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愛と何か  作者: 夏冬春秋
2/5

1章

思ったより長くなりそうです。

最初の会話はプロローグの続きです。

三日目





 A・Kは陽気な笑顔を見せながら、夕食を持ってきた。夕食はボクの大好物であるハンバーグだった。それとご飯と野菜の盛り合わせだった。ハンバーグの上に、ケチャップでハートマークとLOVEの文字が描かれていた。


 気持ち悪いな、と怪訝な顔をし、すぐにその文字をフォークで塗りつぶした。


「あ、酷いです」


 A・Kは憤慨したが、「これがボクの食べ方だ」と強気で言うと、しぶしぶ納得してくれた。勝ったみたいで気持ちよかった。勝利の余韻に浸りながら夕食を頂いた。


「今晩は春さんの好物を作ってみました。美味しいですか?」


 確かにおいしい。店でも出してみればいいんじゃないだろうか。ボクはA・Kに「うんうん、美味しい」と褒め言葉をとりあえず言った。


A・Kは「そうですか。ありがとうございます。丹精込めて作った甲斐がありました」と言った。


 正座で、ニコニコ笑いながらボクが食べているのを見ていた。


「そういえば、どうしてボクの事をあれこれ知っているんだ?」


「愛している人の事を何も知らないのはおかしいじゃないですか。何ほざいているんです? 常識ですよ」


「常識……か?」


 ボクは人を好きになったことがない。今までに一度も。だから、人が人を愛す感情が分からない。もしボクが人を好きになったら、A・Kみたいに色々調べちゃうのだろうか。分からないなぁ。好きな漫画やゲームとかで、気に入ったキャラクターの事を深く知ろうと調べたり覚えたりするのと同じ原理だろうか。


「ストーカーも愛の一種なんだよね?」


「私がストーカーだと言いたいんですか? 残念ながら私は、ただの愛の探究者です」


 格好よく言おうとしているかもしれないが、つまりはストーカーだろう。


「うーん……愛しているんだったら、何で監禁とかするんだよ」


「やっぱり、愛している人と常に居たいじゃないですか。それに、私が見ていないときに何をしているか気になっちゃうじゃないですか。だからこうやって私の傍に置いておくんですよ。他の人と居るかもって考えると、怒りが沸々と煮えたぎって、周りにいる人を皆殺しにしたくなるんです。私だけを見ていてほしいんです。他の人なんか一切見てはだめ。地球上には自分と私の二人しかいない、それぐらい想っていてくれなきゃ嫌なんですよ」


 何ともまあ、嫉妬深く、自己中心的な考え方、ストーカータイプというよりかは、束縛タイプだな。ヤンデレの素質あるかもな。


「私は、あなたを愛しているんですよ。だから、コレをしているんです」


 白い歯を見せた。ゾッとした。


「……」


 それにしても、やっぱり妙な気がする。


 A・Kはボクに対して「愛している」などと言っているが、A・Kが言うそれには違和感が残る。何かしっくりこないのだ。


 考察するに、A・Kは「愛している」またはそれに似た言葉を使うとき、ボクの目を見て言わない。ボクの勝手な考えではあるが、普通、好きな人、愛している人に対して、その言葉を使うなら、きちんと目を見て言うはずだ。恥ずかしいからあえて目線を外す人も中に入るかもしれないが、目は嘘をつかない。やましい気持ちがあり、その気持ちを伝えるなら、自然と目を外して言ってしまうはずだ。目を見ることで、相手に混じりけのない想いを伝えることができる。


 A・Kは恥ずかしがり屋だから素直に目を見れない、は通じないと思う。確かに、妙に顔を赤らめて、恥ずかしそうにする素振りを見せたが、本当にそうなのか疑わしい。しかし、それはボクの感情論だ。そこは半信半疑である。


大した根拠ではないが、その言葉に気が籠っていない。そう思えるだけだ。ただ台本通りのセリフを読むだけみたいに、自分の言葉で、本心で言っていない。上辺だけのようで軽い。


