靄
三題噺もどき―ろっぴゃくろくじゅうに。
生ぬるい風が頬をなでる。
夜空には半分になった月が浮かんでいた。
所々に輝く星は、どこか遠く、宇宙の果てから届いた光だと言う。
「……」
心地よく晴れた空に、沈んだ気分も浮かばれるというモノだ。
残念ながらポジティブ思考をあまり持ち合わせていない私は、何かのきっかけがあればどうしてかネガティブには走ろうとする傾向がある。これでも多少マシになっているのだけど。どうにも、落ち込むことは私にだってある。
「……」
それをしないように気を点けてはいるし、させないようにと光る目があるのであまり大仰に落ち込むことはないのだけど。
少し前の雨の日は久しぶりにきつかったが……何とかなったし、してくれたので大事にはならなかったのだけど。あれがもっと若い頃だったら何をしていたか分からない。未遂ぐらいにはなってたかもしれない。
「……」
今日はまぁ、そこまで落ち込むようなことがあったわけでもないのだが。
むしろ仕事もうまいこと進んでいるし、今日中に余裕で終わりそうで何よりだし、出掛け際に見た従者のご機嫌もよさそうだったので、何も悪いことはないのだけど。
「……」
それなのに、なぜか。
こう、ほんの少し何かが引っかかるような、気持ちの悪さがどこかにあるのだ。
体調が悪いわけでもない上に、メンタル的な問題でもないだろうから、どうにも。
どうしたものかと頭を抱えながら、散歩に出たのだ。
「……」
頭上に浮かぶ半月も、輝く星空も、いつもと変わらず美しいと思うのに。
どうしてか、素直に美しいと思えない何かが頭の中にいるような気がして。
仕事もうまくいって、アイツの機嫌もよくて、いいことばかりなのに。
素直にそれを喜んで受け入れられない私がどこかにいて。
「……」
こういう時の気晴らしが他にあれば良かったのだけど。
私の知っている娯楽なんてたかがしれているので、効果が見込めない。
ちょっとしたゲームとかでも出来たらよかったのだけど、その手のものは家にはないし、残念ながら向いていないのだ。あれはどうにも目が疲れる。
しかし、やり慣れた娯楽は、気晴らしには向かないらしい。
「……」
散歩だって私にとっては気分転換で娯楽の一つだし、読書も気晴らしの一つだ。
でも、どれも効果がいまいち見込めなくて、何かが胸中にわだかまっている。
これが何なのか分からないのが一番厄介だ。
「……」
急激に暖かくなり、生ぬるい風が吹いているこの散歩道を歩いていても。
どうにもこうにも。
時折ぼうっと足が止まってしまうし、思うように体が動いていないような気がする。
そんなはずはないんだけどなぁ。
「……」
こんな調子で歩いているところに、先日の手紙の主でも現れたら、うっかり死んでしまうかもしれないな。笑い事ではないが笑うしかない。
まぁ、あちらの要求は話をすることか、話をつけることなので、殺されることはないだろうけど。そうでなくても、一応吸血鬼で不死身である以上、そう簡単には死にはしない。
……と、高をくくっていると何が起こるか分からないのでよくないのだけど。
「……」
今日はもうさっさと帰ってしまおうか。
家に帰っても仕事になるかどうかは分からないが、始めてしまえばさっさと終わってしまうかもしれないし、案外それが気晴らしになるかもしれない。
それはそれでいかがなものかと思うが。そこまで仕事人間―人間ではなく化物だが―というわけでもないのだけど。
「……」
今日は久しぶりに墓場にでも行こうと思っていたが、やめておこう。
あの幼子が寂しがっているだろうかと思ったが、あそこには大人が大勢いるし、あの時は彼岸というのもあっただけだろうから……。
「……」
生ぬるい風を切り、踵を返す。
気持ち悪さの正体が分からないままなのがどうにも気にはなるが、どうにもならないのなら忘れてしまう方が正解だろう。
―今日の休憩のお供はなんだろうな。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「……何かありましたか?」
「いや、なにも」
「そうですか……?」
お題:夜空・ネガティブ・ゲーム