第六十話 二十五年後の奇跡
五十五話、「贖罪ー未来に背をむけて」10/7の午後十一時に加筆しました。
それ以前に読まれた方は、申し訳ありませんがエピローグを読むまえに確認していただくようお願いいたします。
場所は、真ん中あたりで、書き出しが「新しい瑠花の……」です。
お手数おかけいたします。
「急にニューヨークに行こうなんて、また、どうして?」
ニューヨークに向かう最新型の飛行機のなかで瑠花が訊いた。
亮二たちが乗っているのは、いま世界の注目を浴びている尾翼をなくしてボディと翼が一体化した機体の旅客機だ。
「気になる夢を見て無性に行きたくなったんだよ。ふたりで旅行もしたことないし、思ったときに行動しないと、もう行けなくなるだろ。銀婚式だし、ちょうどいいじゃないか。こうやって一緒に年を重ねられるのは、あたりまえのことじゃない」
そう言って亮二はワインを美味しそうに飲むと、急に思いだしたように瑠花に訊いた。
「前から聞きたかったのだが、あんなに頑だったおまえが、なぜあの日、気持ちを変えて加賀温泉の駅に来てくれたのかい?」
瑠花は白くなった亮二の髪を見て、幸せそうに目を細めて答えた。
「二度とあなたには逢わないつもりで、あの前の日、加佐の岬に日本海を見に行ったの。断崖絶壁に立ってパノラマに広がる壮大な海を見ていたら自分がとっても小さく思えた。太陽の光が水上にキラキラ輝いていて、とても神秘的だったわ。遊歩道を上り下りして、片野海岸でひとりのお爺さんに出会ったの。太陽が海に沈んでいくのを一緒に見ながら、最愛の女性と年を重ねたお爺さんの素敵な話を聞いてね。大切な人の手は何があっても、絶対に離してはいけないって言われたのよ」
瑠花は神秘的な瞳を亮二に向けた。
昔と変わらず美しい瞳に、いまでも亮二は魅せられる。年をとって氷のような冷ややかさは瑠花の瞳から消えていた。瑠花は大きく一回瞬きをして話を続ける。
「人生を旅と例えると、『出逢い』は、偶然同じ電車に乗り合わせた乗客同士のようなもので、道行きがてら言葉を交わすことも、ましてや、心を寄せ合う確率は限りなく低い。だから大切だと想いあえる相手に巡り逢えたこと自体が奇跡だと、お爺さんは言ったわ。不安や恐れに負けて相手から逃げても、潜在意識はごまかせないからそれで終わらない。過去に支配されて自分に嘘をついた罰は一生つきまとう。私のだした答えが本心かどうか訊かれたの。本心を蔑ろにしたら駄目だって叱られたのよ。それでも、私はぎりぎりまで決心がつかなかったの」
そう告げると「これを見て」と瑠花がバックからピンクのものを取りだし、亮二に見せた。
「お爺さんからもらった私の宝物よ。素敵でしょ。私が駅に行けたのはこれのお陰なの」
それを見て亮二は息を飲んだ。それは、亜紀にあげた運命のブレスレットだった。
亜紀が一生大切にすると言っていたものだ。これをなぜ、瑠花が持っているのだろう?
「大切なひとに持っていてもらいたいって、私にくれたのよ」
「その、お爺さんが?」
「ええ」瑠花が懐かしそうにブレスレットを見てうなずく。
「お爺さんが若いころに愛したひとにあげたものらしいわ。何十年も経ってその女性と再会したときにそのひとがお爺さんに返したものなのですって」
「その女性がブレスレットを返したって、本当にお爺さんが言ったのかい?」
亮二は落ち着きを失って身体ごと瑠花の方へ向けて訊く。
「そう言ってたわ。なんでも、やっと大切なひとたちと暮らせることになったから自分にはもう必要なくなったと、わざわざ遠いところから返しに来たのですって」
亮二は愕然として言葉を失った。
「このブレスレットには特別な力があって、これを持っていると絶対に幸せになれるから私に持っていて欲しいと言ってお爺さんがくれたの。奥様の若いころに私がそっくりなのですって。私ったらよほどひどい顔をしていたのね。きっと慰めてくれたのよ。ブレスレットに特別な力があるかはわからないけれど、あの朝、このブレスレットを見ていたら何だか自分に正直に生きなきゃいけないような気がして、あなたに逢いに行く決心がついたの」
瑠花は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
亮二はどうしてニューヨークの夢を見たのか、その重要な意味に気がついた。
すべては偶然ではなく必然だったのだ。
見えない大きな力に動かされているのを感じる。
突然、子供のころに河原で一緒に線香花火をした女性の顔がはっきりと瞼に浮んだ。
ニューヨークに着いたらすぐにシン先生を訪ねてみよう。こんなに時間が経っていても、必ずシン先生を見つけることができるはずだと亮二は確信できた。
もうすぐ亜紀が時を超え、クシャクシャな笑顔で現れる。
「大切なひとに渡しなさい」と、そのとき亜紀は亮二にブレスレットを返すのだ。
「運命のブレスレット」が瑠花に渡ったということは、亜紀がそう言ったに違いない。
そうなったら老体に鞭打ってでも、亮二は時空を超えて行かねばならない。
日本海に夕陽を見に行こう。瑠花と歩んた日々を胸に抱きしめて。
まだ大切な使命が残っている。亮二は果てしなく続く空を見つめた。
あの日、亜紀が亮二のもとを飛び立ってから長瀬のところに現れるまで、彼女はいろんな時代を旅したのだろう。
いつの時代を訪れて、どんな恋をしたのだろう?
いまを全力で生きる彼女は、すべての時代で輝いていたに違いない。
亜紀の生きた痕跡はあらゆる時代に残されたはずだ。優希が伝説になったように。
亜紀に聞きたいことがいっぱいある。亮二の心が弾んだ。
きっと、朝まで話しても話し足りないにちがいない。亮二はその様子を頭に浮かべる。
いまの自分を見たら彼女は何て言うだろう?
堂々と胸をはって、年老いた姿を見せてやろう。
亮二はひとりほくそ笑む。
そうそう、線香花火も買っておかなきゃ。
亜紀の笑顔、瑠花の微笑み、紫の泣き顔。すべてが時の彼方で想い出となった。
「おかえり、待っていたよ」と、亜紀を抱きしめるくらいは許してもらおう。
亮二は瑠花の顔をチラッと見た。
了
最後までおつきあい頂いてありがとうございました。読んでいただけて嬉しく思っています。
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