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第三十二話 過去に縛られて……

 拍手の音で亮二は我に返った。いつのまにか最後のカットを取り終えていた。


 優希は新人とは思えないほど上手く動いてみせたので撮影は予定よりも早く終わった。亮二は優希を食事に誘いたかったが、普段軽く女性を誘うようには声をかけられない。そこでみんなを誘ってスタジオの近くの居酒屋へでかけた。優希の隣には川崎が座り、亮二はわざと離れた席につく。


「池下さんと組んで長いんですか?」

 優希は川崎にビールをついで訊ねた。

「もしかして池下さんのことが気になるの?」

「そんなんじゃないです。なんとなく、知り合いのおじさんに似ていて」

「おじさん? それ、池下さんに言わないほうがいいよ。ショックを受けちゃうからさ」川崎が笑いながら言った。「ああ見えて、意外と傷つきやすいんだよ」

「おじさんだけど、池下さんはかっこいいですよ」

「やっぱり、気に入ってるんじゃない」

 川崎はふっと笑うと店員を呼んで優希の飲み物を注文した。


「池下さんはやめといたほうがいい。あの人は真剣に女と付き合わないから」

「前の奥さんのせいですか?」

「白鳥ゆかりのせいもあるけど、二度目の奥さんともいろいろあったらしいよ」

 横から斎藤が口を挟む。

「えっ、二回も離婚してるんですか?」

 優希が驚いた声をだすと、斎藤は得意げに声をひそめて言った。

「二番目の奥さんは池下さんの地元の同級生で、できちゃった結婚らしいんだ」

「おまえさ、あっちの席に座って監督の相手をしてこい」

 斎藤は少し酔いがまわってきているようだった。酒で饒舌になっている斎藤は、川崎に言われてしぶしぶ監督たちが座っているテーブルに移る。

「それじゃあ、お子さんもいらっしゃるんですか?」

 優希は真剣な顔で川崎に訊いた。

「その話は、またこんどってことで」

 川崎は質問をかわそうとしたが優希はそれを許さない。大きな瞳をまっすぐに川崎に向けた。

「子供は間違いだったって池下さんは言っている」

 川崎は仕方なく答えた。

「それで? それだけじゃないですよね。何があったんですか?」優希は川崎を見つめたまま真剣な顔をして言った。「池下さんのことをもっと知りたいんです」

 川崎はさらさらした前髪をかきあげて、ふうっと溜め息をもらすと、口元を緩めた。

「そんな直球を投げられたら、俺も答えないわけにはいかないじゃん」

 人にどう思われようと構わないと言いたげな眼差しで、感情をぶつけてくる優希に川崎は負けた。

「俺の同期のプロデューサーでゴシップ通な男がいてさ。そいつの情報だと池下さんは騙されたみたいなんだ。妊娠は奥さんの嘘だったって話だよ」

「それがほんとなら、女性不信にもなっちゃいますね」

「だからかな。池下さんってモテるし女好きだけど、本当は女性が苦手なんじゃないかと思うことがある。女を信用してないんだよ」

 ウエイターが飲み物を運んできて、優希と川崎の前に置いた。


「特別な人っているのかな」

 優希は独り言のように呟いて亮二に視線を送った。

「本気なら池下さんは、やめといたほうがいい」

「誰かいるんですね」

「本人は認めてないけどね。しきりにメールチェックして、ときどき機嫌がやけに良かったりするから、俺が勝手に入れこんでるんじゃないかなって思ってるだけ」

「川崎さんの知っている人ですか?」

「前にさ、撮影中にネックレスが壊れちゃってね。それってあんまり売ってないやつでさ、前のシーンとの繋がりがあるから、付けないわけにいかないでしょ。そのとき、池下さんの知り合いが青山でブテッィクをやっていて同じものを見つけてくれたんだ」

「どんな人ですか? きれいな人?」

「めちゃくちゃいい女だよ。白鳥ゆかりといい、すごい男だなってそのときは思った」

 川崎がくだけた口調で言った。


「俺がどうしたって?」トイレに立った亮二がいつのまにか、川崎の後ろにいた。「おまえ、俺の噂話するなんて十年早いんだよ」

「池下さんがモテるって話をしてたんですよ。ねえ、優希ちゃん」川崎は優希に同意を求めると「俺も用を足してこう」っと言い、優希に目配せをして席を立った。


「あいつ、何て言ってた?」

 亮二は川崎の座っていた席に腰をおろした。

「池下さんの知り合いが青山に素敵なお店をやっているから、一度、行ったらいいって」

「ちぇっ、余計なことを」亮二は舌打ちをした。「それだけ?」

「女に手が早いから気をつけろって」

「あいつ、そんなことを?」

「嘘です。いい上司だって」

 優希は下を向いてクックッと笑った。


 瑠花の店を優希が教えて欲しいと言うので、「ミューズ」の場所を亮二は簡単に説明した。

「優希ちゃん、出身は?」

「東京です」

「じゃあ、実家に住んでいるの?」

「いえ、母は男の人と一緒で、私はずっと前からひとり暮らしをしてます」

「悪いことを聞いちゃったかな」

「そんなことないです。私のことをもっと知っていただきたいし」

 優希の思わせぶりな言葉に、亮二はドキッとした。


「あの、聞きづらいことなんですけど、気分を悪くしたらごめんなさい」

「いいよ。言って」

「池下さんは、もう結婚しないんですか? その、白鳥さんと結婚していたと聞いたので」

 こういうことを変に探ったりしないで直球で訊くところも亜紀と同じだ。はっきりと口にされたせいか、亮二は嫌な感じはしなかった。

「十年も前のことだよ。俺は女運が悪くてさ」いつものように二回の離婚を笑い話にする。「一度目はタレントなんて職種の派手な女だったから、二度目は地元の地味な同級生とね。幼なじみで気心もしれていたから、友情の延長で結婚するのもいいのかと思ったけど一年も続かなかったよ。つくづく、俺は結婚に向かないんだと悟った。優希ちゃんは彼氏はいるの?」