「春さん」


 食べながら、熟考すると、突然声をかけられた。ビックリして喉に食べ物が詰まった。急いで水で流し込み、ひとまず落ち着いた。


「大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫」


「春さん、食べ終わったら、一緒にお風呂入りましょう」


「は?」


 何を言っているのか分からなかった。ボクは動きが止まった。


「いや、風呂に入らなくていいよ。もし、入れてくれても、1人で十分だし」


「何言っているんですか。お風呂に入らなければ、ばっちいですよ。それに、春さんを1人にさせるわけにはいきませんから。私は全然気にしないんで大丈夫ですよ」


「ボクは気にするよ。いいよ。入らない」


「ごちゃごちゃとうるせぇな。入らねぇと目ン玉潰すぞ」


 一瞬にしてボクからフォークを奪い、目元にそれを突き出した。数ミリという距離だった。背筋が凍った。


「はい」


 としか言えなかった。


「わーい。春さんとお風呂にはいれるなんて嬉しいなぁ」


 先ほどの言動が幻だったかのように、キャラが違っていた。今は女子みたいにはしゃいでいる。


 異性と風呂に入ったのは、母親と妹たちとしかない。大波乱が起きそうだ、と大層なことを言ってみる。




 

 A・Kが一旦、食器を片付けに行き、再び閉じ込められた。その時、コンコンとノックされた。A・Kかと思ったが、すぐに鍵を開けなかった。しばらく経っても何も起きなかった。怪奇現象とかでそういうのがあるが、ボクはそれをあり得ないと思っているので、そのノック音に警戒した。


A・Kに以外に誰かいるのか、そういう結論に至った。ボクは急いでドアの前に立ち、小声で、「誰ですか?」と尋ねた。間が空いて返事も何もなかった。もう一度「誰かいるんですか?」と尋ねた。すると、ノックの音がした。


「A・K?」


 質問すると、何も答えは返ってこなかった。A・Kの手の込んだ悪戯か? と勘ぐっていたら、返事が返って来た。


「いいえ。違います」


 A・Kとは違う声だった。少女の声で、A・Kより幼かった。


「君は誰?」


 ボクとA・K以外に人がいるとは思ってもみなかった。とにかく、ドアを挟んだ向こう側の人の正体を知りたかった。


「わたしは、鷲田美穂と言います」


 鷲田美穂……どこかで聞いたことがある名前だ。


 思い出した。誘拐されていた子だ。何故そんな子がこんな所に……? 決まっている。ここに監禁されていたのだ。しかし、疑問がある。


「何で、外に出られているの?」


「わたしの部屋は鍵が壊れていて、簡単に出入りが出来たんです。あなたも、そうなんですか?」


「うん。それより、早く逃げた方がいいと思うよ。簡単に出入りが出来るなら、いつでも隙を見て逃げられる。ボクはこの後、A・Kと下に行くから、そのとき、逃げて通報してくれ」


「でも……」


「ボクの事はいい。まだ何もされてないし」


「……わたしにはやりたい事が……ごめんなさい、来てしまいました」


「あ、ちょ……」


 ドアに聞き耳を立てると、階段をゆっくり上る足音と、遠ざかる足音の2つが聞こえた。ボクは急いで布団の上で寝そべり、何もなかったように振る舞う。


 ドアがノックされ、A・Kが部屋に入る。


「お待たせしました」


 抑揚のある声で入って来た。


「こちらが春さんの替えの服とタオルです」


 服を手渡された。パジャマだ。大人用らしく、ボクには大きすぎた。この服は、家の中にあったのだろうか。


「それじゃあ、行きましょう」


 ボクはA・Kの後ろを着いていく。


 多分コイツが、あの誘拐事件の犯人だろう。


 そうなると、最初の被害者、竹田愛里ちゃんもこの家にいるのだろう。


 ――わたしにはやり残した事が……。鷲田美穂ちゃんが言っていたコレは、竹田愛里ちゃんを助けることだろうか……。


 ボクは2人を助ける事を考える。この家には4人いる。3人とも無事に逃げられるだろうか。その為にはまず、竹田愛里ちゃんを探さなければならない。せっかく外に出してもらったのだから、それを利用しない手はない。


