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異世界居酒屋『青い葵』には有名無名いろんな客がやってきます

作者: 仲瀬充
掲載日:2025/12/04

(1)『青い葵』は今日も盛況だった

居酒屋を一歩外に出るとそこは異世界、そんな設定の漫画があった。

カラオケ居酒屋『青い(あおい)』はその逆で、一歩足を踏み入れると店内が異世界と化す。


(あおい)ママ、久しぶり」

卑弥呼(ひみこ)ちゃん、相変わらずオーラ全開ね。わざわざ邪馬台国(やまたいこく)から?」

「そうよ。節約してエコノミークラスで羽田まで」

「こちらのイケメンは彼氏?」

「いやねえ、これは弟よ。私の仕事を助けてくれてるの」


小上がりの座敷では福沢諭吉とソクラテスが飲んでいる。

「ソクラテスさん、天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずですぞ」

「それは違うね。現に私はいつも妻のクサンティッペの尻の下に敷かれている」


別のテーブルではローマ人が他の客を相手に騒いでいる。

「さあ張った張った、丁か半か! 諸君、(さい)は投げられた!」

「カエサルさん、サイコロ賭博はダメ! 警察呼ぶわヨ」


そんな騒ぎもよそにカウンター席のドイツ人は一人でへべれけに酔いしれている。

「ママ、この店は暗い、暗すぎる。もっと光を!」

「孫みたいな年齢(とし)少女(むすめ)さんに失恋したからって飲みすぎよ、ゲーテさん。そろそろ帰んなさい」

いろんな異世界の客で葵ママは息つく暇もない。



(2)『青い葵』にバイトが入った

居酒屋『青い葵』、この店を僕が初めて訪れたのはひと月ほど前だ。

その時のことから話を始めよう。


「いらっしゃいませ!」

「この店の名前、面白いね」

「私の名前そのまんまなの。本当は漢字で青井葵って書くんだけど」

「なおさら面白い」

「母さんが私を連れて再婚した相手が青井だったってだけ」


「僕も似たようなものでワトソンっていうんだ」

「ワトソンさん? ハーフには見えないけど?」

「もとは田中博士(ひろし)だったんだけど母がイギリス人と再婚して博士(ひろし)・ワトソンになったんだ」

「まあ面白い。シャーロックホームズの相棒のワトソン博士(はかせ)みたい。お医者さん?」

「そこは違うね。質屋(しちや)をやってて暇を見つけちゃ飲み歩いてる」

ママの気さくな語り口が心地よくて僕は『青い葵』の常連になった。

もともとそのつもりで立ち寄った店なのだけれど。


『青い葵』で飲んでいたある日、拓也と名乗る二十歳そこそこと思われる青年が店に入って来た。

「僕をアルバイトで雇ってもらえないでしょうか?」

葵ママは首を横に振った。

「人を雇う余裕はないわ」

『青い葵』は昼も夜も25歳の葵ママが一人で切り盛りしている。

「食べさせてもらえばお金はいりません。僕、調理師免許持ってますしカクテルも作れます」

葵ママの表情が一変した。

「それならOK、助かるわ」

本人の希望で拓也青年は夜の7時から店に入ることになった。


『青い葵』の客の多くは年金暮らしの老人だ。

カラオケ居酒屋だから食事だけでなく歌うのも楽しみにやってくる。

「葵ママ、『夜霧よ今夜もオリゴ糖』をかけて」

「その次はデュエットで『ロンリー・ケチャップリン』を頼む」

注文の懐メロをかけたり客とデュエットしたりで葵ママは忙しい。

そこへ拓也青年、今後は拓ちゃんと呼ぶことにするが、彼が助っ人に入って厨房を任せられるのでママは大助かりだ。



(3)『青い葵』に変わった客が来た

『青い葵』には時たま変な客も来る。

女将(おかみ)、じゃまをする。1杯飲ませてくれたまえ」

そう言って入って来た老人も相当に変わっていた。

起きたばかりの旅館の泊まり客のようなよれよれの浴衣、しかも足元を見ればスニーカーだ。

「とりあえずビールでいきます?」

「うむ。ところで女将(おかみ)

