滅びのちから
――また、わたしを治療して。
翌日のことです。いつもの保健室で、頬を赤くしながら見せた少女のお腹には打撲の痕がありました。
「これ、どうしたの? 転んだの?」
少女は曖昧に笑うだけでしたが、治療するのに否はありません。少年がお腹に手を当てると、彼女ははにかんだような笑みをこぼしました。
「魔術師さんの手、あったかくて気持ちいい」
それから数日。少年の下駄箱に『保健室で待ってるね』と書かれたノートの切れ端が入っている日がたびたびありました。ベッドの上の少女は、決まって青あざを作って彼が来るのを待っていました。
「元気になったからってはしゃぎすぎなんじゃないの?」
「あははっ、そうかもね!」
もう何度目になるのか分からない治療をしながら少年は少女をからかいます。
最近は手を当てている時間が長くなりました。「魔術師さんの手で触られてると、強くなれそうな気がする」と言って少女自身がそれを望んだからです。
その日、いつも通り少女に向かい合っていると自分の視線がいつもより上を見ていることに気が付きました。
「あれ? 背伸びた?」
「うん、伸びたよ。魔術師さんより大きくなっちゃった」
「ええっ、うそだあ」
「ほんとほんと!」
初めて会った時は少年の方が五センチ以上高かったはずです。
「あれっ……本当だ」
お互い立ち上がって背比べをしてみると、確かに少女の方が大きくなっていました。少年は地味に落ち込みます。
ところが、ベッドに座り直した少女は一転して大きなため息をついて表情を暗くしました。
「どうしたの?」
「あのね……弟の調子がね、よくないの」
「それって、お腹の中にいる弟?」
「うん。無事に生まれるかどうか分からないって、お医者さんが言ってたの聞いちゃった」
――助けて、くれる?
無言で訴えかける少女の目に抗うことは出来ませんでした。目蓋の裏に浮かんだひまわりの影を振り切って、少年は彼女の母を訪ねることにしたのです。
少女に導かれてたどり着いた先は、少年の知っている病院でした。
「お母さん、入るよ」
「お、おじゃまします」
肩をすぼめながら扉をくぐります。見慣れた保健室と同様、白で統一された部屋にはベッドが一つしかありません。そしてそこに少女とよく似た、けれど初めて会った時の彼女より何倍もやつれて見える女性がいました。
「……あーくん、君はいつになったら元気な顔を見せてくれるのかなぁ。お母さんはあーくんの顔が早くみたいの。ねっ、あーくんあーくんあー……」
風船のようにふくらんだお腹を撫でながら、うつろな目をして女性は何事かをつぶやいています。部屋に入ってきた少女たちには全く関心がないのかこちらを見もしません。
「え、えっと……この人が?」
「そ。わたしのお母さん」
信じられずに問うた少年に、少女は即答します。何もかも諦めているような、いつか見た作り物の笑みを顔に貼り付けて。
「は、初めまして」
「ねぇ、あーくんはもうすぐ出てきてくれるんだよね? お母さんずーっと待ってるの。だってあーくんは私の初めての子どもなんですもの。元気に生まれなきゃ嘘だもの」
少年は自分の挨拶が完全に無視されたことよりも、女性のその言葉に打ちのめされました。
「初めて、の……?」
「お母さんね、ずっと男の子が欲しかったの。だから女のわたしはあまり可愛く思えないんだって。おかしいでしょ?」
まるで冗談を聞いたように「あはははは」と笑う少女を見て、少年は薄ら寒い気持ちになりました。
少女はランドセルを下ろすと、壁際にあったパイプイスを引き寄せて母親の隣に腰掛けます。
「お母さん。今日はね、魔法使いのお友達を連れてきたの。凄いんだよ! わたしの体も、わたしが何で寝込んでたのか教える前に治してくれたの!」
――わたし、病気じゃなかったんだけどね。
「え?」
母親を前にした少女の目は怖いくらい見開かれていました。初めて見る少女の雰囲気に気圧されて、少年は喉まで出かかった疑問を飲み込みます。そして母親はなおも娘ではなく天井を見上げてぶつぶつとうわごとを呟き続けていました。
「……お母さんね、弟の命が危ないかもって言われてからずっとこうなの。前からわたしの話なんて聞いてくれなかったけど、それでもこんなじゃなかったのに」
「そ、それって……もしかして、」
いわゆる虐待と呼ばれるものを受けていたのではないか。少女の体にあった痣を思い出し、少年が口を開こうとした時です。
――治して、くれるよね?
