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第十五話  愛した女(ひと)が失踪する日

 調布駅に着くと噴水のある南口に出て、亮二は電話ボックスにはいった。職業別電話帳を見ると調布市に生花店は二十軒あったが、長瀬という名がつく店はない。つつじヶ丘周辺と思われる住所は五件あり、上から全部かけてみる。すると、三軒目で長瀬の店を見つけた。電話にでたのは長瀬の母親だ。


 緊張して亜紀の名を告げると、少しして懐かしい亜紀の声が受話器から聞こえてきた。

「お電話かわりました。亜紀です」

 明るく澄んだ亜紀の声。亮二は言葉をつまらせた。

 あんな形で別れた自分の呼び出しに、亜紀は応じてくれるだろうか? 不安で胸がいっぱいになる。

「もしもし、どなたですか?」

「あの……」亮二は何て続けてよいのかわからない。「俺」とだけ、囁くように言った。

 亜紀の戸惑いが電話を通して亮二に伝わる。少し間があいて、彼女が言葉を発した。

「もしかして……?」

「うん。俺」

「ひさしぶりね、よくここがわかったわね」

 亜紀の声のトーンが少し下がった。

「調布にいるんだ。出てこられない? とても重要な話があるんだ」

 電話の向こうで亜紀は考えているようだった。しばらく重苦しい沈黙が続く。

「わかったわ。一時間後に噴水のところに行く」

 そう言って亜紀は電話を切った。

 亜紀とよくあの噴水で待ち合わせていたと、記憶がふっと甦った。


 電話を切ってしばらくしてから亜紀の声を聞いた実感が湧いてきて、急に亮二の心臓は高鳴りだした。もうすぐ亜紀に逢えると思うと心が弾む。亮二はショーウインドーのガラスに自分を映しておかしなところがないかチェックした。


 一時間が普段の十倍の長さに感じる。亮二は噴水の脇にあるガードレールに寄りかかり、そわそわしながら亜紀を待っていた。

 この姿で、なんて話しかけようかと考えていると、正面から歩いてくる亜紀らしい女性が遠くに見えた。鼓動が早くなるのがわかる。その女性に駆け寄ろうとしたとき、突然、くしゃみがたて続きにでて止まらなくなった。変だと思ってまわりを見ると、茎に細い刺がたくさんついたツタがガードレールに巻き付いている。しまった、クワ科のカナムグラだ。ブタクサやヨモギと同じく初秋に花粉を飛散させる植物だ。

 すぐに鼻がでて目が痒くなった。急に頭がくらくらしだして地面に膝をついたとたん、亮二はあっという間に意識をなくした。気を失う直前に亜紀と目が合ったような気がした。


 現代にもどってくるとき、亮二は高価なバックやアクセサリーが並んだホテルの一室で、瑠花が商談をしている夢を見た。


                     * * *


 テストのときと同じように亮二は診察室のベッドの上で目を覚ました。ぼうっとした頭を押さえて天井を見つめていると、名前を呼ばれた。

「目覚めはどう? 楽しかった?」

 シン先生がいたずら好きの子供のような目で笑っている。

 長い夢から急に醒めた感じがして、亮二はよく事態が飲み込めない。「悪くはないよ」と反射的に返事をした。

「タイムトラベルのあいだ、俺は現代(ここ)ではどうなってるんだ?」

 亮二はゆっくり上半身を起こしてシン先生に聞いた。

「トラベルしてるとき、あなたの時間は止まる。だから、問題ない」

 先生は壁の時計を指さした。薬を飲んでから二分しかたっていない。

「どうやって行き先をコントロールすればいい?」

「コントロールできない。あなた、いま行かないといけないとこへ、勝手に行く」

「行かないといけないところ?」

「あなたの潜在意識が知ってる。これは心の特効薬。忘れていること本当の気持ち、潜在意識はみんなわかってる。大丈夫。あなた、見る必要あったから行った。宇宙と繋がって潜在意識、あなたに命令する」

「俺は何もしないでもどってきちゃったよ」

 亮二はシン先生の説明がよく理解できなかった。

「問題ない。もし、行く必要あったらまた行く。心配いらない」

「どうして、急に俺は現代にもどったんだ?」

 あとちょっとだったのに。もう少しで亜紀に逢えたと思うと、亮二は悔しくて堪らない。

 亮二のその気持を見透かしたように、シン先生がにやりと笑う。

「もっといたかった?」

 その質問には答えずに亮二は聞いた。

「もどってくるにはどうすればいい?」

「あなたのアレルギーによるね。アレルギーでたら、もどってくる」

「はあ? 何だい、それは。アレルギーだって?」

「そう、アナフィラキシーショックが関係している。それと、行った時代にいるあなたの力にもよる。力強い、あなたすぐ帰ってくる。力弱い、長くいられる」

 先生に勧められて漢方茶のはいった紙コップを受け取った。薬草の匂いがきつい。

 紙コップを口に運んで一口飲んだ。口のなかに苦い薬草の味が広がっていく。

「行った先の俺が倒れていたのはなぜだ?」

 亮二は顔をしかめて、先生に質問した。

「昔のあなたと現代(いま)のあなた、同じ(スピリット)よ。同じ魂、同時に存在できない。あなたがトラベルするとき、その時代のあなた、意識なくなる」

「この薬は未来にも使えるのか?」

「過去に行く薬ね、未来にはつかわない。未来行った噂、聞いたことある。過去に行くとき、あなたの時間、進まない。でも未来行くと、あなたの時間、進む。どれだけ進むかわからない。二倍のスピードと言う人、二分の一のスピードと言う人、いろいろね。あなた、未来に行くこと、絶対、考えない」

「なぜ、未来はダメなんだ? 過去を変えられるほうがまずいだろ?」

「簡単に過去、変わらない。過去、変えるとき、時間が調整する。たくさん変わらない。違うこと起きて、元にもどる。心配ない。でも、未来は変えること、すぐできる。未来で見たもの、過去で作る。お金、いっぱいできる。競馬、株、大もうけ。とても簡単。だから、未来に行ったらペナルティある」

 タイムトリップとか言って幻覚を見せる薬じゃねえのか? 夢かもしれねぇし。

 亮二は心のなかで言った。まだ半信半疑だった。


「薬、飲むと眠くなる。気をつけて。薬、飲んで夢見たら、それ、とても重要。潜在意識からのメッセージ。あなた、辛いけど、真実を見ないとダメ。あなた、前、進めない」

 シン先生は最後に、この世に意味のない偶然はないと言い、亮二がこのクリニックを訪れた真意はこのタイムスリップを起こす「心の特効薬」にあると付け加えた。


 先生はアレルギーを抑える漢方がはいっている袋に特効薬を入れて亮二に渡した。

 財布をあけると夏目漱石がそこにいた。亮二は驚いた顔になってシン先生をまじまじと見つめる。

 シン先生はにやっと笑ってウインクをすると、拳を握って親指をたて、「グッドラック!」と言った。


 亮二はニューヨークの街並を軽い足取りで歩いた。耳障りな騒音も気にならないほど、不思議な体験に興奮していた。結局、噴水で亜紀らしい人物を遠目に見ただけで亜紀の失踪を止めることはできなかったが、さっき聞いた懐かしい亜紀の声は耳にはっきりと残っている。亮二はタイムトラベルをする前よりも、ずっと亜紀のことが気になっていた。


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