女将(おかみ)は勘弁して。何だか(おおかみ)みたい。私、青井葵っていうの」

「アオイアオイ? (じじ)(ばば)が孫を『高い高い』しとるみたいな名ではないか。爺さん婆さんはいるのか?」

「二人とも他界他界」

「ふむ。それでは親は?」

「父さんは死んで母さんは行方不明。親の借金払いのために私が一人でこの店をやってるの」

身元調査はすんだとばかりに老人は頷いた。

「葵ママとやら、わしは由緒正しいホームレスで今日は千円も持っておる。つまみは適当にみつくろってくれ」


カウンター越しに拓ちゃんが僕の耳元に口を寄せた。

「しゃらくさいホームレスですね。ママのプライバシーに踏みこんだ上にたった千円で飲み食いしようなんて」

すると年寄りの地獄耳で、老人が拓ちゃんをジロリと見た。

「青年、わしを知っておるのか?」

「え?」

「わしの名は写楽斎(しゃらくさい)東洲(とうしゅう)というのじゃ」

僕はプッと吹いてしまい、老人ににらまれた。

老人が帰ると拓ちゃんが言った。

「さっきは何で吹き出したんですか?」

「有名な浮世絵画家の東洲斎写楽をパクったような名前だったからさ」

葵ママも話に加わった。

「私は拓ちゃんの『しゃらくさいホームレス』が『シャーロックホームズ』に聞こえたわ。ワトソンさんといいコンビになるかもね」



(4)『青い葵』のママがバイトを始めた

東洲さんがある時僕に小声でたずねた。

「葵ママは混血児なのか?」

話が聞こえたようで、葵ママ本人が答えた。

「目が青みがかってるからでしょ? これは生まれつき」

ひょっとしたら?と僕が言うと葵ママはにっこり笑った。

「そうよ、それで葵って名付けられたみたい」


拓ちゃんのことに話を戻すと、彼がバイトで入ってから『青い葵』に変化が生じた。

店のメニューは老人向けの定食や和風の一品料理が中心だ。

ところが夜の部は拓ちゃんがパンケーキやミニピザなどのしゃれたものも作るので若い女性客が増えた。

イケメンの拓ちゃんがシェーカーを振ってカクテルを作る姿もなかなかさまになっている。

そういう拓ちゃんを女性客がうっとり眺めるものだから、老人たちもカクテルに興味を持ち出した。

「兄ちゃん、このカタカナ書きは何だい?」

「カクテルのメニューです。一杯いかがですか」

「そしたら、このマンキンタンってやつをもらおう」

「マンハッタンですね、お作りします」

しかし、しゃれたカクテルを飲みながらも老人客はカラオケで演歌をがなり立てる。

当然の流れとして老人たちは顰蹙(ひんしゅく)を買って脚が遠のき、夜の部は若い女性客が中心になっていった。


「拓ちゃんの魅力で夜はまるでホストクラブだわ。私、おじゃま虫だからどこかバイトにでも出ようかな、時間がもったいない」

夜だけとはいえ、バイトの拓ちゃんに店を任せてママがバイトに出るというのもおかしな話だ。

「そこまでしなくても店でゆっくりしてればいいじゃない」

「そうしたいのはやまやまなんだけどねワトソンさん、親の借金を早く返してしまいたいのヨ」

どうやら葵ママは本気のようだった。

それから数日後、『青い葵』に行くと拓ちゃんが葵ママに求人のチラシを見せていた。

「これ、ママにピッタリのバイト先ですよ。開店したてでホステスを募集してます」

「スナック『ブルーアイ』? あら、時給がいいわネ。それに夜中の3時までだから結構かせげるわ。けど拓ちゃん、何で私にピッタリなの?」

「応募資格の欄を見て下さい」

「年齢20代で目が青い女性? 変な条件ね」

「ママさん自身も目の青いハーフで、目の青い女性が客に喜ばれるんだそうです」

「何でそんなことまで知ってるの?」

頭をかきながら拓ちゃんは言った。

「この前借金の話を聞いたんで時給が高い店ならママが興味を示すかもと思って直接話を聞ききに行ったんです。明後日が面接日です」