 ボクは階段を下りているとき、A・Kを突き落そうと考えた。服を両手で持っているし、ボクが背後にいるのだから、狙える隙はある。だから、蹴りで突き落そうとして、片足を上げ、それをA・Kに向けて攻撃した。


 それを読んでいたのか、ヒラリとあっさりかわされた。ボクは片足立ちになり、バランスを崩しかけた。その時、A・Kは重心となっている片足を蹴り上げた。ボクの身体を支えるものは何もなく、一瞬空中に浮いた後、勢いよく段差に尻をぶつけた。


 普通に失敗に終わった。


「ダメですよ。そんなことしたら」


 口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。


「次、そんな事をしたら、分かっていますよね? 忠告はしておきましたよ。ホラ、立てます?」


 手を差し出す。ボクはその手を掴んで立ち上がる。


 手をつないだまま、浴室に向かった。


 1階に来るのは昨日ぶりであった。2階に閉じ超えられていた時は感じなかったが、やはり、生ごみのような、腐った臭いが鼻につく。


 A・Kはこの臭いが感じないのか、平然としていた。この臭いを感じるのはボクだけなのか? そんな筈はない。この嫌な臭いは誰だって気づくはずだ。ただ耐えているだけだろう。


 ドンドン……ドンドン……。


 どこからか、ドア(?)を叩く音がする。普通のドアを叩く音とは異なった。リビングの奥から聞こえているようだった。もしかすると、竹田愛里ちゃんがそこに居て、助けを求めているのかもしれない。


「ちょっと待っていてくださいね」


 洗面所に入れられ、タオル掛けの所に手錠をかけられた。行動する範囲を縛られたため、A・Kの後を追うことは出来なかった。


 遠くから、壁か何かを蹴る音が聞こえる。叩く音はそれで止んだ。そして、ドアが強く、閉じられる音がした。その後何があったか分からない。そこからの情報が何もなかった。


 5分ぐらいか、そのぐらいして、A・Kが戻って来た。


 A・Kの表情は別人と思えるぐらいに豹変していた。


 普段の明るい顔とは真逆だった。見たものを凍り付かせるような冷酷な目をしていた。そしてA・Kは殺気立っていた。禍々しいオーラを感じ取った。余計なことをしようとすれば、たちまち殺されかねない気がした。ボクはA・Kの逆鱗に触れないよう黙っていた。


 A・Kは洗面所で手を洗い始める。真っ赤な水が排水溝を流れていく。


 返り血でも浴びたのか、頬に血が数滴あった。両手は真っ赤で、ポタポタと血が垂れていた。服も血でまみれていた。


 ボクはA・Kに今まで感じたことのない恐怖を味わった。ボクは腰を抜かしていた。


 そしてボクは初めて自分の命を危惧した。そして、自分の立場を認識させられた。


 「もし私が春さんを――として……」昨日、A・Kが言葉を濁して一部だけ聞き取れなかった部分だ。今ならあそこで言った言葉が分かる気がする。


 ――A・Kはボクを殺す気でいる。


 ボクはそう確信した。





「あー生き返る」


 久々にお風呂に入る感覚というのは気持ちがいい。体の芯まで温められるようで。体の汚れが落ちていくようで、気持ちいい。


 先にお風呂に入れと言われたから、先に湯船につかっていた。もちろん、入る前にシャワーで体と髪の毛を洗った。


 A・Kは着替えているのだろう。それにしても、遅いなと思った。別に来ないなら来ないでいい。安心できるからだ。しばらくは、1人の時間を満喫しよう。


「入ってもよろしいでしょうか?」


「う、うん……」


 いくらタオルで隠してあるからと言っても、恥ずかしい。異性で風呂に入るなんて、ボクには予想したこともなかった。


 扉を開けると、バスタオルに身を包んだA・Kがいた。目の前に半裸の女子がいると考えると、早く逆上せてしまいそうだった。A・Kは思っていたより細かった。


 目線を外し、なるべく見ないように努力をする。


 A・Kは自分の体を洗い始めた。「邪魔」と言ってバスタオルを外してしまった。無造作に投げられたバスタオルは、浴槽の中で浮いていた。


 なにこの状況……?