少女の大きな目に正面から見据えられて、なぜか鳥肌が立ちました。どんよりと雲が広がっていた空からは、いつの間にか雨が降り出しています。
……しばらくの間、病室の中には窓を叩く雨の音だけが響いていました。
「も、もちろんだよ」
少年もおっかなびっくり女性の横たわるベッドへと近づき、そのふくらんだお腹に手をのせます。予想に反して女性は何の反応も示しませんでした。
「ねえ、お父さんはいないの?」
左手に気持ちを集中させながら気になったことを尋ねます。
「うん。わたしが生まれてすぐに事故で死んだって。だから弟の父親はわたしの父親と違うの。まあどっちの顔もわたしは知らないんだけど」
そう言って、少女はまたあの偽物の笑顔を作ります。少年は顔を背けながら、ぎり……と歯を食いしばりました。少女が二度とそんな顔をしないですむように、左手に力を注ぎ込むことに集中します。
治療を始めてから三日目の夜のことです。ベッドの周りにあった物々しい機械が取り外され、少女は胎児の健康状態が落ち着いたと医者から報告を受けましたがそれを少年に伝えることはしませんでした。
それから二週間あまり、毎日のように治療は続けられたのです。
くすくす、くすくす。
一人きりの家で、少女は笑います。暗い部屋の中、月の光に照らされるベビーベッドを眺めながら、おかしくて仕方が無いと言うかのように。
……少女の病は心臓病などではありませんでした。
いや、元々心臓自体は強くなかったのかもしれません。それでも、普段の授業に出られないほど少女を疲弊させていたのは彼女の母親だったのです。
ネグレクト。弟の妊娠が分かってから数ヶ月。少女は一日のうち、わずかお茶碗一杯分のご飯さえ与えられていませんでした。
生きていくために必要な栄養を、彼女は給食だけで何とかまかなっていたのです。だからたとえどんなに体が重くても、たとえ教室に顔を出すことが出来なくても学校に通い続けました。
そこで出会った少年の力に感謝し、枯れ果てたひまわりを見て魔法の正体を朧気ながら理解した時、少女は少年の存在そのものに感謝しました。
――ほっといても弟は死ぬ。
けれど、それじゃあもったいない。
ねぇ、お母さん。あんなに会いたがってた弟だもの、会わせてあげる。でも自分の息子に傷つけられたと分かったら、そんな子はほっといてまたわたしを見てくれるでしょう? あなたの子どもはわたしだけなのだと、分かってくれるでしょう?
