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第四十六話 真実はどこに?

 亮二は後悔していた。傷心の亜紀に追い打ちをかけた。亜紀を抱いた「雅也」はどこにも存在しないのだ。

 亜紀の気持ちを考えるとすぐに逢いに行きたいけれど、逢っても傷つけるだけだとわかっていた。現代に生きる亮二にできることはない。腕の中にいた亜紀は幻想だと頭では理解していた。幻想だからこそ、甘くせつなくて、こんなにも愛しい。

 時間が解決するだろうと思っていたけれども、解決するどころか想いがつのっていく。せめて現代(いま)の亜紀の消息を知りたかった。幸せならば安心できる。溜め息がでた。あれからずっと亮二は溜め息ばかりついている。



 勘のいい川崎は亮二の変化にすぐに気づいた。桜花堂の編集作業のころから亮二の態度が微妙に違ったので瑠花とうまくいってないと感じていたが、くだらないダジャレを言う余裕がそのころの亮二にはあった。だがいまは、とても冗談を言って笑い飛ばせる雰囲気ではない。こんなに意気消沈した亮二を見たことがなかった。

 ちょうど良いタイミングで優希から電話があった。川崎は用件を話し終えると、亮二を元気づけてと優希に頼んで電話を繋いだ。


「元気がないって、聞いたんだけど?」

 受話器から亜紀とそっくりな声が聞こえてきて、胸が締め付けられた。

 すぐに電話を切ってしまいたい衝動にかられたが、亮二は今日こそ亜紀のことを訊ねようと決心した。

「川崎から聞いたのか?」優希の返事を待たずに亮二は続ける。「あいつ、余計なことを。でも、ちょうど良かったよ。君のお母さんって長瀬亜紀という名じゃないのかい?」

 一瞬の間があった。優希が電話の先で息の飲むのが、亮二に伝わる。

「そうよ。知ってるの?」

「昔、ちょっとね。君はお母さんのことを覚えてないんだよね?」

「覚えてないわ」優希は明らかに困惑している。「ごめんなさい。行かなきゃ」と言うと、唐突に電話を切った。

 思った通りだ。

 優希が動揺を隠さなかったからかもしれないが、案外冷静に亮二は事実を受け止めた。母親を思いださせて優希には悪かったけれど、事実を知って少しだけやるせない気持ちがふっきれた。


 亜紀を抱いたあの日から迷いがあってタイムトラベルをしてない。事故の真実はわかっていなかった。亜紀を傷つけてしまっただけで、まだ何も解決してない。このままでいいはずはなかった。

 その日、ひさしぶりに亮二はタイムスリップを試みた。


                   * * *


 亮二が目を覚ました日は、初夏の訪れを感じさせる暑い日だった。あまりの暑さに頭がくらくらして、タイムトリップに慣れてきた最近では珍しく、頭が重くぼうっとする。

 亮二はバレエ教室のそばにいた。いつの時代かはわからない。教室では誰もレッスンしていなかったので、その辺をぶらぶらと歩いて公園をのぞいた。


 公園の砂場に黄色の帽子を被ってランドセルをしょった、七歳くらいの女の子がしゃがんでいた。いつも、バレエ教室の前にいる女の子だ。砂場で遊んでいるのかと思ったら、若い男がそこに倒れている。昔の亮二だった。

 赤いスカートをはいた少女は小さな手に濡れたタオルを持っていて、それを若い亮二の額におくと、少女はランドセルからノートをだして亮二の顔をそれで扇ぎ始めた。

 少女はノートの閉じている方をつかんでいたので、ノートに挟んでいた「母の日」と書かれた似顔絵がひらりと宙を舞い地面に落ちる。慌てて少女は絵を拾うと、砂をはらって絵をランドセルにもどした。


 昔の亮二が目覚める気配がないので、少女はタオルを水飲み場で濡らし、また彼の額にのせた。焼けつくような太陽の日差しの下で、おとなの亮二でもこの暑さは厳しいのに、その子はなりふり構わず水飲み場と砂場をなんども往復して、倒れた亮二の看病をしていた。

 随分と賢く大人びた子だ。顔立ちも外国人の血が混ざっているかのように整っている。大きくなったらきっと美人になるだろうと、亮二はその子の未来をなんとなく想像した。


 少しして少女がバレエ教室へ走っていったので、亮二もこっそりあとをつけた。バレエ教室のチャイムを鳴らそうとしたけれど、背が低くてチャイムに届かない。少女は戸をたたいて「誰かいませんか?」と大きな声をだした。なんどか繰り返し叫んでいると、亜紀がバレエ教室のドアをあけた。少女に連れられて、亜紀は倒れている亮二を見つける。そのとき、女の子の母親らしき女性が公園の入り口からその子を呼んで、少女は倒れている若い男を気にしながらも、その女性のもとへ走っていった。


