8 吟遊詩人ルカ
「はい! 注目!」
私はパンパンと手を鳴らし、大声で叫んだ。
「こちらは、皆様に歌唱指導をして頂きます、ルカ様です」
「お初にお目にかかります。ルカと申します。以後よろしくお願いいたします」
優雅に腰を折りつつ挨拶をする小柄な男性。
ルカ様は、王都で絶大な人気を誇る吟遊詩人だ。
一度聴いたら忘れられない、強い印象を人々の胸に刻む魅力的な歌声。
情感豊かに奏でられるリュートの調べ。
彼が広場で演奏を始めると、自然と人が集まってくる。
老若男女、身分の違いにかかわらず、彼の歌と演奏に心を奪われた人々は、時には涙を流し時には笑顔を浮かべる。
年齢は二十代半ばと言ったところだろうか。
飾り気の無い砂色の服を身に纏い、手入れの行き届いたリュートを抱えている。
背中の中ほどまである真っ直ぐな銀の髪は、首の後ろでひとつに束ねられていて、優しげな紫色の瞳と相まって中性的な魅力を醸し出している。
「ルカ様は王都の民達から、エルフの血をひいているのでは、と噂されております。それほど魅力的な歌声だということですわね!」
「……恐れ入ります」
否定も肯定もせず、ただただ優雅に微笑むルカ様は、確かに噂を信じたくなるような人外めいたところがある。
ふうっと大きな溜め息が聞こえたので視線を向けると、バルド様が、鼻の付け根を指先で揉みながら、苛立ちの込められて声で言った。
「歌など、今更習う必要があるのか?」
貴族は小さい頃から楽器と歌を、教養のひとつとして習うのが一般的だ。
今、この場にいる彼らは、王族とかなり高位の貴族達。
歌など今更習う必要がない、というのは至極最もな話だった。
「たしかに、ここにいる皆様は、歌唱の訓練は一通り受けておられることでしょう。ですが! 皆様には、お一人で歌って頂くわけではないのですよ。5人で一斉にハモって頂かないと」
「だからと言って、それは習わないとできないようなことではあるまい」
それでも反論を止めないバルド様に向かって、これ以上何か言っても無駄だろう。
「わかりました。それでは、皆様がどれくらい歌えるのかを確認させて頂きます」
隣に立つルカ様に目で合図をする。
こうなることを予想して、あらかじめ策を練ったおいたのだ。
「それでは、皆様、私の歌うメロディーを真似して歌ってみてください。では、アレックス様から順番にお願いします」
「承知した」
ルカ様は、ポロンとリュートをかき鳴らし、有名な曲のメロディーを歌い始めた。
子供でも歌える、ごく簡単な曲だ。
ほんの触り程度の短いフレーズを歌い終えると、ルカ様がアレックス様に自分と同じように歌うようにと言った。
アレックス様は言われた通りに同じメロディーを歌った。
美しい声で、音を外すことも無くしっかりと。
思わず拍手をしたくなるくらい素晴らしい歌だった。
「では、お次はバルド様、お願い致します」
「……良いだろう。やってみよう」
次にルカ様が歌ったのは、アレックス様が歌ったものと全く同じ曲だ。
だが、少しメロディーが違っている。
バルド様は不思議そうに聞いていたが、ルカ様から続けて歌う様に、と言われ、戸惑いつつも歌い出した。
これまたアレックス様に負けず劣らず良い声だった。
そして、ルカ様と同じく、音を全く外さずに歌い切った。
「素晴らしいです。では、お次はアンリ様お願い致します」
「仕方ないなあ」
ルカ様はまたもや同じ曲を歌った。
だが、メロディーは、アレックス様やバルド様が歌ったものと違っている。
そんな風にして、アンリ様、リヒター様、ジュール様が同じように少しづつ違ったメロディーを歌い上げた。
「皆様、素晴らしい歌声ですわ! さすがです!」
思わず拍手をすると、五人とも少し照れたように口元を綻ばせた。
