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第十八話  素直になれなくて

 オフィスにもどった亮二は机の上の折り重なった資料と書類の山を見て溜め息をついた。山積みになった書類に一枚ずつ目を通して処理していくのは気が遠くなる作業だ。時差ぼけの頭をフル回転させ、やっと半分終えたところで時計を見ると二時を過ぎていた。亮二は、どおりで腹が減ったわけだと、顔をしかめる。


 朝からパソコンを睨みつけている川崎を誘って近くのそば屋へでかけた。メニューを見ないで亮二は天ぷらそばを頼み、川崎は冷たいきのこおろしそばを頼む。店はすいていて、すぐにおばちゃんが笑顔でそばを運んできた。そばは普通に旨い程度だが、このおばちゃんの笑顔が気に入って、亮二はときどき足を運んでいた。


「お姫様となぜ離婚したんですか?」

 川崎が箸を持ち上げてたんたんとした口調で訊いた。

「なんだよ。やぶから棒に」

「僕がこのチームに移動になったときには池下さんは離婚していて、ちゃんと聞いたことがなかったので。端から見ると、ふたりはお似合いですけどね」


 川崎はクールなようでいて意外と情に厚い。プライベートでも、いつもさりげなく亮二をフォローする。そんな川崎がまじめな顔で訊くので、亮二も茶化さずに答えた。


「結婚当初はこれでも仲良くやってたんだぜ。なるべく早く帰ろうと、俺も必死に仕事を終わらせてさ。だけど、そのうち描いていた理想とはどこか違うとわかってきたっていうか」

「理想ですか?」

「俺が思ってた女と違ったんだな。離婚した原因なんて、よくわからねえよ」

「理想と違うって、付き合ってるときにはわからないものなんですかね?」

 早食いに慣れてしまっている川崎はそばをもう半分くらい食べてしまっている。

「あいつの本性を見抜けなかった俺がまぬけだったんだ。最初は紫もそれなりに努力してくれていたし、恋しているときは何も見えなくなっちまってる。お互い無理してたんだ。俺は家をあけることが多くて帰宅はいつも深夜だし、あいつは若いころから芸能界にいて親友と呼べる友達もいないだろ。忙しくて紫をかまってやれなくなって気持ちがすれ違いだした」


 トップアイドルだった紫が十歳も年上の亮二との結婚を決めて引退したとき、紫はまだ二十一歳だった。ままごとのような結婚と、後にマスコミはふたりのことを書き立てた。熱愛報道がされてから結婚するまでは、いまかいまかと結婚をせかすような報道をしていたマスコミは、結婚と同時に離婚を待ち望むようになった。


「まだ二十歳そこそこでしょ。そりゃ、無理もないですね。しかもアイドルですからね」

「そうなんだよな。苦労もせずに人気がでたせいで、ちやほやされないと気がすまない。贈り物や花束がなければ機嫌が悪くなる。かまってやらないとダメなやつなんだよ」

「この仕事をしていると女性をかまってやる時間はないですからね。僕は文句を言われるなら独りのほうが楽だと思っちゃいますよ」

「確かにな。顔を合わせれば、ああしろこうしろ。疲れて帰ってきたとたん、一日の文句を言われてよ。家に帰るのだって嫌になるさ。安らぎとは無縁の家だったね」

「そんな生活は、どんなに愛していてもきついですね」

「だろ」亮二はそばをすすった。「そのうち、あいつは買い物で淋しさを紛らわせるようになって、文句も減ったから好きなようにやらせてたんだ。ところが、俺はその請求書を見て目が飛びでたよ。少しは一般人の財布を考えろって言ったらよ、『私が働けばこんな金額なんてすぐに払えるわ』と開き直りやがった」

「そのときは既にいまの『白鳥ゆかり』になってたんですね」川崎が苦笑する。

「ある日突然、豹変したんだ。髪を真っ赤に染めて帰ってきやがった。エクステをつけてパンクみたいな格好をしてよ。その日から話し方も俺への接し方もいきなり変わったんだ」

