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第四話   「クラブ隠れ家」―数時間前ー

――亮二と川崎は、モノトーンのモダンなインテリアに飾られた落ちついた雰囲気のメインフロアに通された。広々とした店内は、豪華なシャンデリアのまばゆい輝きが壁一面の大きなミラーに反射して、きらきらと輝いている。


 亮二はたまに、この「クラブ隠れ家」を訪れる。メインフロアの他に雰囲気の違う個室や団体用の部屋を用意しているので仕事でもよく利用するのだ。芸能人やマスコミ関係者が立ちよる六本木の数ある店のなかでも、女の子のレベルは高い。

 若い子たちのあいだでキャバ嬢メイクなるものが流行っているけれど、亮二は誰もが同じに見える人形みたいなメイクが苦手だった。「隠れ家」の女の子たちが比較的薄めの化粧をしていることも贔屓にしている理由のひとつだ。


「いらっしゃあい」

 顔なじみの光が、鼻にかかった舌ったらずの声で挨拶して亮二の隣に座った。

 ショートヘアで若々しい光は水色のスリップドレスがよく似合っている。茶髪でロングの巻き髪の子が多いから、ショートの光は自然と目立つ。


「光の夢を見て逢いたくなって来ちゃったよ。こいつ川崎、会ったことある?」

「ううん、初めて」光は首を振ると、「光でぇす。よろしくね」と首を大きくかしげた。

 六本木の女の子は客と友達のように話す。それがかえって気兼ねをしなくていい。 


「いけちゃん、聞いてよ。彼ね、やっぱり浮気してたの」

「ほら、みろ。だから言ったろ。早くわかって良かったじゃねえか」

「良くないよぉ。光、彼のこと好きだもん。どうしたらいい?」

「そいつ、全然ダメだぜ。別れたほうがいいって。俺にしちゃえば」

「いけちゃんのほうが、もっとチャラいもん」

「ひでえなあ」

 亮二が煙草を取りだすと、光は手を伸ばしてさっと火をつけた。

「ねえ、ちゃんと考えてよぉ」

「何で、俺が高い金を払ってさ、おまえの悩み相談にのらなきゃならねぇんだよ」

 亮二はまんざら嫌でもなさそうに言う。

「だって、ミーナがいけちゃんに相談したら、ホストの彼をゲットできたって」

「俺はただ、あいつの話を聞いただけ」

 聞き上手な亮二は女の子たちに人気がある。


「光、彼と別れたくないの」

「知るかよ」と、亮二は乱暴に突き放してから、間をあけてぼそっと言った。「おまえさ、もうちょっと自分を大事にしろよ」

 亮二がいつもより少しだけ長く光に視線を合わせると、光が一瞬、ドキッとしたのがわかった。言葉をつまらせた光は慌てて川崎に話しかける。

「川崎さあん。ねえ、どう思う?」

 川崎はいつも黙って話を聞きながら涼しげな顔で飲んでいる。急に話を振られて困った顔になった。


「俺、男と女のことって苦手なんだよね」

「そんなんだから、草食男子とか言われんだぞ。女なんて直球投げときゃ、落ちるって」

 亮二が口をはさむ。

「その言いかた、むかつくう」

「違うか?」亮二は口を尖らしている光に不遜な態度で言った。「押しの強い男が嫌な女なんていねえだろ」

 そう言いながら、瑠花にだけは直球が投げられないと、亮二はこっそり自嘲する。


「僕は本気にならなきゃ、ボールを投げる気にもならないだけです。池下さんの言ってることは正しいけど、がっついてない男がストレートに責めるから女は落ちるんですよ。だからマジになればなるほど、男は直球なんて恐くてそうそう投げられませんよ」

「素でモテるやつが言いそうなことだ。おまえは女のボールをよけるので精一杯なんだろうよ」

「光、なんだか悔しいっ」

 光がくしゃくしゃの顔をして亮二を睨む。


 膨れっ面の光をなだめて、川崎が楽しそうに言った。

「池下さんって、ショートヘアの女の子に目がないって知ってる?」

「おまえ、余計なことを言うなよ」

「池下さんのショートヘア好きは有名ですよ。ショートで明るくて元気があって、少し勝ち気な女の子が好みですよね」

 川崎は亮二の困った顔を見て、ここぞとばかり嬉しそうに話をする。

「おまえは黙って飲んでろ」亮二はぼやいた。

「本当だよ。光ちゃんって池下さんのストライクゾーン、どまんなかって思ったもん」

 川崎は光の耳に顔をよせてチラチラと横目で亮二を見ながら、内緒話をするように囁く。

「へえ、そうなんだ。光、全然、知らなかったなあ」

 光は顎を引いて上目使いで亮二を見上げた。

 光の外見は確かにタイプだったが、こういうめんどうな女とは付き合うことはないだろうと、亮二は思う。まず、鼻にかかった舌ったらずな話し方がダメだった。


 ふと視線を感じて顔をあげると、隣のテーブルでヘルプについていたレナと目があった。ミニ丈のチャイナドレスから細すぎもせず、太すぎもしない綺麗な足がまっすぐにのびている。

