3章
マンネリ化している気がする。
多分気のせいだと思う。
1
「こんにちは」
阿耶夢がいないのを見計らって、美穂ちゃんがドア越しから話しかけてきた。どうやらボクと同じで何事もない様子だ。
「阿耶夢から何もされてない?」
「大丈夫ですよ。それこそ春さんは無事なんですか?」
「ボクもなんともないよ」
「そうですか」
美穂ちゃんは胸をなでおろした。ドア越しからでも分かるように安堵していた。
「今は長く話しても大丈夫なの?」
少し間があった。多分、下の様子をうかがっているのだろう。
「はい。買い物に行っているみたいですので、しばらくは……」
「そうか。それならいいよ。美穂ちゃん、聞きたいんだけど、君がここを抜け出さない理由って何なの? それは、本当にやらなければならない事なの? 君が居なくなって、親とか心配になっているでしょ?」
「……はい。そうです。やっぱり、理由は言えませんが……。どうしても、ここに残らなければならないんです。それは、確かに、お父さんやお母さんに心配をかけてしまうかもしれませんけど、それ以上に、大事なことなんです。助けてあげたいんです」
「助ける……? 愛里ちゃんの事?」
「…………はい。春さんは、守りたいと思う人はいますか?」
唐突な質問だった。守りたい人……? どうゆう訳か、ピンと来なかった。それはつまり、そんな人はいないって、事なのか?
それは極端だな。
「守りたい人か……恥ずかしいけど、家族、かな?」
阿耶夢に家族を人質に脅されたとき、失いたくないと強く思った。
確かに、妹は生意気だし、父親とは話さないし、母親は寝ている印象しかないし……。それぞれに好印象を決してもってはいない。だけどそれでも、大切に想う。たった一つの血のつながった家族なんだから。
「素直に出てくるってことは、幸せな家庭なんですね。多分、私の質問の意図とは違っていますけど、それもまたいいものですね」
「? どういうこと?」
「私の独り言です。私の守るべきものがここに在るって事です。ですから、春さんにこれを渡します」
すっと扉の隙間からあるものが現れた。
「これは……?」
まじまじとそれを吟味する。
「この家にあったものです。難しいかもしれませんが、阿耶夢さんに使ってください。どのくらいの効力があるかはわかりませんが……。少しでも抜け出せる手助けにはなると思います」
「ありがとう。タイミングがよくわからないけど、有り難くもらっておくよ」
「はい」
今回の会話はこれで終わった。
美穂ちゃんからいいものを授かった。だがしかし、これをどのようにして阿耶夢に使用するかが、難解だった。
2
「春さん、餌の時間ですよ」
「餌っていうなよ」
阿耶夢が昼食を持ってきた。ボクを中傷しながら。
「ミートソーススパゲッティを作ってみました」
にこにこと明るい笑顔で皿を差し出された。
ボクはお礼を言いながらそれを受け取った。
「阿耶夢、悪いんだけど、粉チーズってない?」
ボクは粉チーズがないとこれを食べる気になれない。変なこだわりがあるのだ。
「そういうだろうと思って、持ってきましたよ」
待っていましたよと言わんばかりに、ほっこりとした表情で、パルメザンチーズをどんと置いた。
「相変わらずボクの趣味をことごとく網羅しているね」
「はい。そのぐらい簡単に調べ上げる事が出来ますよ」
「え、どうやってそんなどうでもいいことまで調べ上げるの……?」
ボクはフォークで麺をくるくる巻きながら質問をした。
「春さんの妹さん達、空手とかやってますよね?」
「え、うん、そうだけど……」
「私も、秋紅ちゃんと冬雪ちゃんと同じ道場なんですよ。そこでたくさん聞きました」
「思わぬところに伏兵がいたよ」
ボクはフォークを置いて、額に手を置いた。もうあきれてものも言えなかった。
「じゃあ、もしかして、あの2人が道場で唯一勝てない存在って……」
「ああ、それなら私ですよ。いやぁ、中々強いですよね。まあ、勝てますけど」
ドヤ顔はいいよ。
「へー。妹たちがお世話になってますね」
「いえいえ。どういたしまして」
「そうか。阿耶夢は空手を習ってたんだ……」
と、ここで疑問が一つ浮上した。なんてことはない疑問だが。何故、阿耶夢の親は阿耶夢に空手なんか習わせたんだろう。父親に隠して習ってたのなら、まあいいのだが、何故それを反抗手段に使わなかったのだろうか。
虐待をするような輩の大半は自分より力が下である人に暴力をふるうと思う。体格差でどうにかまかなえるかもしれないが、反抗する意を示し続ければ暴力は止んだと思うのだが、そういう訳にはいかなかったのだろうか。
前文に挙げた人の場合は、自分の方が有意だと思っている。逆に言えば自分が有意ではなかったら、そういう行為はしないという事だ。