くすくす。くすくす。
薄暗い闇の中、母親が買ってきたベビー用品の数々をゴミ袋に入れながら少女は笑い続けます。
少女が思い描いた通りの惨劇は、それから数日後に起こりました。
少年が手を当てていた女性のお腹が大きく波打ったかと思うと、彼女が突然苦しみ出したのです。
「うぅうううっ……痛い痛い痛いいたい、お腹がいたいぃっ!!」
突然の事態に少年は驚きます。助けを求めるように少女を見ると、彼女は母親の手を握りしめて必死に励ましていました。
「大丈夫、大丈夫だよお母さん! まだ出産日まで日があるんだから。これは陣痛なんかじゃないんだから!」
確かに女性の出産日はまだまだ先だと聞いています。それにしてはお腹が異様にふくらんでいる気がしましたが、この場で女性を治療出来るのは自分だけだと思ってさらに力を送り続けました。
少女がナースコールをすばやく隠したことに、少年はとうとう気が付きませんでした。
「あっ、あ、あっあっ、あ、あああああぁぁぁああっっ!!」
女性の膨張したお腹が信じられない力で持ち上がり、体が弓なりに反り返りました。少年の手を押しのけて吹き出した血しぶきが顔に降りかかります。
「……っ!?」
腰を抜かした少年はなおも奇声を上げ続ける女性から後ずさりします。今なお女性のお腹からは血があふれ出し、次いで、めきめきっ……という肉を引きちぎるような嫌な音が響いてきました。
「ひっ、や、やめっ、あーくんやめてっ……あっ、ひぎゃぁぁああああ!」
女性のお腹を突き破って胎児の腕が飛び出した時、少年は我知らず悲鳴をあげていました。
「なっ……なんだよこれ、なんなんだよこれ!!」
「お母さん、ほらあーくんだよ」
少女がいつもと変わらない調子で話しているのがとても恐ろしく感じます。
女性の腹から飛び出した腕は、どう控えめに見ても0歳児のそれより巨大でした。
……低い声が聞こえます。
地鳴りのようにくぐもった、まるで“声変わりした成人男性”のような野太い泣き声が。
彼女のお腹から聞こえてくるその声が次第に大きくなり、お腹の割れ目から意思を持った両手が覗いたかと思うとその傷口を左右に押し広げ始めたのです。
絶叫があがりました。
もはや獣のものとしか思われない声をあげる女性の下腹部から、通常の胎児の数倍はある頭が飛び出します。尻餅をついた少年が凝視する前でその胎児は目を見開き、何度か喘ぐように口を動かしました。
「どうしたんですかっ!? 何かありましたか!?」
声を聞きつけたのでしょう、病室に飛び込んできた看護師はしかし、ベッドの上の惨状を見てその場で棒立ちになります。
看護師が我に返って医者を呼ぶまでの間に、既に少女は行動を起こしていました。
自分が座っていたパイプ椅子を両手で持ち上げると、力一杯振り回して胎児の頭部をなぎ払ったのです。
女性のお腹から強引に引きずり出された胎児はへその緒を引き千切られ、びちゃっ、という水音と共に壁に叩き付けられます。異常に成長した胎児の全身は体のパーツがあべこべになっていました。
五指が分化していないのに腕だけが異常に長く、体の大きさに比べて内臓が発育しすぎたために下腹部が膨張しています。左右の足の長さが異なり、指だけが成人男性のそれと同じくらいの大きさにまで成長していました。何よりその胎児の顔は二十歳前後の男性にしか見えませんでした。
横たわったそれと目が合った少年はたまらず嘔吐します。少女はもはや意識を失っている母親に向かって「あーくん、だめだったね。残念だったね」と笑顔で言ったかと思うと、ナースコールを押してから少年を介抱しました。
「ごめんね、こんなことさせちゃって」
「な、なんで……っ! どうしてだよ! 僕の力は、傷を治す力じゃなかったのかよ……」
血にまみれた左手を震わせて少年は誰にともなく問いかけます。
「そうだよ。魔術師さんの手は傷を治す手。だけどそれは、傷が治るまでのスピードを早めてるだけだったんだよ」
「……え?」
思いがけない少女の言葉に思考が停止します。
「ほら、このまえ理科の授業でやったじゃない。人の体には細胞やいろんな組織があって、傷ついた時にはそれらが働いて傷を元通りにするんだ、って」
その授業なら少年も覚えていました。
「魔術師さんはその体の機能をものすごく活発にすることが出来るんだと思うの。だから一瞬で傷が治ったように見える」
――けどね。少女は続けます。
