(3)生きる意味はなぜ問えるのか?3
「それは欲望があるからよ。つまり生きる意欲があるから生きる意味を問いたくなるわけ。だから生きる意味っていうのが意識の中に存在できるのよ。ちょっとづつ戻りながら説明するわね。さっきも言った通り、一見どちらからでも言えそうなことでも実は片方の側からしか言えないポイントってあるの。人生の意味の場合、もし人生に意味が存在しなくても人間て別に生きていられるわよね?でも生きる意欲がなかったらそもそも人生の意味とは?なんて疑問が存在できるかしら?だから人生の意味が存在できるのは生きる意欲の存在が不可欠なわけ。こいつが無いと人生の意味っていうのは存在できないの。ちょっと期待してた答えと違うでしょ?私の言ってることがわかるかしら?人生の意味とはこれこれだ、じゃなくて、人生の意味っていう観念自体が存在してる理由の話しね」と島津川さんが言った。
まあでも、なんとなくわかるのは生きる意味とは○○だではなく、その疑問が生じることで人生の意味という観念が存在できているのはわかった。そしてその疑問を生じさせているのが欲望なのか…つまり生きたいと思ってなくちゃその疑問が生まれようがないと…と私は理解したことを頭の中で反芻していると、私の思考を読んでるかのように島津川さんが続けた
「そう。だから人生の意味とは、欲望として存在している人間が意識の中で生み出す観念のことね。逆に言えばね、目の前の本ていうのも観念なのよ。つまり意味なの。本なのに!?って思うでしょ?まあこの話はまたいつかするわ。例えば人生の意味は子孫繁栄だとか世界平和だって言われたら間違ってはいないかもしれないけどなんかそういうことなの?って思うでしょ?これは人間の自我の特性として、言葉による限定を望んでいながら、一方で限定されると今度は自由の感覚を奪われることをものすごく嫌うっていう特性から来てるのよ。まあこれも面白いって思ってくれればいいわ」と島津川さんが言ってチャイムが鳴った。
「欲望かあ…」と私が言ったら
「そうよ。欲望よ」と島津川さんがちょっとうれしそうに言って、私たちは教室に戻った。
参考図書
竹田青嗣著
「意味とエロス」「エロスの世界像」「自分を知るための哲学入門」「現象学入門」「ハイデガー入門」「現代思想の冒険」など