空手なんていう、護身術の一種を身に付け入るのであれば、相手の先入観を真っ先に折れば良かったのではないか。
「春さん、なんか嫌なこと考えていませんか?」
ぎくりとした。
多分ずっと黙していたのだろう。深く考え事をすると黙り込んでしまうのはよくない癖だ。
「いや、別に……」
「多分、空手とかやっていたなら反抗とかできたんじゃないかな、という安直な考えを出していたんじゃないですか」
「うーん……そう、だね」
安直か。なるほど。確かにそうかもしれないな。
「私のお父さんだって空手の経験者ですよ。5段ぐらい取ってたかな。まず、勝てないし、そもそも反抗する気なんて私にはありませんでしたよ」
「え? どうして?」
「諦めていた、って言った方がいいですかね。いえ、多分希望だったのかもしれません」
「希望……?」
「はい。いつか、そんな事をしなくなり、普通のお父さんになってくれる日が来るように、と。そう望んでいました」
「お父さんの事は嫌いではないの?」
「嫌いですよ。でも、少なくともそれは人として。お父さんとしては、まあ……本当に数えられる程度ですが好きな時もありました」
「……」
「でもまあ、嫌な人でしたね。居なくなればいいのに、って思った回数の方が遥かに多いですよ」
阿耶夢は笑顔で話していた。
しかし、それは無理やり作った笑顔だった。
物寂しいような笑顔が、ボクの胸に突き刺さり、心が痛んだ。
だけど、阿耶夢の心の方が何十倍も痛いはずだ。
最低かもしれないけど、ボクは彼女に同情した。
「そんな目で見ないで下さいよ」
「あ、ごめん……」
くすりと彼女は笑う。
「それにしても、妹がいるっていいですよね。別に妹に限らず、兄弟が欲しかったですね」
阿耶夢は話題をごろり変えてきた。
ボクは水を啜り、その後に返答した。
「そう? 生意気で面倒くさいよ」
「やっぱりね、人間って、自分の無いものに憧れを持つんですよねぇ。そして、あるものはウザくて捨ててしまいたい。おかしな話ですよね」
阿耶夢は床に寝転がった。座っているのがつかれたのだろか。
「で、失った後に大切なものに気づく」
月並みの言葉だが、彼女のセリフに合うような言葉を選んだ。
「そうですね。本当にそうです」
阿耶夢は床に肘を置き、両手で顎を支えていた。足をじたばたとさせながら、ボクの言葉に賛同していた。
「秋紅ちゃんと冬雪ちゃん両方貰ってもいいですか?」
「あんなものを欲しがるなんて変わっているね。お言葉に甘えてぜひ譲って差し上げたいよ。あんな生意気な奴ら」
「えー? 私には随分と優しいですよ。ものすごく慕ってくれてますよ」
それは阿耶夢には勝てないからだろう。上の奴には従順である、犬かあの2人は。
「阿耶夢は何か大切なものでもあるのか?」
「そりゃあ、ありますとも。お母さんとか……あの人とか」
「あの人?」
「私の初恋の人です。あ、どうせだったら、今から恋話しません? 語り明かしましょうよ」
「いや、生憎だけど、ボクはそういった色恋話とかないんだよね……」
「なんだ、童貞か」
「おい」
事実だけど言い方があるだろうに。
「私も処女ですよ」
「そういうアピールはいらないから。というか、他人の性体験の有無は興味ない」
「負けた気分になるからですか? 春さんは中学2年生ですよね? 14歳ですよね? 人生最大の発情期じゃないですか。ばかすかヤらないんですか?」
「ヤな言い方をするな。失礼極まりないよ」
「堅物ですねぇ。でも、春さんには神谷弥月って人がいるじゃないですか」
ここであいつの話が出てくるとは思わなかった。あんま話題に出したくないんだよねぇ。ボクまで変人扱いされるから。
もっとも、この場では変人が目の前にいるから、どうと思われても構わないのだがな。
「アレはただの知り合いだ」
「結構噂ですよ。弥月さんと付き合う男が現れたって」
ああ、ボクの人生が終わった。
「冗談です」
「冗談か」
ひとまず安心だ。
「ただの知り合いって言いましたが、その「ただの知り合い」が事件を一緒に解こうなんてしますかね?」
「ノリ……かな?」
前回の件はこれだとして、今回協力した理由はさすがに本人の目の前では言いたくない。
「ノリですか?」
「うん。なんか断れなくて」
「春さんは、訪問販売とかに弱そうですね」
それを言いなさんなって。
「春さんがどういった経緯で弥月さんと出会ったのか興味ありますよ。2人の馴れ初め」
「馴れ初めとかいうな。そんな仲じゃない。いいか、ボクらが出会ったのは……」
「あ、話すんですか?」
「どっちだよ。聞きたいのか聞きたくないのか」
「春さんは、話したいのか話したくないのかどっちですか?」
「何だよ、それ。ボクはどっちでもいい」
「じゃあ、聞きたくないです」
「元から聞く気なかったんかい」
「冗談ですよ。もう、冗談が通じないんだから。それで、どうなんですか?」
