愛と何か
前に投稿したのが1年前だと思うと、時が流れるのは早いな、としみじみ感じます。
これで完結です。
急ぎ足なので支離滅裂な部分もあるかもしれませんが、許してください。
3
あれから、時間が経った。夕飯も済ませ、風呂にも入れさせてもらった。ボクは濡れた髪の毛をタオルで拭いていた。まだ髪の毛には湿った感じが残っていたが、どうせ時間が経てば渇くから、頭にタオルを巻いて放置していた。
ボクはいつもの監禁場所で、胡坐をかいて、天井を眺めていた。しばらく蛍光灯を眺めていたら、目がチカチカした。
阿耶夢はお菓子と飲み物を取ってくると言って、出ていった。どのくらいの量を買い込んだか見当はつかないが、それにしても戻ってくるのが遅かった。
ボクはジッとしていられなくて、立ち上がり、適当なところを歩き回った。
この部屋には特に何もなかったが、暇つぶしとして歩いた。
そういえば、この部屋でしか活動が出来ないから、ここ最近は運動を全くしていない。とはいっても、普段からしてはいないが。うむ。下腹に贅肉がたまってきた気がする。
これでは、母親と同じではないか。食っちゃ寝のような生活をしていたら、牛になってしまう。
そういえば、ボクの携帯はどこにいったのだろうか。阿耶夢に回収されたまま行方が知れない。まあ、外部との連絡を絶たせるためには、ボクに携帯を所持させないのは分かる。
せめて、江藤さんに連絡が出来ればいいのだけど……。
弥月、あいつはどうしているのかな。さすがにもう意識は取り戻しているだろう。
早く見舞いに行ってやりたいが、この状況では仕方がない。
まあ、どうせ、社交辞令なようなものだから、無理に行かなくてもいいだろう。
自殺をしたのは弥月だし、ボクには無関係だ。ボクが関わって弥月が自殺してしまったのならまだしも、全然関係ないしね。
早く家に帰りたいな。と、ややホームシックにかかっている。
ここは、ボクにとって危険な場所でしかないから、とっととケリを着けたい。
それから多分十分ぐらいが経っただろうか。阿耶夢がようやくやって来た。
両手にいっぱい物が詰まったビニル袋を提げて、それをボクの目の前へ置いた。
中から2つコップを取り出し、氷を沢山入れる。そして、ボクが希望していた飲み物、オレンジジュースをいっぱいに注いだ。
阿耶夢はサイダーを注いだ。両方とも2リットルはあるので、多すぎるぐらいだった。
ポテチの袋を開けたり、チョコとか、あとはチータラとか柿の種といったおつまみ系も取り出した。
「結構たくさん買ってきたんだね」
少し感心した。そして、こんな予算は一体どこから出したのだろうかと訝しく思った。
それにしても、2人前としてはかなり多いと思う。部屋に脂っこいような臭いが充満しだしたし、ボクの目も前はお菓子で埋もれていた。
「今日はパッと行きましょ。明るい話題で盛り上がっていきましょう」
さっそくトッポを一本平らげて、童心にも似た笑顔を見せた。
ボクはグミに手をかけて、「そうだね」と短く言った。
「じゃあ、私から」阿耶夢はハイハイ、元気よく手を上げる。ボクは「どうぞ」と差した。
「春さんって、人を殺したいと思ったことってありますか?」
ボクは一瞬言葉に詰まった。もやもやとした感情が腹の底から沸き上がった。
「どこが明るい話題なんですかね?」
さっきと言っていることがかみ合わないじゃないか。
「殺したい人の名前を挙げて悪口でも語り合おうかな、と思いまして」
「陰湿だな! 全然美味しくない話題だよ。他の話題にしてよ」
ボクは、チェンジと言った。
「春さんは、他人に対して殺意がわいたことはないんですか?」
「続けるんだね。そりゃあ……無いと言ったら嘘になるんだろうけど……」
「けど、何ですか?」
押してくる。これは何か狙っているなと察した。
「それより、阿耶夢は?」
「……私ですか? 当然ですよ。春さんは自分に暴力を振るう相手に殺意が湧かないんですか?」
「いや、それは……」
「まあ、例外はありますけど。にっこり」
「例外……?」
「ぶっちゃけ、恋心です」
「え、ごめん、意味が分からない」
「共依存、という言葉は知っていますか?」
「確か、依存されることに依存してしまうってこと?」
