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第十話   カインコンプレックス

 ふかひれの姿煮や北京ダック、色合い豊かな料理が次々とテーブルに並ぶ。四十年以上赤坂で営業している老舗の中華料理店で、亮二は卒業以来初めて級友たちと再会した。


 出席者は二十人弱というところだ。卒業して四半世紀近く経つ専門学校の同期会の出席率としては、まずまずといったところだろう。亮二は談笑しながらテーブルをぐるっと見わたし、かつての友人たちの顔をまじまじと見た。最初のうちは出席者の半分もわからなかった。みんないい感じでおじさんなっているので無理もない。そのうちなんとなく思い出してきて、前菜を食べ終わるころには昔話に花が咲き、話をしながらきょろきょろして亮二は長瀬を探した。


 二歳年上の長瀬は技術科の同期で、感性が鋭くセンスもいいので将来を期待されていた。カメラマンとしての技術も撮影部で群を抜いていて、海外にも支社を持つテレビ技術会社にいち早く就職が決まったのを亮二は覚えている。人当たりがよく柔和な顔立ちをした長瀬は、亮二の三歳年上の兄に少し似ていた。長瀬を探しながら、亮二はふと、何年も会っていない兄のことを思い出した。


――亮二の兄は頭が良く、野球部のエースで生徒会長。少女漫画にでてくるような完璧な男で、母はいつもその優秀な兄を特別に可愛がった。溺愛していたと言ってもいい。亮二も小さいときは兄が大好きだった。兄のあとをいつも追いかけて何処にでもついていく。本当は弟なんて置いて遊びに出かけたかっただろうが、いつも兄は亮二を待っていた。後ろを見ながら自転車に乗って、「転ぶなよ」と声をかけてくれる。亮二は優しい兄に憧れていたけれど、そんな兄をいつのまにか疎ましく思うようになった。自分とはデキが違う兄のすべてが気に入らなくなったのだ。

 母親は兄のことが自慢で、母の態度は子供のころから亮二と兄とでは明らかに違った。亮二は母の気を惹きたくてわざと悪いことをしたが、母はそんな亮二をまた兄と比べた。母の贔屓は亮二が大きくなるに連れて激しくなって、亮二が小学校をあがるころになると、その態度は露骨になった。


 ある日、熱が出た亮二が学校を早退して帰ってくると、母が誰かと電話をしていた。

「あの子はちっとも私に似てない、あんな子なんていらないわ」

 亮二は母の心のない言葉を聞いて、それから母を慕うのをやめた。兄を避けるようになったのも、そのころからだ。――


 同期会の幹事で元創作科、制作部の田辺が亮二に酒をつぎにきた。この男とは、最初の授業の席が隣で学生時代は親しくしていた。

 田辺は恋人と上京して一緒に住んでいたが、すぐに有名大学に通う彼女に男ができて部屋を追いだされた。行くあてのない田辺を亮二はしばらく部屋においてやったことがある。


「ひさしぶりだよね。連絡をもらって嬉しかったよ。卒業してから音沙汰なかったからさ、どうしているかと思ってたんだ」

 田辺は亮二の隣に座ると瓶を差し出して、亮二のグラスにビールを注ぎながら言った。

「こっちこそ、誘ってもらえて嬉しかったよ。いつも顔を出そうと思ってたのだけど、都合がなかなかつかなくて」

「そりゃ、そうさ。ドル箱プロデューサーになっちゃって、それに……」

 田辺が話題にしていいかどうか迷っていたのがわかって、亮二が笑って口にした。

「白鳥ゆかりに捨てられた男だしな」 

 それを聞いて、田辺はほっとした顔で話しだした。

「いやあ、マジ、あの婚約発表のときは度肝を抜かれたよ。もう雲の上の人って感じでさ、マスコミにも注目されちゃってたし」

「そんなことねえよ。一般人なのに業界関係者だからって顔をさらされてよ。俺の上司なんて、こんなチャンスを利用しない手はないって勝手にどんどん取材、受けちまうんだぜ」

