55.記録の消失と秘密
『よぅ、レックス。状況に変わりはあるか?』
「いいや、今のところは平穏だな。ウィリアム」
ここ数日ミッシェルと交代しながら図書館に泊まり込んで不測の事態に備えているレックスの詰めている司書長室へとウィリアムはフェルリシアに頼まれるままに顔を出していた。
『地震の影響は?』
「……あれは本当に地震なのか?ウィリアム」
『さあな、よくわからん。ただ、ノームが悲鳴をあげていたのは事実だ』
「そうか……ま、座れ。他にも話はあるんだろ?」
『……お見通しか』
何年付き合っているんだよ、とレックスが笑いながら漆黒の闇のようなブラックコーヒーを淹れてウィリアムにも差し出す。
「“記録”に関する調査の件については難航している。大陸最大の深さを誇るうちの図書館なら確かに眠っていそうなんだが……ここ最近の異様なトラブル続きでとてもじゃないが手が回らん」
『やはり、か……。そもそもだが、なぜ“記録”がこうも綺麗さっぱり失われたのか。それが一番の謎なんだよな』
「ああ。危険な記述が回収されるというなら話はわかる。だが、たわいもないただの市民が書いたような手記まで失われるのは異様すぎる」
『……失われた大陸中のありとあらゆる知識・記録はどういう原理かは未だに判明しないが地下図書館に眠っている。だからそれほどまでに隠したい情報ならばここに眠っている可能性が高い』
英雄にして悲劇のフェンリルの巫女、リン・エンシェ。彼女の没後程なくして彼女に関する若しくは彼女が記録したありとあらゆる“記録”が大陸中から跡形もなく消え去ったのだという。
一般市民の日記。厳重に保管された魔術書。旅の記念にと交わした想いの言葉。宿屋の宿泊記録。探索日記。英雄たちの思い出。出生、そして死別の記録に至まで。ありとあらゆる形として残されていた彼女に関する“記録”が失われた。
これがどんなに異様で異質、そして異常なことか。そこまでしなければならない事があるというのか。全てはまさに闇のなかだった。
「少なくとも結界が回復するまでは無理だな。今のところまともに潜れて戻れるのはミッシェルの隊だけだ。すまんな……」
『仕方あるまい。私も潜りたいところだが……いろいろ制約が多くてな。少なくとも学院改革が終わるまでは無理だろう』
お互いに難儀な状態だな、と二人は苦笑しコーヒーを飲み下す。
「ん?ちょっと待ってくれ。コールが着たな……誰だ?」
レックスが席を外して誰かからのコールを受け話しているのをウィリアムは一息を吐きながらもう一口、飲み下す。そうして戻って来たレックスに問い掛けた。
『……ウィンテルからか?』
「良く分かるな。その通りだ。……例の揺れ、あっちでも観測されたらしい」
『……娘は感知力が鋭いからな。お前の事だから心配するな、くらいの事は言ったんだろう?』
「ああ。……立て続けだしな、調査班も組まれるだろうから気にせずしっかり休めとお前が言っていたと伝えておいたよ」
お前なぁ……、と呆れるウィリアムにレックスはなんだ、違うのかと言えばウィリアムは唐突に話題を変えて誤魔化そうとする。
『まぁそれはいいとしてだ。修復はいつ頃になりそうなんだ?“彼女ら”の知識の応用も含めて』
「…………冬までには何とかしたいところだな。その点、ハヅキの結界術、神域だっけか。かなり助かっているよ」
異世界の結界術を操るハヅキは向こう側では普通の学生だったのだという。ただ、生家が愛娘の前世の家を守護する四家の家系に生まれアイシャの前世の家系と共に魔を祓い浄める領域を設置し維持していたのだという。
『レックス、お前は知っているか?英雄が幼少の頃。彼女を守護するかのように彼女の姉妹達がエフリート、グラヴィティ、ノヴァそしてフェンリルの寵愛を受けていたという事を』
「……ん?待て、彼女は三姉妹ではないのか?」
『いや、生まれてすぐに二人養女に出されている』
レックスは初めて知る事実と何故ウィリアムがそのような事まで知っているのかと驚愕して固まっている。
『……問題はここからだ。レックス、お前は既に“秘密”を共有する仲間だから打ち明けるのだが。ハヅキたちの世界に於いてウィンテルの前世の家系、ソノギ家を守護する家も四家あったという。……まだある。ハヅキとアイシャの家系が向こう側で信仰していたソノギ家の守り神は時の神、つまり此方で言うフェンリル神だ。他にも細かく調べればいろいろでてきそうだが……何か作為的な物を感じないか?』
「…………」
レックスは無言で腕を組みじっとカップの中のコーヒーを見据えながら何かを考えているようだった。
『“記録”が消失した理由は正直皆目見当がつかん。だが集めることは何かしらの手掛かりになると考えている』
「……ウィンテルはまだ覚醒していないんだったな。……分かった。作業を急がせられるか再考してみよう。それから……ハヅキの保護も本腰をいれよう」
『頼む。もし、推測が当たっているのだとしたら……今のウィンテルと特に親しいメンバーを失わせることは悪い事に繋がりかねん。恐らく……既に寵愛持ちがいる可能性が高い』
「……王家、それも陛下直々の介入があった時点で否定出来ないな。やれやれ……」
明日からウィンテルたちに合流するから何かあればコールで連絡を頼む、とウィリアムは告げると図書館から学院への書類を受け取り、やや疲れたような表情をしたレックスに別れを告げて再び学院の執務室へと戻っていった。
***
日はすっかり暮れて月が昇り始める頃にようやく休み前の仕事を終わらすことが出来たフェルリシアたち四人は明日の打ち合わせを済ませると、フェルリシアが個人的に手配した馬車にいくらマリアとアイシャが実力者だとは言っても女性だけの夜道は危ないからと言って乗せて送り出して見送った後に自分たちも学院の馬車で帰宅していた。
帰宅後、普段通りに夕食を摂り寝るばかりになった頃フェルリシアがウィリアムに問い掛ける。
「あの子は……平穏な人生を送れるのでしょうか」
『……難しい、な……恐らくだが、エフリート、ノヴァ、そしてフェンリルは揃っている。アイシャとハヅキが側にいるのも偶然とは思えない』
「……ウィル……」
『まだ全てが揃ってしまったわけではないし、揃ってしまったからといって君を含めあの子らが不幸になると決まった訳でもない。……そしてみすみすそうさせるつもりもないさ』
『……お前たちの事はなにがなんでも幸せにしてやるさ。だから……あの子たちの事をそんなに気に病むなよ。フェルリシア・レンシェ……』
「ん……。ありがとう……あなたと一緒になれて、本当に良かった……」
ウィリアムは昼間のバハル湖の異変により少し情緒不安になりかけていたフェルリシアを落ち着かせるためにそっと左腕で抱き寄せる。そして右手をフェルリシアの頬に添え、心配するなと唇を重ね合わせたのだった。