「はい。……うちのお母さんがいい例だと思いますが。人は他人に自分を必要として欲しいんですよ。心の貧しさから生まれるささやかな願い。その空いた心を誰かに埋めてもらいたい。それの1つが『愛』というものなんです。その『愛』というものは、例えそれが傍から見れば異常なことでも許してしまうんです。『愛』を求める寂しいヒト。他人に必要とされている、ただそれだけが望み」
「……」
「好きな人にいつまでも自分を見てもらいたいんです。その中で、「暴力」も愛の内の1つなんですよ。構ってほしい。相手にしてほしい。相手からしてみれば迷惑です。でも、人によっては、拠り所のなくなった心を、自分に振り向けてくれる。そう思いこむ。そう思う事で、辛いけど、苦しくはなくなるんですよ。春さんは、好きな人にいじわるしたことはありますか?」
「……ボクは、無い、と思う」
「そうか、同性愛主義者ですもんね」
「違う。いつボクがホモセクシャルに目覚めたんだ。それとこれとは話が全然違うぞ」
「そういう、愛の表現、てことですよ」
無視ですか。
「君の目の前でこういう事を言うのは失礼だとは思うが、理解できないよ」
「でしょうね。私は別に理解していただこうなんて思っていませんよ。ただ、こういう考えを持つ人もいるってことを知ってもらいたいだけです」
「……阿耶夢ちゃんは、何か達観したように言っているけど、何か経験を基づいて話しているの?」
「そうですよ。ある、男の子との経験を元に気づいたんです」
「前に話した、初恋の子?」
「そうです。その人に色々なことを教わりました。あの人の考えとかが、私の中で根付いて、それが、今の私に繋がっているんです」
「今の私……?」
「そうです。ロマンチックに言うと、愛の為に生きる少女。です」
「意味が分からないが……?」
「世の中には愛であふれています。私はその中での一番深くて重い本物の愛を彼に教えてもらったんです」
「それって……?」
固唾をのんで彼女の話を聞き入る。恐らく、この彼女が言う愛と言うものがボクの命運を分かつのだろう。
しかし、分からない。
愛とかと言うものの為にこんな事をするのが。理解できない。
ボクはまだ人を心の奥底から愛したことがない。そもそも好きになったことすらない。
家族に対する感情が愛だとしても、あんまりぴんとはこない。
どれが正しいのか。答えはあるのか?
「ごめんなさい。ちょっと離れますね」
すくりと立ち上がった。
「焦らすなよ」
「まあ、すぐ戻ってきますよ」
と言って、彼女は出ていった。
ボクは一人残された部屋で考えた。
彼女の話を聞くか否か。
ボクは深くは考えなかった。千載一遇のこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
ボクは美穂ちゃんからもらった睡眠薬を阿耶夢のジュースに混ぜた。
あとはこれを飲んでくれるのを待つだけだ。
そうこうしている内に彼女が帰って来た。
緊張で手が汗ばむ。
彼女がジュースを飲むかどうかを悟られないように自然体のまま見守る。
「何をしていたの?」
彼女はボクの問いに答える前にコップを持ちそれに口をつけた。
そして景気よく一気飲みだ。
「あーうまいですね」
幸せそうな顔をしていた。
「女の子に野暮なことを聞くもんじゃないですよ」
「ああ、そうか。ごめん」
内心でガッツポーズをする。
あとは時間を待つだけだ。彼女が眠りに陥るその時間まで。
「ん……? アレ……?」
以外にもその時間は早く来た。ボクが適当に話を伸ばしていると、阿耶夢の目が開かなくなっていった。こくんこくんと首を上下に揺らし、しきりに目をこする。そしてそのまま横に倒れた。
「春……さん……」
ゆっくりと目を閉じた。
「ゆっくりお休み」
ボクは彼女のポケットから鍵を取り出した。そしてそれを持ったまま部屋を出た。
特に感動はしなかった。まだ完全に解放はされていないからだ。ボクはさっきまで自分がいた部屋のドアを閉めて、鍵をかけた。こうすれば彼女は出られない。
「さて」
とりあえずは自由に散策が出来る。まずは美穂ちゃんを助けに行かなければならないな。
確かあの子の部屋の鍵は壊れているんだ。呼べば出てくるかな?
