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第六話   結婚前夜の出逢い

――ひとまわりほど年が離れた瑠花と出逢ったのは、瑠花がまだ二十歳のときだった。

 紫との結婚が決まった亮二を、佐野がバチュラーパーティと称して独身最後の夜を謳歌させようと銀座の高級クラブに連れて行った。


 佐野とホステスたちにからかわれながら飲んでいると、明るいフロアに目が醒めるような真っ赤なシルクのドレスを着た瑠花が現れた。瑠花は彫刻のような顔にうっすらと笑みを浮かべ、長いドレスの裾をうまくさばいて優雅に客席の間を歩きながら、流れるような視線を客に注いていく。時おり立ち止まっては客と談笑し、ひとりひとりの目を見て挨拶をする瑠花は、まるでスポットライトが照らされているかのように輝いていて、亮二はグラスを口に近づけたままぽかんとして瑠花の華麗な姿に釘付けになった。


 明るい暖色系の愛らしさを感じさせる紫とは対照的に、瑠花は氷のように神秘的で、繊細なガラス細工のような美しさを前にすると溜息が溢れる。多くのスターを見てきた亮二ですら瑠花の類い稀な存在感に圧倒された。彼女は幾度となくスカウトされており、そのなかには誰もがとびつくような誘いもあったけれど、芸能界には全く興味を示さずに頑にメディアに出るのを嫌った。夜の世界で生きてきた女なのに贅沢や派手なことを敢えて避ける。昔から瑠花にはどこか幸せを拒むような、ストイックな一面がある。


 佐野をみつけると彫刻なような瑠花の顔に魂がかよった。瑠花は背筋をすっとのばしてテーブルに歩いてくると、射抜くような視線を亮二に向けて前の席に座った。

 亮二は瑠花と逢ったときのことを、こんなに時間が経ったいまでも事細かに覚えている。しかし、結婚式の前夜の出逢いが進展するはずがない。

 紫と結婚した亮二はそれから瑠花に逢うことはなかった。不況の時代が長く続き、景気に左右される広告費や接待費は一番に削られて銀座のクラブに行く機会などなくなっていた。


 結婚して二年が過ぎたころ、紫との間に少しずつ溝が広がってきた。大っぴらに喧嘩をすることはなく、大抵は亮二が黙って不機嫌な顔を見せ、紫が泣くといった毎日が続き、そのころ亮二は早く帰れることがあっても飲み歩くようになっていた。


 その日は新橋で飲んでいて銀座に流れた。一緒に飲んでいた仲間が帰っても亮二は家に帰る気が起きなくて、ふらふらと店を探して歩いていたところに、妙にいい女と遭遇した。

 その女はさらさらした長い黒髪をなびかせて正面から亮二のほうに歩いてくる。短めのぴちっとしたTシャツに細身のレザージャケットを羽織って、ブルージーンズをリメイクしたミニスカートを履いている。かなり若い女に見えた。

 亮二は足取りもおぼつかないほどに酔っていた。ふらっとよろめいたところに、若い女が肩を貸してくれた。亮二は名前を呼ばれて一瞬のうちに酔いが醒めた。鼻のすぐ先で瑠花が微笑んでいた。


 亮二は瑠花に連れられて、銀座八丁目にある、彼女の馴染みの「マジック」という店に向かった。

 店にはいると、「マジック」という名前のとおりにカウンターで店の男の子たちがコインやトランプを使ったマジックを見せている。カウンターに座って瑠花がマスターに亮二を紹介すると、マスターが直々にマジックを見せてくれるという。


 マスターがカードをシャッフルして、その一枚を亮二に引かせるのを、瑠花は得意そうな顔をして見守っている。彼女はこのマジックの種を知っているのだ。むじゃきに笑う瑠花は店で逢うよりも年相応に見える。亮二はマスターに言われるままに、引いたカードに自分のサインをした。「人がまねできないような絵を書いて」と瑠花に言われて、サインの横にへたくそな、どらえもん、の絵を描く。その絵を見て瑠花は笑い転げている。こうやって見るとごく普通の女の子だ。


 マスターは目をつむりよそを向いたままトランプを扇形に広げて、絵を描いたカードをそこにもどすように言った。亮二がカードをもどすと、そのトランプをシャッフルさせる。急にマスターが「レモンを食べたくないか」と瑠花に訊き、瑠花は笑顔でうなずく。マスターは冷蔵庫から取りだしたレモンとナイフを亮二に渡してまんなかで切るように指示した。すると驚いたことに、レモンから細く巻かれたカードが一枚でてきた。広げてみると、そこには亮二のサインとへたくそな、どらえもんの絵が描かれていたのだ。亮二が呆気にとられているのを見て、瑠花は嬉しそうに笑っている。華麗なマジックが、まるで瑠花の使った魔法のように思えた。いまでも、このマジックの種はわからないままだ。


 亮二は瑠花と静かなテーブル席に移って飲み直した。他愛ない会話を楽しんでいたが、睡眠不足に多量の酒、マスターのマジックに瑠花の微笑み、亮二はすべてに酔ってしまっていた。長い間ひとりで語っていたことは覚えている。一番見て欲しくない女性に情けない姿をさらしてしまった。


「もういい、やめて。それ以上話さないで」

 瑠花はせつない顔をしてそう言うと、いきなり唇を亮二の唇に押しつけて亮二の口を塞いだ。彼女の唇はいたわるように優しく亮二を包んで、深い海の底へと連れて行った。


 亮二はキスをされて我に返ったが、間抜けなことに何を話していたのか覚えてなくて、なぜ突然、瑠花が自分にキスをしたのか未だにわからない。瑠花のせつない表情(かお)だけが、はっきりと頭に刻まれていた。


 こんなことがあっても、ふたりが付き合うことはなかった。亮二はまだ紫を愛していた。亮二が瑠花と外で逢ったのは、後にも先にもこの一回だけだ――




 オフィスをでるとき、「これから帰る」と、亮二は瑠花にメールを打った。

 五年ほど前に関係を始めたころは瑠花の部屋をなんどか訪れたけれど、最近は瑠花が来るのが当然のようになっている。

 瑠花といられる時間は短い。瑠花は仕事で遅く帰ってくる亮二を待って夜中に姿を見せ、いつも朝を迎えずに帰る。


 亮二は、少しでも早く帰りたいと逸る心を煙草を吸って抑えた。待ちこがれていたように瑠花に思われたくない。それに、求める心と裏腹に、例え瑠花でも女性と深く関わりたくないのは変わらなかった。


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