その後『青い葵』に行ってみると、葵ママは浮かない顔をしていた。

「面接、駄目だった?」

「私一人だけ採用ヨ」

「えっ、そうなの?」

「応募者の中には私より目の青いロシア人の可愛い子もいたのにどういうことかしら?」

「うーん、でもとりあえずよかったじゃない」

そうは言ったものの気になって僕は数日後、昼食がてら『青い葵』に顔を出した。

「夜の『ブルーアイ』のほうはどうなの?」

「それがネ、お客さんあんまり入らないの」

「それじゃ葵ママも肩身が狭いね、開店したてだからかなあ」

「でもバイト代は取っ払いでちゃんともらってる。それよりワトソンさん、近ごろ東洲さんが来ないんだけど」

「東洲さんは他の店に入りびたってるよ」

「何ていうお店?」

「『伊勢海(いせかい)』っていう居酒屋」



(5)おかしなことが立て続けに起こった

たまには若い女性客に交じって飲もうと思い、夜に『青い葵』を訪れた。

すると当てが外れて、客は作業服を着た汗臭い男たちばかりが小上がりに陣取っていた。

僕はカウンター席に座り拓ちゃんを手招きした。

「夜の部はホストクラブ状態じゃなかったのかい?」

「この近くにビルが建つんで現場作業員の皆さんが毎日仕事帰りに見えるんです」

「それじゃ女性客は足が遠のくね」


それから半月後のある土曜日の夜、『青い葵』に行くと葵ママと東洲さんの二人がいた。

「あれ、いつもと違うな。ママがいて拓ちゃんがいなくて東洲さんがいるなんて」

「わしだってたまには葵ママの若い顔を見たいさ」

「あら、行きつけの『伊勢海(いせかい)』のママさんは若くないの?」

「80過ぎの婆さんじゃよ。客もみな伊勢エビみたいに腰の曲がった年寄りばっかりで伊勢海(いせかい)だか異世界だか分かりゃせん」

僕は夜の部なのに葵ママがいることが気になった。

「ママ、この時間はブルーアイじゃないの?」

「辞めてくれって一昨日(おととい)いきなり言われたの。店をたたむからって」

「客の入りが少なくてきつかったのかな」

「でね、私が昨日その話を拓ちゃんにしたら今度は拓ちゃんがここを辞めるって言うの。引き留めたんだけど」

「何も拓ちゃんが責任感じる必要ないのにな」


「ワトソン君、君の目は節穴か?」

「何です? 藪から棒に東洲さん」

「まず(ゆか)を見てみたまえ」

「ちょっと土で汚れてますね。近くのビル建設の作業員たちがよく来るって拓ちゃんが言ってました」

「歩き回ってみたが近くにそんな工事現場はない。それに作業服の男たちがこの店に入るとすぐに拓也が『CLOSED』の札をドアにかけるのをわしは何度か見た」

東洲さんの話を聞いて僕も思い出した。

「そう言えば以前僕が来た時も僕が帰るとすぐ閉店準備にとりかかっていました」

東洲さんは頷いて話を続けた。

「おかしなことはほかにもある。拓也はバイト代不要で夜だけ働きたいとこの店に入った。そして葵ママには夜のバイト先を紹介した。採用条件にピッタリの子が他にいたのにブルーアイは葵ママだけを採用して高給で雇い続けた。そして急に店を閉め、同時に拓也も姿を消した。これらを結びつければ何が見えてくる?」

よく似た設定の小説が僕の頭に浮かんだ。

「そう言えばシャーロックホームズが解決した『赤毛(あかげ)組合』の筋立てに似ていますね」

「さすがワトソン君だ。お見事」

葵ママが拍手をした。

「何の話か分からないけど、東洲さん、かっこいい! ホームレスじゃなくてホームズみたい」



(6)事件と並行して異変も起きた

意味が分からずにいる葵ママに僕が説明をした。

「拓ちゃんとブルーアイは葵ママが夜中にこの店を空けるように画策したんだ。そして作業着姿の男たちが夜にやって来て床に土が落ちているということは……。ママ、この店のとなりは確か」

