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第十四話  昭和63年9月20日  

 亮二は植え込みの隅でうずくまっていた。

 頭はさっきほど痛くないけれどもこめかみの奥がガンガンする。後ろで何か倒れた音がしたが、気を留めることもなくゆっくりと立ち上がった。


 そこは旧防衛庁のあたりだった。東京ミッドタウンはない。すぐに亮二はこのまえ夢で見た風景だということに気づき、この植え込みに寄っかかって街いく人を観察したのを思いだした。

「あれは夢でなかったのか?」と、亮二はぼそっと言う。

 そのとき、早歩きの男がぼうっと突っ立っている亮二を追い抜いた。その後ろ姿には見覚えがある。佐野だ! 


 男が上司だった佐野だと気づいて、亮二は大きな声をだしそうになった。それにしても佐野は随分と若い。亮二は気になって佐野の後を追いかけた。佐野がこんな風にスタスタと先を急いで歩くときは機嫌が悪い証拠だ。佐野は脇目もふたずにまっすぐ歩いて、独り言でも言うように何やらぶつぶつと呟いている。


「池下、少しは場を盛り上げる努力をしろ。まずは自分の話を聞いてもらえる状況を作れ。それにあんな弱気の説明じゃ説得できないだろ。いいか、来月までに三人女を口説いてみろ。できなきゃ首だぞ。わかったな」

 佐野がいきなり振り向いて亮二の顔を見たとたん、きょとんとした顔をした。

「あっ、失敬。あれ? あいつどこに行きやがった」

 佐野は首を左右に振って、誰かを探している。

 男は確かに佐野だが、三十代半ばに見える。亮二の姿は現代(いま)のままだった。

 亮二は佐野に会って、自分が本当に時空を超えたのではないかと思い始めた。 


「すみません。えっと、いまは何年ですか?」亮二は佐野に声をかけた。

 佐野は怪訝そうな顔で、亮二の頭のてっぺんから足の先まで見る。

「その……」なんて言おうか、亮二は頭を巡らした。

「私は海外に住んでいまして、元号でいうと今年は何年かなと……」

「ああ、そういうことね」佐野は質問の意味を理解した。「今年は、昭和六十三年ですよ。海外ってアメリカですか?」

「えっと、はい。ニューヨークです」

「ニューヨークか。いいな。僕も仕事でたまに行きますよ。ワールドトレードセンターの最上階のレストランは眺めがいいですよね」

「確かに素晴らしい眺めでしたね。もう更地になってしまって、いまは新しい……」

「更地?」佐野が亮二の話を遮って聞き直した。

 ええ、テロで、と言いかけて、亮二は慌てて取り繕う。

「サラチーという中東の会社がレストランを買って、味が落ちたって言われてるんですよ」

 かなり苦しい言い訳だ……と、亮二は自分でも思う。

「中東ですか?」佐野は不思議そうな顔をする。「それは残念だな」

 亮二は冷やっとして、ぼろが出ないうちに退散しようと考えた。

「お引き止めしてすみませんでした」

「東京もだいぶ変わったから、お気をつけて」

「はい、佐野さんもお元気で」

 頭をさげて、亮二はいま来た方向に歩いていく。

 しばらくして、佐野が「何で俺の名前を知ってるんだ?」と、振り返って言った。


 少し歩くと人集りが見えた。さっき大きな音がした辺りで誰かが倒れているようだ。 

 亮二が群衆を避けるようにその場を通り過ぎると、後ろで佐野が叫ぶのが聞こえた。

「池下、池下、大丈夫か?」

 振り返ると、佐野がやじうまの中心にいる若い男に駆け寄って抱き起こしている姿が見えた。驚くことに、倒れている男は若いころの亮二だ。なぜだか自分がそこにいてはいけない気がして、亮二はその場を慌てて立ち去った。


 心臓のどきどきが治まってもあてもなく歩き続け、亮二は亜紀に逢う方法を考えていた。昭和六十三年には亜紀とは既に別れている。辺りを見渡して今日が何月何日にあたるのかヒントを探していると、急に思い当たる日の記憶が甦ってきた。その日はCMで使う素材のライブを撮影する予定だったが、コンサートが中止になって撮影ができなくなり、その説明をするために佐野と得意先を訪問したのだ。うまく説明ができなかったことを佐野にさんざん怒られているときに、貧血を起こして倒れたのを思いだした。