 レナとは数回、夜をともにしたことがある。亮二はレナが注ぐ視線の意味に気づいていたが、敢えて無視して視線を光に移した。


「ちょっと。いけちゃんってば、聞いてるのぉ?」

「ああ、聞いてる。聞いてる」

 光は子供すぎて恋愛対象にならない。光よりも若いころに瑠花は銀座で働いていたけれどもその接客は見事だった。細やかな心配り、ウィットに富んだ会話。瑠花はすべての客を魅了して極上の男をつかまえた。亮二はあの男から瑠花を奪うことも叶わないし、例え奪えたとしても、ひとりの女を幸せにする自信など微塵もなかった。


 嫉妬という感情ほどやっかいなものはない。亮二はグラスをいっきに飲み干した。

 レナがまた意味ありげな視線を絡めてくる。こんな夜はレナの視線を受け止めるのもいいかもしれないと、亮二はレナに視線を合わせた。


 そのとき、派手なネクタイのいかにも「レオン」に出てきそうな、ちょい不良(わる)オヤジ風の男が亮二に声をかけた。

「池下じゃないか」

「佐野さん」

 亮二は男の名を呼んで立ち上がった。


 佐野は昔から洒落たスーツを着ている。亮二よりもひとまわり年上だが、遊び人風で精力的なところは若いころから変わらない。五年前に独立した佐野は、亮二の一番尊敬するプロデューサーであり憧れた男だった。亮二は制作のノウハウだけでなく、男というのはどうあるべきかを佐野の背中から学んだ。


「池下、良かったらこっちに来て一緒に飲まないか」

 佐野に誘われて亮二と川崎は席を移った。光とレナも一緒に席につく。佐野の隣には店のナンバーワンが、髪を緩くアップにして桃色のシフォンの華やかなドレスに身を包んでいた。

 ちょうど連れが帰ったところで退屈していたという佐野に、川崎を紹介すると、佐野は川崎の靴を見て言った。

「いい靴を履いているな。薄汚れた靴を履いている男はダメだ」

「上司にいつも、靴だけは注意されていますから」

 川崎が横目でちらっと亮二を見る。

「おまえもとうとう部下に教える立場になったとはな」

 佐野はグラスを傾けて大きな声で笑った。


 佐野のおかげで亮二のいまがあると言っても過言でない。普通は四大卒でないと大手の制作会社にはいれない。川崎も斎藤も有名大学をでているが、亮二は違う。二年制の映像専門学校を卒業してバイトから社員となった変わり種だ。学歴のない亮二を一年後には契約社員、二年後には正社員にひきたてたのが佐野だった。

 粋な遊び方も女の扱い方もすべてこの上司から教えられた。女も口説けなくてどうして商品を売るコマーシャルが作れるんだと、佐野は口癖のように言っていた。


「川崎君、いいかい。女にモテるには聞き上手になること。俺が俺が……という男よりも遥かに信用されてモテる。会話を通して相手の興味を探り、いかに話題を広げるかが鍵だ。話すのが苦手なら、話が広がる的確な質問を投げてやればいい。大切なのは女の話を否定しないことだ」

「はあ……」と、川崎が情けない声で返事をしたので、亮二はフォローした。

「つまり、それができればクライアントうけも良いってことですね」

「コミュニケーションの原理は同じだよ」

「だから、女を口説いて学べと……」亮二は首を左右に振って笑った。「佐野さんの教えはむちゃくちゃだ」

「おまえは俺の教えを忠実に守る優秀な部下だった。仕事の評判は聞いてるよ」


「私たちもお話にまぜて」

 佐野の横でドリンクを作っていた店のナンバーワンが口を挟んだ。落ちついた感じの品の良い美人だ。

「佐野さんみたいな肉食男子は絶滅寸前ですよ。それに、いまの男は聞き上手というより、黙っているだけだし」

 レナが佐野の煙草に火をつけてぼやいた。


「レナちゃんは肉食だもんね。光はツンデレがいいな。いつもは冷たいのに、急に無愛想な口調で優しい言葉をかけられたら、もうっ、キュンってなっちゃうよぉ」

「ツンデレなんてのは素直になれないお子様のすることだ。だいたい俺がツンケンしたらおかしいだろう?」

 佐野の言葉にみんなが笑う。

「そういや、池下はまさにそんな男だったぞ」

「勘弁してくださいよ」

 亮二は顔をしかめた。昔の話をされるのは苦手だ。


 あのころの亮二は都会の空気に馴染めず、必死に背伸びをしていた。女の子と話すことも苦手で、好きな子にもぶっきらぼうな態度しかとれなかった。初めてちゃんと付き合った彼女には振り回されっぱなしで、仕事が忙しくなるにつれて関係はこじれ、そのうち彼女に男ができて別れた。亮二が消したい過去が頭をもたげる。


