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第五十五話 贖罪ー未来に背をむけて

 すべてに時がある。いまを逃したら手にはいらないもの。いまだからこそ手放さなければならないこと。それを見きわめるのは難しい。 


 幸せを祈って亜紀を見送ったあと、明るいうちから、彼女が優希と名乗っていたときに一緒に飲んだアメリカンバーで、亮二はグラスを傾けた。亜紀を想うのは今日が最後だ。ハイボールを飲みながら亜紀のことをあれこれと懐かしむ。それは次の一歩を踏みだす儀式のようなものだ。


 瑠花と向かい合おうと決心した。亜紀のように現在(いま)を生きよう。傷つけ合うことを恐れずに、もう一度やってみよう。二度と大切なものを失いたくない。

 瑠花と一緒に生きていく日々が自然に思い描けた。パトロンのことは気にならなかった。そんなものは気持さえ決まればどうにでもなる。


 次の日、瑠花の携帯に電話をすると、この電話は使われていないとメッセージが流れた。「ミューズ」にかけても繋がらない。亮二の頭に一抹の不安がよぎった。瑠花の動揺した顔が頭に浮かぶ。亜紀に気を取られて、あの動揺の意味を深く考えなかったことを後悔した。

 胸騒ぎがして仕事を抜け出し「ミューズ」に向かうと、休業を知らせる張り紙があった。慌てた亮二はその足で白金の瑠花の部屋を訪ねたが、あろうことか、一年以上も前に瑠花のマンションは売られていた。そういえば、もう何年もあの部屋を訪ねてない。


 瑠花が消えた。親戚も仲の良い友人も思い当たらない。亮二は瑠花が好きな店すら知らなかった。瑠花のことを何も知らない自分に愕然とする。いつだって瑠花は近くにいた。逢いたいと言えばいつでも包んでくれて、探す必要などなかった。


 

 何の手掛かりもないままに数日がすぎ、瑠花が働いていた銀座の店に亮二は足を運んだ。

 瑠花が店を辞めて十年以上経つ。瑠花の消息を知る子がいるとは思わなかったけれど、この店が、亮二の知る唯一の手掛かりだった。当時から働いている子に、瑠花が親しくしていた愛というホステスが働く店を教えてもらって、その夜のうちに彼女を訪ねた。


 亮二には見覚えがなかったが愛のほうは亮二を覚えていた。紫との結婚前夜のパーティに同席していたそうだ。


「瑠花が珍しく必死に営業するから不思議だったのよね。あなたは白馬に乗った王子様だとマスコミに取り上げられていて銀座でも評判だったから、瑠花も意外とミーハーであなたに逢ってみたいのかなって思ったのを覚えてるわ」

 あの夜のパーティは、瑠花が言い出して執拗に佐野に勧めたのだと、愛は言った。

 瑠花が店を辞めてからも、愛とはずっと付き合いがあったらしい。愛は瑠花の私生活を知る、数少ない友人だった。


 思い切って亮二がパトロンのことを訊くと、愛はもう時効だろうと言って口を開いた。

 母親が一年以上も前に亡くなって、瑠花はその直後に愛人契約を解消していた。相手の男は誰もが尊敬している初老の紳士で、瑠花のことをとても大切にしていたと、愛は言った。

 その男は瑠花に好きな(ひと)ができたと知ると、すべてを瑠花に与えて自由にした。瑠花はマンションを売って、そのお金を「ミューズ」の借金返済にあてたという。車を売ったのもそのころだろう。


 愛は最後に、「初恋の相手に再会した」と瑠花が嬉しそうに話をしていたので、好きな男とはその男のことだろうと言って瑠花の住所を教えてくれた。

 