「路地を挟んで銀行ヨ」

「この店で銀行に一番近い部屋は?」

「奥に小宴会に使う和室があるわ」

そこだ!と僕と東洲さんが立ち上がったのと警察官が店に入って来たのは同時だった。

警察官と一緒に和室の畳を上げると、床下の地面に人が入れる大きさの穴が掘られている。

穴は銀行の地下金庫室に通じていた。

金庫破りは昨日の金曜日深夜に行われ、今日の警備員の見回りで発覚したのだった。

しかし、用意周到な犯罪だったにもかかわらず犯人グループは全員あっけなく逮捕された。

拓ちゃんの父親が首謀者でブルーアイのママとは愛人関係にあった。


事件後しばらくたって僕と東洲さんは『青い葵』で落ち合った。

「新聞によると、犯人グループの何人かが派手に金をつかって足が付いたそうじゃな」

「馬鹿な連中ですね。ほとぼりが冷めるまでおとなしくしてればいいものを。ドラッグでもやって浮かれ気分になったんですかね」

「そんなことより、二人とも何か気付かない?」

そう言うと葵ママはカウンターの中から身を乗り出すようにして顔を僕らに近づけた。

何事かと思ってママの顔を見た瞬間、僕は上ずった声を発した。

「ママ、青い青い!」

葵ママはにっこり笑って乗り出していた身を引いた。

「でしょ? あの事件の後、鏡を見たら目の青さが濃くなってたの」

「事件後に何か変わったことでもあったの?」

「ううん、特には。2階が雨漏りし出したんで下の和室で寝るようにしたことくらい」

もしかしたら…、と何か思いついたように東洲さんが立ち上がった。

東洲さんは奥の和室に上がり込むと畳を1枚上げた。

例の穴が目に入ったので僕はママに言った。

「まだ、埋め戻していないの?」

「面倒くさいんだもの。銀行側はふさがれたみたいだけど」

東洲さんは穴の中を覗きこんだ後、畳を元通りにはめた。

「穴の底のほうが微妙に青く光っておる。おそらく土にラジウムか何かが含まれとるのじゃろう」

「ラジウムって、放射性物質のラジウムですか?」

「うむ。金を浪費した犯人たちは浮かれたのではなく放射線を浴びて精神に異常をきたしていたのじゃろう。ママのほうは目の青さが増した以外に何か変化は?」



(7)『青い葵』が異世界居酒屋になった

「私は何ともないわ。お客さんは変わったけど」

「お客さんが変わった?」

「歴史の教科書で習ったような人たちが来るようになったの」

現実離れした話を葵ママはさらりと言ってのけたが東洲さんは深く頷いた。

「やはりな。この土地自体が強烈なパワースポットになって異世界への扉が開いたんじゃろう」

「異世界との交流って、そんなに適当なの?」

「この世はたとえて言えば重ね着をしとるみたいなもので幾つかの異世界が重なっておるのだ。ドッペルゲンガーなどはその(あかし)じゃろうし、認知症の老人たちも案外二つの世界を行き来しとるのかもしれん」

「でも東洲さん、歴史上の偉人がどうしてうちの店にやって来るの?」

「それはだな、恐らく偉人の生まれ変わりの人間がこの店のパワーに引き付けられて、入口をくぐった瞬間に以前の存在になるのではないかな」


そんな話をしているところへ東洲さんと同じような浴衣姿の客が入ってきた。

「いらっしゃい西郷さん、今日で2度目ネ。犬は外につないでおいて」

「分かりもした。こないだのごつ薩摩黒波のお湯割りを」


しばらくしてよれよれの袴に刀をさした青年が入ってきた。

西郷隆盛は青年を自分の席に招いて焼酎を勧めた。

「坂本君は相変わらず日本の現状を(うれ)えておりもうすか?」

「はあ、今一度日本を洗濯いたしたいと思うちょります」

そこへ葵ママが料理を運んできた。

「日本の心配より自分の着物を洗濯したほうがいいわヨ、竜馬さん」


二人が帰った後、目つきの鋭い男がカウンター席に座った。

男は吊るしてある鳥籠を見上げて葵ママに話しかけた。

「この店はわざわざカラスを飼っておるのか?」

「カラスじゃありません、九官鳥です」

葵ママがムッとした声で言ったが、男は高飛車な物言いを続けた。

「九官鳥なら何か芸をするであろう。鳴かせてみよ」

「飼い始めたばかりでまだ仕込んでません」

「ふん、つまらぬ。鳴かぬなら殺してしまえ九官鳥」

この言葉にとうとう葵ママがキレた。

「まあ、ひどい! お客さん、帰って! あんたに飲ませるお酒はないわ!」

私と東洲さんは次々に来店する歴史上の人物に目を見張ったが、彼らを一般の客あつかいする葵ママにもたいそう感心した。



(8)『青い葵』に将軍がやって来た

葵ママの剣幕に男が1杯も飲ませてもらえずに退散すると、入れ違いに一人の老人が入ってきた。

「はて、今のお方は信長様では」

老人は我々のいるカウンター席に腰を据えると葵ママに話しかけた。

「この店は天ぷらも食べさせるのかな?」

「あいにくやってません」

「いやいや食べたいのではなく、その逆だ。鯛の天ぷらで腹をこわしたことがあって、それ以来、油の匂いも胸につかえるのでな」

この老人も有名人なので僕はちょっかいを出したくなった。

「東洲さん、『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず』って言葉、誰が言ったか覚えてませんか?」