「まあ、どうってことないよ。あの日、ボクは廃墟となったビルに立ち寄っていたんだ。そういう所に行くのが中々好きだったからね。それで、そこの屋上へ着いたら、弥月がいたんだ。柵を乗り越え、今にも飛び降りそうな彼女がね。それが最初だったね」
「へー、相変わらずの自殺狂なんですね。そして弥月さんは飛び降りたと」
「もしそうなら、トラウマだっただろうね。それで、最初は普通に別れたけど、幾日か経って、また弥月と屋上で出会ったんだ。そうしたら、一緒に事件を解決してほしい、て頼まれたんだ。ボクは……やっぱ、ノリ、でかな、それで協力したんだ。あとはまあ、流れで」
「なるほど。断片的に分かりました。やっぱ、春さんってお人よしなんですね。わざわざ付き合う義理もないのに」
「お人よしなのかな……?」
「まあ、やっぱり兄妹だな、と思いますよ」
「? 秋紅と冬雪に似てるってこと?」
「はい。でも、あの2人は面白がって首に突っ込むタイプですけどね。それでも、結局は他人の為に人事を尽くす。春さんも少し似ていると思いますよ。嫌と言いながら、結局は興味本位で付き合う、それで最後まで見届ける、みたいな」
「それは、お人よしとはつながらないでしょ」
「他人に言われたら断らないでしょ?」
「あまり、ね。うーん、確かにそうだね。それにしても、ボクの事を知っているかのような口ぶりだよね
「当たり前じゃないですか。好きな人を知らないなんてお笑い草ですよ」
「それはもういいよ。気になっていたけど、そろそろ、ボクの事を好きとかいう理由とか話してくれないかな?」
「えー恥ずかしいですよ」
阿耶夢は顔を赤らめる。もっとも、ほんのちょっとしか変化がなかったが。
「夜、話しましょう。春さんには聞いてもらいたい話がたくさんありますから」
「聞いてもらいたい話って?」
「春さんが質問した話とか、恋バナとか、あとはそれに伴った私の思想、とか?」
「思想?」
「それは後々」
にやりと、怪しい笑みを浮かべる。
「ところで春さん、話を少し戻しますけど、いいですか?」
「うん、いいよ」
「春さんに、守りたい人っていますか?」
「守りたい人?」
そういえば、美穂ちゃんにも同じことを聞かれたな。
「大切な人はいますか、の延長線上の質問です」
「言いにくいけど、家族、かな?」
「家族ですか……」
阿耶夢は複雑な顔をした。失言だったかと、戸惑った。
「いいと思いますよ。そういうのも。もっとも、私は家族ではなく他の人ですが。あ、お母さんは別ですよ。あと……あの人は……まあ、どうでもいいです」
あの人っていうのは、お父さんの事か。それは確かにどうでもいいかもしれないな。だけど、阿耶夢は口ではこう言っているが、真意はどうなんだろう。ボクの事を恨んでいるのだろうか。
阿耶夢はボクに復讐はしない、と言っていた。それはつまり恨んでいない、と解釈していいのだろうか。理解が追い付かない。そもそも、阿耶夢が何を考えているのかがさっぱりだ。
「春さん、私は、大切な人を守るためなら、鬼にだってなりますよ。例えば、ホラ、子連れの熊とか。狂暴ですよね。あんな感じになりますよ」
「鬼と熊は別だろうけど、それは相当怖いだろうね」
「傍若無人、ですよ」
それはかなり嫌だな……。
「まあ、守りたい人だから、大切なんだね」
「違いますよ。大切な人だから、守りたいんですよ。どんなことをしてでもね」
「同じなんじゃない?」
「違いますよ。にっこり」
自分で言うな。
「さて、ごめんなさい、長話してしまって。もう、冷めちゃってますね」
「あ……」
長いこと話していて、食べるのを忘れていた。スパゲッティからはもう湯気は立っておらず、微妙な暖かさが残っていた。
「続きは夜にしましょう。お酒とか飲めますか?」
「いや。酒は飲みたくないよ。というか、飲めないだろ、年齢的に」
「そうですか。キンキンに冷えたビールが冷蔵庫の中にあったので、一緒に飲みたいなって思っていましたが、残念です。ちなみに、私も飲めません。ほろよい一本で限界です」
「飲んだことあるのかよ。とにかく、酒はだめだからね。そのかわり、オレンジジュースをもってきてね」
「好きなんですか?」
「わりと」
「わかりました。では、ご希望道理にそれを持っていきます。適当にお菓子も買ってくるんで、それで夜更かししましょう」
「わかった。ありがとう」
「長い夜になりそうですね。にっこり」
だから自分で言うな。
でも、確かに、今夜はGWの中で一番長い夜になりそうだ。
ボクは阿耶夢と同じように、にっこりと表情をつくった。
最初は前編後編で考えていたのがおかしいと思う。
やっぱり、計画倒れは当たり前なんでしょうかね。
多分、あと六話はかかる。
とはいっても、その中の2話はいらない話といえばそうなんですけどね。