「美穂ちゃん、いるかな?」
返事がない。もう一度呼んでみる。しかし何の音もない。
美穂ちゃんはこの階のどこかにいるはずだ。
ボクは部屋を探してみた。美穂ちゃんの部屋の鍵は壊れているようだから、まずそれを探す。そして、唯一鍵がかかっていない部屋に入った。
ボクは名前を呼ぶ。しかし無反応だ。
ボクに悪い予感が頭をよぎった。
それは美穂ちゃんが阿耶夢に何かされたのではないかという事だ。
いちようこの階の全ての部屋を確認してみたが誰もいなかった。
「あの部屋か……」
ボクは一階のあの謎の部屋に行くしかなかった。
あそこには愛里ちゃんが幽閉されているようだ。もしかしたら美穂ちゃんは場所をあの場所に移されて共に閉じ込められているのではないか。
階段を下りてあの部屋に近づく。鼻をつまみたくなるような異臭がその部屋から漂う。
もしかしたら……。と最悪なことを考えてしまった。
でも、この臭いは、腐臭は、あれかもしれない。
ボクは恐る恐る鍵を使って錠を外した。そして、息を呑んで、覚悟を決めて、その部屋に突入した。
「うっ……」
部屋の外からであんな酷いにおいがしたのだから、この中はもっと悪臭だった。
「う……」
どうやら誰かがいるみたいだ。しかし、その声はどう考えても女の子の声じゃなかった。
部屋の中は電気もついておらず真っ暗だった。が、廊下の光がその部屋に差し込み、微かながらその部屋の状況が見えてきた。
電気はつかない。電球が切れているのだろうか。
「何を、やってるんですか?」
ボクは部屋にいる人に声をかけた。
そいつは一心不乱に腰を動かしていた。そして、その下にいたのは幼い女の子だった。
ピクリとも動かない。人形のように動かない。意思を持っていない。力がなかった。
「何を、しているんですか」
もう一度声をかける。するとようやくそいつはボクの声に気づいた。
そいつは何かにおびえるように部屋の隅に移動し、がたがたと震えだした。
「ダメじゃないですか。春さん」
ボクはハッとなり後ろを振り向いた。
「人の物を取ってはいけないって習いませんでした?」
目は笑っていなかった。口の両端を釣り上げ、悪鬼のような笑顔を作っていた。
「阿耶夢……!」
ボクは一瞬にして血の気が引いた。
後ずさりをして距離を置く。
阿耶夢は右手に包丁を持っていた。その刃先をボクに向けた。
「信じていたんですよ。春さんなら逃げないだろうって。もし変な気を起こそうとしなければ見逃してあげようかなとは考えていたんですけど。残念ですね」
阿耶夢は包丁を構えて突進してくる。これは冗談なんかじゃない。ボクは命の危機を悟った。ボクは彼女の攻撃を横に跳んで紙一重に避けた。
「何なんだ!? 君はなにをしたんだ?」
「私が何をした? ただ閉じ込めただけですよ。この男をね」
彼女は部屋の片隅で何かをぶつぶつと唱えながら縮こまる男性を指さした。
「話が見えてこない。一体どういう事なんだ!?」
「意外ににぶちんですね。わからないんですか? この女の子は誰だと思います?」
だらんと朽ち果てている女の子を指さす。
「説明してあげましょう。この子は竹田愛里ちゃんって言います」
「竹田……愛里……? まさか」
「そうですよ。誘拐事件の被害者。そして、その加害者、犯人はこの男なんですよ。私が探し出して、ここに閉じ込めました。愛里ちゃんの死体と共に」
「何でそんなことを」
「罪には罰が必要でしょう? そんなものも分からないんですか?」
「だからって、死体を辱めるようなことをさせてまでやることじゃないだろ!」
「何を言っているんですか? 魂のない身体なんてただの粗大ごみですよ。用済みの肉の塊なんですよ。それをどう使おうが勝手じゃないですか」
「君が何を言っているのか全然わからないよ!」
「分かってもらえなくてもけっこうですよ」