「広告を作ってるだけあるな、おまえの会社」

 田辺はビールを傾けながら苦笑いをする。

「ド派手な結婚式をやらされて、挙げ句の果てにさっさと捨てられてさ、可哀想だろ?」

「いやあ、一日でもいいから、あんないい女を嫁さんにしたいよ。全世界の男の憧れだぜ」

「そんなにいいもんでもねぇよ」と言ってから亮二は笑って付け加えた。「負けおしみだけどな」

「何かさ、おまえ男っぷりがあがったよな。昔は純粋そうなタイプだったじゃん」

「いつの話をしてんだよ。俺たち、とっくに四十すぎてるんだぜ?」

「だよな」田辺はうなずいた。「でも、マジ、羨ましいぜ。別れて後悔してねぇの?」

「それはないな。後悔しているとしたら、あんな女と結婚したことだな」

「言ってみてぇ。そんなセリフ」

「おまえ、結婚は?」

 亮二はビールのはいったグラスを口に運んだ。

「したよ。十歳になる息子がいる。俺さ、おまえの家に転がり込んでただろ。あのときに振られた女とよりがもどってさ」

「うそだろ?」

「三十になったときに田舎で再会してさ、何だかそんなことになっちまったよ」

「おまえ、惚れてたもんな。別れてずっと酒びたりでさ。泣いたり怒ったり。俺も女と別れたことはあったけれど、あのころは失恋してあんな風に荒れるおまえの気持ちなんて、全然わからなかったよ」

 亮二はふと、高校二年のときに初めて付き合った同級生のことが頭に浮かんだ。


――美人で色が白く大和撫子風の彼女はクラスのマドンナ的存在で、男子生徒はみんな憧れていた。亮二もそのひとりだったが、奥手で女子とは話もろくにできなかった。

 彼女と日直が一緒になったときに一度だけ一緒に帰ったが、そのとき口にした言葉は、「天気がええな」の一言だ。

 ところが彼女にいきなり告白されて付き合うようになった。付き合うといっても、数回一緒に帰っただけだ。気の利いた会話ひとつできない亮二は、彼女と一緒にいるよりも男友達といるほうが楽しかった。

 ひょんなことから、実は彼女が兄と少し前まで付き合っていたことを知り、そのことが兄との不仲を決定づけた。亮二が彼女に問いただすと、兄への当て付けと、兄の近くにいたかったからだということを認めた。

 あの優しい兄なら、女の子を退屈させないで喜ぶ言葉のひとつもかけてやることができただろう。勉強を教えてやることも、楽しいデートをすることも、兄にならできる。亮二は兄と比べられていたと知ると、悔しくて腹が立って理不尽だが兄を恨んだ。

 結局、彼女とは別れて初恋は終わり、それ以来、兄とは口を利くことがなくなった。

 失恋しても、亮二は田辺のように荒れることはなかった。悲しいとも少しも思わない。ただ、悔しいという気持ちだけが心に住みついて、失恋とはそういうものだと思っていた。ところが田辺は恋人に男ができたというのに、悔しいというよりも悲しくて辛いと言って、亮二の前で泣いた。そのころの亮二には田辺の気持ちがまるで理解できなかった。――


「池下には迷惑をかけたな。あれはきつかったけど、あのときに別れて良かったと思うよ。一度、離れたからこそ、わかることってあるし」

「それにしても、よく許せたな。俺だったらあり得ねえ」亮二は首を振りながら言う。

「しょうがねえよ。惚れちまっているからさ」

 田辺は照れくさそうに、ビールをいっきに飲んだ。


 亮二が煙草を取りだしてデュポンのライターを探していると、田辺が火をつけてくれた。

「撮影部の長瀬って、今日は来ないの?」

 さりげない口調で亮二が訊くと、田辺は顔を曇らせた。

「あいつ、とっくにカメラマンをやめたんだぜ」

「そうなのか? 全然知らなかった」

「おまえ、けっこう仲良かったじゃん」

「一年のときはな。卒業前はそうでもなかったよ」


 長瀬と出逢ったころ、兄に似た面影のあるその男を亮二は嫌いではなかった。よく酒を一緒に飲み、映画論を朝まで語ったものだ。

「あいつ、早くに美人の嫁さんをもらってよ、すぐ女の子が生まれたんだよ」

「それは知っている」

 知っているも何も、それが亮二を苦しめた元凶だ。亜紀が長瀬と一緒になったことは、別れてすぐに風の便りで聞いていた。

 話題が亜紀にふれると、亜紀の姿とともに、香りや声のトーンまでもが鮮明に甦ってくる。亮二は亜紀の近況が知りたくて堪らなくなった。

「それで、家族を養うのにカメラをやめたの?」

 亮二は平静を装い、煙草の先をひとさし指で軽く二回たたいて灰を灰皿に落とす。

「それが、その嫁さん。子供とやつをおいて、突然、男と消えちまったんだ」

  亮二は驚きのあまり煙草の火を消す動作を止めると、視線を煙草から田辺に移して大きな声をだした。

「それは本当か……? いつの話だ?」


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