 あれは防衛庁の近くだった。最初は急に気分が悪くなってトイレに駆け込み、少しのあいだ意識を失った。そのあと歩いているときに倒れて佐野が救急車を呼んだ。そうだとすると九月二十日。日本中が自粛を余儀なくされた、昭和天皇が倒れた晩の翌日だ。

 亮二は、今日が田辺の言っていた亜紀が男と失踪する日だと気づいた。


 腕時計を見ると針は動いていない。ビルの入り口にある時計は午前十一時を示していた。すぐさま亜紀に逢いに行こうと決める。亜紀はいまの自分を知らないし、逢っても、何を話せばいいのかわからないが、いましか亜紀をつかまえるチャンスはない。

 だが、逢いに行くにも長瀬の住所どころか電話番号すらわからない。田辺に聞けばわかるかもしれないと携帯を上着の内ポケットから取りだしたが、携帯の番号しか登録されていなかった。アドレス帳には他に長瀬と親しそうな人物は見当たらない。途方に暮れて顔をあげると、亮二の前を花束を抱えた女性が横切った。そのときふっと、長瀬の実家が花屋を営んでいたことを思いだした。確かつつじヶ丘だった気がするが定かでない。


 現代なら、これだけの情報があれば携帯を使って割と簡単に長瀬の家を見つけられるが、この時代では至難の業だ。番号案内で聞こうにも店の名がわからない。タウンページを見るには調布市まで行かなければならない。

 どうせ亜紀を訪ねるのだ。亮二は調布に行くことに決めた。

 調布への行き方を調べようと、また携帯に頼りそうになる。自分がどれだけ携帯に依存しているかよくわかった。

 「くそっ、昔はこんなもんはなかったんだ」

 携帯を鞄に放って亮二は六本木駅に向かった。


 六本木通りとの交差点まで来るとアマンドが見える。この辺はそんなに変わったという意識がなかったが、改めて見るとだいぶ違う。地下鉄に乗るために亮二は階段を降りた。もちろん、パスネットは使えない。切符売り場で財布をあけるとドル紙幣ばかりで、円は二万ちょっとしかない。財布はさっきまで平成のニューヨークにいたことを物語っていた。


 亮二が千円札を自動販売機に入れるとお札がもどってきた。もう一度、しわを伸ばして入れ直したけれど、やはりダメだ。

 ちぇ、この時代なら夏目漱石だ。亮二は野口英世に向かって舌打ちをする。

 硬貨なら使えるかもしれないと考えて小銭入れをあけると、五百円玉が三枚あった。すべて黄色っぽい五百円玉だ。この五百円玉にいつ変わったのか覚えてない。自動販売機に五百円玉の表示があるので使えるはずだが、新しいせいか使えなかった。百円玉は五枚しかない。取りあえず、亮二はこれで恵比寿まで切符を買って日比谷線に乗った。


 地下鉄から山手線に乗るために地上へでると、恵比寿の駅もだいぶ風貌を変えていた。

「すみません、手相を見せてくださいませんか?」

 階段を上がりきったところで女性が声をかけてきた。無視して通り過ぎようとしたが、顔を見ると若くて可愛い子なので驚いた。亮二の脳は、とっさにこの人物を知っていると反応した。どこかで逢ったことがある。それも最近のことだ。

「あまり時間がないのだけど、それでもいいですか?」

 気がつくと亮二はそう答えていた。

 その女性はどうせまた断られると思っていたのだろう。最初は思いがけない返事に驚いていたが、すぐにとても嬉しそうな顔になった。

「では、その端でお願いします」

 亮二は人の邪魔にならないように女性が指でさした辺りに移動した。亮二の手を取った指先は、緊張しているのか微かに震えている。

 女性が手相をじっと観ているあいだ、亮二は記憶を呼び起こそうと彼女の顔を見つめていた。

 年は二十歳くらいだろう。似たひとを知っているのか、未来でこの女性を知っているのか考えた。

 記憶を巻きもどしていると一枚の写真が頭に浮かんだ。次に占い師、プロフィール、という単語が頭をよぎる。中山のキャスティングリストにあった占い師だ。確か名前は……姫野、違う。姫島? 亮二は記憶を掘り下げるが思いだせない。