東洲さんは僕が口にした徳川家康の名言を「知らんな」ととぼけてくれた。

「お客さんはご存じないですか?」

家康本人に僕は話を向けた。

「知らぬが、いい言葉だな」

さすがはたぬき親父と呼ばれるだけあると思っていると家康はぽつりと呟いた。

「じゃが、荷物が重ければ下ろしてもよかろうに」


「お客さん、これなら大丈夫でしょう?」

葵ママが家康の前に焼きナスと酢の物、二つの小鉢を置いた。

僕が家康より先にママをほめた。

「葵ママは気が利くね。お客さんに合わせて胃にやさしいものをさっと出すなんて」

すると僕の言葉に家康が反応して葵ママの顔を見た。

「葵ママ? 葵というのは店主の名か?」

「はい、青井葵って言います」

「妙な名だな、本名なのか?」

「今はそうです。母親の再婚前は三葉(みつば)葵でした」

家康は驚いた顔をしたが初めて聞いた話に僕と東洲さんも顔を見合わせた。

「店主、何か心配事はないかな」

家康は穏やかな表情に戻って葵ママに声をかけた。

「親の残した借金をなかなか払えずにいることくらいですかネ」

「それならわしの子孫が下ろした重い荷が役立つだろう」


家康が店を出ると東洲さんは葵ママを急き立てて店じまいさせ、奥の和室に入った。

そして畳を1枚僕に上げさせて例の穴の中にじっと目を凝らした。

しばらくして東洲さんは穴の側面の一か所を指さした。

「ワトソン君、あそこだ。あのあたりから黄金色の光が漏れておる」

この間のラジウムといい今回といい、東洲さんには常人には見えない周波数の光を感知する能力があるようだ。

僕は店にあった園芸用のスコップを持って穴に入り、東洲さんが指示したところを横に少しずつ掘っていった。

すると、カチリと音がした。


「どういうこと? どういうこと?」

とりあえず掘り出した数枚の小判を見た葵ママは東洲さんの腕を取って説明をせがんだ。

「徳川家の紋所は水戸黄門の印籠でも有名な三つ葉葵だ。家康は葵ママの名前を知って自分につながる縁を感じたんじゃろう。そして借金払いの役に立つ重たい荷物と言えば千両箱とか小判とかだろう。ワトソン君、後は君が説明したまえ」

葵ママは今度は穴から上がった僕を見つめた。

「幕末の頃、徳川幕府はあちこちにお金を隠したと言われてるんだ。いわゆる徳川埋蔵金だね。ここの小判もその一部だろうと思うよ。実はね葵ママ、この場所は昔小栗(おぐり)忠順(ただまさ)の親戚が住んでいたところなんだ」

「誰? その小栗なんとかって」

「幕末期の勘定奉行で江戸幕府のお金を一手に握っていた人さ」

僕は帰り際に葵ママに言った。

「東洲さんと近いうちにまた来るよ。大事な話があるんだ」



(9)葵ママが感動の対面を果たした

2日後、僕と東洲さんは一人の老婆を『青い葵』に伴った。

「あら今日は東洲さんまでスーツできめちゃって。そして?」

そのお婆さんは?と言いたげな目で葵ママは僕を見た。

「まずは葵ママに謝らなくちゃいけない。質屋とかホームレスは仮の姿で僕と東洲さんは異世界審判所の職員なんだ。葵ママの担当が僕で東洲さんはこちらの『伊勢海』のママさんの担当」

「何が何だか分からない。異世界審判所って何?」

「こっちの世界で言えば警察署と裁判所と刑務所を合わせたような役所だよ。前も言ったようにどの世界も他の世界と複雑に絡み合っているんだ。僕らはその接点に関する問題を処理するのが仕事だ」