「これでわかっただろう? 歌の練習など必要な」
「まだですわ。最後に、皆様には同時に歌って頂きます」
バルド様が最後まで言い終わらないうちにそう言うと、五人全員が戸惑ったような表情をした。
「皆様、さっきのメロディーは覚えていらっしゃいますか? もう一度歌いましょうか?」
ルカ様がそう言うと、全員が「必要ない」と首を振った。
「それでは皆様、合図の後で歌い始めて下さい」
そしてルカ様が合図を出す。
「1・2・3、ハイ」
五人が一斉に歌い出す。
最初は良かった。
だが、最後まで間違えずに歌い切った者は一人もいなかった。
皆、お互いの声につられてしまい、次々と音を外していった。
綺麗な、どころか不愉快なくらい濁ったハーモニー。
これでら病が治るどころか、具合が悪くなりそうだった。
「……わかっていただけましたでしょうか?」
五人とも黙り込んだまま呆然としている。
「それでは、次は私とルカ様の歌を聞いて下さいませ」
目でルカ様に合図を送ると、頷いたルカ様の指がポロンとリュートを奏で始めた。
五人に歌ってもらったのと同じ曲を、私とルカ様でハモりながら歌う。
リュートの伴奏があるせいもあって、綺麗に重なった声が我ながら気持ちよく響いた。
ひとしきり歌い終わって、皆の顔を見ると、上気したように頬を染めてこちらを見ている。
「こうして、一人一人が違うメロディーを歌っても、上手くハモると美しく重なり合って聞こえるのですよ」
バルド様は、衝撃を受けたような顔をしていた。
「今のままでは、皆様の歌は黒雲病に効果を発揮することはできないでしょう。なので、ルカ様から歌を習い、五人で美しいハーモニーを作り出して頂きたいのです」
「…………仕方が無いね。僕の従妹殿の言う通りだ。僕たちは彼に教えを請う必要があるようだね」
アレックス様が、にこやかに微笑む。
長い付き合いなので、私はよく知っている。
彼がこんな風に笑う時は、怒っている時なのだ――主に自分自身に対して。
思ったより上手くできない自分に対して、かなり苛立っているようだ。
「わかった。私も彼に教えてもらわねばならないようだ」
続いてそう言ったのはリヒター様だった。
今のリヒター様は少しも眠そうに見えない。
余程、さっき自分が歌えなかったことがショックなのだろう。
そうして、全員がルカ様から歌を習うことを了承してくれた。
良かった、これで一歩前進だ。
「ありがとうごさます! それではルカ様、これから、ビシビシやっちゃって下さいませ!」
「オッケー☆ さあ、皆、やると決めたら最後までとことんやるよー☆ 準備はいいかなー☆」
ルカ様が突然、豹変した。
はっちゃけたようにウインクするルカ様に、五人とも驚いたように目を丸くして口をぽかんと開けている。
「ねえ、シルヴィ、彼ってばどうしちゃったの?」
アンリ様がこそこそと話しかけてきた。
「ああ、ルカ様は吟遊詩人として歌っているときはいつもこんな感じなのですよ」
「えっ?」
「ノリが良くて素晴らしいですわね」
「シルヴィア様、ありがとうございまーす☆ イエーイ☆」
「イエーイ☆」
「シルヴィア様まで、そんなノリなんですね……!?」
ジュール様がオロオロしながら言う。
「とにかく、黒雲病に効果的なのは、『元気が出るような明るい曲調でノリの良いリズムの歌を、複数の人間が歌うのを聞くこと』つまり、ノリノリで美しいハーモニーを響かせて歌うことです! 皆様、頑張ってくださいませ! イェーイ☆」
「「「「「イ、イェーイ☆」」」」」
まだ若干、戸惑う様子が見受けられるが、とりあえず最初はこんなものだろう。
これから頑張っていけば、きっと素晴らしいハーモニーが生まれるに違いない!