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面相占い

作者: 黒部伊織

 まだ日が完全には沈んでいない夕方のことだった。

 いつもより早く仕事が終わった私は最寄りの焼き鳥に立ち寄ったのだった。平日の早い時間とあっては店内に客は疎らだ。

 私はカウンター席のど真ん中にどかっと座ってビールと焼き鳥を注文した。そうして夕日の差しこむ店内を見渡すとカウンター席の隅の方に酷く顔色の悪い男が座ってコップ酒を啜っていた。

 男の顔は昔話に出てくるような悪魔のように紫色で、おまけに酷く具合が悪そうな表情をしていた。私は咄嗟にその男から目を逸らそうとしたが、運悪くそいつと目が合ってしまった。

 男は私の顔を見ると一瞬ぎょっとした表情をしたが、もぞもぞとこちらの方へ近づいてきた。

「隣、いいですかい?」

「あ、ああ。構わないよ」

 正直に言うとこの男とはお近づきになりたくなかったが、彼の表情があんまり不気味なので断るのが怖くなったのである。

 男は相当飲んでいたらしく、手つきが少々覚束ない様子であった。やがて私のビールが運ばれてくると男は「旦那に乾杯」と呟いてコップ酒をこちらに向けた。私も取り敢えず付き合ってジョッキを突き出すと男はそれに満足したのか酒を煽った。

 しばらく無言の時間が流れていたが、私の注文していた焼き鳥の盛り合わせが運ばれてネギマを齧ったところで男がカウンター席から見える厨房の方へ視線を向けながらぼそぼそと語り始めた。

「俺はね、占い師だったんですよう。しかも自分で言っちゃあ説得力っちゅうもんが無いかも知れませんがね、結構やり手の占い師だったんですよう」

 酔っ払った男は伸びた語尾で誰にとなく話しているようだったが、周りには私しかいない。そしてちらとこちらを見たもんだから私も「そうですか」と相槌をうたざるを得なかった。

「俺はね、腕利きの占い師でね面相占いってのをやっていたんですよねえ」

「面相占い?」

「そう、面相よ。手相ってのがありますでしょう?手のシワだとか筋を見て運命線だとか生命線だとかいうやつ。あれと同じように顔を見て占うんですな。本式の面相占いは顔の肌の色やほくろの位置なんかで占うんだが、うちのは我流の特別製でね」

「どんなふうに占うんです?」

「そこがミソでね。占う人間の顔がどんな動物の顔に似てるかってのを調べましてね。あんたは馬の面相が出ているとか鹿の面相が出ているとか言うわけですな」

「なんだか随分いい加減だなあ」

「ま、ここからが腕の見せ所ってやつでしてね。こんな感じに客に言ってやるんだ『あんたはキリンの霊が取り憑いている。こんなに首を長くしてなすって、何か待ち焦がれていることがありますでしょう?』ってね」

「いよいよもって胡散臭いな。だいたいキリンだから首が長いだなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある」

「ま、旦那のような人間はそう思うかも知れませんがね。だけんども、占いに来るような人間はコロッとこういうことを信じるんだ。だいいち、こっちだって神妙な顔をして大真面目にやっているもんだからね。芯から信じなくとも、まあそういうことにしておこうって思うんだ、これが。そうなりゃこっちのもんで、いろいろとあっちから悩みを話してくる。それで通り一遍のありがたい話をしたり何々に気をつけろだのって忠告すれば占いの一丁上がりというもんでさ」

「ふうん。そういうもんなのかな」

「占い師の仕事ってのはいつもと一寸と変わった場所で普段言えないようなことを吐き出させて話を聞いてやるのが8割くらいなもんで、あとはおまけに良さそうな話しを付け足してやるもんですんでねえ」

「なるほど。私は占いは何かの片隅に付いて来る、今日の運勢占いみたいに当てずっぽうに占うことばかりだと思っていたよ」

「そいつも占いには違いないですが、そりゃ多くの人間を相手にするから出来る商売ですぜ。下手な予想も数撃ちゃ当たる式の占いだ。一対一の占いってのは相手の話をどうやって聞き出すかってのが勝負でね。そこから客の未来だの過去だのを言い当てるんだ」

「なんだか、随分と科学的なんだね。私はもっと霊感みたいなものを想像していたんだけど」

「手品ってのはタネを知らなければ魔法のように見えるでしょう?それと同じ事でしてね。へっ、もっとも最近じゃあ科学の方が俺達にゃさっぱり分からないほど魔法みたいになっていますがねえ」

 男はそう言うとまたコップ酒を煽った。

「それでまあ、よろしくやっていたわけなんですがね。その面相占いに慣れてしばらくしてくると本当に人間に取り憑いた動物が分かるようになってきたんですよう」

「なんだいそりゃ?嘘から出た真ってヤツかい?」

「そうなんですよねえ。俺だって最初は半信半疑だったんだ。ところがね、まだ何にも聞き出さないうちに例えば『こいつは猿みたいな雰囲気だ』と感じるようになったんだ。そうするとやっぱり猿のようにキィキィ騒がしい人間なんですねえ。『こいつは猫みたいな雰囲気だ』と感じた時は気まぐれな人間ってなふうにね。全部が全部分かったわけじゃない。でも、段々とそういうことを感じるようになっていったんだ。そういう時は絶対に占いを外さなかった」

