうし、往復にかかる魔晶石を揃えるのも慎重にせにゃならん。仕事自体はたいして難しくないんだから他の連中に比べたら命の危険がないだけマシと思え」
「……そうだな。吸血鬼卿探索班は全滅したって話だしな。確かに命のやり取りがないだけマシだわ」
青年魔法使いたちは目的を果たせば長居はしたくないようで帰り支度を始めながら雑談をしていた。この遺跡に到着して一時間。辿り着くまでに数時間。帰りは迷わない分だけ短縮できるにしても水中でモンスターに遭遇などしたりする可能性がゼロとは言いきれない以上は夕暮れ前に帰るためにそろそろ出発しないとマズい。
「さて、帰るか。行きのように何事もなく戻れれば夕暮れ前には上がれるだろうよ」
「そうだな。しかし……これだけ厳重な封印の割に案外あっさり侵入できて良かった。残りの魔晶石にはまだ余裕はあるが……」
「バカ、余計な事言ってんじゃねぇ。ほれさっさと帰るぞ」
余計なフラグ立てるんじゃねぇ、と相棒にどつかれた青年が急かされて来たときと同じように必要な魔法を自分たちに掛けて侵入した場所から再び暗く冷たい湖水の中へと戻り、そして暫くしてから自分たちを取り巻く状況に気が付いて青ざめるまでそう時間はかからなかった。……遺跡を取り囲むように槍のような武器を持っている存在がかなり集団でいることに気が付き、それらがまるで遺跡を守護するかのように自分たちに背を向けていることが分かってしまったからである。
(……どうする。見つかったら終わるぞ、これ)
(一度戻れ。まだ気付かれていない。少し考える必要がある)
(了解。……畜生、古文書にはこんな記述は無かったぞ?)
(可能性があるとすれば“英雄”絡みだろうよ……)
***
『バハル湖の中心から何かのエネルギーみたいな波紋……、ですか?』
ウィンテルはマリアとアイシャを滞在中使用する二人の為のお部屋に案内したあと、部屋備え付けのお茶セットで手早く紅茶を淹れて二人から当時の様子を聞いていた。
「うん。私とウィンちゃんのお父さんとで学院長執務室のベランダから何故かバハル湖が気になって見てたら、光輝く何かが波紋のように広がるのが見えて、ウィンちゃんのお母さんに突然伏せて視線を逸らすように叫ばれて」
「ええ。二人がベランダに転がると同時に私もフェルリシアおばさまに、絨毯の上へ押し伏せられて。何かのエネルギー波が頭上を突き抜けたかと思うと、今度はウィリアムおじさまが何かに掴まれ、と」
ウィンテルはじっと光景を頭の中で再現しながら何かを考えているようだった。それが何を示し何を意味するのか。お母さんはその“光景”が何を意味するのかは知っているのだろう。けれども簡単には教えてくれそうにはないように思える。逆に考えると私が知らない方が良いというレベルの問題の可能性が高そうだ。まあ、何はともあれ今は詮索するにしても材料が足らないからどんなに頑張っても正解にはたどり着かないだろうから休養に専念するべきだろう。これからしばらくしたら“狩りの秋”が来る。今年は異常発生しなければいいのだけれども……。
『情報ありがとうございます、マリア先輩、アイシャちゃん。本日はこれからどうなさいますか?』
「そうねぇ……お昼前くらいに着替えて湖水浴と日向ぼっこかしら。アイシャは?」
「私は今日はお昼寝したい。さすがに学院の階段上り下りがきつくて足腰の疲労が……」
普段、元気の塊なアイシャちゃんがこれだけげんなりしているのだから余程のことなのだろう。確かに学院のツートップが揃って業務から離脱してしまった混乱の余波はとんでもなかったのは記憶に新しい。私も代理代行として可能なかぎりは頑張ったつもりだけど、たまりにたまっていくあの書類の山だけはどうしようもなかった。最終的に補佐控室を書類で埋め尽くしたあの状況を見て知っているだけにアイシャの気持ちに納得してしまい、ゆっくり休んでね、としか言えなかったのだった。




