二人で一羽(+一人)
深い暗い森。
――あの森には、決して入ってはいけませんよ。
――あそこには、恐ろしい鳥のような化け物がいるんだと。
――迷い込んだ人間を、骨の髄まで食べてしまうのよ。
――何でも二匹いて、仲良く獲物を分けるらしいぜ。
――あんな不気味な森なんて、なくなってしまえばいいのに!
そんな風に囁かれる、森があった。
「……それは何ですか、兄さん」
棲み処としている木の元に帰って来た兄を見て、ポルックスは顔をしかめた。
二人の外見は瓜二つ。鴉色の長い髪に、鳥のような丸い目。そして、頭には黒く尖った一本の角が、背中には黒い片翼が生えていた。
「奥の方でうろうろしていたからね。連れて来てしまったよ」
弟と同じ顔で、カストルは微笑む。
「しまったよ、じゃないでしょう! 食べもしない人間なんか連れて来てどうするんですか。元いた場所に戻して来てください」
ポルックスがびしっと指差す先には、カストルの服を握って恐る恐るこちらを見つめる、小さな女の子がいた。
「僕もそうしようと思ったんだけど、この子が放してくれないんだ」
「その割に嬉しそうですね」
「だってこの子、僕のこと怖がらないから」
そう微笑んで、手首の辺りから羽の生えた手で、女の子の頭を撫でる。彼女は一瞬びくっとするが、嫌がる素振りは見せなかった。
「……それでも、人間は人間です。兄さんが行かないのなら、僕が行きます」
ポルックスが女の子の腕を掴もうとすると、
「ま、まって」
小さく彼女が言う。カストルは、しゃがんで目線を合わせる。
「何だい?」
「お兄ちゃんたちは、わたしを食べるの?」
少し震えた声。
「そんなことしないよ」
「人間なんか食べるわけないだろう。僕たちが食べるのは植物だけだ」
兄が笑いかけ、弟は眉をひそめた。女の子はほっとしたような、でもまだ不安そうな表情になる。
「ところで、君はどうしてこんな森にいるんだい? 入ってはいけないって言われてないのかな」
カストルの問いかけに、女の子はうつむく。
「……お父さんがね。『働けもせず、買い手も見つからないお前のような子は、化け物の餌にでもなった方がいい』って。お父さんがいうんだから、そのほうがいいのかなって。だから、来たの」
「………そっか」
自分の方が泣き出しそうな顔をして、カストルは彼女を抱きしめる。
「人間なんて、ロクなものじゃない」
ポルックスは、吐き捨てるように呟いた。
日が暮れた。森は橙色に染まる。
「どうしてこうなるんですか!」
女の子と仲良く手を繋いでいる兄を前に、弟は怒鳴った。長い髪の先が不機嫌そうに揺れる。
「だってルルは家に戻っても何をされるか分からないし、僕だってそんな父親の所へ彼女を帰したくないよ」
マイペースに微笑むカストル。女の子の名前はルルというらしい。さっきまで、二人で森を探検していたのだという。かなり打ち解けた様子だった。
ポルックスは顔をしかめて、厳しい声を出す。
「だからと言って、僕たちが世話をする必要はないじゃないですか。放っておけばいいんです、人間なんて」
「ポルは本当に人間が嫌いだね」
困ったようにカストルは言う。
「ルルはいい子だよ」
「関係ありません」
「可愛いし、僕たちのことを怖がらない」
「それがどうしたんですか」
「ねえ、ポルックス」
ふと、カストルは真顔になる。
「お願いだ。ずーっとじゃなくていいんだ。一緒に、この子を守ってあげよう」
と、頭を下げる。ルルも『おねがいします』同じようにする。
ポルックスは、兄にこんな風にお願いされて、断れたためしがなかった。ルルというらしい人間も、小さいなりにとても真剣なようだった。
「……分かりました」
溜め息と共に告げると、二人の顔はぱっと明るくなった。ルルはちょこちょこと寄ってきて、
「ありがとう、ぽるくす」
にっこりと笑ってみせた。ポルックスはたじろぐ。
「き、気安く呼ぶな。それに僕はポルックスだ」
「ぽるくす!」
「……もうそれでいい」
疲れたような弟とどこか楽しそうなルルを、カストルは微笑ましい思いで見つめていた。