「何かきっかけがあったんじゃないんですか?」

 亮二は思い当たらないと言うように、肩をすくめた。

「そのうちあいつは俺に何も相談しないで仕事の復帰を決めて、今日はプロデューサー、明日はディレクター、カメラマンにスポンサー、いろんな男が毎晩あいつを連れだしてよ。紫は着飾って上機嫌で出ていった。実際、何をやっていたのかわかったものじゃない」

「池下さんの性格じゃ、嫌でしょうね。素直に嫌とも言えないでしょうし。話もちゃんと聞いてあげなかったんでしょう?」

「聞けるかよ。あいつが好きでやってるんだから、しかたねえじゃないか」

「池下さんにかまってほしかったんじゃないですか?」

「まさか。そのころにはとっくに俺たちは終わっていて、修正なんてきかなかったよ」


 あのとき、なにかできたのだろうか? 亮二は自分に問いかけてみて、すぐに、どうせ何をしたってどうにもならなかったと、結論づけた。


 そばを食い終えて亮二は煙草を買いに行き、先に社にもどった川崎は会社の玄関で瑠花とはち合わせた。川崎が亮二はすぐにもどると伝えると、瑠花は斎藤に呼ばれて貸し出した商品を取りにきただけだと微笑んだ。その商品は、前の仕事の撮影中にアクセサリーが壊れて、無理を言って瑠花に用意してもらったものだった。川崎がそのときの礼を言って瑠花と立ち話をしているうちに、亮二がもどってきた。


 亮二は瑠花と目が合うと、とっさに顔をしかめた。

 いま、瑠花に逢うのは気まずかった。どんどん大きくなる気持ちを持て余しだして、かれこれひと月近くも瑠花に逢っていない。亜紀との過去にも気を取られている。いまは少し瑠花と距離をあけたかった。


 川崎がふたりの表情の僅かな変化に気づいてその場を取り繕うように言った。

「斎藤が商品を返すのにお呼びだてしたようです」

「わざわざ来てもらってすまなかった。誰かに届けさせたのに」

 亮二は冷たい口調で言う。

「いいのよ。近くに用があったから」と、瑠花は答えた。

 ふたりでお茶でも飲んできたらどうかと、川崎が気を使ったが、亮二は忙しいからもどると答える。亮二の態度がどことなくよそよそしいのに気づいた川崎は、瑠花を誘った。

「お礼をちゃんとしてないですし来週だったら時間がとれそうなので、瑠花さんの都合がよろしければ三人で食事でも行きましょうよ」

「店が終わってからなら」瑠花は亮二の顔をチラっと見る。

 亮二は腕時計に目を落とすと、「では、来週」と瑠花に素っ気なく言って、エレベーターへ向かった。瑠花に心を見透かされるような気がして一分でも早くこの場を離れたかったのだ。


 川崎は瑠花に軽く会釈をして亮二の後を追い、ふたりでエレベーターに乗り込んだ。

「あんな態度はよくないですよ」川崎が諭すような口調で言う。「何かあったんですか? 池下さんに逢いにきたんでしょ」

「近くに用があったついでだと、言ってただろ」

「嘘にきまっているじゃないですか。池下さんを見たとき、すごく嬉しそうでしたよ」

「おまえは知らないんだ。あいつはそんな女じゃない」

 亮二は瑠花と食事ができると思うと期待で心が弾んだ。だが、それ以上に不毛な関係に空しさを感じる。

「僕には充分、そんな女に見えますけどね。素敵なひとじゃないですか」

「だったら、おまえが付き合えよ」

「俺、本気で手をだしちゃいますよ」川崎がむっとして言った。「こう見えても、草食系じゃないですからね。やると決めたら必ず落としますよ。いいんですか?」

 川崎は亮二の本音を見抜いたかのか、わざと挑発するように強い口調で言う。

「かまわねえよ。俺の女じゃない。来週はふたりでメシにいけよ」

 亮二は一方的に会話を終わらせてエレベーターを降りた。


「素直じゃないんだから……どこが直球だよ」

 川崎は苦笑いをして亮二の背中を見送った。肝心な女には逃げ腰になる亮二を、川崎はなんとかしてやりたかった。


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