「春さん、私を見てください」


 シャワーを止めて、ボクに変な要求をしてきた。


「嫌だよ」


 さすがに、見れない。


「私の背中を見てくれるだけでいいですって。今、背中を向けていますから」


 いちよう、ボクも男子の端くれなので、「しょうがないな」と渋々言いながらも、要求をあっさり呑んでしまう。


 ボクはA・Kを見て、驚いた。


 A・Kの体には無数の痣が残っていた。青く変色したそれは点々とA・Kの体に張り付いていた。


 それと、背中の右下部分に、刺された痕が残っていた。数針縫った後もあった。


「バスタオルを取ってください」


 そういわれて、バスタオルを取った。A・Kはそれを体に巻き付けて、その格好で湯船につかった。2人入ると、余計に狭かった。


 A・Kと密着しているようだった。極度の緊張が走った。鼓動が高くなっていく。


「私の事、分かりましたか?」


「……どういう事?」


 あの痣を見せて、分かったことなんてあれぐらいしかない。


「にぶちんですね」


「もしかして……いじめ、とか?」


 ボクはあえて自分の考えとは違うことを言った。反射的にそれを出すのをためらった。


「違いますよ。わざとでしょ?」


 A・Kの声は風呂場だからよく響いていた。


「私の口から言わせないでください」


 A・Kが初めて弱々しい表情を見せた。


「……虐待、か……?」


 A・Kは小さく頷いた。「私の事、分かりました?」そこでもう一度確認を取った。


 正直言って分からなかった。だがしかし、頭が妙にさえていた。ボクが知っている人物で、A・Kという綴りで、虐待を受けている。これらのヒントで導き出されるのは誰か、その見当がついた。


加藤(かとう)……阿耶夢あやめ……ちゃん?」


 つまり、加藤博一の一人娘である。


「その通りです」


 ボクは、納得したと同時に、ますます頭が混乱した。


0-1



 私は3人家族でした。


 お父さんはサラリーマンで、お母さんは専業主婦でした。


 お父さんの趣味は酒、タバコ、ギャンブルでした。毎日酔って帰って来て、その酔った勢いで私たちを殴りました。反抗的な目をしていると、言われもないことで殴られもしました。私はいつも「こんな家、早く出ていきたい」と言っていました。お母さんは困った顔をして、「あの人は、私がいないとダメだから……」と言っていました。


 お母さんが愛した人を信じるのはお母さんの勝手ですが、私を巻き込まないでほしかった。「愛」というものは、どうしてここまで人を縛り付けるのでしょうか。あの頃(・・・)までは私は知りませんでした。


 私は昔から泣かされていました。昔からその記憶ばかり鮮明に残っています。


 あまりにも日常的に行われるものですから、私は暴力を受けている子供は私だけではなく、どの家庭でもそれが日常であると信じていました。


 骨が折れたこともあります。血もはいたこともあります。私は、毎日毎日新しい所に痣を作っては、それを隠しながら学校に通い、普通に授業を受けていました。


 皆、毎日大変なのに、明るく居られて凄いな、と思っていました。私は、他の人に負けじとムードメーカーとして、クラスの中心となり皆を盛り上げていました。


 体育の時間、私はお母さんの言いつけを守っていました。体育のある日は、必ず下に体操着を着て登校しなさい、と。それと、プールの授業は必ず欠席しなさい、と。


 私は私の体についた痣を見られてはいけない、と言っているのだと思った。皆が体に痣を作っているはずなのに、どうしてそんな事を言うのか分からなかった。


 体育の授業はどの授業よりも一番大好きだった。その中で一番楽しい筈のプールの時間がただ見ているだけなんて寂しかった。大体、いつも見学をしているのは私一人で、他のみんなは水着姿で楽しそうにじゃれあっていた。私は、みんなとあの輪の中に入りたいと思っていた。


 どうして私だけなんだろう? 私だけがダメな理由ってなんなんだろう?


