第一話 アラフォー男は花粉症
アクセスしていただき、ありがとうございます。
一章は説明的要素が多くてのんびりですが、ニ章はファンタジー色が強くなります。タイムトラベルものがお好きな方には、最初少し我慢して読み進めていただければ楽しんで頂けると思います。
三章以降は大半をトリップが占め少しずつ謎が出て来て、ページをめくる手がすすむかも?(めくらないけど)四章ではミステリー要素が加わり先が気になり始めるのでは?
さわやかでほんわかくるようなエンドを目指してます。
アップテンポの作品ではありませんが、お付き合いただければ嬉しいです。
池下亮二は身体をのけ反らせて大きくクシャミをした。
けさ見たテレビの花粉情報では、東京の花粉飛散予報は「やや多い」だ。
若いころはアレルギーとは無縁だったのに、四十の声を聞いたころから急に発症し、今年も二月からずっと亮二は花粉症に悩まされている。
「つらそうですね」
隣に座っている部下の川崎が、コーヒーを混ぜながら亮二を気遣って言った。
「クシャミもひどいが、目が痒くてたまらん。花粉が体内に蓄積されて限度を超えると発症するんだってよ。長いこと生きてるとよ、なんでも溜まってくるんだよな。女につけられた心の傷とかさ、おまえも気をつけろよ」
亮二はふざけた口調で言うと、鞄から目薬を取りだして手際よく両目にさす。
「気をつけろって、言われてもねえ」
ラインプロデューサーの川崎は苦笑いをして首をすくめた。さらさらした長めの前髪が整った顔をいっそうイケメンに見せている。川崎はホストっぽい見ためのわりに堅実で安心がおける。バブルをひきずる押しの強いプロデューサーの亮二とは対照的だが、ふたりの相性はすごぶる良い。
夕方になると女子高生に占領される渋谷のオープンテラスのカフェで、亮二は満足そうに煙草を吸っていた。普段は決して足を踏み入れない少女趣味のカフェを選んだのは、嫌煙家の監督のオフィスに一番近かったからだ。
嫌煙家の上に話が長いことで有名な監督が、桜花堂化粧品のCMプランについて熱く語るのを「いやあ、いいですね」「素晴らしい」「斬新だな」などと、ときたま相づちを打って空のコーヒーカップをいじくり、ニコチンの禁断症状と戦いながら三時間もの間じっと座っているのは、拷問に近い。
亮二は煙草を消すと大きく伸びをした。桜も咲き始めてやっと春が来たというのに、こんな清々しい雲ひとつない晴天の日の午後を、アレルギーがすべて台無しにする。
「なかに移動しましょうか?」
いつも、チェックのシャツを着ている斎藤が亮二に訊ねた。暇さえあれば雑学本を読んで豆知識を増やしている男だ。その知識が見ための悪さをカバーしてそこそこモテているらしい。
花粉は気になるけれども狭い店内よりも外のほうが気が晴れる。亮二は外でかまわないと答えてジャケットを脱いだ。広告代理店と打ち合わせがあるので今日は縫製の良いイタリア製のジャケットを着てきたが、亮二は本来、着心地がよければなんでもよかった。恵まれた身長と鍛えられたボディのおかげで格別に高価な服でなくてもそれなりに見える。だが、CM制作のエグゼクティブプロデューサーともなれば、そこそこに着るものにも気を配らないといけないのがめんどうだ。
多くの業界人がそうであるように亮二も年より若く見えるが、三十歳を過ぎたころからだんだんと野性的な魅力が加わり渋さが増していい感じに年を取っている。二度の離婚が亮二に深みを持たせたのかもしれない。
「二十年前に比べてアレルギーを持つ人はかなり増えてるらしいですよ。首都圏で役所が行ったアンケートでは、四十%以上の人が花粉症の自覚症状があると答えているそうです。一時間単位の花粉予報を東京都が無料でメール配信しているので、登録したらどうです?」
「一時間ごとの花粉情報がわかってどうするんだよ。俺は花粉が多いときは、打ち合わせに行かなくてもいいわけ?」
「いや、それは……」と、斎藤が苦笑いをし頭を掻くのを見て、亮二は口元を緩めて煙草をもう一本箱から取りだした。
監督から受け取ったばかりの絵コンテを見ながらタバコに火をつける。カキーンというデュポン独特の心地よい音色が響いた。三年前に新車のコマーシャル撮影でパリに行ったときにひとめ惚れした、STデュポンライター、ギャツビー・一八一三七だ。
手に入れた直後は響音を聞きたくて開閉をくり返し、部下たちに散々嫌がられた。最近はそういう子供じみたことをしなくなったが、お気に入りの逸品であることに変わりない。
「代理店の新しいプランナーって今日が誕生日じゃなかったっけ?」
亮二はふと思い出してふたりの顔を交互に見ると、斎藤が「いや……ちょっと」と言って頭を掻いた。
「雑学だけじゃなくてさ、こういうことも覚えておけよ。まえのミーティングで言っていただろ。女のイベントは覚えておくにこしたことがないぞ」
そう言うと、亮二はコーヒーカップを口に運びながら腕時計を見た。
代理店との打ち合わせまで二時間半ある。打ち合わせは青山だ。渋谷にいるのにわざわざ社にもどることもないだろう。
ここなら瑠花の店も近い。あそこなら何か気のきいたものを見つけられる。亮二の脳裏に、瑠花の氷の微笑が浮かんだ。
亮二は忙しい斎藤の代わりにプレゼントを買っておくと言い、心を弾ませて瑠花の店へ足を向けた。