その日の夜、三人は森で採れた木の実や果実を食べ、ルルを挟むようにして木の上で眠った。始めは怖がっていたルルも、今はポルックスの片翼を握って、すやすやと寝息を立てている。
「どうしてこんなことに……」
弟のぼやきに、兄が反応する。
「でも、ルルは可愛いだろう?」
「……別に」
「隠さなくてもいいじゃないか。僕からすれば、ルルは僕よりも君に懐いているように見えるよ」
ポルックスは頬をかいた。
「確かに、彼女が他の人間とは違って、こう……純粋なのは認めます。でも、人間は人間です。出会い方が違えば、彼女だって僕らのことを恐れていたに決まってます」
「そうかな」
「そうです」
言い切ると、『おやすみなさい』と弟はそっぽを向いた。ルルの手を振り払うようなことはしないまま。
「おやすみ」
カストルもまぶたを閉じた。
翌朝。三人で果実をかじっていると、ルルがポルックスの羽をつつき、尋ねた。
「かすとーとぽるくすは、飛べるの?」
「一人では無理だけどね」
「兄さんと二人でなら飛べる」
柔らかく兄が、どこか誇らしそうに弟が答える。
「ルルも飛んでみたいかい?」
カストルの問いかけに、ルルは大きくうなずく。ポルックスは大いに反対した。
「僕は嫌ですよ! 人間を連れて飛ぶなんて。そもそも、誰かと一緒に飛んだことなんてないじゃないですか」
「ポルックス」
「は、はい」
「この通り」
「このとーり!」
強烈な既視感に、ポルックスは頭を抱える。が、二人の無邪気な顔を見ると、
何となく断れないのだった。
「……一回だけですからね」
ハイタッチを交わす二人を前に、彼は色々諦めることにした。でもそれは、どこか心地良い諦めだった。
カストルは右手で、ポルックスは左手でルルを抱えるようにして、それぞれの片翼を羽ばたかせた。息はぴったりだ。
「やっぱり、重いですよ!」
「そうかな。もう少し頑張ろう!」
「わぁ、ういてる、ういてる!」
「こら、暴れるな!」
わいわいやいやい言いながらも、二人――一羽と一人はぐんぐん上昇していく。
森も、その向こうの町も、何もかもが小さく見える。カストルもポルックスも、この景色が好きだった。自分たちは何物にも縛られてはいないのだ、と実感できるからだ。
「どうだいルル。怖くはないかい?」
「ちょっとこわいけど、だいじょうぶ! たかいたかい!」
「だから暴れるな! 落とすぞ!」
「う、ごめんなさい」
と、急にカストルの表情が鋭くなった。
「……人間だ」
「ああ、本当ですね」
ポルックスも嫌そうに目をやる。一人の男が、何やら武器を携えた男たちを連れて森を歩いているのが見える。
「……お父さん」
ルルが小さく呟いたのを、二人は聞き逃さなかった。互いに目配せすると、男たちが行くであろう方向に降下する。
「お父さん、迎えに来たみたいだね」
着地して、カストルが話しかける。うなずくルルは、嬉しそうにも少し寂しそうにも見えた。
「ルルは、お父さんが好きかい?」
「うん!」
「……そっか。来てくれて良かったね」
寂しげに微笑む兄に、弟は呆れた様子で尋ねる。
「兄さん、まさか寂しいんですか?」
「寂しいに決まってるよ。ポルだってそうだろう?」
「いえ、やっと静かになってむしろ嬉しいくらいです」
その言葉に、ルルはショックを受けたような顔になる。
「ルル、大丈夫だよ。ポルは素直じゃないから、本当のことが言えないんだ」
カストルが頭を撫でると、『そっかぁ!』と嬉しそうにポルックスに抱きついた。顔をしかめながらも、彼はそれを邪険にはしない。
「ああ、お父さんが来たみたいだよ。僕たちは木の上から見ておいてあげるからね」
「うん!」
兄弟は木に跳び上がると、人間たちに見つからないように隠れた。相手は武器を持っているようなので、万が一のためにこちらも弓矢を用意しておく。
しばらくすると、父親一行が到着した。
『お父さん!』
ルルが父親の元に駆け寄る。
『ルル! 良かった、生きていたか』
彼も笑みを浮かべた。その様子を見てカストルはやはり寂しく感じながらも、弟に言う。