 いつも疑問に思っていました。


 小学校4年生の時です。


 その時期の冬に、学年で1泊2日の研修旅行がありました。私は少しの間だけ、あの家から解放される、と飛び跳ねて喜びました。1つだけ気がかりだったのは、お母さんを1人あの家に残す、という事だけでした。


 いつも2人に向かっている暴力のベクトルが、1人だけに集中すると、陰惨な結果になりかねないからです。いつもの倍の苦しみを味合わなければならないのですから、それは相当な地獄です。


 私は出かける前にお母さんに「ごめんなさい」と謝りました。お母さんやいつもの優しい笑顔で「いってらっしゃい」と心配する私の背中を押して送り出してくれました。


 学校に集合でしたので、そこへ向かいました。そしてそこから皆でバスに乗って、目的地へ向かいました。


 そこは森林に囲まれた所でした。キャンプ場で、今晩はバンガローに数人のグループで泊まる予定でした。鳥のさえずりも聞こえて、空気もおいしく、いい所でした。


 昼はレクリエーションを行い、歩き回りました。夜は自分たちの班で協力して、カレーを作りました。ご飯は焦げていましたし、カレーは水っぽかったです。だけど、そういう、キャンプとかの料理って、みんなで作ったことに意味があるんですよね。補正が強くて、また昼にたくさん動いたのもありましたから、美味しかったです。


 問題はその後起こりました。近くに温泉があるらしく、そこへ入浴することになっていました。着替えを持っていき、友達と楽しみだね、と話しながらそこへ向かっていました。


 入浴した時に、私は友達にあの痣の事を指摘されました。私は失念していました。そもそも、お母さんのしつけには入浴について言われていなかったし、行く前にも特に注意を受けませんでした。私は当たり前のようにその汚い肌を露出していました。


 みんなの肌は白くてきれいで、私のように痣など1つもついていませんでした。


 私はようやく悟りました。――ああ、私の家だけが異常だったんだな、と。みんなは、虐待を受ける日々はないんだ。私だけだったんだ。


 信じていたものが崩れ落ちたとき、途端に怖くなりました。


 普通のみんなは家に帰ったら、お父さんの帰りにビクビクすることもない。暴力や罵声を浴びせられる毎日なんかない。家族円満で、家庭に笑いが堪えない、そんな日々を過ごしているんだ。


 ずっとずっと、みんなもそうなんだ、と信じていました。だけど、私だけだった。苦しさを紛らわせていた拠り所が消滅した時、私の傍には何も残りませんでした。


 家に帰ったとき、私はお母さんに「どうして私は普通じゃないの?」と尋ねました。多分泣いていました。言葉もしどろもどろで、感情に任せて言葉を吐き出しました。お母さんはただ優しく私を抱きしめました。


 「お父さんが居なければいいのに」そう言いました。お母さんは「こんな苦しい思いをさせてごめんね」と私と一緒に泣いていました。


 私は、お父さんが居なければこの世に生を受けることはなかった。お母さんが別の男性と結婚する世界があるならそこに私はいない。でも、お母さんが笑える世界があるのなら、私なんかいなくてもいい。私の命でお母さんの平穏が約束されるなら、喜んで死にたい。


 このまま生きているのは地獄でした。いっその事生まれてこなければ良かったと思うときがあります。だけど、時々生きていて良かったと思えるような嬉しい出来事があります。


 生きていなければ苦しいと感じなませんし、生きていなければ嬉しいとも感じません。自分の不幸を呪うことも、お父さんに憤りを覚えることも、泣くことも、笑うことも、動くことも、話すことも、何かの体験で驚きを感じるのも、すべて、生きているから味わえることなんです。