「俺と出会ったころはちっともすれてなくて、女とろくに口も利けない純情ボーイでさ」

「もう、いいですから。やめましょうよ」

 川崎と光は身を乗りだして、佐野の話をおもしろそうに聞いている。


 亮二が照れ隠しに煙草を手にすると、レナが素早くライターを煙草の先に持っていき、反対の手で火が消えないように風を遮った。遮っているほうの手のひらに、メモをこっそり持って亮二に見せる。メモにはクエスチョンマークが書いてあるだけだ。今夜は一緒にいられるかという意味だった。亮二はさりげなく、うなずく。


「あのガキが、いまじゃ天下のプレーボーイだ」

「佐野さん、プレーボーイって古いですよ」

 亮二は苦笑して煙草をふかした。

「得意の直球は、そのころは投げてなかったんですか?」

 川崎がからかうように言う。

「おまえ、会社で絶対言うなよ」


「気も弱けりゃ身体も弱くて、防衛庁の近くでぶっ倒れたこともあったよな」

「ありましたね。佐野さんに救急車呼んでもらって」

「すべて、俺のおかげだよな」

 佐野が満足そうに笑った。


 確かに佐野のおかげだった。亮二は女に振られた自分が情けなくて佐野のようになろうと仕事に没頭した。何かに打ち込むことで彼女を忘れられた。毎日が新しいことの連続で仕事を覚えることに夢中になった。

 亮二は佐野に影響されて服も靴も小物まですべてDCブランドで揃えた。有名なレストランにも顔が利くようになり、酒やワインにも詳しくなった。外見的なことだけでなく、さりげない気配りを覚えて包容力も身につけた。時にはやんちゃに振る舞って女に甘えて見せるが、いざという時は頼りになる。強引に押したと思うとさっと引き、駆け引きもうまくなった。少年のようにキラキラと目を輝かせて夢を語ったかと思えば、完璧な男を演じておいて、「家事が苦手なんだ、手伝ってよ」と隙を見せる。

 いつのまにか、そういうことが自然にできる男になった。失恋が亮二を変えた。


「おまえは、まだまだだな」佐野が亮二をじっと見つめてから首を左右に振った。「だいたいあんな綺麗な嫁さんをもらってな、おまえが結婚するとき、俺がどれだけ頭を下げたか。なのに三年でさっさと別れやがって」

「それを言われると返す言葉もありません。迷惑かけ通しですね」

「わかっているなら、早く再婚して安心させろ」

「結婚はもういいですよ」亮二は顔を歪めた。

「おまえは女のことをよく知っているが、女をわかってないんだ。女は深いぞ」


 ほどよくほろ酔い気分になったころに佐野が帰るというので、亮二たちも従った。

「疲れているし、やっぱり帰るよ」

 亮二はレナにそう言って店をでた。

 瑠花の代わりはいない。違う女と朝を向かえても空しいだけだとわかっていた。


 佐野をタクシーにのせて川崎と別れた亮二は、漢方を飲もうとして店の横の自動販売機で水を買った。そんなに酔ってはいなかったが強烈に眠かった。タクシーに乗ったとたん、漢方を飲む間もなく眠りについた。家についたと運転手に起こされて、ふらつきながらエレベーターに乗り、うとうとしながら部屋まで歩いた。

 ポケットから鍵をだしてドアを開けると、ほっとして玄関に座り込む。これまでも部屋にはどうにか辿り着いたものの、玄関で靴を履いたまま眠ってしまうことがよくあった。今夜もそんな感じだった。漢方を鞄から取りだし、ペットボトルを開けようとして、そのままの姿勢で眠ってしまった。 


                     * * *


 寒くて夜中に目が覚めた。黒くて丸い漢方がニ粒、廊下に転がっていた。亮二はそれを拾い、息を吹きかけてゴミをはらうと、ベットポトルの水で飲んだ。すると急に瞼が重くなってさっきよりも、ずっと深い眠りに落ちていった――



                     * * *



 ということは、やっぱりこれは夢なのか? 俺は無事に家まで辿り着いたじゃないか!

 亮二は心のなかで叫んだ。

 飲みにいった後の記憶が甦っても、おかれている状況と結びつくことは何ひとつない。

 玄関で眠ってしまった俺が、なぜこんなところにいる。俺はやっぱり夢を見ているのか?

 亮二は激しく頭を振った。

 しかし、どこからどう見てもここは現代じゃない。タイプスリップでもしたかのような、こんなリアルで鮮やかな光景が夢とは到底思えない。


 目の前をボディコンの服を着たワンレンの女が通り過ぎたとき、強烈な香水の匂いがした。こんなに生々しい匂いを嗅いでも、これが夢だと言うのか? しかし夢でなかったらどうやって過去に来たというのだ。亮二は混乱した。

 香水に刺激されたのか、鼻が急にむずむずしだしてくしゃみが止まらなくなった。すると、こんどは頭がくらくらし始め激しい頭痛に襲われた。次の瞬間、亮二は意識を失っていた。


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