デート代はどちらが出すべきか 還元、本質直観 7
「普段私たちは、この世界があって、その中に自分がいると思っているわよね?これが自然な感覚で、しかしこの考えを基準にしてしまうと、私が見ている物と見られている物が果たして同じものか?という懐疑論を呼び込んでしまい、これを論理的に解くことが不可能になる。だからその懐疑論自体を解くのではなく、そもそも懐疑論が介入できない前提を採用すると、私の意識が先に存在し、その意識に物があるから、そこに物があると認識する。という順序の方が自然ということになる。これが還元の概念ね」とうつつちゃんが言った。
「確かに、結論はシンプルだけど普段の感覚とは逆だから、飲み込めない人もいるかもね」と私が言った。
「実は大学の哲学の先生レベルでもこの感覚がわからない人っているのよ。それでもなぜか先生ができてしまうというのは哲学界の不思議なところなんだけど。やばい大学は本当にやばいわよ。まあ話がそれるからこの辺にしておくけど」
「あ、そうだ時間とは何かについて聞いてたんだ。聞いた私も忘れてた」
「とにかくここだけは抑えてほしいから、もう聞き飽きてるかもしれないけど、重要なところを最後にもう一度だけ言うわよ」
「来い」とギャル松井。
「あそこにいる金井君、コーヒーの味がした飲み物。この時、疑えないのは私の意識に金井君が映っていることや、黒くて良い香りのする飲み物がコーヒーの味がしたという感覚、ここなのよ。そしてこの事実自体はどんなに疑いたくても疑えないわよね?」とうつつちゃんはいったん小さく息を吸って。
「しつこいようだけど本物の金井君や本物のコーヒーかどうかはどうでもいいのよ。そのどんなに疑いたくても疑えないっていう、ここをよく覚えてほしいの、これを意識の恣意性を超越したっていう難しい言葉になって申し訳ないけど、要はどんなに疑いたくても疑えないっていうのは、自由な意識の解釈を許さないポイントね。例えば、コップに水が半分入ってたとするわよね?その場合、コップに水が半分『も』入ってるとも言えるし、半分『しか』入ってないとも言える。ここに関しては意識の自由な解釈ができてしまうわよね?でも半分入っているということ自体はそれ以外の解釈をしようと思ってもできないわけよね?つまり私たちの意識の中にはどうしても意識の自由にならないものが存在しているのよ。この事実をよく理解してほしいの」とうつつちゃんが言って。また少し呼吸した。