 そう考えると、生きていて良かったな、と思えます。だけど、こういう事は普通の家庭に生まれて感じたかった……。


 ただ死にたい、それだけしかありませんでした。


 いつか幸せが来る。だけどそのいつかって、いつだろう。そんな不明瞭な未来を想像していても辛いだけでした。


 私は死ねる時があればいつでも死んでやろうと思っていました。


 でも、私が死んだら悲しむ人の事を想えば、死んでやれなかった。


 私は探していました。生きたい、そう強く思える人生を。


 それは以外にも早く私の元へ来るのです。





「阿耶夢……ちゃん、だったの?」


 風呂を上がり、ボクたちはあのボクが監禁されている部屋に移動した。そこで向かい合い、話し合いをしようとしていた。


「阿耶夢でいいです。私の事を覚えてくれていたんですね?」


「そ、それは……もちろん」


「別に、あなたの事なんか恨んではいませんよ。もちろん、他の近所の人たちも」


 その言葉はボクでも嘘だと分かった。


「分からないんだよ。ボクは君の事を助けなかったし、面識もなかった。それなのにどうしてボクを監禁して、しかも、「愛している」だなんて言うんだ?」


「分からなくていいんです。私の考えなんか理解してもらわなくても結構です。ただ、これだけは言わせてほしいです。私の愛は、あなたの中にあります」


 阿耶夢はボクの胸を人差し指でつついた。ボクは阿耶夢とつつかれた胸を交互に見た。混乱が増すばかりである。


「君の話はよく分からない。1つだけ聞いていいかな? 君はボクの秘密を知っているのかい?」


「秘密ですか?」


 小首を傾げる。立ち上がり、周囲を歩き回る。阿耶夢は窓の前まで歩き窓を開ける。夜風が透き通った。少し肌寒かった。


 阿耶夢は壁にもたれかかって、前で手を組む。唇を舐め、間を置く。しばらく沈黙が続いた。


 ボクは阿耶夢の返答をただただ待っていた。手が汗でびっしょり濡れていた。緊張が増していた。せっかく風呂に入ったのに、汗が噴き出て、もったいなかった。


 阿耶夢はようやく、口を開いた。


「知っていますよ。私が救急車を呼んだんですから。春さんが慌てて路地裏から出てくるのを見て、興味本位で路地裏を覗いたんです」


 ボクは胸がズキズキと痛んだ。良心の呵責に耐えられそうになかった。


「あの時は、気が動転していて……」


「言い訳なんかどうでもいいです。それに、重要なのはそこじゃありません。私が聞きたいのは、春さんが発見した時、あの人はまだ生きていたんですか?」


「生きていたよ。君のお父さんは」


・・・・・・


1か月前のあの日の夜。ボクは暇だったので散歩をしていた。適当にあそこの道を通った。辺りは静かで、涼しかった。星空を見上げながら、歩を進めていた。

 

 その時、悲鳴が聞こえた。低いうめき声だった。ボクは何事かとその声がした方へ走った。


 着いたその場所で、1人の男性が蹲っていた。「どうかしたんですか?」と恐る恐る尋ねてみると、男は死にそうなほどの擦れた声で、「助けて……」そうボクに言った。


 どういう状況か掴めていなかった。男の上体を起こそうと背中に触れたとき、ヌメッとした何やら生暖かいものが手に触った。薄暗くてよく見えなかった。だけど、数秒遅れて、ボクはそれが血だと認識した。


 気が動転していた。男は何度もボクに「助けて」「助けて」とせがむ。急いで携帯で救急車を呼ぼうとしたが、そこでボクの手は止まった。


 この男の顔を思い出したのだ。最初、知らない男性かと思っていたが、実はそうでなかった。


 加藤博一。近所で噂が立っていた最低な奴だった。


 どうしてここで血だらけになっていたかは分からなかったが、ボクは自分が今どうするべきなのか迷った。


 こいつがやったことは知っている。でも、助けないと死んでしまう。だけど、身体がいう事を聞かない。


 男は何度も「助けて」という。ボクは怒りを覚えた。お前はその言葉を何回かけられたか分かっているのか。お前は救済の手を求める相手に苦しみを与えてきたじゃないか。


 ボクは困惑した。ボクはどうすればいいのか。こいつには怒りを覚えているが、恨みはない。だけど、このまま死ねば助かる人もいる。


 結果――ボクは逃げ出した。


 仕方ない、これは仕方がないんだ。と根拠不明な言い訳を自分に言い聞かせて、逃げ出した。


 翌日になってボクはあいつが死んだことを耳にする。


 ボクがやったことは正しかったのだろうか。誰か教えてほしかった。


 だけど、これだけは分かる。少なくともボクはあいつを見殺しにした。


・・・・・・


「そうですか」


 阿耶夢は顔を伏せた。


「言っとくけど、ボクはあいつを刺してなんかいない。来た時にはもう誰かに刺されていた」


「誰に刺されたかはどうでもいいです。重要なのは、あなたが逃げ出した時にこと切れていたかどうかです。私が春さんを見かけて、路地裏に入った時には死んでいました。その僅かな時間で、いつお父さんが死んだのかを知りたいんです」


