第五十八話 確執の源
七年振りに帰った実家は、使い親しんだ食器も、床の間に飾られた掛け軸や埃を被った日本人形も時が止まったようにすべてが昔のままだった。
街の近代化は進んでいるけれども、亮二の家の辺りは昔と変わらぬ街並がところどころに残っていて心が和む。トタン屋根で古い木造建ての我が家は懐かしく、幼いころの想い出が次から次へと頭に浮かんでくる。
意外なことに亮二の急な帰郷を母は歓迎した。涙を流して喜ぶ母を見て亮二は戸惑っていた。ひさしぶりにあった母はすっかり年老いてとても小さく見える。昔と変わらず温和な兄は、優しく亮二を出迎えた。兄が言うには、父が死んでから母は張り合いをなくしてたいそう気が弱くなってしまったそうだ。
亮二の両親は決して仲が良い夫婦ではなかった。父の生前は言い争いが絶えなかったがそれも愛情があってのことだったのだろうかと、父が死んでから気力を無くした母の老けた姿を見て、母の父に対する愛情を亮二は垣間見たように感じた。
何も変わらないかのように見えた兄から、義姉が子供を連れて家をでたと聞かされた。兄はずっと義姉と母の板挟みになっていた。その晩、亮二は初めて兄と酒をかわして長瀬のことを思いだした。兄は少し酔いがまわってくると、昔は自由に生きている亮二が眩しくて羨ましかったと言った。母の愛情にがんじがらめになって期待に応えようと自分を押し殺し、いつも息苦しくて辛かったと、兄は溜め息をついた。
亮二と兄とは性格も風貌も異なっていた。兄は母親に似て亮二は父にそっくりだった。
年をとっていっそう亮二は父に似てきたと、兄は言う。
「なんで、おまえのことを母ちゃんが避けとったか知っとるか? おまえが父ちゃんに、よう、似とったからや」
そう言って、兄が初めて父母の確執について語った。
見合いで知り合った母と父が所帯を持ったとき、父には忘れられない女性がいたそうだ。初恋の相手で将来も誓い合っていたけれども、家の都合で一緒になることが許されず、彼女は他の男のところへ嫁いだという。傷心の父は人の勧めで十歳も年下の母と逢い結婚して子供をもうけたけれども、彼女のことを忘れられずにいた。若くして結婚した母は父との幸せな結婚生活を夢見ていたが、すぐに夫が他の女を想っていることに気がついた。それでも一緒に生活していれば、そのうち自分を見てくれるだろうと期待して待っていたけれど、夫の想い人が離婚をして大聖寺に帰ってきた。亮二が小学校にあがったころのことらしい。
父は急に意気揚々として活動的になった。母はすぐに、父がその女性と関係を持ったことを疑って問いつめると、父は悪びれることもなく不倫を認めて、それ以降は公然と家をあけるようになった。幼かった亮二は何も知らなかったが、母は、日に日に父に似てくる亮二を見るのが堪え難く、父に対する憤りを時おり亮二にぶつけて兄を溺愛した。
「そんな父ちゃんものうなって、父ちゃんによう似とるおまえを見て嬉しなったんと違うけ? もう許してやりいな」と言って、兄が苦笑いをした。
父に似ているのは顔だけではないと、心のなかで呟き、亮二も同じように兄に苦笑いで返す。
亮二は離婚のことなら何でも聞いてくれと胸をたたいて、バツ二の自分はその方面ではスペシャリストだと得意げに笑った。
次の日はひさしぶりにゆったりとした時間を亮二は実家で過ごした。
朝から母は豪勢な食事をこしらえて、亮二は食欲があまりなかったけれども、母の用意した朝食を残さず食べた。午後になると賢次の墓参りに行って、ぶらぶらと大聖寺の街を探索し、加賀温泉駅へ駅弁の予約をしに足を向けた。
二十種類以上もある駅弁から、店員に勧められた「おったから弁当」を二つ注文する。「海老の俵飯」と「季節の押し寿し」に加えて、「加賀豆腐の田楽」や「鮭の味噌漬」など、おかずが九品。加賀蓮根や五郎島さつま芋、赤皮甘栗かぼちゃといった、地元の素材を使用した加賀の郷土料理がふんだんに詰まっている、上品で人気が高い弁当だ。
九谷焼の器に「白山なめこ蕎麦の実和え」が盛られて山中塗の箸がついてくるらしい。
「おったから」とは、「お宝」という意味のほかに加賀の方言の「居たから」という意味もかけていて、「あなたが居たから」というメッセージがあるのだと、亮二を観光客と思った店員がわざわざ説明してくれた。
夕方が近づくにつれて、急に身体がだるくなって亮二は家で仮眠をとった。よほど疲れていたのだろう、兄がどんなに起こしても、ピクリともしないので心配したと言った。
夕食後には兄と近所の温泉に出かけてなるべく瑠花のことを考えないようにしていた。考えると、悪い結果を想像してしまいそうだった。