第三話 東京ミッドタウンがない!?
「東京ミッドタウンがない!」
亮二は重い瞼をあけると、限界まで目を大きく開いて愕然とした。なんど見てもそこにあるべきはずの建物がない。酔いは一瞬にしてふっとんだ。
酔いから醒めたとき、亮二は道のまんなかにたたずんでいた。こめかみの奥の方でがんがんする頭をゆっくりあげると慣れ親しんだ光景が飛び込んできたが、すぐにその景色に違和感を覚えた。東京ミッドタウンの代わりにそこにあるもの。確かに亮二はこの風景を知っていたけれど、それは二十年以上も前のことだ。呆然としている亮二の前には、旧防衛庁の塀が延々と続いていた。
夢を見ているのかと両手で頬を叩いてみると、ちゃんと痛みを感じた。さっきまで川崎と六本木で飲んでいたが、酔い潰れるほどは飲んでない。頭だってしっかりしている。亮二は自分の身に起きている出来事に折り合いをつけようと必死に辺りを見まわした。
かつて、渋カジと呼ばれたポロシャツにジーンズといったラフな服装の若い男たちが、我が物顔で煙草を吸いながら街をうろついている。男たちは一様にシャツの裾をズボンにいれていた。
「あちっ」そのうちのひとりが亮二にぶつかって、亮二は反射的に右手を動かした。右手の甲が赤くなっている。煙草の火が触れたのだ。ぶつかった男は迷惑そうな顔をして、「ぼうっとしてんじゃねえよ」と言って、煙草を道路に投げ捨てた。
立ち止まっていると通行人の邪魔になるので、亮二はわけがわからないまま仕方なく、おぼつかない足をひきずって歩きだす。信じられないと思いながらも、目の前に広がる光景が昭和の外苑東通りだということを確信して困惑していた。
初めはテーマパークのアトラクションを体験しているような感じだったが、気持ちが徐々に落ちつくと次第に風景は現実味を帯び、亮二はやっと道路の細部にまで目を向ける余裕が出てきた。夜だというのに人通りも多く、平成の今よりも活気がある。亮二の横を通り過ぎるシルビアのツードアクーペから光 GENJIの「パラダイス銀河」が聞こえた。
信号が赤になると、車道はタクシーのテールランプで真っ赤に埋めつくされた。こんなにたくさんのタクシーを見ることは最近では稀だ。それなのに空車は一台も見当たらない。亮二は街も人も生き生きとしていた時代にいることをどうにか受け入れて、バブル期の六本木の街は活気があって今よりも洒落ていたな、などと、歩きながらぼんやりと考えていた。
ふと、照明が落下して多くの死傷者をだした高級ディスコがこの先にあったのを思いだし、路地をはいってみたが、その建物は既に取り壊されており空き地になっていた。
もはや自分が夢を見ているとは思わなかった。感覚があまりにもリアルだ。
亮二の関心は「ここはどこか」ということから「なぜここにいるのか」に移っていた。
そんなに酔っていなかったはずなのに、ここに現れる直前の行動がすぐに思いだせない。いったい何をしてたんだっけ?
亮二は立ち止まると植え込みに寄っかかるようにして、行き交う人々をぼうっと見ながら記憶を辿った。空白の時間は、それ以前の記憶までも鈍らせていた。
そうだ。結局、瑠花からメールがなかったんだ。
瑠花のことを思いだすと胸がチクリと痛んだ。
メールが来なくて川崎と六本木に行って、それからどうしたんだっけ?
「メール? そっか、携帯だ」
亮二は独り言のように呟くと、ジャケットの胸ポケットから携帯を取りだした。
「圏外って……あたりまえか」心のなかで、「くそっ!」と叫んだ。
例え使えたとしてもこの時代で繋がる番号は登録されてない。
亮二は力なくうつむくと、記憶を呼び起こすことに集中して川崎と六本木に出かけたあとの記憶を辿った。