 新しい瑠花の部屋はとても狭い1LDKのアパートで白金のマンションとは雲泥の差だった。

 そこは亮二の家から歩いて五分もかからないところにあり、いつだったか過去からもどってくるときの夢で、瑠花が淋しそうに窓辺にたたずみ遠くを眺めていたあの部屋だった。


 シン先生はなんて言った? 時空を旅しているときに見た夢が重要だと言っていたではないか。

 亮二は過去へ向かったときの夢のことばかりを気にかけていた。もどってくるときの夢にこそ、重大な意味があったのだ。

 亮二は記憶を辿って、過去からもどるときに見た夢を思い出せる限り書き出した。到底全部は思い出せない。書き出してみて驚いた。すべてが瑠花にまつわる夢だったのだ。


 亮二は夢で見た瑠花と同じように窓辺に立った。この窓辺から見えるもの……それは亮二の部屋だった。

 一年以上も前からこんな近くに瑠花が住んでいたと知ると胸が熱くなる。知らなかったとは言え、瑠花を罵倒した自分が許せない。亮二は自分を責めた。


 瑠花は既にその部屋も出ていて、管理人が亮二宛ての手紙を預かっていた。白い封筒に綺麗な字で「池下亮二様」と書かれていた。



「池下さん、あなたが優希さんを無事に引き止められるように願っています。余計なことを耳に入れずにあなたの前から消えようと思ったけれど、もし、あなたが私を捜して下さるなら黙って消えるのは心苦しく、この手紙を管理人さんに預けます。


 あなたが思っているとおり、私はバレエ教室の前で遊んで頂いていた子供です。亜紀さんには公園でよくバレエを教えてもらいました。母子家庭でいつもひとりでいた私は、お兄ちゃんが来る日がとても楽しみでした。あなたに憧れて、子供ながらにお兄ちゃんのお嫁さんになりたいと、真剣に思っていたのです。


 長い間、隠していてごめんなさい。亜紀さんに大怪我をさせて踊れなくしたのは私です。それが原因であなたと亜紀さんが別れたことも後で知りました。私は決して許されない罪を犯してしまった。申し訳ないことをしたと思っています。

 亜紀さんが入院している病院に謝罪に行くべきだったのに、自分がしたことが恐くて、どのように償ったらよいかもわからず、結局私は何もしませんでした。捕まるのも恐ろしかったのです。


 テレビで白鳥ゆかりさんとの報道を見て、すぐにお兄ちゃんだとわかりました。お店で再会したときは心臓がどきどきして、嬉しさのあまり犯した罪も忘れて名乗りそうになりました。


 銀座で偶然に逢って一緒にお酒を飲んだとき、池下さんは酔っぱらって覚えてないだろうけれど、あなたは亜紀さんをすぐに追わないで別れてしまったことを後悔しているだけでなく、神社で自分が突き飛ばしてあの事故が起きたのではないかと恐れていました。

 あのときに本当のことを打ち明けるべきでした。あなたがあんなにも心を痛めているのを知ったのに、嫌われるのが恐くて言えなかった。すべてが私のせいなのに、私は黙っていることで二重に罪を犯したのです。


 あなたが人を愛せないと苦しんでいるのはすべて私のせいです。早く告白しなければいけないとわかっていながら、こんなにも長い月日が経ってしまったことをお許しください。

 あなたを苦しめている私が、知らん顔をしてあなたと一緒に未来を歩くことなどできないとわかっていたのに、少しでも長くあなたと時間を共にしたかった。その、甘えた私の態度が、あなたを再び傷つけることになってしまってごめんなさい。


 本当はずっとあなたを抱きしめていたかった。でも気を許すとあなたとの未来を考えてしまうから、ああするしかなかったの。

 池下さんには幸せになって欲しい。こんどこそ、優希さんと幸せになって下さい。

 あなたの近くにいさせてもらえたこの五年間、とても幸せでした。     瑠花」


 亮二は親指と人差し指で目頭を押さえた。あんな少女に罪を背負わせて自分こそなんて罪深いのだろう。亮二は瑠花を想って、なんども、なんども手紙を読んだ。


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