「ボクは……あの男が動かなくなった後、逃げ出した」


 嘘は言わなかった。この状況で嘘なんかつけない。仮につけたとしても、ボクの良心の呵責が堪えられない。


「春さん正直ですから好きです」


 阿耶夢はニッコリと笑った。その朗らかな表情は今まででみた中で一番自然に出たものだと思う。それだけではなく、阿耶夢のその言葉は、嘘は混じっていなかった。正真正銘の本音である、そう感じ取った。


「復讐……ではないの?」


「違いますよ。何であの人の為なんかに復讐なんてしないといけないんですか? 私は、自分自身の……そうですね、愛の為に春さんをこうしているだけです」


「阿耶夢にとって、その愛ってなんだ?」


 阿耶夢は壁に寄りかかるのを止めて、ボクの横を通り過ぎた。そして、ドアをあける。


「時期に判ります。それでは、お休みなさい」


「……」


「あ、あとそれと、GWが終わる頃には、必ず解放させてあげますから」


 阿耶夢は最後にそれを言い残すと、バタン、とドアは静かに閉めた。


 ボクは1人残されたその部屋で小さくうずくまった。



 時間は分からない。でも、阿耶夢がいなくなってから1時間以上は経っただろう。その時、ノック音がした。


 鷲田美穂ちゃんだった。どうやらまだ逃げていないようだ。


「どうしたの?」


「あの……頼みごとがあるんです」


「頼み事?」


「はい。あの、下の階のリビングに、開かずの間があるんです」


「それで?」


「そこを開けてもらいたいんです」


「そこには、何があるの?」


「竹田愛里って、知っていますか?」


「もちろん。やっぱりここにいたの?」


「はい。春さんに助けてもらいたいんです」


「ボクに? でも、出られないし。美穂ちゃんは無理なの?」


「あそこの部屋の鍵は、阿耶夢さんが持っています。部屋の鍵を束にして管理しています。それを奪って、ほしいんです」


「美穂ちゃんは、こうして外に出られるんだから、逃げて警察に連絡してくれれば早いと思うけど……?」


「そうなんですけど、前にも言ったように、わたしにはやらなくてはいけない事があります。その為にはここから出るわけにはいかないんです」


「理由は話せない?」


「ごめんなさい。話せません」


「……分かった。危険かもしれないけど、やってみるよ」


「ありがとうございます」


「1つ、確認しておきたいんだけど、美穂ちゃんは、阿耶夢に誘拐されたの?」


「……はい、そうです」


「そうか……。あと、美穂ちゃんって下の階に行った事はある?」


「あります」


「あの、変な臭いって分かる?」


「……分かりません」


「あの、この前下に行ったとき、ドアを叩く音がしたんだけど、あそこに愛里ちゃんがいるって、ことでいいんだよね」


「間違いないと思います」


「そうか」


「ごめんなさい。そろそろ、危ないので……」


「うん、分かった」


「本当に……お願いします」


「任せて。2人とも、必ず助けてみせるよ」


「……お願いします」


 これで美穂ちゃんとの話は終わった。


 風呂場で見たあの血だらけの阿耶夢の姿。あれを思い出す。愛里ちゃんに危険が迫っているのは誰の目にも明らかだ。


 明日だ。明日必ず助けてみせる。


 消化した謎、拡散した謎。今日は様々な事が起こった。


 いよいよ明日。物語は佳境へと入る。



関係ありませんが登場キャラを整理しておきます。


吉野春…主人公


神谷弥月…ヒロイン


江藤…刑事


吉野秋紅・冬雪…春の妹


加藤阿耶夢…監禁者


加藤博一…阿耶夢の父親


竹田愛里…1人目の被害者


鷲田美穂…2人目の被害者




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