 田辺……田辺だ。突然、彼女の本名が浮かんだ。そうだ田辺と同じ名字。田辺 巫女(みこ)。芸名みたいな変な名前だった。ひとつ思いだすと資料に書かれていたことが次々と甦る。確か年は自分と同じくらいのはずだ。誕生日は……昭和四十一年五月五日。牡牛座A型。出身地は京都だ。あまりにもすらすらと、彼女のプロフィールがでてきたので、亮二は自分の記憶力に驚いた。


「繊細な人ですね」巫女が顔を上げてこわごわと言葉を発した。「気をまわしすぎるところがありませんか?」

「気を使うのが仕事だからね」

 亮二がそういうと、巫女は満足そうにうなずく。

「仕事はバリバリこなして成功します。でも、女難の相が出ていますね」

 当たっているので、亮二はぎょっとする。

「宜しかったら、生年月日を教えてもらえませんか? 四柱推命も少し勉強してるんです」

「昭和四十一年……」

「えっ、昭和四十一年?」

 巫女は裏返った声をだして亮二を見た。

「いや」亮二は慌てて言い直す。「一九四一年の間違えだ」

「お若いですね。三十五、六歳にしか見えませんよ」

 亮二は冷や汗をかいたが、巫女は驚いたものの素直に信じたようだ。


「占いというか、僕もいろいろなことがわかるんです。どうです、五千円を賭けてゲームをしませんか? 実は財布を落としてしまって困っているんだ。あなたにもサイキックの力があるでしょ。自分でも少しはそう思っているはずだ。僕があなたの名前と生年月日、それに出身地を言い当てたら僕の勝ち。あなたがそのうちのひとつでも、僕のことを当てることができたらあなたの勝ち」

 突然の亮二の申し出に、巫女は困惑した表情を見せた。

「あなたは既に、僕が一九四一年生まれだということを知っている。あとは誕生日を当てるだけですよ。出身地でもいい。あなたも占い師なら多少の勘は働くでしょう?」

「二千円だったら、賭けてもいいです」

 巫女は勘が働くはずと言われて、しぶしぶ承諾した。

「オーケー。それでいいでしょう。では、あなたからどうぞ」

 巫女は目をつぶり少し顎をあげて集中すると、目をとじたまま話しだした。

「日だまりを感じます。春、梅?……三月ですね」

 亮二はどきっとした。言い当てられてもこの時代で使える金なんて持ってない。

「ひな祭り? 違うわ……五日?」巫女は眉をひそめて言い直した。「いえ、四日だわ」

「では、僕の番ですね、あなたの名前は……」亮二は目をふせ、左手の指を額にあてると軽く二回たたいた。「田辺……田辺巫女さんだ。後ろに鯉のぼりが見える。兜も。なるほど、わかったぞ。誕生日は五月五日だ。そして出身地は……寺がたくさん……京都ですね。どうですか?」

「私が当たっていないって嘘をついたら?」

 巫女はひきつった顔で答えた。

「あなたは本物のサイキックを前にして感動しているはずだ。僕を認めざる終えない」

「降参です。全部、当たっています」

 亮二は記憶が間違ってなかったことにホッとした。

 ずるをして金を巻き上げることを後ろめたく感じた亮二は、運転免許証の誕生日だけが見えるように巫女に見せた。

「おしかったです。最初に言った三月五日が正解でした。自分の力を信じて下さい」

 免許証を見た巫女の顔はみるみるあかるくなる。

「あなたは本当にサイキックなんですね。逢えて良かったです。なんだか私までパワーをもらったような気がします」

 巫女は目を輝かせてそう言うと、二千円を亮二に渡した。

「助かります。あなたには遠い未来で、また逢える気がする」

 亮二は二千円を財布にしまうと、軽く会釈をしてその場を立ち去った


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