「じゃ、ワトソンさんと東洲さんは同僚だからもともと知り合いだったのネ。私の前ではお芝居してたってわけだ」

葵ママが口を尖らせたので僕は慌てた。

「怒らないでくれよ、仕事なんだから。僕はママに悪いと思ってたけど東洲さんがいつもしれっと芝居をするもんだから僕も乗せられちゃって」

「おいおい、わしのせいにするのか?」

今度は東洲さんが口を尖らせたが、葵ママが話に割り込んできた。

「お芝居だったってことは、お二人の名前も本名じゃないのネ?」

「そうそう、たとえばそれだよ。僕たちGメンは本名を明かすわけにはいかないから偽名を名乗るんだけど、東洲さんがアドリブで写楽斎東洲って名乗った時は思わずふいちゃってさ」

葵ママも機嫌を直したようだ。

「そんなお二人が今日は私に何の用?」


ここで東洲さんの口ぶりが改まった。

「葵ママ、この『伊勢海』のお婆さんに見覚えはないか?」

葵ママは困惑した顔つきになった。

「似てはいるけど……」

「そうじゃ、あんたの母上じゃ」

葵ママの目が大きく見開かれた。

「そんな! 私の母さんは生きていれば50ちょっとのはずよ!」

「母上は我々の役所の出先機関でパートとして働いておったのじゃが、金庫に入れてあった公金を横領した」

「うちの人が残した借金の取り立てが厳しくてつい……」

居酒屋『伊勢海』のママである老婆はうなだれて消え入りそうな声で言った。

「母上は懲役30年執行解除10年の判決を受けた。こちらの世界と違って懲役30年というのは30歳分の年を取る刑罰じゃ」

「それで母さんはこんなお婆さんになってしまったのね。執行解除10年ってのは何? 執行猶予じゃないの?」

「刑は執行されたから猶予ということはありえない。働いて10年以内に横領した金額を返済できたら執行された刑が解除されるのじゃ」

「元の50代に戻してもらえるってこと?」

「そうじゃ」

その後の説明は東洲さんにかわって僕が引き継いだ。

「家康さんが言ってたママへのプレゼント、あの穴の中から出てきた埋蔵金でお母さんの横領分が完済できたんだよ。それで葵ママのお母さんの刑を解除するために僕らは正装で来たというわけなんだ」

僕と葵ママが見守る前で東洲さんが呪文のような文句を唱えた。

ただそれだけで執行解除の手続きは終了した。

葵ママは元の年齢の姿に戻った母親と涙ながらに固く抱き合った。



(10)白馬の王子様が現れた

「これでわしらの任務は完了じゃ。みんなで乾杯しよう。葵ママ、1杯飲ませてくれんか」

「もちろんヨ! 母さんもおつまみ作るの手伝って」

生ビールで乾杯した後、葵ママが深々と頭を下げた。

「ワトソンさんと東洲さんのお陰でまた母さんと暮らせるわ。ありがとう」

「よかったね。後は孫の顔をお母さんに見せてあげれば言うことなしだ。誰かいい人いないの?」

せっかく盛り上がっていた雰囲気が僕の余計な発言でしらけそうになった。

それを察した葵ママの母親が助け舟を出してくれた。

「白馬の王子様が私を迎えに来る、この子は小さい時からそんな夢みたいなことばかり言っていたんですよ。孫の顔は当分おあずけでしょう」


「そうでもなさそうだ。噂をすればなんとやらで白馬の王子様がやって来たぞ」

東洲さんの言葉で店の入口を見ると歴史教科書の挿絵どおりの服装でナポレオンが白馬にまたがっている。

誰よりも早く葵ママが立ち上がった。

「お客さん、困ります! 馬に乗ったまま店の中に入らないで!」

ナポレオンは馬からおりて葵ママの正面に立った。

「空腹なのでとりあえず何か作ってもらおう。そちがこの居酒屋(ビストロ)の店主か? 美人だの。(きさき)の一人として迎えよう、余と共に城へ参れ」

求婚された葵ママの表情はむしろ迷惑そうに見えた。

「ナポレオン様と私では身分が違いすぎます。妃になれるはずがありません」

「余の辞書に不可能の3文字はない!」

そう言うとナポレオンは葵ママの腰に手を回して強引に引き寄せた。

すると葵ママはその手を振り払い、眉を吊り上げた。

「フランスの辞書に不可能って漢字があるわけないでしょ! ナポレオンだかカメレオンだか知らないけどナポリタンでも食べてとっとと帰って!」

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