阿耶夢は包丁を両手でしっかりと握り、その刃先をまたボクに向けながら突進してきた。
ボクは腰をひねりそれをよける。阿耶夢はボクの前を通り抜ける。
「人間は……いえ、動物は魂があってこその生命なんです。自分で物事を処理し、上手に生きていく。そして多くの年月をかけて自分を築き上げていく。その結晶が魂なんです。そして死んだらその結晶は見るも無残に粉々に砕け散る。それが死」
阿耶夢はボクを見ながら笑う。
「私は愛里ちゃんの事が大好きでした。あの愛くるしい笑顔。こんな私を慕ってくれる無邪気さ。あの優しさに心を癒されていたんです。ですが、この男が私の大切な宝物を傷物にしただけではなく、粉々に壊してしまった。だから、これが報いなんですよ」
阿耶夢は男の方に目を向ける。男は小さく悲鳴を上げて身が縮こまる。そして、包丁を高々と振り上げ、それを下ろす。それは男の太ももに深々と刺さった。男は断末魔の聞くに堪えない声を上げるのだった。
「やめろ!」
ボクは阿耶夢の肩を掴もうと走る。しかし、阿耶夢の体に触れる前にみぞおちを蹴られ、地面にみっともなく倒れこむ。体をくの字に曲げ痛みに悶える。
「春さん?」
きょとんとした顔で首をかしげる。狂気をはらんだ声ではなく、数分前の、ボクと談話していた時の声色に戻っていた。
「大丈夫ですか?」自分でやっといて何を言っているんだ。
阿耶夢はとことことボクのそばに来てしゃがみこむ。
ボクはまだ声を出せないでいた。
彼女はボクの髪の毛を掴みとりそのままボクの頭を持ち上げる。
激痛が走る。反射的に首に力が入り痛みを和らげようとする。
そして、首筋に包丁を突き付けれられる。
「私はですね」彼女がボクの耳元で囁くように言う。「お父さんを殺した……正しくは見殺した、ですけど、それが私にとってどうしても許せない事なんです」
後半の方から声が震えだした。怒りに満ち満ちていた。
「だから、殺します」
「や……め……ろ……」
阿耶夢はボクの髪の毛から手を放す。
「まだ殺しません。話したいことがたくさんありますから。それに、この休日のビックイベントを簡単に終わらせるわけないですから」
フフフと優しく笑う。
「まあ、まずは説明をしてあげますね。分からないことだらけでしょうから。とりあえずは何故私が睡眠薬を飲んだのにもかかわらずこうして起きているのかを説明します。理由は簡単。あれはただの栄養剤です。睡眠薬の効果なんてありもしない話です。春さんがその薬を手に入れたのは美穂ちゃんからですよね? 残念、あの子は私の味方なんです。この計画の協力者です。
私は、愛里ちゃんが誘拐されたと聞いて、必死に犯人を捜しました。そして、ここが怪しいのではと目星をつけました。そして案の定ここにいました。しかし私が見つけたときにはもうあの杏里ちゃんはいませんでした。
そして代わりにいたのが美穂ちゃんでした。この子はまだ生がありました。
私はささやかな罰として、この男が殺した死体と共に一つの狭い部屋で監禁させることです。自分が犯した罪を分からせようとしたんです。
私がこの男をここに閉じ込めたとき、どうせなら春さんの監禁、今回の計画に携わってもらおうと考えました。助けたお礼として、協力をしてもらったんです。まあ、見ての通りうまい事行きました。
ちなみに美穂ちゃんは無事ですよ。眠ってもらっています」
淡々と語っていく。ボクはそれをただ黙って聞いていた。所詮彼女の掌で転がされていただけだったのだ。美穂ちゃんにまで裏切られていた。
「大体は、分かりましたね」
彼女が喋っている間に蹴られた痛みはだんだんと和らいでいった。隙を見てどうにかして彼女を止めなければ。
「……」
ボクは考える。
今回の騒動は復讐だ。見殺しにしたボクへの罰だ。
疑問として、彼女がボクに言った「愛している」の言葉は一体どんな意味が込められていたのだろうか。ボクを油断させるための物だろうか。
