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第三十三話 似ていて異なるものへの絶望

――結婚するまでは紫に逢いたいときに逢えなかったので、亮二はわからなかったのだ。 

 いままで紫を亜紀に置き換えていることに無理がなかった。仕事上で紫は忠実に亜紀のキャラクターを演じていたからだ。仕事を辞めた紫と一緒に住みだした亮二は、次第に紫と理想とのあいだにギャップを感じ始めた。


 紫はラブコメに心をときめかせたが、亮二の理想は冒険映画にわくわくする女の子だ。家で静かに過ごすのが好きな紫よりも、野山をかけめぐるような少女を好んだ。何から何まで紫と理想を比べて、理想と違う紫とだんだん話すことが苦痛になっていく。亮二は、自分の求める理想が亜紀そのものだということに全く気づかないで、何かが違うとだけ漠然と感じていた。


 そんなことは知らずに、紫は亮二が帰ってくると無邪気に一日のことを話したがる。

「お帰り。ご飯は? 亮ちゃんの好きな肉じゃが作ったの。上手にできたんだよ」

「ごめん、食ってきた」

「そう」紫は淋しそうな顔をするが、すぐに話しだす。「ねえ、聞いて。今日ね……」

「悪い。疲れているんだ。明日にして」


 亮二は短い会話すら、紫とするのが辛かった。話すと紫が理想と違うことを思い知らされる。それでも紫を大切に想っていたから、これ以上紫が理想から離れていくのが耐えられない。紫の笑った顔が見たいのに、亮二が言葉を発すると悲しい顔に歪ませてしまう。亮二が話しかけるときは、紫が理想に合わないことをしたときだけだった。


「髪の毛、のびたね」

「気づいてくれた?」嬉しそうに声を高めて紫は微笑む。「少しのばそうと思って」

「君にはショートが似合うって、いつも言っているだろ」

 亮二はつい、口調が厳しくなった。

「ごめんなさい」亮二の嫌そうな顔を見て紫はシュンとする。「明日、美容院に行ってくる」

 紫は親指を口にもっていき、そっと噛んだ。

 そんな紫を見て亮二は辛くなる。

「きつい言い方して悪かった。仕事でいらいらしていて、紫の好きにすればいいよ」

「ううん、短いほうが私らしいもの。明日、切ってくる」

「フェィシャルとか、マッサージもしてくるといい」


 紫の髪型や服装に亮二はいろいろと意見した。靴やバックなど身に着けるアクセサリーの細部にいたるまで色やスタイルに注文をつけるだけではなく、紫の振る舞いや言動すべてにおいても理想を押しつける。

 紫は亮二の束縛を愛されているからだと信じていた。


 パーティ用のドレスを紫が買ってきたときもそうだ。

 紫はいつになく楽しそうに話し、春色のドレスを嬉しそうに亮二に見せた。

「ねえ、素敵でしょ。月末のパーティにこれを着ていこうと思ってるの」

「一緒に銀座で買った、水色のドレスのほうが君に似合うよ。これは、またにしたら?」

 亮二が顔をしかめたのを見て、紫は悲しそうな顔で目を伏せる。

「ごめんなさい。薄いピンクが春らしいと思ったの」

「謝ることはないよ。それもとても可愛い。君がそっちを着たいのならそうすればいい。俺はただ、君の瞳にはブルーがよく生えると感じだけだから」

「亮ちゃんがそう言うなら、私もそうしたい」

 紫は水色のドレスを手にする。


 亮二は紫が髪をのばしたいと思っていることも、女の子らしい色やスタイルを好むことにも気がついていたけれど、見て見ぬ振りをした。

 亮二は決して無理強いはしなかったが、紫は亮二が反対する素ぶりを見せるとそれ以上は主張しない。紫が自分を曲げることで彼女を自分のものだと確認できた。

 だが皮肉なことに、それがかえって紫と亜紀の違いを明確にした。亜紀なら決して主張を曲げないからだ。

 紫の好きな物と亜紀が好む物の違いを見るたびに紫が自分の理想と違うと感じる。亮二はだんだんと現実に目を向けていった。すごく似ているのに同一ではないというはがゆさは、全然似ていないよりも始末が悪い。似ていて異なるものは全く異なるものより亮二をもっと絶望させた。

 亮二に依存して紫が笑わなくなったのは自分のせいだとわかっていた。そんなことがすべて少しずつ鬱陶しくなって、次第に家に帰る時間が遅くなっていった――



 亮二は自己嫌悪になって日記をとじた。紫にひどい男だと恨まれても仕方ない。だが、あのときは紫のことをいたわってやりたくてもどうしてもできなかった。あのころの亮二はどうしていつもいらついていたのか、自分でもわかっていなかった。


 それにしても、なんて自分勝手な男だったんだろう。もっと優しくしてやれば良かった。自分を信じて全てを捨てて飛び込んで来てくれた紫を、どうしてちゃんと見てやらなかったんだろう? 