「そいつは面妖だね」

「そうでしょう?お陰で商売は段々繁盛していってねえ。ちょっとばかし有名な占い師になったんだ。雑誌の片隅なんかにも載ってねえ。あの時はよかったねえ」

 男の顔色は最初の頃よりも幾分ましになって、次第に語気にも調子が出てきた。彼は目を細めてもう殆ど無くなろうというコップ酒をずずっと音を立てながら啜った。そしてもう一杯コップ酒を注文すると今度は段々盛り上がっていった調子とは打って変わって暗い口調で話を再開した。

「だけんどねえ。俺は今じゃ占いはさっぱりやめちまったんだ」

「そりゃまた何でだい?儲かっていたんだろう?」

「うん。確かに儲かってたし、俺も占いを当てるのが段々楽しくなっていった」

 そこで一旦「ふう」と溜め息をついた男は、新しく運ばれてきたコップ酒を三分の一ほど一気に飲んだ。

「だがね、気付いちまったんだ。俺は人間の面相に動物の霊が取り憑いてるのを見てとって占いをしていたのはさっき言ったとおりだ。それも最初はあやふやだったのがそのうちほとんどピタリと言い当てることが出来るようになっていった。ところがねえ……」

「ところが?」

「うん、ところがなんだ。俺はそのうちどんな人間でも動物の霊が取り憑いていることが分かるようになった、と自分で確信するようになった。間違いなんかじゃない。もう百発百中といっていい。大抵そういう奴らは動物の霊のせいで何か悩み事を抱えているからね。それを解決するようなことをアドバイスしてやればいいのさ」

 男は少し言い淀んで続けた。

「ところがだよ。俺は最初、人間の悩みはそういった動物の霊のせいだろうと思ってたんだ。ところがどっこい、動物の霊の影も形も見えない人間だっていろんな悩みを抱えているんだな」

「そりゃそうだろう。何も動物の霊だけが――仮にそんなものが存在したとしても――悩みの種になるわけじゃないさ」

「その通りなんだ。だがね、俺は動物の霊を感じないにも関わらず悩みのある人間にもやっぱり何かが取り憑いているような気がしてならなかったんだ。まあ、なんていうかな。動物の霊を感じる時の気配に似てたのかも知れない。ただ、その正体がなんなのか分からなかった。それにそういう人間の悩みというのは千差万別で動物の霊のように何か特有の傾向はなかった」

 ぐいっと男はコップ酒を煽る。もう随分酒が回ったと見えて男の動きはぎこちなく、体が揺れている。

「だが、俺はとうとうその霊の正体を突き止めたんだ」

 そこまで言うと酒で赤らんだ男の顔から血の気が引いて、彼の目つきがぎらぎらしてきた。

「そいつは人間の霊だった。人間の霊だ。死人だ。人間に一番取り憑いているのは人間なんだ」

 それはぎょっとするようなどす黒く濁った声だった。

「俺はそれに気がついてもう面相占いなんかしたくなくなった。街を歩いて人間の顔を見るたびにどいつもこいつも取り憑かれていることに気がついてしまう。俺はどうにも怖くなって占い屋をたたんだ。それからずっとなるべく誰にも会わないようにして暮らした。蓄えはちょっとあったからな。そうやってずっと人の顔を見ないように暮らしてたんだ」

 私は随分胡散臭い話だと思ったが、男の話し方が迫真に満ちていたので、疑問を挟むようなことを言えなかった。

「こんな暗い話をして悪かったな。まあ、今じゃ昔のように人の面相を見る力もだいぶなくなっちまったからこうして外でも暮らせる。でも、誰かに話したくなってなあ。信じてくれなくたっていい。だが、人に話して随分楽になったよ。すまんね、ありがとう」

 男はそう言うとコップ酒を一気に飲み干してカウンターの奥にいた焼き鳥屋の主人を呼び、会計を済ませた。

「じゃ、今日はどうも」

「ああ、いや、こちらこそ」

 私は男が店から出ていく姿をぼんやりと眺めながら。判然としない返事をした。

 そして、すっかり冷め切った焼き鳥を腹の中に収めた。店に来た時にはあったはずの食欲もどこかへ失せたのでそのまま支払いを済ませて焼き鳥屋を後にした。

 奇妙な話だったなと思いながら日がほとんど沈み薄暗がりになった街を歩いていると、道行く人々の顔が目に飛び込んでくる。いつもは何気なく通り過ぎているそれらもあんな話の後では不気味に思えてくる。

 私はすれ違う人間の顔をよく観察し始めた。そうすると馬面の人間やサル顔の人間、ネコのように額が狭い子供なんかが歩いている。やはり何かの動物に似ている人間がいるのだ。ところが大部分の人間はあまりほかの動物に例えられるような顔をしていない。やはり彼らは人間なのだ。浮かない顔、憂鬱な顔、ぎらついた目つき、憤怒を溜め込んだと見える表情――彼らのその忌々しげな顔はやはり何かに取り憑かれた影響なのだろうか。

 いや、人間だ。彼らに取り憑いているのは人間に違いない。そう思うと背筋がゾクリとした。急に恐怖が沸き起こり目眩がして、私は思わず横断歩道の真ん中にしゃがみこんだ。

「大丈夫ですか?」

 誰かが声をかけてきたのでそちらの方を見る。そこにはやはり人間の顔があった。

私は言葉にならない声で叫んだ。

そしてこんな化け物に取り憑かれた人間がうじゃうじゃいる場所から逃げようと一目散で駆け出した。

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