「君にとっての愛とは何なんだ? 本当に愛しているのなら、杏里ちゃんの死に姿を辱める事なんてできないはずだ」
「春さん、私は言いましたよね? 魂のない身体なんてゴミも同然なんです。それ以上もそれ以下もない。身体なんかより魂、心。それがこの世界の理です」
ニコッと笑う。
「先ほど私は、魂が砕け散るのが死だといいました。まさにその通りなんです。たとえば、よくある話ですけど、人を殺したとき、その殺した時の感覚が手に残っている、なんてありますよね。それは、その人の魂の一部が、欠片が、そこに飛んで行ったんです。または人が死んだときその人がそこにいるような感覚に陥る。これも魂の一かけらがそこに残っているんです。つまり何が言いたいかというと、人は死んでも、その魂は到る所に残るんです。私は、愛した人のその魂をすべて回収したい。だからここであいつも、あなたも殺します」
「くるってるな」
「はい? まあ確かに多少は言われます。これは私の最愛の人の受け売りです」
「最愛の、人?」
「ええ。その人は、私の黒く汚れた人生を真っ白にし、新しい色を塗ってくれた人でした。背中の傷は、その人と心中しようとしてできた傷です。抱きしめあい、お互いに背中をナイフで突き刺しました」
「その人は、どうなったの?」
「さあ? ご想像にお任せします」
ボクはこのことに深く言及はしなかった。この意思、価値観はボクごときが覆せるものなんかじゃない。
なんだか、彼女がものすごく哀れに見える。
不遇な人生を味わい、その中からようやく見つけた幸せ。しかし、それは間違いかもしれない。いや、違うと断言できる。
ボクは決意する。
うだうだとあの時のことを引きずっていた。あの過ちに苦悩していた。しかし、それから決着をつける時がきたんだ。
ボクは彼女を助ける。
結局はボクの価値観の押しつけになるかもしれない。それでも、いい。
「ねえ、阿耶夢ちゃん」
「何ですか?」
「ボクがやったことは確かに認められるものじゃない。はっきりとした罪だ。だけど、その罪を君に罰してもらうわけにはいかない」
「何を言っているんですか?」
「君は君の信念で生きているように、ボクも信念で生き抜いていくよ」
「何を……」
ボクは彼女の体を突き飛ばした。彼女は不意をつかれ、しりもちをつく。まだ彼女が動揺しているその隙を狙い、包丁を持っている方の手を蹴る。包丁は遠くへ飛んでいく。
「ふざけやがって……!」
彼女は反撃に出る。不安定な格好でボクの体を蹴り上げる。
彼女は立ち上がりボクの顔面に右ストレートをかました。
ボクは仰向けに倒れる。痛みに悶える。
「ほんと、落ち着かない人ですね。もう、殺す」
彼女は飛んだ包丁を取りに行く。しかし、そこには美穂ちゃんがいた。そして、包丁の切っ先を阿耶夢に向けていた。
「眠ってなかったんだ」
「飲むわけないです」
対峙する二人。ボクはゆっくりと上体を起こす。
「やめてください。私は阿耶夢さんにこんなことをしてほしくないんです。阿耶夢さんはわたしを助けてくれた。そして、やさしく接してくれた。わたしは、本当の阿耶夢さんはこんなことをしないと思っています。ただ、そうであるべきだと自分に嘘をついているだけだと思います。笑ったり怒ったり泣いたり嬉しそうにしたり、それが本当の阿耶夢さんです! お願いです! いつもの阿耶夢さんに戻ってください!!」
「何を言っているのかわからないんですけど? あんなの、私じゃないよ? ね? 危ないからそれを下してさがっててね」
「いやです! 私は阿耶夢さんを助けたいんです! だからはなしません!」
「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
横からあの誘拐犯が阿耶夢に向かって突進してきた。
油断をしていた阿耶夢は男に突き飛ばされる。そしてそのまま馬乗りにされ男に顔を何度も殴られる。