「ね、人間も酷い奴ばかりじゃないんだよ。あの父親も、きっと心を改めたんだ」
「……それでも、人間は嫌いです」
けれどポルックスの言葉には、昨日ほどの棘は感じられなかった。
だが、二人はルルという純粋な人間に触れたおかげで、すっかり忘れてしまっていた。
良い人間もいる。しかし、悪い人間も確実に存在することを。
『あのなぁ、ルル』
彼女の手を握り、父親は話しかける。
『お前のような子どもを買ってくれる人が出てきたんだ!』
ルル、カストル、ポルックス。三人の表情が固まる。
『慌てたよ。もし化け物に食べられていたらどうしようかと思ったが、無事で良かった』
『……わたし、売られちゃうの?』
ルルの震えた声。
『そうとも。喜べ、これからはその人の下でしっかり働かせてもらえるんだからな』
父親の歪んだ笑みと言葉に、兄弟は言葉が出なかった。カストルの顔は蒼白になっている。
『……やだ』
『何だって?』
『いやだ。わたし、売られるのやだ!』
ルルが叫んだ。
『売られるくらいなら、かすとーとぽるくすといっしょに暮らす!』
『誰だそれは。こんな所にいたら化け物に食べられてしまうだろう』
『かすとーもぽるくすも、わたしのこと食べたりしないっていってたもん!』
『とにかく、買い手も決まったことだし帰るんだ』
強引に細い腕を引っ張る。
『いやだ!!』
ルルの声が森に反響する。二人は、何もできないままだ。
『ごちゃごちゃ騒ぐんじゃない!』
ぱしん! と乾いた音がして、ルルが地面に倒れた。
「――っ!」
動いたのは、ポルックスだった。父親に向かって矢を放つ。
『ぐあっ!?』
彼が倒れると、周りにいた男たちが駆け寄った。
構わず、ポルックスは舞い降りる。
「……やっぱり、人間は最低だ!」
吐き出すように叫んで、人間たちを睨みつける。
「化け物だ!」
「撃て!」
「殺せ!!」
大勢から銃を向けられ、彼はとっさにルルを抱き寄せた。固く目を閉じる。
痛みは、襲ってこない。
銃を構えた人間たちは悲鳴を上げ、次々と倒れていった。皆、体のどこかに矢が突き立っている。
「兄さん……」
いつの間にか、目の前に兄が立っていた。
「出て行ってくれないか」
弟であるポルックスですら今までに聞いたこともないような、温度の低い声音。
「今ここで殺されたくなければ、すぐに出て行くんだ」
ポルックスからは見えないが、地面に這いつくばる人間たちを見下ろすカストルの顔は、恐ろしいまでの無表情だった。
「る、ルルを返せ。この、化け物が!」
父親が喚く。カストルは、一歩彼の前に近づく。
「ルルの前だから、お前にもあまり手荒なことはしたくない。でも、これ以上まだ何か言うつもりなら、本当に殺してしまうよ? ルルの前でも」
そう言って、嗤ってみせた。〝化け物〟と呼ぶに相応しい、そんな笑みだった。
父親たちは震え上がり、無様に這いずりながら退散していった。
それが見えなくなると、カストルが口を開いた。
「ほら、ルル。嫌な人たちはいなくなったよ。もう大丈夫」
ポルックスも我に返り、ルルから離れようとする。が、ルルはしがみついている。
「……う」
「る、ルル?」
「うわぁぁぁぁぁん!!」
そのまま、ポルックスの胸で泣き出した。驚いたが、優しくルルを抱きしめる。その角を、カストルが優しく撫でる。
「ありがとう、ポル。ルルを守ってくれて」
「それは、体が勝手に……」
「人間は、嫌いかい?」
突然、そう聞いてくる。
「……嫌いです。今日でもっと嫌いになりました。でも」
大泣きしてはいるが、どこか安心したような様子のルルを見やる。
「ルルだけは、別です」
「そうか」
カストルは心底嬉しそうに笑うと、弟とルルをぎゅっと抱きしめた。
今回の双子は、Twitterで「#フォロワーさんに自分のイメージもらって自分の星座を人外化する」というタグから生まれました。双子座です。ルルは、単に私の趣味です(笑) 人外×幼女っていいと思いませんか…?
ここまで読んでくださりありがとうございました!