「もう後は枯れるだけのひまわりにその力を使ったら、ひまわりの“死に向かっていた細胞“の働きを強めてしまった。もう傷が治っているわたしの体に力を使い続けたら、わたしの成長を促進した」
「成長、を?」
「うん。今のわたしの身長と体重、スポーツテストの成績なんかは中学生の平均値なんだって」
少女は誇らしげに言います。
「魔術師さんが手を当てれば当てるほど、体に力が満ちることに気付いたの。わたしは早く大人になれるの。お母さんの庇護を必要としない体になれるの。……だからわざと痣を作って治してもらったんだよ?」
可愛らしく小首を傾げるその仕草も、まだ習っていないはずの難しい言葉を話す理知的な瞳も、今や不気味にしか写りません。
「じゃ、じゃあ……元気になった赤ちゃんにそのまま力を送り続けたら、」
「そう。急に成長しすぎた赤ちゃんはお母さんのお腹に入りきらなくなって出てきちゃったの」
「……どうしてそんなことさせたんだよ。どうしてっ!!」
――もう嫌だったから。
少女が初めて見せた努りの感情は激烈でした。
「家に帰っても何のあいさつもないのも日曜日には一日中ご飯が食べられないのもわたしを無視するお母さんもわたしからお母さんを奪った弟も顔も知らない父親の血を引いている弟の入ったお腹も何もかも嫌だったからっ!!」
――だから魔術師さんに“なかったこと”にしてもらったの。
大成功でしょう? そう言って笑い声を上げる少女の目からは、静かに涙が流れ落ちていました。
「ねぇ、お医者さま。お母さんを助けてあげて?」
緊急カートに移された母親を運び出そうとしている医者にそう告げると、少女は床にへたり込みました。
少年はそんな彼女を呆然と見やったかと思うと、おもむろに立ち上がって窓のそばに行きます。上下に開閉するタイプの窓を開け、サッシに左手をのせるとそのまま窓を思いっきり閉めました。
手首の骨が砕ける音が響きました。
それでも少年は歯を食いしばり、もう一度窓を持ち上げると再び自分の腕に叩き付けます。何度も何度も、まるで手首から先がなくなってしまえと言わんばかりに。
「やめて、ねえやめてよ……っ!! そんなことしたらだめだよ、魔術師さんっ!」
少年の蛮行に気付いた少女が必死に止めに入ります。
「こんな、こんな腕なんか無くなってしまった方がいいんだ……こんな恐ろしい力なんか、なければっ!!」
「やめてっ!!」
少年の襟首を掴むと、思いっきり引っ張って窓から遠ざけました。今や少女の腕力は少年のそれを上回っているのです。
皮肉にも、それを一番実感したのは少女に体を引っ張られた少年自身でした。
「は、はははははははっ」
「ま、魔術師さ……っ、」
少年は心配そうな顔で近づいてきた少女の首に両手を伸ばすと、彼女の喉を思いっきり締め上げます。折れた左手にはほとんど力が入りませんでしたが、意識を集中させると不思議と痛みより熱さが感じられるだけでした。
少女の母親とその息子(だったもの)の対応に追われていたスタッフは、ようやく二人のただならぬ雰囲気に気付いてこちらに駆け寄って来ます。看護師の一人が首を絞められている少女を助けようとしたとき、その変化は起こりました。
少女の顔だけがみるみるうちに年をとっていくのです。
髪が伸びまつげもぱっちりしてきたかと思うと、やがて艶やかだった肌は弾力を失い床まで伸びた髪には白い物が増えてきます。
「あっ、あ……あぁぁあ、やめて魔術師さんお願いだからやめ……てっ!」
声もしわがれて老人のそれに近くなる頃には、少女の顔はすでに老婆のものになり果てていました。
我に返った看護師に救い出された少女は首から上だけが老人となった非道くグロテスクな姿になっていました。
自分で自分の顔を触って、何が起こったのかを悟った少女は泣き叫びます。その声を聞きながら少年は左手を自らの頭に当てると全てを終わらせるために力を送り始めました。
――何もかも、間違いだったんだ。
神様からもらったこの左手は安易に使っちゃいけない。きっと神様の元に返すべきなんだ。
「はははっ、あはははははははっあっあははははははは……っ!!」
次第に嗄れていく少年の声に合わせるように、老婆の悲鳴がいつまでもいつまでも響いていました。
読了感謝です!
書き始めたときはまさかこんな結末になるとは思ってもいませんでした。
でも、こういう話は書いてて楽しいから好きさっ!
気分を害された方がいたら申し訳ありませんm(_ _)m
それでは、また次の話でお会い出来ることを祈りつつ。
気が向いたら感想なんぞを残してくださると幸いです!




