第三十八話 秘めた想い
店の閉店時間まであと三十分。瑠花は腕時計を見た。もう、今日は客が来ないと思い、都ホテルでパリのディーラーから買い付けたアクセサリーやバックに値札をつけ始めた。
小物を見ているうちに、亮二に逢えると心をときめかせたあの日のことが甦る。
「すぐに逢いたい」「どこにでも行く」という、亮二にしては珍しく押しの強いメールをを受け取って、瑠花は戸惑った。
亮二は四六時中、女の子を誘っているけれども決して執着することはなく、瑠花自身も何度が誘われたが、こちらが難色を示すとあっさりと引く。亮二が何かトラブルに巻き込まれでもしたのかと思い、瑠花は心配になった。
結局、亮二に急用ができて逢うことは叶わなかったが、その後は何も言ってこないので問題は解決したのだと思っていた。
携帯に残されたメッセージを聞いたとき、亮二に逢えなくなったと知って力が抜けた。瑠花は想像していた以上に自分が心を踊らせていたことに気づいた。
だけど今は、これで良かったのだと思う。一度、ルールを破ってしまえば歯止めが利かなくなると、瑠花は自分を戒めた。誘惑に負けて外で逢おうとしたことを反省していた。
瑠花は亮二との関係にルールを決めている。
外で逢わないのも、手料理を作らないのも、亮二の部屋になるべく泊まらないようにしているのも、自分の立場で亮二を愛せるわけがないとわかってのことだ。恋人同士が日常することは、しないようにと心がけていた。感情を表すことも極力やめにする。ルールを破ることによって気持ちが抑えられなくなるのを、瑠花は一番恐れていた。
値札を付け終えて商品を並べると、瑠花は店内を見渡した。この店が瑠花のすべてだ。
店を持たせてくれた男には深く感謝をしていた。父親と縁が薄かった瑠花に、本当の父のような深い愛情をそそいでくれた。男のことは尊敬していたけれども、それは亮二に対するような想いではない。亮二は瑠花が心を寄せた唯一の男性だった。だからといって、自分のような人間が亮二と一緒になることは、絶対に許されないとわかっている。
自らは何も求めずに亮二が逢いたいときにだけ逢う。自分は受け身の存在でいい。それが過去の行いに対する報いだと、瑠花はいつも戒めていた。
独りで強く生きていけたら……。
寂しさを感じることもなく、亮二の幸せだけを願って想い生きていけるのならば、例え逢えなくてもどんなに良いだろう。
そう思っていても、どこかで瑠花は期待してしまう。時おり空しさだけが漂い、孤独で悲鳴が聞こえる。
なぜ自分は、主人のいない家で暖炉を燃やし続けているのだろうか。
報われなくても、あの人のことをもっと考えていたいだなんて、それって、やっぱり独り遊びだわ。
時計が七時を知らせた。瑠花は簡単に店内を掃除する。高価な商品を閉まい、売り上げを計算してレジをしめると、奥の部屋に行き、ポットの水を捨てティーカップを洗った。
瑠花は洗面所の電気を消そうとして、鏡の中にスワロフスキーのペンダントを見つけた。目をとじてそれにそっと触れると亮二の顔が瞼に浮かぶ。心が温かくなった。逢いたいという想いがどこからともなく沸き上がる。
好きだという言葉も未来の約束もないけど暖かい。それは、ガラスの上を歩いているような、不安定ですぐに粉々になって壊れてしまいそうな幸福だけど、確かにここにある。
最近特に、亮二といると温もりを感じてしまう。お伽噺の世界から抜け出せなくなるような感覚が恐い。何もかも忘れて亮二の胸に飛び込んでしまいたくなる。それは瑠花には許されない。
長い間、瑠花は亮二だけを見つめていたので、彼が昔の恋愛でひどく傷ついていることを知っている。亮二が愛することを拒んでいることも、よく理解していた。だからこそ、亮二が求めるときにだけ、抱きしめることが自分の役割だと知っている。自分が傷つくことも恐いけれども、亮二が傷つく姿を見るのが瑠花は一番辛かった。
亮二が幸せになるまで見届けたい。せめてそれまで一緒にいさせて欲しいと、神に願う。それ以上は望まない。だから少しでも長く、亮二のそばにおいて欲しい。
瑠花は戸締まりをチェックして留守番電話をセットした。オープンの札をクローズに変えると、彼女は鍵を閉めて店をあとにした。