「大好きな人がいたけど、急にいなくなっちゃって。振られちゃったみたいです」

「君みたいな子を振るなんて相当な馬鹿だな。きっと、桜花堂の広告を見て後悔するよ。向こうから何か言ってきても相手にするなよ。そういう男は図に乗るから」


 いつもならこんなときは、「俺と付き合ってみる?」と軽く誘ってみるけれども、亜紀にそっくりな優希にはそういう安い言葉が吐けない。

 優希といると心が弾む。知りあって間もないのに、昔からずっと知っているような心地良さがあった。亜紀と混同しているのだろうか? 


「私に似ていた彼女って、どんな人だったんですか?」

「個性的な子だったな。バレエをやっていたのだけど、踊っているときはエネルギッシュですごくパワーがあって、でも、綺麗な空や景色を見ると泣きだしちゃうような、わけのわからない子でさ、最初は戸惑ったよ」

 亮二は照れくさそうに笑った。


 これも特効薬の効果なのか、封印がとけてからというもの、昔のことを少し考えるだけで、普通は忘れてしまいそうな細かいことまで思い出す。亜紀にそっくりな優希に、亜紀のことを話そうとすると、楽しかったことばかりが甦った。 

 亮二が懐かしそうに亜紀の話をするのを、優希は微笑んで聞いている。


「踊っている姿を見ているのが好きだったんだ。彼女は毎日バレエ教室に通って忙しかったんだよ。稽古をするだけでなく教えてもいたからね。俺はよく迎えに行って、踊っているところを外から見ていたんだ。いつも近所に住んでいる小さな女の子が、同じように外からレッスンを見ていてね。その子は家の都合でバレエが習えなくて教室の外で踊っていたんだ。いつのまにか俺はその子と仲良くなって、凍えそうな冬の夜でも、ふたりで話をしながら外で待っていたよ。彼女は教室にはいって見学したらって言うけど、レオタード姿の女の子がいっぱいの教室にいるのは恥ずかしかったんだ。俺だって純情なころがあったわけよ」

 亮二が笑うと優希もつられて笑った。

「いま誘われたら、教室にはいりますか?」

「はいりたいねぇ。一人前のおじさんになったからね」

 亮二は冗談っぽく答えた。


 ずっと亜紀がバレエを続けていたら、別れなかったのではないかと亮二は考えていた。もし、あの事故さえなかったら。事故のことが頭に浮かんだとたん、鼓動が早まって息が苦しくなった。



 帰りのタクシーで亮二は亜紀の夢を見た。

 亜紀は表情がコロコロと変わる。一分たりとも同じ顔をしていなかった。顔をクシャクシャにして大きな口をあけて笑ったかと思えば、しかめっ面して舌をだす。それはとてもひどい顔だが、すごく可愛い。

 亮二がバイトの店の前を掃除していると、亜紀が子供のようにはしゃぎホースで水をまき散らすので、ふたりともびしょびしょになった。亜紀は限度を知らない。ずぶ濡れになっても笑い転げている。そんな亜紀が眩しかった。


 亮二が脚本を書いていると、すねた亜紀が原稿用紙を取りあげて部屋の中を逃げまわった。亮二がいい加減にしろと言っても亜紀は気にしない。真剣に逃げる亜紀を亮二は必死に追う。やっと追いついてつかまえると、亜紀は大きな瞳を揺らして熱のこもった目で亮二を見つめた。亮二は亜紀の両手を壁に押さえつけてそっと彼女にキスをする。唇を離すと、そこには優希がいた。

「池下さん」と優希が囁き、両手を亮二の首の後ろにまわして唇を重ねてくる。亮二が驚いて優希を振り払ったところで夢から醒めた。


 目が覚めてすぐにタクシーは中目黒の亮二のマンションに着いた。マンションにはいって待機していたエレベーターに乗る。そのあいだずっと夢で見た優希の顔がチラついた。


 優希に亜紀を重ねているのなら、紫との悲劇をくり返すだけだ。

 亮二は優希に対する自分の気持ちがよくわからない。今までは亜紀に似ているというだけで優希を見ていた。瑠花を遠ざけるために利用したずるい自分にも気づいている。


 でも今は……? 

 この気持ちは紫と出逢ったときと同じなのだろうか? 


 紫との結婚生活は楽しいこともあったはずなのに嫌なことしか覚えてない。心のどこかに紫との過去を修正したい気持ちがあることに気づいている。紫を幸せにできなかった自分を亮二はいつも責めていた。

 過去をひきずったまま誰かを愛することなんてできやしないことに、亮二は気づきつつある。後ろを向いて生きてきたつもりはまったくなかったが、いつからか亮二は前を見ることをやめていた。


 紫との結婚は何が悪かったんだろうか。亮二は初めて離婚の理由を真剣に考えた。

 コーヒーをいれてソファーに横たわり、亮二は紫と結婚していたころの日記を読みだした。一九九九年、結婚して二年が過ぎたころだ。だんだん家に帰るのが嫌になっていた。瑠花と偶然、銀座で逢ったのもこのころだった。


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