 亮二の心は痛んだ。紫を幸せにすることなんて自分には無理だったと思いつつ、別れるにしても違った方法があったのではないかと悔やまれてならない。

 過去を変えることは出来なかったが、今の自分なら何か紫の力になることが出来るかもしれないと思い立ち、亮二は別れる前の紫との時間を目指して特効薬を飲んだ。


                     * * *


 過去へ向かう途中に変な夢を見た。

 不機嫌な顔をした若いころの亮二がリビングのソファーに座っている様子を、今の自分が映画でも見るように客席から見ていた。


 スクリーンの中で紫が若い亮二に近づいて何か話しかけたが、亮二はむすっとして紫を見ようともしない。

「亮ちゃん、怒ってるの?」

 亮二は返事をせずにテレビを睨みつけている。紫は親指を噛んで更に追求してしまう。

「ねえ、私、何かした?」

「別に」亮二はチャンネルを変えながら無愛想に答えた。


 仕事でトラブルがあって亮二はとても疲れていた。こんなときは放っておいて欲しいのに、若い紫にはわからない。

 紫は身に覚えはないけれども夫の不機嫌の原因が自分にあるのではないかと心配になって、放ってはおけない。

 スクリーンの外からふたりを眺めている亮二には、若い自分の気持も紫の気持ちも手に取るように伝わってくる。


「私に悪いところがあるなら言ってよ」

 紫はストレスで押しつぶされそうになっている亮二を、容赦なく責め立てた。

 亮二は、静かにしてくれと、怒鳴りそうになるのを堪える。いつも冷静でいたいのだ。感情的になって心のうちをさらけだすのは亮二がもっとも嫌なことだった。

「黙ってないで何か言ってよ。わからないじゃない」 

 亮二が悩みを抱えているなら力になりたい。紫は感情を表して言葉を交わすことが夫婦の絆を深めることになると疑わず、亮二にもそれを要求する。それがもっと彼を黙らせる結果になるとは考えない。夫婦の関係を築こうとしない亮二に腹を立てている。

 いまの亮二にはそんな紫の気持がよくわかった。


「亮ちゃん、全然、私を見てくれないじゃない。私って、あなたにとってなに?」

「妻だろ!」ついに亮二は声を張り上げた。「贅沢とまではいかないが不自由のない生活をさせているつもりだ。浮気だってしていない。遅くはなるけれど必ず帰ってくるだろ。家で黙っていたらいけないのか? 俺だって疲れているんだ。君の気持ちの整理くらい、自分でつけてくれ!」

「私の気持ち? ふたりの問題でしょ。前はもっと私を見てくれていたじゃない」

「アイドルだった『紫』と、いまの君とでは別人じゃないか! 君が変わったんだ」

 亮二は本音をもらした。亜紀に似た紫の顔を毎日見せられるのが辛かった。無意識に亜紀を思いだしては絶望し、腹を立てていることに気づかないでいる。


「亮ちゃんはやっぱり『紫』がいいんだ」紫は眉をへの字にした。「私を見てよ。服だって髪だって、言われるとおりにしてるじゃない!」

「紫はおまえだろ! これ以上、変な話をするなら俺は出て行く。本当に疲れてるんだ」

 亮二は会話を一方的に終わらせた。

 当時は紫がコミュニケーションを取ろうとして言うことも、ただの文句にしか聞こえなかった。


 そうだ、この喧嘩の少しあとだ。

 亮二は夢を見せられて思いだした。


 この喧嘩のあと、紫が亮二の理想でいようといままで以上に努力をしているのを見て、亮二は言い過ぎたと反省していた。だが、優しい言葉をかけてやろうと思ったものの、あとまわしにしていた。

 特に変わったことがない日々が続き、それから暫くして突然、紫は髪を真っ赤に染めてエクステをつけ、パンクみたいな服を着て帰ってきた。

 紫はその日を境に亮二と口を利かなくなった。


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