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第三十六話 線香花火の想い出

―ー「亮のさらさらしている髪が好き。少しのばしてごらんよ。前髪もちょっと長く。うん。絶対かっこいいよ」

 そういって、亜紀はいつも亮二の髪を撫でた。


 三月生まれの亮二と四月生まれの亜紀とは、学年はひとつしか違わないのに都合のいいときだけ亜紀は亮二を年下扱いする。

 亮二は「うるせえなあ」と、亜紀の手を振りほどいていたけれども内心では嬉しくて、言われたとおりに髪をのばした。

 亜紀は気軽に誰にでも話しかけたので、彼女が自分に特別な好意を持っているとは思えなかったが、亜紀に髪を触られるたびに心臓は激しく音をたてた。


 ひと月ほど働いてバイトにも慣れてきた。主に昼間働いている亜紀とは水曜と日曜の夜だけ一緒になった。同じ駅を利用しているので自然に一緒に帰るようになり、亮二は彼女がバイトにくる日が楽しみになっていた。亮二にとって亜紀は東京そのものだった。キラキラしていて眩しくて、憧れるけれども手が届くとは思えない。それでも一緒にいるだけで楽しかった。


 亜紀は喜怒哀楽が激しくて、ビンの蓋があかないだけでもムキになる。

「しょうがねえな。かしてみろ、俺がやってやるよ」

 亮二はビンを取りあげると一捻りして蓋をあけた。たったそれだけで亜紀は大喜びだ。

「男の子だね。ドキってしちゃった!」

 亜紀は熱い視線を亮二に注いで思わせぶりに言う。

 そんな風に言われても亮二は本気にしなかった。亜紀にはいろんな噂があったからだ。一見派手な彼女はいつも夜は忙しいので、キャバレーで働いているとか、店長とできているとか、いろいろと噂されていた。誰が誘ってもダメなのだから、自分が相手にされるとは到底思えない。亮二は亜紀と一緒に帰れるだけで満足だった。


 ある日、掃除を終えて店を出ようとしたら、亜紀がひとりポツンとホールの椅子に座っていた。

「どうしたの?」と亮二が声をかけて隣に座ると、亜紀は頭をコツンと亮二の肩にしなだれて、「ちょっとだけ、このままこうしていてもいいかな?」と一筋の涙を流した。

 そのとき、亮二には胸を撃ち抜かれる音が聞こえた。初めて恋に落ちた瞬間だった。


 それでも亮二は亜紀を誘えなくて、「夜は何をしているの?」と訊くのがやっとだ。

 亜紀は質問に答えずに手書きの地図を亮二に渡して、次の火曜の夜にそこへ来るように告げた。 

 言われたとおりに地図の場所へ行くと、そこは亜紀に助けられた公園の近くのバレエ教室だった。ガラス張りの教室は外からでもよく見える。教室の外で七歳くらいの女の子がレッスンを見てまねていた。教室に目をやると、ピンクのレオタードを着た亜紀が手足を優雅に動かし、華麗にターンを決めて空高くジャンプした。いつもの亜紀からは想像できない、ひたむきさとほとばしる情熱を感じて心が震える。これが感動するということなのだと、亮二は身をもって知った。


 レッスンが終わるといつもの亜紀だった。亜紀が花火をしようと言い出して駅前の噴水へ連れて行かれた。どこで拾ったのかペンキの缶のようなものを持っている。亮二は言われるまま、缶に噴水の水を汲んだ。

 亜紀がロケットの形をした花火に火をつけると、赤と青の太い炎が勢いよく噴きだした。彼女は火で絵を描くように楽しそうに花火を振りまわす。亮二はそれを横目で見ながら、どこか懐かしい和紙でできた頼りなげな線香花火を選んで火をつけた。


「火がステップを踏んでいる」

 亮二が線香花火を見つめて呟いた。


 亜紀はその言葉を気に入って、「マイケル・ジャクソンみたい」と目を輝かせた。

 亮二は亜紀の言わんとすることは、わからなくはなかったが、マイケル・ジャクソンと線香花火はかけ離れているような気がする。


 亮二が言い出して、ふたりはどちらが長く火の玉を落とさないでいられるか競争した。

亜紀は花火の上の方を持っているので、何回やっても亮二が勝つ。亮二はこめかみに指をあてて、「ここの違いだね」と言って笑った。このときから、線香花火はふたりに欠かせない遊びとなった。


 花火はあっという間に最後の一本になった。ふたりはベンチに座って休憩し、亜紀は両肘を膝につけて前のめりの姿勢で頬杖をつき、亮二が少年時代の花火の想い出を語るのを、楽しそうに聞いていた。