「ふざけやがって。俺をなめやがって……」
罵詈雑言をふっかける。つもりに積もった恨みが阿耶夢を襲う。
いくら彼女であっても大の男の力にはなすすべもないのか。
「死ね!」
阿耶夢は首を絞められる。必死に抵抗するが、それは無理に等しい。
「やめて! 阿耶夢さんを殺さないで!」
男は美穂ちゃんの声に構っていない。
美穂ちゃんは男に包丁を突き付け突進する。
「やめろ!」
ボクは美穂ちゃんにとびかかりそれを阻止する。
「離してください!」
「君が阿耶夢ちゃんに人殺しをさせたくないようにボクも君たちに人殺しなんかしてほしくないんだ!」
そういうと、美穂ちゃんは大人しくなった。そして、嗚咽を漏らし、涙で顔をぐしょぐしょにする。
ボクは美穂ちゃんが持っている包丁を部屋の外に投げ捨て、阿耶夢を殺すことに夢中になっている男へ全速で走る。そして飛ぶ。男にボクの全力の飛び蹴りをお見舞いした。
男はびくんびくんと痙攣し、気絶した。
「阿耶夢ちゃん、大丈夫か?」
「訳が……わかりません」
喉を抑え、せき込む。苦しそうに顔をゆがめる。
「どうして、私を助けたんですか?」
「美穂ちゃんと同じだよ。死んで欲しくなかったから。それ以外にない」
「私がしたことは分かっているんですよね?」
「死のうとしてたの?」
「……」
「ボクは、誰にも死んでもらいたくないんだ。例え犯罪者でも」
「なぜ?」
「死ぬのは逃げ、だろ? もしほんのちょっとだけでも罪の意識があるのなら、生きていてもらいたい。消える事のないその罪を背負いながら、生きていくんだ」
「甘いんですね」
「そう、かな?」
「はい」
「もし」
「?」
「もしもまだ、君がお父さんの件でボクを殺したかったのなら、殺しに来るといい。だけど、ボクは殺されない。君に罪を犯してもらいたくないから。何が何でも生き延びて見せる。だから安心して殺しに来るといい。だけど、もうそういう気持ちがなければあの部屋で談話した時のように仲良く、できれば友達になってもらいたい」
阿耶夢はうつむく。何も言わない。
「阿耶夢さん、またわたしと遊んでください」
阿耶夢からすすり泣く声が聞こえる。ボクはそっと彼女の細い身体を抱きしめた。
彼女は今までの感情をぶつけるようにボクの腕の中で泣き崩れるのであった。
エピローグ
「やあ、弥月。お見舞いに来たよ」
「あら久しぶりね。元気だった?」
「まあまあだね。それより、なんで自殺なんかしたんだよ」
「死にたかったから。それ以外に理由はある?」
「はあ」
「何よ溜息なんかして」
「別に。何でもないよ。ただ、キミと話せてよかったなあ、と思っただけだよ」
「何を言ってんの? 気持ちが悪いわ」
「なんか、こうしていると事件も終わったな、て感じがしてさ」
「?」
あの後ボクたちは警察の取り調べ地獄にあった。
また、運よく江藤がその役に入ったので細かい所は見逃してくれた。
愛里ちゃんの遺体は遺族の元へ。そして美穂ちゃんも無事家に帰れた。
どうやら、美穂ちゃんの両親は共働きで美穂ちゃんに構っていなかったそうだ。親への愛が薄く、寂しかったそうだ。そういったことも踏まえて、阿耶夢は美穂ちゃんに優しくしていたようだ。少し自分と重ねていたのかもしれない。
肝心の阿耶夢は、入院している。精神病院でカウセリングなどをうけているそうだ。
とりあえず、退院してから、彼女がどう変わったのかを見る必要がある。いい方向へと進んでくれたらうれしい。
「弥月はさ、自殺はやめれないの?」
「無理な話ね。死ぬのが私の夢だもの。だから、貴方とこうやって会話なんかもしたくない」
「はいはい。まあなに、死ぬばかりが幸せ、て事でもないよ。生きることにも意味はあるんだ」
「何なの? 頭でも打った?」
ボクは笑う。
「ただ、少しだけ楽になっただけだよ」
では。また別の作品で。