 少女の様子を観察しながら、亮二は無意識に首のまわりを指先で強く掻いていた。気づいたときには首から肩にかけて、陽にあたったところが蚊に刺されたように赤くなって、ぶつぶつした湿疹が出来ている。紫外線アレルギーだと直感した。日差しが強い日に直射日光に当たると、十五分でもアレルギーを起こすという。まずい、と思った瞬間、亮二は気を失った。


                   * * *


 現代にもどった亮二はソファーに座ってぼんやりしていた。いつも遊んでいた少女が自分を助けてくれていたとは、ちっとも知らなかった。あの子のおかげで亜紀と親しくなれたのだ。教室の外でレッスンを見ていた小さなキューピットのことを思うと自然に顔がほころんだ。


 亮二は薬を飲めば、事故の起こる日に飛ぶか、関係を持った後の亜紀に逢えると勝手に思い込んでいた。それが、全く予想していなかった時代に飛んだ。あれは亜紀にバイトを紹介された日だ。なぜ、あの日に飛んだのかまったくわからない。


 行き先が変わったということは、もう二度と亜紀を抱いた後の時代には行けないということなのか?

 亮二は動揺して日記をひっくり返した。


 四月三日近辺で意識を失った日を探したが見つからず、雅也の出現を匂わす日はない。

 事故の真実を知るためと言いながら薬を飲み、本当は再び自分のものになった亜紀と逢えることを期待していた。二度と亜紀に逢えないかもしれないという現実を直視し、まだ幻想を追っていた自分に気づいて絶望的な気分になる。


 亮二はグラスに氷とスコッチを入れて一口飲んだ。絶望の世界から抜け出す術を探していた。酒に逃げても事態は変わらない。現実に目をむけて事故の真相を知ることでしか、この苦しみから抜け出せないことに気づいていた。

 腹を据えて事件と向き合おう。

 亮二は事故の前後の日記を読み返してヒントを探した。



 そのころの日記をすべて読み終えると、自分が精神的にかなり危ないところまで追いつめられていたことに愕然とした。恐ろしい記述が事故の前日にあったのだ。



 十二月二十三日


 亜紀は近ごろ逢いたいと言わなくなった。電話も減った。

 俺の誕生日の日に長瀬の隣で笑っていた亜紀の顔が忘れられない。もう何ヶ月もあんな顔を俺には見せないのに。

 長瀬は亜紀が好きだ。見ればわかる。俺が亜紀と別れたら付き合おうとするはずだ。

 亜紀はどう思ってるんだろう? 亜紀に逢いたい。俺は亜紀がいないとダメだ。亜紀の心に俺はまだいるのだろうか? 自信がない。拒絶されるのが恐くて臆病になる。


 誰かを想うって、なんて悲しくて辛いんだろう。

 亜紀が長瀬と一緒にいると考えるだけで胸がはりさけそうだ。

 俺は長瀬のように優しくできない。

 兄貴みたいなまねもできないし、絶対にやりたくねえ。


 亜紀と女のことでもめたとき、亜紀は長瀬の誘いに応じてやつのバイクに乗った。俺にやきもちを焼かせるためだとわかっているけれど、あの情景が心に焼きついて、こんなに時間が経っても消えない。

 長瀬に身をゆだねて抱きつくように身体を密着させバイクに乗る亜紀の姿を思いだすと、全身の血液が逆流するような感覚が甦って堪えられなくなる。いまこうやっているあいだにも亜紀が長瀬といるのじゃないかと考えると、やつにキスするところや、抱かれる彼女を想像しちまう。


 俺はどうかしている。信じたいのに信じられない。

 明日はクリスマスイブだというのに亜紀は何もいってこない。

 長瀬と過ごすつもりなのか?  


 亜紀が俺を裏切っていたらと思うと堪えられない。怒りと憎しみが込み上げて、すべてを破壊したい衝動にかられる。俺は亜紀を傷つけないでいられる自信がない。


 亜紀を誰にもやりたくない。

 他の誰かに盗られるくらいなら、いっそのことあいつを……



 日記はそこで終わっていた。

 手には汗をかいて、膝はがくがく震えている。亮二の心臓はかつてない早さで波打っていた。


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