 亮二が話し終えると心地よい沈黙がふたりを包んだが、亮二の心臓は高鳴ってすぐにそれは気まずい空気へと変わった。亜紀と自然に目が合って、亮二は目をそらせなくなる。雑音は消えて心臓の音しか聞こえない。亜紀に触れたかったが亮二は動けなかった。

 その空気を壊すように、亜紀が最後の花火に火をつけようとした。花火は湿っているのかなかなか火がつかない。亜紀が顔を近づけてムキになって火をつけていたら、花火は急に大きな音をたて火を噴いた。亜紀は咄嗟に花火を放って亮二に抱きつく。地面に落ちた花火のシューシューという音だけが響き、鼓動が早くなった。亜紀の手に力がこもるのを感じた瞬間(とき)、鮮やかな花火の光を浴びた亜紀の唇が動いて亮二の唇に触れた。それは一瞬のことだった。亜紀の細い体から微かに震えが伝わってきた。


 気づいたときには、自分勝手で強引なところも、純粋で寂しがりやのところも、亜紀のすべてを亮二は好きになっていた。


 付き合いだしてまもなく亜紀は、六畳一間に小さな台所がある亮二の部屋に泊まった。無防備に寝ている亜紀の隣に横になって、亮二は手をだすことも、眠ることもできない。度胸がない自分が情けなかったけれど、次に亜紀が泊まったときも同じだった。泊まっていくのだからその気がないわけではなさそうだが、そういう雰囲気になりそうになると、冗談を言ったりして亜紀がうまくその空気を壊すのだ。意外にも彼女のガードは堅かった。


 その日は祝日で昼過ぎに亜紀がサンドイッチを持って遊びに来た。いつものように子供扱いしてからかう亜紀に、亮二はいきなりキスして強引に押し倒した。始めは抵抗したが亜紀はすぐに身体の力を抜いた。しかし、いざというときになると、実は彼女も初めてで、痛がって大暴れする。亮二は行為を止め、亜紀を包み込むように胸に抱き寄せて額にキスをした。亮二は思いを遂げるまで、それを二度もくり返さねばならなかったにも関わらず、思いが叶ったときには何がなんだかわからないまま終えてしまった。 


 亜紀を連れていると多くの男が振り返った。亜紀には光があたっているようなオーラがあって、そんな彼女を連れているのが自慢だった。

 亮二はコロコロと笑う亜紀を見るのが大好きで、その笑顔が見たくて笑わせるのに必死になる。亜紀は何にでも興味を持ち、何でも知りたがり、何より退屈を嫌う。

 亜紀といると驚きの連続だった。こんなにもひとを想う気持ちが、自分にあったことにびっくりする。亜紀は亮二のかけがえのない宝物で、誰かを守りたいと思ったのは生まれて初めてだった。


 亜紀の生活は、昼はバイトで夜はバレエのレッスンと忙しかったので、亮二がバイトの休みの日はバレエ教室に迎えに行った。週に二回のバイトはふたりでいられる貴重な時間となって、残りの日は陽当たりだけが自慢の亮二の部屋に亜紀が泊まった。


 亜紀はいつも早起きで、起きると窓をあけるのが日課だった。

 毎朝、冷たい風が窓からはいってきて亮二の眠りを妨げる。それでも布団にしがみついていると、亜紀は亮二を起こそうとして身体中をくすぐり、亮二は知らん顔で必死に堪えた。

 そのうち我慢ができなくなった亮二が、亜紀を組み伏せて、「もうくすぐらないか?」と詰め寄ると、動けないのに亜紀は強情に首を左右に降り続け、隙を見つけては反撃する。亮二もくすぐられまいと負けずに亜紀の自由を奪った。

 しばらくふたりでふざけ合い、そんなやり取りをくり返し、亮二は亜紀を愛しく想う。自然に欲望が高まって抑えつけている亜紀の唇を強引に奪うと、柔らかな身体に堕ちていく。気が強くて甘えん坊で寂しがりや。それでいて情熱的な亜紀に亮二は身も心ものめり込んでいった――



 電車が中目黒に着いて亮二は我に返った。会社を出る直前に優希から相談にのって欲しいと電話があって、亜紀との話を聞きたいと言われたせいか、一番楽しかったころを思いだしていた。


 日記を読んでからは心の鍵が開いたかのように、ときどき亜紀と過ごした日々の記憶が、何の前触れもなく急に甦った。

 亜紀の話を優希にすることに抵抗があったけれど、優希の撮影はすべて終わり当分逢うことはないと残念に思っていたところだったので、その申し出を受けた。無意識に瑠花のことを考えないようにしているせいか、亜紀を重ねているだけとわかっていても、優希に惹かれる自分を抑えられなかった。


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